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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】瑪瑙


 庭で飛び交う蛍を眺めながら、縁側にて膝を抱えていると、肌寒さを感じた。

 ここに居たら、風邪を引いてしまうかもしれない。だが、そんな考えさえも酷くどうでも良いと思えた。


『僕は父上を殺す』


 それが兄の望みだったなんて、兄がそんなことを言うなんて。

 瞬きさえも忘れてしまう。乾いた目に映る蛍と池に映る金色の月が悲しげに光を放っていた。

 神無月はこのことを言っていたのか。神無月も、親友の行き過ぎた考えに気づいていたのだ。

 いくらおかしくなっていても、最愛の兄を救わない訳にはいかない。しかし、その方法が何故か見つからない。


…………


「姫様、どこに行ってしまわれたのでしょう……」


 小桜と小雪は竜宮の長い廊下を癖で足音も立てずにひたひたと歩き回り、大事な主を探していた。


「こうなれば、奴に聞くしか…」

「夕霧?」

「何か知ってそうですし」


 小雪は不満げに眉をひそめるが姉の言う通りにするらしく、小さく頷いた。





 双子が訪ねてきたのはもう床につこうとしていた頃だった。先程から美月を見かけていないらしく、双子は酷く心配していた。


「へえ、それで俺の所に来たんだ…」

「来たくはなかったがな」


 勘違いするな、と小雪は鼻を鳴らして挑発する。だが今は双子の生意気な方に構う暇はない。


「俺も探す」


 優は立ち上がり、双子と共に部屋を後にする。


「この広い屋敷だし、分かれて探した方が見つかりやすいかもな」


 優の提案に小桜は手を合わせ納得したように頷く。


「夕霧にしては納得できるようなことを言いますね。なら、そうしましょう」


 小桜の穏やかにして嫌味な言葉に優の中の何かが切れたが、表に出さないように取り繕う。

 前世で美月を殺したことを恨まれるのも仕方ないが、こうまで嫌われているとは。


「なんか言い方引っかかるけど今はツッコまないようにする」

「それが良いでしょう。では」


 小桜は微笑むと小雪を連れて優に背を向ける。

 優も美月を探しに向かう。


「ていうか、何やってんの。あいつ」




………………



 今自分は何をしているのだろう。

 そうだ、弥生と約束したのだ。卯月を救うために、兄、水無月と話をして……。

 そこで美月の思考は止まった。


 兄を救わなければ。


 卯月のことも、水無月のことも。

 美月は二つの悩みを抱えてしまったことに溜息をついた。

 今は水無月に関して考えていてもどうしようもない。


 まずは卯月を優先的に考えよう。

 そうなれば、相談する相手は決まってくる。


 こうして計画を順調に立てていると意外な人物と出会い、目を見開く。


「優……」


 優は探していた相手を見つけたことに安堵し、足早に美月の元に向かう。


「こんな所で、何してんの」


 硬直している美月の手を掴んで、その冷たさに優は驚いた。

 すっかり冷えてしまったようだ。美月は優の手に触れて初めてそのことに気づいた。


 優は美月の手を優しく握り締め、立ち上がらせる。


「まだ、寝てなかったの?」


 美月の心配そうな声に眉をひそめ、冷たくなった右手へと視線を下ろす。

 それはこっちの台詞だ。


 眠りにつかず、体が冷え切るまでこんな所で呆然としていた美月の行動を不審に思った。


「来て」


 美月の手を引いて、なるべく外から遠ざける。


「双子が心配してた」

「小桜と小雪も寝てなかったんだ…。悪いことしたかな」

「さあ」


 素っ気ない返事をしてしまった。

 美月の手を強く握る。


「美月、部屋どこだっけ」


 背中越しに問うと美月は指差しで部屋の場所を優に伝える。


「そこ、右に曲がって」


 いくつかの曲がり角を通過して、ようやく美月の部屋へと辿り着いた。


「ごめん…なさい」


 着いた所で美月は申し訳なさそうに呟いた。優は振り返って首を傾げる。


「あのさ」


 優は今にも倒れそうな程、弱々しく見える美月の様子に若干の焦りを感じながらも、思ったことを口にした。


「何で、いつどんなときも『自分のせい』で済ませるの。自信ないの?」


 捉え方によれば、少し強い口調になっていただろう。

 だが、美月は怯えることなく俯き続ける。


「本当のことだから」


 先程水無月にはっきりと言い渡された。

 滅を司っている美月は、周りを巻き込んでしまうのだ。


 優はそれ以上聞くことはなく、美月の手を引いて部屋へと連れて行く。


「泣かないでくれる?」


 頬を擽る感覚に、初めて自分が泣いていることに気づく。

 兄の本性を知った衝撃により、涙の存在に気づかなかった。

 美月は袖で涙を隠すように拭うと謝った。


「ごめんなさい」

「はあ、だから……」


 半分呆れていたが、優は出かけていた言葉を飲み込んだ。

 美月の様子は明らかにおかしい。絶対に何かあった。そう確信できるが、優はこういう状況は苦手である。何も言えずに突っ立っているのも情けない。


「何があった」


 とにかく、聞き出すしかなかった。

 「何もないよ」と首を振る美月。彼女はすぐに口を噤む。何かあったとしても、口を割らない。自分の首を絞めるばかりで、どうしようもない性格だ。


「あんな場所で、一人でボーッとして、何もないって……」

「うん、何もない」


 美月の中には、見たこともない憎しみに包まれた兄を守りたいという思いが密かに芽生えていた。どうしようもない兄を。仕方のない兄を。美月にとってのたった一人を。


「ごめんね、遅くまで。私寝るから」

「………」


 光を宿さぬ瞳が、絶望しきった表情が、生きているとは思えぬ程頼りない動きが、優の横を通り過ぎて行く。

 今手放せば取り返しのつかないことになってしまうようで、思わずその冷たい手を取ってしまった。


「ぁ……」


 手に感じた優しさに驚き、目を見開いた瞬間、もう片方の手も彼の手の中にあった。

 焦りと不安の表情。それは優が初めて見せる顔だった。優は頼りない細い両手を握り、美月の瞳を見つめる。小桜と小雪とはまた違った温かみを感じて、美月は戸惑った。

 何百年も前から確かに感じているものが、美月の心を熱烈に揺さぶる。


「美月、約束してほしい」


 美月の漆黒の瞳を見つめ、優は人生で最も望んでいることを口にする。


「俺よりも先に、死なないで」


 前世の彼女は実に哀れで、切ない。家族を失い、最愛の人に殺される運命にあった孤独な鬼姫として、彼女はこれからは幸せになるべきだ。

 優は、前世で彼女を斬ったあの手応えに嫌悪し、美月の両手を握り締めた。


「約束……?」

「俺は何があってもお前の側へと戻ってくるのを約束する。だからお前は、何があっても俺の側に戻ってきてほしい」


 優の真剣な願いを聞き届け、美月は視線を彷徨わせた後、頷いた。

 二人の男女は前世のときの様に僅かな優しさを目に宿していた。もう二度と失わないようにと優は精一杯の思いを美月に伝えた。


「約束…。それって、優は傷つかないよね。ううん、私が守るから良いの。だけど無茶しないんだよね」


 それはどっちの台詞だと問いたくなるが、素直に頷いた。

 美月は心底安心した様子で微笑んだ。やはりいい加減に自分を大切にしてほしいものなのだが。


「姫様、良かった戻っていらしてたのですね」


 鈴のなるような可愛らしい声が呼びかけた。

 小桜は双子の弟を連れて美月の元へ歩み寄る。優など眼中にないのはあからさまなのだが、美月を探すのに夢中になっていたのは確か。

 優の手を指でとんとんと突き、『退け』と目で伝えると双子は美月の冷えた手を取った。


「夕霧、我が主を見つけてくださったこと感謝します」

「そりゃどうも」


 小桜は穏やかに微笑み、小雪は無表情の割には怪訝そうな目で優を見つめている。小桜とて、大事な人の仇を前に何を考えているのかわからないが主の命令でもない限り、殺しには来ないだろう。

 美月の手を引き、部屋へと入ると優へ笑顔を向け「では」と小桜は頭を下げると戸を閉めた。

 廊下に一人取り残される優は自らの手を見つめ、固く握り締めた。

………………


 唯一の明かりである、蝋燭一本を頼りに水無月は部屋の中で、静かに俯いていた。


「お蝶、そこに居るかい」


 水無月の呼びかけに、人影が動く。


「はい、ここに」


 背中越しに聞こえる女の声に微笑する。


「君に、託してもいいかい」

「ええ、何なりとお申し付けください。我が主」

「僕に何かあったそのときは、君は、僕の大切な人に仕えなさい」


 水無月の優しく静かな呟きを聞いた人影は、一切の動揺を見せず、ただ頷く気配を感じた。水無月の願いを叶える唯一の存在はゆっくりと動き出し、気配を完全に消した。


……………


 翌朝の庭では、疾風とお蝶の忍夫婦と小鬼双子が向かい合っている。

 それを見守っているのは美月と優である。


「やっぱりと思ったけど…。疾風は小桜と小雪の師匠で良いんだよね」

「ええ、私達に忍術を教えてくれたのは疾風様です」


 小桜の説明の後、疾風は優と美月に最大の敬意を表し跪く。それに続き、隣にいたお蝶も静かに跪く。二人共、一切の音を立てずに静かに行動する様は忍らしい。


「改めて、申し上げます。神無月様の専属護衛をしております、疾風はやてです」

「水無月様の専属護衛をしております、妻の蝶です」


 美月はお蝶が名乗ったときに『水無月』という名前に反応し、眉をひそめた。その僅かな変化に気づいたのが隣にいる優だったが、今は問わないことにした。


「……良いのよ、二人共。面を上げてちょうだい」


 美月の言葉に、跪いていた忍夫婦は顔を上げて優と美月に視線を向けた。夫婦の眼差しからは何も読み取れない、絶対に相手に悟らせない瞳をしている。


「私と優のことは気にしないで、小桜と小雪とお話したら?」


 美月の心遣いに疾風は快く頷いて後ろに控えている小桜と小雪に向き直る。


「良かったな。小桜、小雪。大事なお方にまた会えて」

「はい!」


 疾風の言葉に小桜は瞳を輝かせて答え、対して小雪は表情こそ変わらないが何度も頷いた。

 それから、忍たちは久しぶりの再会を喜び話を弾ませていた。お蝶は双子と初対面らしく、疾風に紹介されていた。


「疾風様に奥方ができるなんて」

「なんだ、俺に妻ができないとでも思ったか」


 小桜の感心した言葉に胸を張る疾風だったが、隣にいるお蝶は眉をひそめる。


「まだ祝言をあげていないけど」


 妻の言葉に言葉を詰まらせる疾風を見て、先程と打って変わって呆れた態度を見せる双子。


「なんだ疾風様、まだお蝶様と祝言をあげていないのですか? 何をなさってたんです?」

「呆けてらっしゃったのですか」

「ひとまず仕事よりも奥様を優先してください」

「ていうか仕事しすぎて忘れてるんじゃないんですか」


 双子の言葉の攻撃に限界を感じたのか、それとも図星を突かれたのか疾風は早急に会話を遮断させる。小桜は言葉を選んで話すが小雪は直球、毒舌で容赦なく傷を抉ってくる。この双子性格は相変わらずだ。

 お蝶の反応はと言うと、夫の隣で静かに俯いているが小桜と小雪の言葉にたまに反応し、横目で訝しげに夫を確認するのである。

 そんな四人(鬼の数え方はわからないがもう人として見ても良いのではないか)を眺め時折楽しげに目を細める美月と彼女の横顔をじっと見つめる優も無表情でもどことなく穏やかな雰囲気であった。


「…………」


 優の表情へと視線を移す。優は特に言葉を発することはない。美月もまた口を開かなかったが物静かで優しい微笑みを見せた。

 二人共話す方ではないため向こうで盛り上がる忍たちと比べてここの空間だけ本当に静かである。


「ねえ」


 そんな静寂を打ち消した優の声はどこか不機嫌であった。


「昨日の夜何してたのか聞いてないんだど」


 その唐突な問いにどう答えたら良いのかわからない美月は眉をひそめると呟いた。


「散歩」

「…………」


 そんなわけあるかと不満を零しそうになる。何か言いたげな優から目をそらし、美月はただ俯いた。


 怖い。兄様の、あの目を見るのが怖い。









 ―――邪魔がたくさんいるな。









「……!」

「美月?」


 今、誰かが囁いた。この声は優でもない。小桜でも小雪でも、疾風でもお蝶でもない。


「行く手を阻む者は排除。鬼神も排除」


 低く気味の悪い声に、その場にいる全員が腰を低くし身構えた。

 一体いつ、どこから入り込んだのだろうか。大量の人型の物の怪たちが地面から這いずり出てきた。そして、それらに取り囲まれるようにして闇より現れたのは、満面の笑みを浮かべる青年だ。


「何者だ!」


 妻と共に相手を睨みつける疾風の問いに鬼は首を傾げる。血色の良くない表情は不気味だった。

 青年は黒い物の怪たちに支えられながら安定しない首を傾けて答えた。


「何故貴様らに名乗らねばならない」


 瑪瑙は目の前にいる鬼たちをぐるりと見回し、美月に視線を止める。


「お前だ」


 真っ直ぐで鋭い視線が突き刺さり、美月は眉をひそめ、謎の男を睨み返す。


「やはり思った通りだ、君は僕の七宝に相応しい。姫よ、会いたかった。僕の名は瑪瑙、よろしく」


 よろしくしたくない。瑪瑙と名乗った男は、美月を見た途端それは恐ろしく目を見開いて、何に感激しているのか両手を震わせている。


「その物の怪……趣味の悪い美女狩りってのはお前か」

「僕の至高の儀式を悪趣味扱いしないでくれないか」


 優の言葉に気分を害したのか瑪瑙は低い声で言い返す。だが、彼の目線は美月ただ一人に向けられていた。この世に一つだけの美しい宝石を眺めるかのように。


「姫、僕と共に参ろう。永遠の美しさを手に入れるために」


 瑪瑙は美月を我が物にするべく手を差し伸べる……。


「───!?」


 思うように手が痺れて動かない。更に足も動かない。瑪瑙は自らの体の異常に驚愕し、目の前を見れば、キラキラと光る粉が上から降ってきていた。見上げれば、蝶たちが瑪瑙の頭上でひらひらと舞い、粉を振りかけていた。


「姫様、夕霧と共にお逃げください!」


 叫んだのは金色の蝶を従えるお蝶だった。


「馬鹿な奴らだ。──行け」


 瑪瑙の呟きに応じて物の怪たちが地から這い出てくる。金色の蝶の粉が降りかかり停止してもまた次の物の怪が現れる。

 だが、それらは一瞬にして粉々に砕け散った。


「小桜、小雪。俺の後に続け」


 黒い肉片と化した物の怪たちを中心に立つ疾風が双子に向かって背中越しに呼びかけた。

 双子は頷く。小桜が振り返って優に叫んだ。


「物の怪共は私達が相手をします。姫様を守るのはお前です!」


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