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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】哀

 一生、傍で働くものと思っていた。横たわる主の顔を見下ろし、静かに目を伏せた。

 つい最近まで笑っていたのに。あんなに優しかったのに。

 妹である文月姫をとても大切に思っている方だった。姫の生まれ変わりの存在がわかったとき、あの方はこれまでにない程の微笑みを見せてくれた。

 文月姫は今、お心が壊れてしまっている。妹のあんな姿、我が主はさぞ悲しんでいらっしゃるだろう。


 ───『僕に何かあったそのときは、君は、僕の大切な人に仕えなさい』


 ならば私が、主に代わり、あの方をお守りしてみせる。





………………


 そこは、立てば頭が天井にぶつかる程の高さの檻の中。

 脱出する気力が起きない。ただ暗い、暗い岩の部屋を眺めていた。

 足音が聞こえてきた。


「久しいな、文月」


 声の主を見上げ、再び視線を下に向けた。


「随分と大人しいな。心に余裕でもあるというのか。それとも、恐怖で話すこともできぬか」


 葉月の問に、無気力にもゆるりと視線を彷徨わせ、静かに呟いた。


「恐怖……。私は、私という存在を恐れてる……」


 返ってきた答えに眉を顰めながら、葉月は壊れて動かない従妹を睨んだ。

 嫌味を立て続けに言っても何も言い返ないだろう。それは、前世も同じであった。


「睦月の娘だから。それだけの理由で水無月の代わりになれた貴様が、随分と自虐的なのだな。調子に乗るな」

「………」

「俺は、貴様と、貴様の父親を心底憎んでいる。鬼神の全てを書き換えてやる。俺が恐怖の象徴となる」


 美月は何も言い返さない。自分と、父親が憎まれていることなど、今更過ぎてどう反応していいものか困る。もうそんなことを考えることすら面倒で疲れる。


「私は、あなたのことを恐れてなどいない……」


 葉月の眉が僅かに動いた。

 短く舌打ちすると葉月は背を向けた。


「お前は瑪瑙の手先として存分に働いてもらう。人形として、な」


 葉月はやがて闇の彼方へと消えて行った。彼の後ろ姿が闇に溶けるまで、視線を送り続けた。

 誰かが頬を撫でた。

 見れば、物の怪の手が美月の頬に優しく触れていた。


「……うん。皆、皆……私に背を向けて行ってしまうの。父上も、母上も、兄様も。卯月も、葉月も、長月も………」


 獣の手が美月を労るように彼女の頭を撫でた。

 今まで会ったことのない、優しい物の怪。この子達は、寂しいときに寄り添ってくれるとわかった。

 小さな足音が近づいてくる。葉月ではない。音は、目の前で止まった。

 そこに白い鬼が立っていた。白髪に白い睫毛、茶色の瞳。外見年齢は十代前半のようだが、それにしては美しい容姿の持ち主だ。


「あなた………もしかして……」


 白い鬼は両手を伸ばすと美月の頬に触れた。


「あなたは……私を導いてくれる、光?」


 質問の意図がよくわからなかった。

 触れられたところから、優しい光を感じた。心が楽になるような、浄化されるような気がした。


「皐月は、どこ……」


 それは、慣れ親しんだ名だ。白い鬼は聞き覚えのある名を何度も尋ねてきた。


「弥生は……? 皐月はどこにいる……? 私は、わからない。どうして……?」


 そこでわかった。この白い鬼も、心の何処かで迷子になっているのだと。


「知ってる。私なら知ってる。一緒に帰ろう」


 白い鬼は目を見開き、伸ばされた手を見つめた。

 その手をゆっくりと取った。あたたかい、久しぶりに感じる温もりに白い鬼は目を細めた。


「あなたは………」

「私は、白夜。瑪瑙様にお仕えする………」


 ───お仕えする……。私は、誰なのだろう。


「私は、瑪瑙様のお人形」


 何を迷っていたのだろうか。自分が人形であることは最初から知っていた。父である瑪瑙にもらった白夜という名を持つ人形なのだ。

 それなのに、この黒髪の女を見つめていると何かを思い出しそうになる。


「お人形………。あなたは、お人形じゃない………。帰ろう。私は、あなたを導く光を知っている。あなたの大切な者たちに誓ったの。あなたを助けると」


 白夜の目が見開かれる。それを見て、ようやくここから出る決心がついた。


「物の怪……」


 美月の呼びかけに応え、美月の体に宿る物の怪たちが数体、地から這い出てくると檻を壊し始めた。

 木造りの檻はいとも簡単に崩れ落ちる。


「ありがとう…」


 物の怪たちは美月の足元に吸い込まれるように消えて行った。

 めちゃくちゃに壊された檻から出ると白夜の手を引き歩き始める。

 この洞窟の出口を探さなければ。


「何処へ行くつもりだい」


 鋭い女の声が美月と白夜の足を止めた。


「姫を何処に連れて行く」

「私の、大切な者達の場所に……」


 瑠璃は眉を顰めた。


「お前……まさか記憶が……」

「記憶……。ありません。私は、今の私が生まれた頃の記憶しか、ありません。だから」


 突然地面が裂け、そこから物の怪たちが沸いて出てきた。それらはトランス状態となった美月の影から出現したものである。


「だから、探しに行きます」


 白夜の決意に満ちた顔を、瑠璃は睨みつけた。

 瑠璃の両手から、青い火の玉が現

れた。


「まさか……人形が葉月様を裏切るとはね………。小娘っ!!!」


 瑠璃を取り囲む物の怪たちが青い炎に焼かれる。


「……っ…!」


 トランス状態になっていた美月が顔を顰め、目を覚ました。

 それを見た瑠璃は唇の端を吊り上げ、鬼火を美月と白夜目掛けて放った。

 白夜は右手を翳し、眩い光を放ち、瑠璃は目を背けた。


「瑠璃様。さようなら」


 あまりの眩しさに、気が狂いそうになり、がむしゃらに火を放つとやがて光は消えていった。

 だが、そこに美月と白夜の姿はなかった。






 白夜の手を引き、林を駆け抜けて行く。 

 胸が疼き、その場に崩れ落ちた。

 ここで立ち止まっているわけにはいかないのに。

 白夜は藻掻く美月を無言で見下ろした。


「大丈夫………行こう」


 そう声をかけると白夜は静かに頷いた。

 物の怪の力を使い慣れていないのか先程のように無理をすると体に負担がかかる。果たしてこのまま白夜を守りきれるだろうか。

 白夜の手を引き、歩き出す。


「お待ちください」


 あの耳障りな声が聞こえ、美月は足を止めた。

 あの男だ。耳障りな声、不気味な笑顔。全てが憎い。あの男の全てが。


「そのお人形は瑪瑙のですね? いけませんよ他人の物を盗んでは。文月姫」


 美月はその男を睨みつけた。憎らしい、鬼蛇という男を。 

 だが決して、白夜を背後に守ることを忘れてはいなかった。


「では、お二人共帰りましょうか。光よりも、暗い闇の中がよくお似合いですよ」


 そう言った男の両手の指に挟まれたのは刃物だ。それを見つめ、兄が殺された記憶が蘇ってきた。

 目の前に、懐刀の刃先が迫っていた。

 それを、瞬時に避け、物の怪の手で鬼蛇を潰そうと試みた。


「ですから、無駄なんですよね」


 それを瞬間移動で回避した鬼蛇を待っていたのは、曼珠沙華の刃先だった。

 鬼蛇は視線を、自分の腹に刺さった赤い刀に向けた。

 美月は曼珠沙華を一層強く握り締め、更に深く、鬼蛇の腹の中に押し込み、一気に引き抜いた。

 鬼蛇は腹から吹き出る血を右手で押さえつけながら、膝から崩れ落ちた。


「ごめんなさい。暗い闇の中は、もう飽きたの」


 美月は鬼蛇の血が滴る曼珠沙華を鞘に戻した。

 兄の死に顔が、脳裏から離れない。


 もし、あのとき、私が代わりに─────


「………っ…」


 痛い。苦しい。

 視界に入ったのは幾つもある大きな黒い刃。それを辿っていくと理解できた。

 背中から胸の辺りまで、その刃たちは貫通していた。

 口から吹き出る血。耐えきれなかった。地に膝をつき、見上げた。


「何故、生きているか………? こういう体質なんですよね」


 何故か無傷の鬼蛇を取り囲む大量の黒刀。

 それが一気に引き抜かれ、美月の体が血に塗れた。

 力なく倒れていく美月を、白夜は驚きに満ち溢れた表情で見つめた。


「勿体無いことをしてしまいました。ですが、これは仕方のないこと」


 鬼蛇は呆然とする白夜の元へ近付いて来る。


「まあ、あなただけでも無事で良かった」


 鬼蛇の手の平が迫ってくる。恐ろしい、冷たい手。

 白夜はその手を睨みつけた。触れないでほしい。私に触れていいのは………。

 鬼蛇の手が止まった。

 鬼蛇の体を、黒くて獣臭い手が掴んでいた。


「ぐっ…………!!!」


 物の怪の大きな手が鬼蛇を遠くへと放り投げた。

 それを見届けた白夜の手を掴んだのは、重症を負った美月だった。

 美月は体を引きずりながら白夜の手を引いて、足を進めた。


「文月姫。このままでは、あなたは……」

「大丈夫……はやく……」


 体から大量の血が、溢れていく。

 このままでは死んでしまう。それでも、


「約束した……から………」


 ───あなたの元に戻ってくる。愛するあなたと、交わした約束だから。


「……ぅ…」


 白夜は、美月の目から流れるものを見つめ、眉を顰めた。


「文月姫。何故、泣いているの」

「きついから……疲れたから……約束を果たせるかわからない……」


 それでも、歩かなければ。


「約束……沢山…あるの…。弥生と」

「や……よい……」


 美月の背後で白夜は弥生の名を、呟いた。

 美月の歩いた跡が、血の痕跡が残されていく。

 呼吸が上手くできなくなっていく。視界が暗くなっていく。


(すぐに、帰るから……)


 白夜は美月を見て顔を強張らせた。美月の胸の辺りから瘴気が沸き起こっていた。

 黒い瘴気は、美月の体に刻まれた傷からとめどなく流れ落ちていた。


「文月姫。瘴気が………」


 白夜は美月の深い傷に触れるがどうしても浄化できなかった。


「卯月……」


 その名は……。

 自分の名前は、瑪瑙から貰った、白夜という名だった。それなのに、何故か、酷く懐かしくて……。


 ───『卯月』

 ───『卯月様』


 誰かを思い出しそうになる。


「卯月……私を……置いて、逃げて………」

「え………」


 美月は自分の影から物の怪を召喚した。


「この子達が………月火に…連れて行ってくれる……。行って…。もう、私は………」

「や…よい……。さつ…き………」


 白夜は涙を流した。


「ひ…め……」


 白夜は再び美月の胸に触れた。瘴気を少しでも浄化できれば、美月も軽くなる筈だ。

 だが、瘴気は強く大きい。白夜はそれでも浄化し続けた。


「姫……お許しを………」


 力は瘴気に負け、白夜も膝をついた。


 ついに、美月も目を閉じた。目の前が暗くなった。

 足に力も入らない。


(せめて、会いたい………)


 倒れ込んだ先は、優しかった。

 やっとの思いで、目を開けた。


 愛しい人の、揺れる瞳が見えた。


「ゆ…う………」


 良かった。約束を果たせた。あなたの元に戻ることができた。


「美月……」


 優は、美月の血の気の失せた頬に触れた。

 体は大きく傷つけられ、溢れ出る瘴気。彼女の意識は朦朧としていた。もうすぐ………死ぬのだろうか。


「待ってろ……すぐに帰って、皐月に……」


 もしかしたら聞こえていないのかもしれない。

 死にかけている美月を見て、頭が混乱した。彼女を失ってしまうかもしれない恐怖が、一人の男を襲った。


「ずっと…言えなかった…こと…あるの……」


 美月の言葉。夢で聞いた言葉。嫌な予感がした。

 嫌だ。嫌だ。どんなに掻き抱いても、彼女の魂は、どこかへ行きそうな気がして。


「ずっと……」


 美月は、自分の頬に触れる、優の手を包み込んだ。



「───愛してる、夕霧」



 良かった、伝えられた。でも、本当はまだ、一緒にいたいの。

 暗闇に放り込まれる意識の中、彼の驚愕と悲しみを感じた。


 ───それでも、最後に感じた口づけは、優しかった。


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