【第二章】瑪瑙たちの親玉
「また喧嘩してきたのですか皐月。しかもそんな傷だらけで……」
「あいつらが悪いんだ!」
師走は言い訳をする傷だらけのまだ幼さの残る皐月を見下ろしため息をついた。
そして皐月の頭を軽く叩くとその場に胡座をかいて皐月と目線を合わせると、まるで我が子を叱りつけるように話し始めた。
「どんな理由があったか知りませんが、危険なことに自ら突っ込んでいかなくてもいいではありませんか」
皐月はついに師走から目をそらした。師走は立ち上がり、「頭を冷やしなさい」と呆れ顔で部屋を後にした。
社にある神木の根本に散っていた枯れ葉を箒で掃いているとに、銀に輝く白い髪を束ねた幼い鬼の少女が歩み寄ってきた。
「おや、卯月。お腹が空きましたか?」
卯月は白くて長い睫毛を伏せて落ち着いた声で話した。
「師走……。皐月は悪くない。皐月は、人間に虐められてた私を助けてくれた」
「…………」
師走は箒を片手に持ち、卯月と目線を合わせ屈んだ。
そして、ため息をついた。
「……わかっていましたよ。それでも皐月にはもっと別の方法を考えてほしかったのです。誰かを傷つけないように」
卯月は茶色の瞳を師走に向け、瞬きを繰り返した。幼い卯月に微笑むと、優しく話した。
「皐月は、あなたを本当の妹のように思っています。まあ、妹以上の気持ちもあるでしょうけど」
「皐月……私、皐月大好き」
「それは良かったですね、皐月」
物陰に隠れていた影が反応した。やがて顔を赤くした皐月が腕を組みながら偉そうな態度で出てくる。
卯月は微笑むと皐月の元に駆け寄る。
「皐月ー」
それは兄の元に駆け寄る妹のようだ。卯月は幼いながらも美しい表情で皐月に微笑むと皐月はすっかり照れた様子だった。
「皐月、卯月を守ってあげなさい。でも危ないことはしてはいけませんよ」
「しては駄目」
師走の言葉に続いて卯月が皐月を叱りつける。皐月は卯月をまっすぐ見つめて誓った。
「当然だろ。俺が卯月を守ってやるから」
…………
皐月の怪力は瑪瑙の操る物の怪たちをあっという間に蹴散らすほどの威力であった。
瑪瑙はそれでも表情を崩さず物の怪たちを放ち、盾にし、飛んでくる拳を掴んでは物の怪の黒い手を使って弾き飛ばす。
「呆れた」
嘲笑と共に瑪瑙を中心にして物の怪の大群が放出され、周囲のものが薙ぎ倒される。
その際、物の怪が鍛えられた皐月の体に纏わりつき、皮膚に爪をつきたて離れない。
「くっ……」
「皐月!」
体のあちこちに感じる鋭い痛みに歯を食いしばると、瑪瑙がここぞとばかりに飛び込んでいく。
「馬鹿な男め」
だが、一本の矢が物の怪の大群に突き刺さると、刺すような悲鳴が木霊し、物の怪共が散っていく。
気がつけば瑪瑙の体には棘のある頑丈な蔦が絡まっていた。
「そこまで、次はお前よ」
屋敷の屋根から、弥生の矢の先が、蔦に捕えられた瑪瑙へと向けられる。
掴みかかっている物の怪たちの威力が弱まったすきに、皐月はその異臭を放つ黒い獣の前足を振り払う。
美月と優は考えた。弥生と皐月は、少し冷静さを欠いている。
瑪瑙は決して甘くない。瑪瑙は弥生の蔦に捕われてはいるが、今考えていることはきっとこうだ。
―――今から弥生と皐月、どちらの命を奪おうか、だ。
皐月が近いから皐月を狙うかもしれない。だが、遠距離戦を得意とする弥生は、瑪瑙が皐月に狙いを定めた時点で矢を放つだろう。
「弥生!」
美月が叫んだのと同時に、物の怪の大群が弥生へと向かう。弥生はその場から動かず、物の怪を見つめている。そして、ずっと構えていた金色に光る矢を、まっすぐ放った。
矢は向かってくる物の怪たちを全て貫き、物の怪たちは散り散りに尽きていく。そして、矢はまっすぐ止まることなく瑪瑙へと向かう。
「弥生…!」
「気を緩めないで、皐月! そいついつ動くかわかんないんだから!」
「うっせー! わかったよ!」
迫り来る矢。既に包囲され逃げ場もない。物の怪たちは弥生の矢の影響か、上手く操ることができない。
瑪瑙は悔しげに、叫んだ。
「琥珀ーー!!!」
突然、矢が弾き返された。
「なっ……!」
瑪瑙の側には、いつの間にやら小鬼がいた。
「ほれ、言っただろー? 俺を連れてけってよ」
微笑んだ途端、小鬼の姿が消えた。
「っ…!」
弥生は後ろに感じた気配に気づくが逃げ遅れ、喉元に刃を突きつけられる。
「弥生!!」
叫んだ皐月を、再び物の怪の巨大な手が掴みかかる。
「……!」
助けに行こうと一歩踏み出した美月の手を優は引き戻す。
「黙って見てろって言うの」
「黙って待てって言いたいんだ」
何を待つと言うのだろうかと考えていると、あることに気づく。
(兄様たちは……? 一体どうしたの……)
そういえば、優は千里眼を使うことが可能。彼なら水無月たちが今どうしているのかがわかる。もしかすると優には考えがあるのかもしれない。
「さて、そこの人間」
瑪瑙が余裕のある笑みを優に向けた。
「姫を渡せ」
「断る」
「この状況を見て、言えるのだろうか。渡せば大人しく帰ってやる」
優は、呆れ、嘲るように笑った。
「大人しく帰らせる訳にはいかない」
別の声に反応し、上を見上げる。
「なにっ……!」
「『紫陽花』」
突然の津波。巻き起こる大量の水が瑪瑙を巻き込んでいく。
美月は津波を巻き起こした鬼を見て微笑んだ。
「兄様……」
そこに、藍に輝く刀を振るった水無月が、瑪瑙を見下ろしていた。
「逃げ足が速いようだ」
水無月は、水無月にしか使えぬ刀、紫陽花。刀の作りが美月の曼珠沙華とよく似ている。刃先を下に突き立てるように振るうと津波は下へ下へと滝のように流れ、瑪瑙を徹底的に叩き潰していく。
「はーい、お邪魔でーす」
津波に巻き添えを食らうことなく皐月は神無月拾い上げられ放り投げられる。
「おいっ、神無月!」
「お前、重いんだよな〜、指折れたかも」
神無月は指の骨を鳴らしながら無邪気に笑う。皐月が放り投げられた先は神無月が作った結界の中だった。その中で既に美月と優が待機している。
「皐月!」
美月は皐月の元に駆け寄り、怪我の確認をする。打撲、切り傷が目立つ。
「ごめんなさい、役に立てなくて」
「お前は鬼神の姫なんだから、守られて当然だろう」
「ありがとう……」
守られてばかりなのもどうかと思う。美月は複雑な表情を浮かべた。せっかく兄に会えたのに、こんなことになるなんて。
美月たちの無事を確認した弥生は、後ろにいる小鬼の溝落ちに肘を打ち込み怯ませて、隙を見せた瞬間取り押さえることに成功する。
「小桜! 小雪!」
飛び出してきた双子の忍が、暴れる小鬼を取り押さえる。
「離せ!!」
「静かになさい。今なら命だけは助けてあげます」
「奪えるものなら奪ってみろ! お前らなど、『あの方』の足元にも及ばん!」
あの方。小桜と小雪は眉をひそめ、互いに目を合わせる。
未だ暴れる小鬼をより一層強く押さえつけ、小桜は鋭い声で問う。
「あの方とは……? そいつがあなた達の親玉ですか」
「俺らはあの方の指示にしか従わない! 文月姫は俺らの敵だ、あんな汚れた女の手下の問いになんか答えない!」
「黙りなさい」
小桜は小鬼の腕を、骨が軋むほど地に押さえつける。
「姉さん」
「小雪。こいつの腕を使えなくして捕虜としましょう」
「構わない、もっとやれ。いっそのこと殺せ」
双子は大事な人を侮辱した小鬼に殺意の目を向け、腕に力を込め始める。
「二人共、殺しては駄目よ!」
美月が慌てて叫ぶと、本気で殺そうとしていたのか双子は仕方なくといった顔で少しだけ力を緩めた。
小鬼はあまりの苦痛に、苦しげな表情で双子を睨みつけている。
「しかし、瑪瑙やこいつは一体……」
「…!」
突然、襲ってきた鎖を避けた小桜と小雪。鎖は琥珀に巻き付くと闇を灯して琥珀ごと消えていった。闇を待とう鎖、見覚えがある。
「今の…まさか……」
津波が引いた。水無月は辺りを見渡して目を細める。
「おーい水無月。あいつ死んだ?」
疾風とお蝶を率いて神無月は首を傾げながら悠長に聞いた。
「いや……逃げられたみたいだ」
「はあ? あいつら逃げ足速くない?」
まったく、どうりでいままで捕まらなかったわけだ。険しい表情でもう一度念入りに都を見渡す水無月。最愛の妹を、まるで遊び道具を欲しがるかのように要求してきたあの男を生かしてはおけない。水無月の瞳に静かな怒りが宿る。
突如、水無月は胸と口元を押さえて咳き込んだ。
「水無月!」
慌てて肩を支えに行った神無月と、傍に駆け寄ってくる疾風とお蝶。
「大丈夫だ…どうやら、さっきの技に耐えられなかったらしい…」
大津波を起こし瑪瑙を撃退したあの技が、水無月の体に大きな負担をかけてしまったようだ。
「僕には時間がない、時間がないんだ……早く、あいつを……」
口端から垂れた血を拭いながらブツブツと呟く水無月を見つめて、神無月は複雑な表情で視線を逸らした。
……………
琥珀の腕の傷を処置し終えて、瑠璃は呆れ顔でため息をつく。
「それで鬼神共から負かされて帰ってきたって訳か。笑えるね」
「黙れ。邪魔さえ入らなければ、姫は手に入っていた!」
瑪瑙は悔しげに拳を握りしめて岩を打ち砕く。
「鬼神の武器だ……。武器が欲しい!」
鬼神にしか与えられない、最強の十二の武器。
「懲りたか。瑪瑙」
声がした途端、瑪瑙は弾かれたように顔を上げた。琥珀も目を見開き、立ちあがる。瑠璃は一人、頬を紅く染めながら愛おしむようにその存在を呼んだ。
「葉月様」