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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第一章 『月火神社編」
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【第一章】小桜と小雪

「姫様、学校ですか?」

「うん。今日は月曜日だから」


 制服に着替え、カバンの中を確認する美月を小桜と小雪は不思議そうに見つめている。二人を家に置いておくのは心配なのだが、現役女子高生である美月はそう簡単に学校を休む訳にはいかない。


「あの…」


 小桜は期待の眼差しを向けながら右手を真っ直ぐと挙げる。まさかとは思うが、学校までついていきたいとは言わないだろう。文月という女への強い執着と忠誠心を見せる二人だが、どうなのだろう。


「一緒に行ってもよろしいでしょうか」

「駄目ですね」


 やはりついてくるつもりだったようだ。率直に伝えた途端、小桜と小雪は大きく目を見開いて残念そうな声を漏らす。


「そんなー! 姫様をお守りするのが私達の使命なのに!」

「そうは言っても学校に連れてくるのはちょっと…」


 そこまでショックだったのか、小桜はしょんぼりとする。人間界での一般常識も分からない上に、外見がまさしく鬼な二人を、そう簡単に人の群れている場所に連れていく訳にはいかない。


「そんなぁ、ひーめーさーまー!」

「もう、困ったな……」


 まるで駄々をこねる子供のように小桜は制服の裾を掴む。

 困り果てていると小桜は突然、後ろへと下がる。その拍子に「ぐえっ」と苦しそうな呻き声を発しながら、掴んでいる裾から手を離した。


「小雪、離しなさい!!」


 小雪が小桜の首を後ろから掴んで乱暴に美月から引き剥がしたようだ。この乱暴な行為には当然、小桜も怒った。


「何をするのですか、この阿呆!」

「姫様が困っていらっしゃる」


 小桜の首を掴んでいた左手を握ったり開いたりしながら無表情で答える小雪。互いに睨み合い、下手したら室内で命懸けの喧嘩を始めるのではないかと思うほどに危険な雰囲気を醸し出す双子。


「ああ、ちょっと喧嘩しない喧嘩しない!」


 戦闘が始まる直前、美月が双子の間に入って仲裁をしたのだった。



……………………………………………………………………………………………………………………



「小雪。どうする?」

「姫様は待っておけとおっしゃった」


 小桜の不安げな問いに小雪は淡々と答える。美月が学校に行ってからは二人で正座をして話し合う。一応、美月には曼珠沙華を持たせておいた。学校に行っても隠せるくらいの大きさだから了承を得られたのだ。

 それでも過保護な二人、特に小桜の方は不安で仕方なかった。


「姉さんは、何がそんなに心配なの?」

「小雪は心配ではないのですか? 昨日、師走様が夕霧の生まれ変わりがいるとおっしゃっていましたのに」


 小桜は両手を胸の前で握りしめ、眉を顰める。確かに心配だが、小雪は姉と違ってそこまで焦ってはいなかった。美月は今日まで無事、一人で生活出来ていたのだから。

 もし、夕霧が襲ってきたときは対策を練らなければならないが、いつものように過ごしてさえいれば、最低限の安全は確保できるだろう。


「もちろん僕も心配だけど、姫様はここで待っていろとおっしゃった。姫のご指示に逆らうつもりはない」

「………」


 考えのはっきりとした小雪の言葉に何も言えなくなった小桜。


「──本当に…昔から、姫様の言うことは絶対だったものね」









 ──あの日を忘れない。行き場を無くした自分たちに手を差し伸べてくれた鬼姫の優しさを、決して忘れることはない。


 人間と、妖怪を代表する鬼の対立は激しいものだった。人間は鬼を悪とみなし、迷わず襲い掛かってくる。そんな世で、鬼神を除く鬼たちの生活は苦痛だった。住む場所を無くし、食物もろくに取ることもできずに死んでいった者もいる。

 小桜と小雪には親がいない。物心ついたときから、二人で助け合って生きてきた。森の中で他の妖怪に襲われそうになったときも、食べるものが無くなったときも、たった二人で生きてきた。

 そんな時、鬼神の睦月には文月姫という娘がいると噂を聞いた。多くの人間をその手で殺めてきた恐ろしい鬼だと、人間たちが噂をしていた。

 しかし、そんな噂は自分たちには関係のないことだと、二人はまた森へ行き、食物を探す。二人の手は、足は、傷だらけだった。


 いつものように飢えを凌ぐため、木の実を食べて歩いていたとき、森がやけに騒がしいことに気づいた。いつもと違う、恐ろしい程の妖気を感じた。


 ──逃げよう。


 二人は急いで森を駆け抜ける。奥から腹を空かせた妖怪たちの姿が現れる。弱い子供二人など、いとも簡単に仕留められてしまう。懸命に走り、そして、


「─っ!」


 小雪の腕が掴まれた。そのまま、骨が砕かれる音を発しながら小雪の腕は力を手放した。小桜は弟を守るために自分の倍ほど大きい体を持つ妖怪を突き飛ばした。けれども、子供の力は弱く、すぐに体勢を立て直した妖怪は、背を向けて逃げる幼い双子に牙を向けた。


 ──その時。


「…!」


 双子を襲っていた巨大な妖怪が真っ二つに裂けた。呆然とその光景を眺めていると、一人の女が紅色の刀を手に、そこに立っていた。あの美しい黒髪を、今でも覚えている。


「小鬼か」


 女は刀を鞘に収めると、小桜たちの元へと歩み寄った。この尋常じゃないほどの妖気で、この女が鬼神だということはすぐにわかった。


「お前たち。親はどこだ」

「……」

「おらぬのか」


 ボロボロの着物、傷だらけの手足の双子は、女を見つめたまま硬直していて、問いにすら答えてくれない。


「私は鬼神。文月という」


 凛とした声で、先に名乗った鬼姫は、おもむろに双子に手を伸ばした。何をされるのだろうと警戒し、体を強張らせた二人の頭を、冷たい手がやんわりと撫でた。


「居場所がなければ、私の屋敷に来い」


 鬼姫は双子の顔を交互に見て、微笑んだ。人々に恐れられし鬼姫でもこんな顔をするんだ、と二人は内心驚いた。


 姫に連れられ屋敷に到着すると、まず綺麗な着物を着させてもらい、食べたことのない美味しい飯を与えられた。何不自由ない暮らしが始まり、小桜と小雪は満足していた。いや、小雪だけは文月姫を警戒していた。恐ろしい噂の流れる鬼姫が近くにいるのだから、恐れて当然だった。


「小雪は用心深すぎるのですよ」


 文月にすっかり懐いていた小桜はそう言った。だが、小雪は姉とは違い、自分から姫の元へ向かうことはなかった。


 姉に警戒しすぎだと指摘された日の夜、寝付けなかった小雪は隣で気持ち良さそうに眠る姉の顔をじっと見つめた。姉は警戒心がなさすぎだとあの場で言ってやれば良かったと、心の中で、溜め息をついた。

 虫の音が障子越しに耳に届き、完全に夢から現実に引き戻されて、眠れなくなってしまった小雪は、静かに布団から抜け出した。







 部屋の外に出れば、闇夜に浮かぶ白い月が目に映った。暗闇に囲まれ、白く消え入りそうな月。あの月は、文月に似ている。闇に包まれて、進んで誰かに関わるわけでもなく、ただ小さな光を発するだけの存在。

 たとえ暗闇の中でも、ほんの僅かでも光を与えてくれる月をぼやりと見つめていると、すぐ近くに気配を感じて、月から廊下の奥へと視線を映した。


「小雪。眠れないのか」


 凛とした美しい声の主を見て、小雪はそっぽを向いた。


「相変わらず、お前は何も話してくれないな」


 文月は肩をすくめた。そして、月を見上げながら庭へと足を踏み入れた。庭に降りて自然と戯れ始める鬼姫を見つめて眉間に皺を寄せていると、ふいに鬼姫は振り返った。


「小雪。お前にとっての大切なものはあるか?」

「……」


 あるに決まっている。その大切なもののために今こうして生きていると言っていいぐらい。


「──。姉さん…」

「そうだろうな」


 文月は袖で口元を隠しながら目を細めた。この女は何が言いたい。考える間もなく、文月は答えてくれた。


「私は父上とはもうずっと会っておらん。大切なものと共にいられることは素晴らしい。お前が羨ましいよ」


 彼女の声は悲しげだった。


「お忙しいのはわかっている。それでも、もう一度だけでもお会いしたいと思うのは我儘だろうか。今の私には、大切なものなど一つもないのに」


 文月は懐から、紅色の鞘によって封じ込まれた短刀を取り出し、小雪に見せた。


「これは、曼珠沙華。血を浴びることによって強化される、私の母の形見だ。これで、人を殺めるように教わってきた。人を殺めるのが鬼神の使命。ずっと一人だった私は人を殺めることでその孤独感を埋めていた。──小雪、私が怖いか? 恐ろしいか?」

「………」

「私は…普通に生きれたら、どんなに幸せだっただろうか」


 月が、文月と小雪を照らす。文月の二本の角が、顕になる。小桜と小雪よりも大きい角。それが、鬼神であることを示していた。


「──あなたは、殺したくないのですか?」


 小雪の言葉を聞いて、文月は月から目線を外し、小雪を見る。


「本当は、命など奪いたくないのではありませんか?」


 小雪の問いかけに、文月は視線をさまよわせる。常にあれほどの威厳を持っていた文月が、初めて隙を見せた瞬間だった。それでようやく分かったのだ、鬼姫は、本当は殺しなんてしたくないのだと。本当は繊細で優しい心の持ち主なのだ。


「それなら、なぜ多くの命を殺めてきたのですか」


 自分でも口が悪いのは承知の上。相手は鬼神。しかも全ての鬼を統率する睦月の娘。下手すれば首が飛ぶ。

 文月は袖で口元を隠しながらクスクスと、品よく笑った。


「初めて言葉を交わしたが、小雪は意外と言うことは惜しみなく言うのか」


 さっきまで焦っていた鬼姫が、まさか笑って返してくるとは思わなかった。唖然としている小雪の頭を、文月は優しく撫でた。


「お前と小桜は良い子だ。鬼とは思えない程」


 驚きに満ちた小雪の目を見つめたまま、文月は悲しい笑みを浮かべた。


「鬼の中にも、まだお前たちのような者はいたのだな。お前と小桜は命を尊く思っている。それはとても大事なこと。小雪、私のことが嫌いなら、絶対に私のようにはなるなよ」


 そう言った彼女の目には優しさと、願いが込められていた。

 質問に答えてほしい。話が自然にそれていき、小雪は微妙な気分で文月を見上げた。

 小雪は文月のことが嫌いではなかった。ただ、まだ姉以外の者が信用できないだけだった。しかし、文月が抱えているものの大きさは予想以上のものであった。滅を司る鬼神、文月の名を受け継いだこの鬼姫は、ただの可哀想な女だった。


「文月姫様、あなたは、ご自分のことが嫌いなのですか?」

「………」


 少し間が空いた。文月は父である睦月と母である先代文月が愛してくれた自らを、少しでも好きだと言ってみたかった。でも、自信がなくて、唇が思うように動かない。


「では、姉さんと、僕のことは…?」


 小雪は姫に問う声が、どんどん小さくなっていく。何を答えられたとしても、別に構わない。たとえ自分のことを嫌ったって構わない。ただ、姫を慕う小桜だけは、嫌いだと言わないでほしい。

 文月はスッと目を細めると手を小雪の頭に乗せた。


「何を心配しておる。私はお前たちが大好きだ。このつまらぬ屋敷に、お前たちが来て、久しぶりに楽しさを知ったのだ。ありがとう」


 姫の手は、温かくて優しかった。姫は小桜と小雪が、自分を照らす唯一の希望と見ていた。父親に滅多に会えない。母親は幼くして他界。そんな中で、双子がどれだけ姫を救ってきたのか、きっと姫自身もわからない。

 この夜から、小雪が文月姫に抱いていた警戒心は消え失せていった。だが相変わらず、積極的に姫と話す小桜とは違い、小雪はいつも姉の後ろで控えていた。

 姫は優しく、美しい。いつも不安になったときは頭を撫でて、励ましてくれる。小雪にとって、姉以外に大切なものができたのは生まれて初めてだった。


「小雪、おいで」


 もっと、笑顔を見せてほしい。もっと、名前を読んでほしい。小雪は文月姫に撫でられる度に、そう思うようになった。


「小雪は本当に姫様が大好きなのね」


 かつて、姉にそう言われたことがある。否定もしなければ、肯定もしない。姉の言う"好き"と、小雪の思う"好き"とはなんだか違う気がするからだ。

 文月姫の屋敷に来てから少しづつ成長するにつれて、この感情の名前が分かるようになった。


 ──小雪は文月姫に恋心を抱いていった。



…………………………………



「おい、十六夜」


 やっと放課後になり、一息ついたところでクラスメイトの一人の男子に話しかけられた。

 桐崎優きりさきゆう。あまり話したことのない相手だから、少しだけ緊張してしまった。


「数学のノート、放課後提出って言っただろ。出せ出せ」


 桐崎の左腕には恐らくクラス全員分の物と思われる大量のノートが抱えられていた。


「ごめん」


 美月はすぐにカバンの中からノートを差し出した。目つきの悪い桐崎を見つめて、美月は腕を組んで睨み返した。当然、桐崎も鋭い視線を上から突き刺してくる。


「お前が話聞いてないのが悪いんだろ」

「ごめんって言った」

「……」


 桐崎の明らかに苛々している口調に、美月も負けじと言い返す。まるで子供の喧嘩のようで、お互い恥ずかしくなってくる。話を聞いていなかったのは美月が悪い。でも、突然あんな態度で話しかけてくる桐崎も桐崎だ。


「初めて会話を交わしたと思ったら、酷い、それがあなたの挨拶なの?」

「ちげーよ」


 本気で残念そうな顔をする美月。桐崎は舌を短く鳴らして美月に背を向ける。一歩踏み出した途端、急に裾をぐいっと引っ張られた。美月は桐崎の裾をしっかりと掴んで。桐崎の腕に抱えられているノートの山をじっと見つめている。


「一人で持っていくの?」

「お前に関係ないだろ」

「持っていい?」

「『手伝おうか』、じゃなくて『持っていい?』なの?」


 まるで変なものでも見るような目を向けてくる桐崎に、美月は笑顔で答えた。


「あなたの苦労を分かち合おうと…」

「結構」


 桐崎はさっさと立ち去ると教室から出る。美月は頭は良いけど思考がちょっと変な不思議ちゃんとクラスでも噂されている。話してみて、その通りだったようだ。教室を出る前に、桐崎は一言こう言った。


「──あんまり俺と関わらない方が良い」



 言葉の意味がわからなかった。桐崎のその目が、言葉が、美月を困惑させる。どういう意味だと、もう一度引き止めて聞こうとした時には桐崎の姿はなかった。



………………………………………



「おかえりなさいませ姫様ー」


 玄関で早速小桜が駆け寄ってくる。その後を小雪が歩いて来る。


「ただいま。何も変わりはなかった?」

「はい。姫様のご命令通り、静かにしておりました」


 小桜は可愛らしい笑みを浮かべた。十三歳ぐらいの見た目をしているが、実際、歳は遥かに上のはずだ。

 小桜は余程美月、いや、文月が好きなのか嬉しそうに頬を染めて、美月に抱きついてくる。その後ろで小雪は静かに美月を見つめてくる。姉とは違って甘える素振りも見せない。ましてや、感情さえも顔に現れにくい小雪。


「小雪、おいで」


 そんなに後ろにいては、なんだか仲間外れにしているような気がして、右手を差し出し呼んでみた。すると小雪は、目を見開いた。何かおかしなことを言ったのだろうかと疑問を持つ美月だが、小雪は大人しく近くまで歩み寄ってきてくれた。


「小雪も待っててくれてありがとう」


 小雪の頭を撫でて微笑むと、小雪は頬をほんのり赤く染めて呟く。


「こういうのは、困ります…」


 そうだ、小桜ならともかく小雪は男の子なのだ。


「ごめんね、嫌だった?」

「いえ! そんなことは…」


 小雪は首を振って全力で否定する。小雪も可愛いところあるな、と美月は小さく笑った。


「じゃあ、私、制服着替えてくるね」

「お手伝いします!」


 小桜が真っ直ぐと挙手した。美月は微笑みはいはいと頷いて、自室へと向かう。小桜は美月のあとを追いながら、振り返り、弟に向かって静かに言った。


「お前は本当、素直じゃないですね」

「……」


 それだけ言うと、小桜は美月と共に彼女の自室へ入っていった。残された小雪は、胸を押さえて眉をひそめた。動悸が早くなっているようだ。触れられた瞬間、頭が沸騰しそうなくらい熱くなってしまった。

 それに、姫に手を差し伸べられたあの時も、心臓が鳴り響いていた。昔とそっくりだ、一人でいる小雪に、姫は手を差し伸べてくれたのだ。

美月の秘密。

文系、理系、どっちも得意。歌がすごく上手い。

美術だけは苦手。

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