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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】心の奥底

 問の言葉を聞き、眉間に皺を寄せる優に向けて水無月は穏やかな口調で同じ言葉を繰り返した。


「君は何者なのか。本当に人間なのか。答え給え」


 優は睫毛を下げると、水無月を不審そうに見つめる。


「どういう意味なのか、理解できない。俺は人間だ」

「美月は鬼の生まれ変わりだ、しかも鬼神の。こんなことは初めてだ。だからこそ、あの子が人と違うのは納得できる」


 水無月はだけど、と睫毛を持ち上げ、訝しげに優を見つめ、低い声で語る。


「君は、前世からの純粋な人間だ。我ら妖怪に、何の関わりもない。ならば、何故君は僕ら鬼神と同じように戦えるのか」


 動揺するかと思ったが、優は視線を斜め下に下げ、いつものように落ち着いた態度で簡単に答えた。


「俺にもわからない」


 単純すぎる言葉だったが、水無月は答えてくれたことに対して満足そうに、ゆっくりと首を縦に降る。


「まあ、いいか…。変なことを聞いてすまなかったね。単純に君のことについて知りたかっただけなんだ」


 笑顔で謝罪をする水無月の表情に何故だか闇を感じた。

 だが、特に気に留めることなく優も頷いた。


 水無月はゆっくりと立ち上がると笑って優を見下ろす。


「呼び出して悪かったね。僕の用はこれだけ。後はのんびりしていてくれ」


 水無月は出入り口へと歩みを進め、戸に手をかけると低くて優しいトーンで呟いた。


「美月は僕なりに守らせてもらうよ」


 それは、妹を守りたい兄としての言葉だと思った。

 だが、目を凝らしても先が真っ暗で見えないような、もっと深い何かが水無月の中にあるような気がした。

 その背中は兄として、元時期頭領としての威厳があった。








「お、姫じゃん」


 自分を呼ぶ陽気な声が美月の機嫌を悪くさせるも、ここは落ち着いて何とか笑顔を取り繕う。


「神無月……もう帰ってきたのね…」

「遠回しにまだ外にいろって言ってるみたいだね」


 おっと言葉を間違えたようだ。

 美月は口元に手を当て自分の失態に肩をすくめるも、すぐに神無月と向き直る。


「もう見回りは大丈夫?」

「ああ、もうぜーんぶ片付けたから」


 神無月はまるで公園ではしゃぎ回ってきた子供のように晴れやかに笑う。

 だがその笑顔が怖いと、美月引き気味に頷き返す。

 神無月は懐を探ると木作りの銃を取り出す。


「姫にだけ教えてあげようか。俺の、神無月の武器、『藤乱れ』」


 それは戦国で使われていた火縄銃とよく似た形のもので、僅かに紫の光を纏っていた。

 曼珠沙華とは違って、落ち着いた雰囲気を持った銃だった。


「すごく綺麗だね」

「お、姫見どころあるな〜。俺の相棒だから、当然かな」


 銃を褒められたことが余程嬉しかったようで神無月は胸を張って自慢げに笑う。


「しかしね〜、水無月と同じ髪色って聞いてたけど」


 神無月は美月の明るめの茶髪をじっくりと眺めて不思議そうに眉をひそめる。


「それ言われるの何回目だっけ……。確かに、前世は黒髪だったよ」


 それもすごーく美しい黒髪だったようで。


「何ー、気にしてんの? 大丈夫だって、今もお美しいし」

「それ、たくさんの人に言ってきたの?」

「………………」


 図星をついたようで、神無月は慌てて視線を彷徨わせる。

 まあ、別に気にしてはいないので、美月は呆れを含んだ息を一気に吐き、別の話を持ちかけることにした。


「神無月は本当に兄様と仲良いね。お友達?」

「まあね。俺元々一人でぶらぶらしてたんだけど、竜宮に向かう途中のあいつに拾われたわけ」


 神無月は藤乱れを懐に仕舞うと腕を組んで話し出す。

 単独行動の多かった神無月を見つけたのは竜宮に向かう途中の水無月だった。

 水無月は頭が良い。彼に竜宮にくれば退屈しないと誘われ、今に至る。


「師走が睦月様に、弥生、卯月、皐月が姫に従っているのと同じように、俺も水無月に従う。まあ、これでも親友ってもんだし」


 その言葉を聞いて美月は心底安心した。

 神無月のおかげで水無月は孤独に暮らすことはなくなったのだ。今は彼に感謝したくてもしきれない思いでいっぱいだった。


「姫は、水無月をよく慕っているね」

「当然、私の家族だから」


 家族。この言葉は美月にとっては大きな存在だ。失くしたくない、掛け替えのない存在なのだ。

 だが、予想に反して神無月の反応は微妙なものだった。いつも陽気な彼が、今だけ萎れていた。


「水無月は、お前が思っているような奴じゃないよ」


 神無月が何を言いたいのか正直理解できなかった。

 理解しようとしても、何故だか心がそれを拒否した。


「どういうこと……?」

「水無月が姫のことを大事に思っているのは本当だよ」

「それで?」

「だけど姫の望む『兄様』っていう存在は、もうどこにもいない」


 やはり、意味がわからない。美月はしばらく考え込んだが、なかなか答えは出てこない。

 何度でも神無月に質問できるが、その都度同じような答えが返ってくるのなら意味がない。


「まあ、これは俺なりの忠告ってことで良いかな〜?」


 再び陽気な声がこの美しい庭に響き渡る。だが、いつもの調子に乗った声のはずなのに、何故だか美月はそれが怖いとさえ思えた。

 だって神無月が言っていることはまるで水無月が悪に染まりかけていると忠告してきているように聞こえたのだ。


「本当によくわからない………」

「ごめんねー、姫様美しいんだから、そんな顔しないでよー」

「………………」

「あれ……女の子ってこう言えば大抵喜んでくれるんだけどな……。そんな深く考えなくても良いじゃん」


 神無月は未だ考え込んでいる美月の反応に苦笑する。彼は美月の不思議すぎる性格を知らないが故に、普通の女の子と同等に見てしまっている。


「もしかしたら今の話の中に、私が受け入れられないようなことがあるんだろうけど………」


 美月は神妙な表情で俯いたままだ。

 だが、意外なことに戸惑いはあるものの、神無月の忠告は受け入れるようだった。


「一応、その話のことは覚えておく」

「へえ……」


 神無月は口角を上げ、興味深そうに美月を見つめる。

 それは珍しいものをみるかのように。


「こういう話、拒んだりしないんだ?」

「受けられないかもしれない。だけど、それは本当に知っておかなくてはならないものなのかもと思った」


 小学校の頃に書いた読書感想文のような話し方になってしまった。ちなみに言うと、美月の読書感想文は入選した。


「姫様変わってんな〜」


 神無月は真面目に答える美月を上から下とじろじろと眺めては面白そうに笑う。

 話すべきことは話したと神無月は美月に背を向ける。


「じゃあ、俺は休ませてもらいまーす」

「えっと……ごめんね疲れてるのに長話を……」

「俺が始めたことだから良いって〜」


 おちゃらけたように笑う神無月の表情を見て、美月は少しだけ安堵した。

 兄の秘密が明かされそうで怖かった。兄の心の奥底を、美月が触れてはならないような暗闇を神無月が明かしてしまいそうで怖かった。


 両腕で頭を支え、呑気に鼻歌を歌いながら神無月は屋敷の中へと入っていった。


「………」


 水無月。前世の兄であり、時期頭領になるはずだった鬼神。

 だがその枷は、病弱な兄にはあまりにも重く、負担があった。

 だから、幼き文月姫は兄を庇ったのだ。自分が代わりに頭領になることで兄は自分の病の治療に専念できる。


 ただ、兄のために動いていた。


 それが、兄を傷つけてしまったかもしれない。

 兄は父、睦月の勧めでここ竜宮に来たのだ。

 故郷から強制的に連れ去られていく兄を、あのときの文月姫は止めなかった。

 それが兄を守る唯一の方法だと勝手に思い込んでいたのだ。


「兄様……」


 悲しげに呟かれた美月の声に、答える者はいない。

 竜宮は、季節がごちゃごちゃになっている。

 桜が満開に咲き、水辺には蛍が飛び回っている。

 光が静かに、美月を包んでいる。


「姫様………?」


 突如聞こえてきた弱々しい声。振り返れば、かなり顔色の優れない弥生が立っていた。


「弥生? どうしたの……具合悪いの?」


 美月は弥生の元に駆け寄り、頬に触れる。

 やけに冷たく、色白い肌は正気を失っていた。


「姫様…どうかなさったのですか?」


 それを聞きたいのはこっちなのに。


「私はただ花を見たかっただけ。弥生はどうしたの? 顔色が悪い……」


 弥生は力なく膝から崩れ落ちる。


「や、弥生?」


 美月はその直後慌てて弥生の肩を支え、地面に膝をついた。

 弥生は俯いている。

 その真下を見れば、地面にいくつかしみができている。


 弥生は泣いていた。


「卯月様………」


 拳を握りしめ、嗚咽を零しながら弥生は必死に口を開く。


「なんで……弥生、じゃないの………」

「え………」


 突然の言葉に困惑していると、弥生はようやく、心の中で叫び続けてきたことを吐き出した。


「なんで…弥生じゃなくて……卯月様なの……? 卯月様は、何も悪いことしてないのに……」

「………」

「卯月様だけは……弥生の大切な人だから…傷つけないで………」

「………」

「弥生が死ねば卯月様が助かるのなら、それなら……」

「………」


 弥生の話から、美月は妙に不安感を覚えた。

 卯月の死が彼女を追い詰めているのは十分わかる。だが、何故、今苦しんでいるのだろうか。


「弥生、何かあったの?」


 美月は慎重に聞くと、弥生は美月に縋り付いた。


 案外あっさりと話してくれた。


 竜宮を襲っている輩が、卯月の魂を捕らえていること。

 その卯月の魂が利用されていること。

 皐月と師走が、こっそり話し合っていたようだった。


「私のせい」

「え………?」


 弥生は目を見開き、顔を見上げる。

 そこには、優しいとも言えない無感情とも言えない、なんとも悲しげな美月の顔があった。


「卯月を殺した母上は、私を狙っていた。卯月は巻き込まれただけ。私が、巻き込んだ」


 弥生は慌てて首を振る。


「ち、違うんです。弥生があのとき卯月様を助けられなくて………! それに、あれは先代文月様じゃなくて雪女が…!」


 美月は弥生の口元を押さえて微笑む。


「私が、なんとかしてみせるから」


 その自信がどこから来るのか、美月にもわからない。

 でも、ただ目の前で打ちひしがれる仲間を守りたかった。

 大切な者たちが消えていく苦しみを痛いほど味わってきたから。


「姫様………」

「だから、弥生は泣かないで、私がその苦しみを背負うから。何があっても…………私が守ってみせる」




…………



「兄様…………」


 兄の部屋を訪れたのは、もう日が沈んでしまった時だった。


「美月……? 眠れないのかい」


 優しい声に安堵し、美月は水無月と話をするために彼の向かい側に座る。

 まずは、竜宮で起こっている美女狩りの犯人を捕まえなければならない。

 卯月は絶世の美女だ。卯月の魂を捕まえているのはその者に間違いない。


「兄様、竜宮の結界石を壊して侵入してきたあいつらを捕まえたい。だから、私も協力させて」


 水無月は妹に甘い。美月の願いなら聞き入れてくれると思われるのだが、今回ばかりは否定の言葉が返された。


「駄目だ、危険なんだよ。今まで何人の女が死んだと思っている……。こっちの件は僕たちに任せて、君はここでのんびりとしていてくれ」

「でも……!」


 美月は芯の通った声で自分を主張し、説得を始めた。


「この都は父上のもの。なら、師走様を通じて、父上にも協力を求めよう?」

「父上が、力を貸してくれると思う?」


 水無月の発言に、美月は一瞬思考が停止した。

 あれほど、優しい兄が、父を否定したのだ。


「何を言っているの……?」

「父上は、手を貸してくれない。僕を竜宮に置き去りにしたときも…………。美月の自由が奪われても」


 竜宮に置き去り。その言葉を聞いた途端、心臓が抉られるほど胸が痛かった。


「兄様………」

「君は何を思う? 父上は、僕らのことなんか愛してもいない」

「そんなことない……。父上は優しくて、私達の家族で…………」


 だんだん、美月は自信を無くしていった。

 先代文月である母が死に、四代目に選ばれた美月に、罪を犯した生き物を殺せと命じたのは睦月だ。

 水無月の病を治すためと、見知らぬ都に置き去りにしたのも睦月だ。

 美月が今、こうやって生まれ変わり、尚も鬼神の枷に縛られているのも、睦月の考えだ。


「父上が見ているのは、家族としての僕らじゃない。鬼神としての僕らなんだ」


 水無月は震える美月の頭に手を乗せ、優しい声で語る。


「美月を苦しめた父上が、憎いんだ」


 水無月はごめんよ、と宥めるように美月の髪を優しく撫でる。

 知らなかった。兄がこれほど苦しんでいたなんて。これほど、父を恨んでいるなんて。


「まず、美月が何故そこまで美女狩りにこだわるのか聞こうじゃないか」


 まず、話を逸らさないようにするためなのだろう。水無月は話を切り出す。


 美月は正直に、卯月の件について話した。亡くなった卯月の魂を捕らえている奴らを突き止めなければならない。

 弥生が壊れていく前に。

 美月の説得を聞き、水無月は目瞼を閉じると呟いた。


「やはり君は……変わっていない」


 美月は眉をひそめる。

 ──私の、何が変わっていないのだろう。


「誰かのために、自分じゃない誰かのために。それが君の考えだろう」


 心臓が鳴り響く。

 美月は硬直した。震えだす衝動を抑え、必死に胸のうちに秘めた思いをも抑え込んだ。


「ただ……助けたい、守りたい。ただそれだけ…………」

「もう、誰も失いたくないから……?」

「っ……」


 美月は息を詰まらせた。いや、呼吸の仕方を忘れてしまった。

 水無月は目をゆっくりと開くと怯える妹を悲しげに見つめた。


「美月。気づいているんだろう?」


 何を気づいていると言うのか。

 美月は首を横に振り、必死に否定した。

 それでも、水無月は美月を容赦なく追い込む。


「滅を司る鬼神が、幸せになれる訳がない。周りの者が不幸になる原因は自分にあると考えているんだろう?」


 水無月は沈んだ表情で、美月を見つめる。


「父上は、僕らを都合の良い道具としか見ていない。だから───」


 水無月は暗く冷たい声でこう言った。


「だから、僕は父上を殺す。そして君を自由にしてみせる」



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