【第二章】闇の手
小桜の叫びを受け止め反射的に優は美月の手を取ると駆け出した。
見兼ねた瑪瑙が二人に向かって物の怪を放つがそれらは一瞬にして砕かれる。
そこに鋭く輝くは夕霧が愛用する刀だった。
「心底暑苦しい」
優は美月を背に庇い、苛ついた様子で瑪瑙を睨む。
瑪瑙が次に物の怪たちを放つ前に優は美月を連れて駆け出していた。
「愚かな者たちだ。僕の奴隷たちに絞め殺されて消えてくれないか。安心しろ、魂の抜け殻は物の怪たちの餌にしてくれる」
蝶の毒に侵され動けなくなった体の代わりに物の怪たちに命令を下す
瑪瑙は目の前で抗う者たちを愚かと嘲笑った。
………………
暗く、広い洞窟に、染み渡る水が雫となり、ゆっくりひとつひとつ岩場へと落ちていく。
頭に角を一本生やした小さな少年は胡座をかいてただ何かを見つめている。
「おい琥珀、何を見ているんだい?」
洞窟に響き渡る凛とした女の声に反応し、少年は振り返って不思議そうに首を傾げる。
「なーなー、聞いてよ瑠璃ー。瑪瑙が連れてきた女たちの中で、こいつだけが今も無事に残ってるんだ。不思議だよな?」
琥珀が指差す先を見据えれば、つい最近持ってきたという血と髪の毛で再生された美しい鬼が仰向けに寝かされている。
瑪瑙は死神の類の妖怪で、美しいものをよく好む。
そのため、美人の多いとされる竜宮から殺した美女の死体やら体の一部やらを持ってきては、自分好みの生きた人形を作っていた。
「その女も、瑪瑙の悪趣味の餌食となったんだね。それにしても、その女、ちょっと体が小さすぎやしないかい? まるで子供じゃないか。やっぱり一度死んだ者を完全に作り直すなんて難しかったか」
瑠璃の言葉が理解できないようで、小さな琥珀は首を傾げて瑠璃を見上げている。
「琥珀、お前も『あの方』のために存分に働くんだよ。そうすれば、あたしらは鬼神になれる」
「鬼神になったらすげーんだろ? 強くなれるんだろ?」
嬉しそうに語る琥珀の目は好奇に溢れていた。
所詮、琥珀も子供だ。鬼の、妖かしの頂点に立つ鬼神に興味深々であった。
「全ては、『あの方』のために」
あの方。その存在を愛おしそうに呟く瑠璃の瞳は優しげだった。
………………
そして、忍たちと瑪瑙の激戦は更に激しさを増していった。
「頼むから僕を苛つかせるな」
蝶の毒を食らったはずの瑪瑙は右手を振り回し、それに応じて物の怪たちが動く。
(毒が切れたか……)
お蝶は物の怪五体の頭にクナイを命中させると夫の側に駆け寄る。
「蝶、お前は水無月様を探してくれ」
「……わかった」
お蝶は決して焦った様子も見せず、静かに顎を引くと夫の側から離れ駆け出す。
「邪魔、どけ、目障り」
瑪瑙は小桜と小雪向けて物の怪を放つ。
物の怪の爪が二人の小さな体を裂く──。だが、小桜と小雪の体は桜の花弁と化し、爪は宙を掻くこととなった。
「どこを狙っているのですか」
小桜の声が背後から聞こえ、瑪瑙は鋭く輝く爪を振り翳すも目くらましに花弁が目の前で舞う。
怯んだすきに小雪が『風』を起こし、瑪瑙は吹き飛ばされるも足を踏ん張って抵抗した。
「クク……」
低い笑い声に疾風は眉間に皺を寄せ、瑪瑙を睨みつけた。
「愉快そうで何よりだな」
「この何百年と生きてきて、お前たちの戦いぶりが最も愚かでないと見る。褒めてつかわす」
「嬉しくありません!」
小桜は花吹雪を巻き起こし、小雪は雪風を巻き起こし、一斉に瑪瑙へとぶつける。
が、それも物の怪により遮られる。
「俺は姫に用がある。あの方が姫の首を望んでらっしゃる」
「お引き取り願おう」
向かってきた物の怪をクナイで瞬殺し、疾風は瑪瑙へと突っ走り、鎖に繋いだ鎌を投げつける。
それを素手で受け止めた瑪瑙の真横にいつの間にか疾風が拳を突きつけて待っていた。
「───っ!?」
溝落ちを突き上げられ、瑪瑙は目を見開き、物の怪共々疾風から距離を取る。
「俺の拳を受け止めきれないのなら、水無月様と神無月様には到底敵わんな」
俯いていた瑪瑙はすぐに面白そうに肩を震わせ、喉を唸らせる。
「そやつらは……さぞ強いのだろうな? 水無月……? 睦月の長男か! 鬼神の頭領一家と刃を交える日が来るとは!! ああ…ならば文月姫を縛り付けておけば……!」
ぶつぶつと呟き、面白そうに、そして口惜しげに嘆いたりとある意味表情豊かに瑪瑙は語り始める。
それを腹立たしげに睨みつける小桜と小雪はすぐさま物の怪たちの中央にいる瑪瑙目掛けて刃物やら吹雪やら撃ち込んだ。
「姫様を……何と言いましたかこの異形者」
「楽に死ねると思うな」
殺意に満ち溢れた双子の視線に貫かれながらも一切の動きを見せない瑪瑙。
物の怪を盾に、全ての技を尽く止めていく。
「俺の思う美しさと到底程遠い。俺の目的はあの方のために、文月を殺すこと。その後の死体は俺の好きにして良いと──「潰してやるっ!」
双子が同時に叫び、瑪瑙の頭上に飛び上がり拳を突くも、それを疾風が止める。
「疾風様!?」
「全く頭の悪い奴らだな」
疾風は双子を両脇に抱え、瑪瑙から距離を取る。
瑪瑙は舌打ちをし、双子の顔をじっくりと眺める。
「本当、邪魔な存在でしかないなその成長途中の小鬼らは」
疾風は双子を放り投げると鋭い口調で語る。
「瑪瑙はお前らをブチ殺そうとしてたぞ」
「──だから、さっさと血を見せろ!」
興奮に陥った瑪瑙は歯を見せ笑うと忍たちに向けて物の怪のものと思われる鋭い爪を持つ闇の手を振るう。
「───騒がしい。躾のなってない獣だね」