【第二章】喜怒
「ついに……姫が手に入る…」
待ち遠しい。拳を握り締め、震わせる。
やっと望んでいた人形が、手に入る。
先程、主として慕う、葉月から命令が下った。文月を攫え。これが興奮しないわけがない。
そのとき、背後に気配を感じ、振り返った。
「…………? まさか……」
そこに立っていたのは、外見年齢的に14ぐらいの女鬼が立っていた。
「……ついに、目を覚ましたか」
瑪瑙はその鬼と目を合わせ、唇の端を吊り上げた。
「お前に似つかわしい名をつけてあげよう」
鬼は、自分を強制的に蘇生させた死神を見つめ、新たにつけられる名を待った。
白い髪に茶の瞳。外見は以前よりも幼いが、その正体は明らかだった。
「白夜。良い名だろう? お前を蘇らせた恩師であり、お前の父となった、僕がつけた名。昔の名は要らぬであろう?」
一方的な言葉に何の反論も示さず、黙って俯く白い鬼、白夜。
彼女の綺麗な顔は、どこか寂しげだった。
………………
桜の花弁が、白い手に舞い落ちた。涼しい風が黒髪を揺らす。
「姫様、具合はどうですか?」
部屋の外から声がかかり、ゆっくりと振り向いた。
「小桜……」
「髪を結いますね。あと、体も少し拭きます」
小桜は静かに戸を開くと、美月の傍へと歩み寄った。
相変わらず、沙華の呪いを使った証としてか、元に戻らぬ黒髪に触れ、小桜は悲しげに目を伏せた。
「小雪が、すっごく心配してました」
小桜は美月の髪を柘植の櫛で梳き、美月の加減が良くなるはずではないのに、語りかけた。
「だから、姫様が元気にならないと、誰かが悲しむんです。……夕霧も、心配してるみたいで」
試しに、彼の名前を聞かせてみるも、やはり反応はない。
でも、僅かに睫毛が揺れたのを見逃さなかった。
それでも、美月はぼうっとどこかを濁った目で見つめたまま動かない。
「じゃあ、また来ますね」
何も変化がなければ、これ以上何も言いようがない。小桜は立ち上がった。
美月はようやっと視線を小桜に定めた。
「ありがとう」
短い言葉に目を見開くも、小桜は頷いた。
優しい視線に見送られながら、小桜は部屋を後にした。
小桜が部屋を去ったその次の瞬間、背筋が凍った。
「ごきげんよう、姫君」
物の怪たちを引き連れに来た瑪瑙が不気味な笑みを浮かべていた。
………………
白髪の鬼の少女は引き寄せられるようにおぼつかない足取りで何処かへ歩いていく。
その様子を横目で見ていた瑠璃は眉を顰めた。
「おい、白夜。どこへ行くんだい」
その声に足を止め、生きているとは思えぬ程濁った瞳で白夜は瑠璃を見つめた。
「瑪瑙ならまだ帰ってくるには早すぎるんじゃないかい」
恐らく、そんなつもりで外に出ようとは思ってたいないようだが、どうも白夜の行動が気になった瑠璃は首を傾げる。
「感じる……」
「何が」
「鬼神の……力……あたたかい…」
人形は言葉もろくに話せないのだろうか。だが、その言葉はどうも気になる。
「であれば、案内しな。お前の感じる、鬼神の力とやらを」
瑠璃は無言で歩き始めた白夜の後を追った。
しばらく歩き続けた。
白夜は何かに引かれるように歩みを止めない。
「どこまで歩くつもりだい……」
問いかけにも答えない。瑠璃は不満有りげに眉を顰め、舌打ちをする。
(………何だ、この感じ……)
歩みを進めていくにつれ、何か重たいものが前から迫ってくる。
「………!」
その力の源に辿り着いたとき、瑠璃は驚愕の表情でそれを凝視した。
そこに、煌めく大きな槍が刺さっていた。
白夜は槍に惹かれるように歩いて行く。
「ただの槍にしちゃ、とんでもない妖力を持っている……。これは……まさか鬼神の……!」
白夜は徐に手を伸ばすと槍に歩み寄って行く。
「おい……! 鬼神の武器に簡単に触れられると……」
瑠璃の制止も聞かず、白夜は槍に触れる。
その槍は白夜が近づくにつれ、安心したように妖力を収めていく。
白夜は目を伏せ、優しく話しかけた。
「芭蕉………」
その武器の名を呟いた途端、悲しげに目を伏せた。
……………
「おかえりなさい。遅かったですね」
「黙れ鬼蛇」
瑪瑙に睨まれ、皮肉そうに笑う鬼蛇は、瑪瑙に抱えられた黒髪の少女を見て、感激した。
「やっとここまで連れてきて下さったのですね。文月姫を……。このときを……このときをどれほど待ったことか!」
一人うざったらしく騒ぐ鬼蛇を見ながら顔を顰める。
「貴様の話などに付き合ってられん。瑠璃と白夜は何処へ行った……」
見当たらない女と人形を探して辺りを見回していると、気配を察知した。
帰ってきたのは瑠璃と、大きな槍を両手に抱えた白夜だった。
「何だそれは……」
「白夜が見つけたんだよ。他の妖怪と比べ物にならない程の妖気……恐らく、鬼神の武器だ」
白夜は槍を持ったまま俯いている。
瑪瑙に抱えられたままの美月は虚ろな目で、白髪の少女の鬼を見つめた。その姿形には見覚えがあった。
「素晴らしい。文月姫、鬼神の武器……今日はついていますね」
鬼蛇は唇の端を吊り上げ、隠された片目に触れる。
「瑪瑙、瑠璃。このことは私が葉月様にお伝えします」
「ふん、偉そうに」
瑠璃は鼻で笑うと鬼蛇から目をそらす。
鬼蛇はおかしそうに笑った。
今まで大人しかった美月だが、片目を布で覆った男を見た瞬間、顔を強張らせた。
「鬼蛇………」
「おや、私のことを覚えていらしたとは、光栄ですね」
最愛の兄を討った、憎き男が微笑んだ。
「てっきりお心が壊れてしまったと思っていました。では、失礼します」
気味の悪い笑みのまま、鬼蛇はその場から立ち去った。