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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】踏み潰された心



「やめて…やめろ!!!」


 無我夢中で叫ぶとその声は止んだ。美月は自身を抱きしめ、目の前に広がる血溜まりを見つめた。


 ──『わからないか』


 声は再び響いてくる。


 ──『母が亡くなり、唯一の救いであった兄を、手放したのはお前自身なのに』


 手放した。呟いて、記憶を辿った。

 水無月は、本当は妹と一緒にいたかったのかもしれない。母を亡くした今、兄妹は孤独になったのだ。手と手を取り合っていけば、もしかしたら別の未来があったのだろう。


 ──『竜宮に行く兄を、何故引き留めなかった? 行動しなかったのはお前自身なのに、勇気がないあまり、兄を見知らぬ場所へと──』

「違う、私はただ、兄様を守りたかった…!!!」


 声を遮り、叫んだ。真実から逃れるように。


 ──『それに夕霧は? 夕霧はお前を守ろうとしたのに。お前の中に迷いがあったせいで、夕霧は望まぬ道を辿った』


 夕霧は、自身の立場を捨てる気で文月を守ろうとした。だが、心のどこかで迷っていた文月が待ち合わせ場所に遅れたせいで、夕霧は葉月に妖術をかけられることとなった。


 ──『何故、お前は真っ先に夕霧を選ばなかった? 夕霧と逃げてさえいれば、夕霧も苦しまずに済んだ』



 美月は視線を迷わせ、必死に『何故』の答えを探した。夕霧との約束は駆け落ち同然のものだった。全てを捨て去る勇気を、彼女は持っていなかった。


 ──『お前は、自分のことしか考えられない。いや、周りが見えていないと言った方が正しいか』


 声の主は、美月の奥底に眠る事実を突いた。


 ──『だから、やっと手に入れた両親も、あんな風になる』


 美月の視線の先には、幼い美月を守るかのように包む、赤い塊。生まれ変わって、やっと幸せを手に入れた。なのに、それはズタズタに引き裂かれ、呆気なく終わりを告げた。


 ──『それに、卯月も』


 声は美を司る鬼神の名を呟いた。


 ──『卯月が死んだ原因は何だ?』


「え…?」


 美月の鼓動が速くなった。卯月を殺したのは、雪女が取り憑いた鈴紅だ。


 ──『鈴紅は、お前を探すついでに、卯月を攫い、お前の居場所を吐かせようと拷問した。なら、結果的にお前のせいだろう』


 お前のせい。その言葉は、腸を抉る勢いで美月に突き刺さった。


 ──『お前さえ居なければ、全ては上手くいった。全ては、お前のせい。尚も目を背けようとするお前のせいだ』

「やめて…! あなた、誰?」


 呟いた途端、目の前は暗闇に包まれた。闇は美月を中心に渦巻き、全て飲み込もうとしている。


 そして、目の前に現れたのは───


「ぁ………」


 紅色の着物。黒い髪。二本の角。美月と同じ顔をした、文月が立っていた。

 その瞳には光がない。ただ、美月を見つめていた。息が詰まるほど恐ろしい、暗い目をしていた。目があった瞬間、背筋がぞくりと震える。










『駄目だよ、美月。戻っておいで』









 優しい声が美月を包んだ。



………………



 目を覚ませば、見知らぬ天井が目に映った。この感じ、教科書で見た気がする。本当に、教科書に載っているような造りの部屋。和を感じさせる部屋。美月はそこで横になっていた。


「おはよう、美月」


 また、美月を救い出したあの声が聞こえた。視線を声の聞こえた方向へと移した。すぐ傍らに、長い黒髪を束ねた、群青色の着物を身に纏った美青年が座っていた。


「あ…」


 その青年は見たことがある。その優しい声も。


「兄様っ…!」


 美月は青年に縋り付いた。


「私………兄…様……私……」

「落ち着いて。あれは夢だ、幻だ。竜宮門は、くぐる者が目をそらし続けている過去を掘り起こしてしまうんだ。だから、気を強く持たなくてはならない」


 水無月は、縋り付く妹の髪を撫で、優しい口調で言った。怯える美月は、自分を撫でてくれるその優しい手と、言葉に安心した。


「弥生と皐月も、竜宮門で足を止めてしまったみたいだね」


 ああ、やはり、あの二人も。水無月は美月を布団に寝かせ、微笑んだ。


「今はおやすみ」


 美月の瞼に触れると、そのまま美月は夢の世界へと旅立ってしまった。やっと会えた妹の寝顔を見つめながら、水無月は優しい笑顔を見せた。


「まったく、盗み聞きするなんて、趣味が悪いね」


 水無月は背後に向かって話しかけた。部屋の戸が開き、茶髪の鬼が陽気に入ってきた。


「神無月、他の鬼は?」

「竜宮門で疲れちゃったみたいでさー。お休み中〜」


 呑気に欠伸をしながら、水無月の傍らに座る神無月。神無月は水無月の親友であり、一応水無月の護衛を任されている。


「水無月の妹がどんな感じかと思ったら、結構な美人じゃん」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら神無月は眠る美月を見下ろす。


「変なことしないでくれよ」

「お前も失礼な奴」


 訝しげな視線を向ける水無月に苦笑いする神無月。


「ところで、夕霧ってやつ」


 神無月は人差し指を立てて、にっと笑う。


「あいつ、人間じゃん。絶対俺の方が姫とお似合いだって」

「僕は美月を幸せにしてくれる者なら誰だって構わないさ。それに、お前の方が逆に心配になる」


 神無月は悔しげに舌打ちすると適当に返事をした。美月は本当に、昔と変わらず美しい。だから本当に心配になる。


「神無月様。戻りました」

「水無月様。戻りました」


 戸の向こうから男と女の声がかかる。入れと呼びかけると戸が開き、すっかり着物に着替えた疾風と、疾風の側にいたくノ一が跪いていた。


「お、疾風〜、良い所に!」


 神無月は右手を挙げて、大振りに手を振る。


「水無月、俺はちょっと疾風に用があるから」


 そう言って立ち上がると疾風を引き連れて神無月は部屋を後にした。水無月は残されたくノ一を呼んだ。


「お蝶。話がある」

「はい、水無月様」


 くノ一、お蝶はゆっくりと水無月の傍らに歩み寄る。


「よく妹を連れてきてくれたね。ありがとう」

「勿体無いお言葉」


 お蝶は深々と頭を下げる。

 青く輝く瞳を持つお蝶。その頭上には二本の角が生えている。


「竜宮にいる間は、僕も忙しいんだ。この子には、護衛もちゃんといるけど、竜宮に来るのは初めてだから、そのときは頼むね」

「水無月様をお守りする者は…」

「僕なら大丈夫。神無月と疾風がいるならね」


 水無月の言葉にお蝶も大人しく頷いた。ふと、お蝶は水無月の傍らで眠っている、鬼姫を見つめる。髪の色は違えど、顔立ちは主の水無月によく似ていて美しい。


「ところでお蝶」

「はい、水無月様」

「疾風とは、まだ祝言を挙げていないんだね」


 祝言、という言葉を聞いた瞬間、お蝶の心臓が跳ねる。定まらない視線をなんとか無理矢理、畳へと向ける。なるべく主を見ないように心掛けた。


「し、祝言でございますか。その……夫も忙しいかと思いまして」

「そうだよね。神無月は疾風の扱いが荒いからね」


 まったくあいつはと、水無月は呆れ果てた。

 疾風とお蝶は夫婦なのだが、未だ祝言を挙げていない。その理由として挙げられるのは、二人共、主が違うこと。ついでに、神無月は忍び使いが荒い。


(主が違うからっていうのもあるけど、疾風は面倒くさがりだから)


 溜息をつくお蝶の様子を見て、水無月は優しく微笑みかける。


「でも、疾風もちゃんとお蝶のことを考えてくれてるから、大丈夫だよ」


 本当だろうか。お蝶は水無月の言葉に少し不安を抱きつつも、頷いた。


「美月は眠っていることだし、僕も少し休ませてもらおう。お蝶、頼んだよ」


 お蝶は跪いたまま、顔を縦に振った。主が部屋を出て行ったことを確かめると、お蝶は美月の寝顔を覗き込んだ。

 兄妹そっくりだ。文月姫は黒髪の美女と聞いていたが、どう見ても明るい茶髪だ。だが、生まれ変わりとは言え、外見は前世とそっくりなのだろう。


「失礼する」


 水無月が去ってすぐに、別の誰かが訪ねてきた。お蝶が戸の先を見つめていると、入ってきたのは人間。


(ああ、確か姫様の…)


 夕霧の生まれ変わり。前世の記憶をはっきりと持つ、特殊な人間だ。


「お前は……」

「水無月様にお仕えしております、蝶と申します」


 相手が人間であろうと、客人だ。お蝶は頭を深く下げ、名を告げた。


「すまない、美月と二人にしてもらいたい」

「……承知しました」


 お蝶は立ち上がると、美月と優を一瞥し、部屋を後にした。しかし、護衛を怠るわけにはいかない。お蝶は天井裏に移動すると美月たちを見張り始めた。


………………


『………姫様は、お可哀想な方……』


『滅を司るということは、自身も滅びの運命を辿るということなのね』


『…………家族が側にいないなんて……』


『睦月様はお忙しいから…………』


『可哀想』


『水無月様は病に………』


『頭領が女とは……』


『先代文月様が亡くなられてから、姫様は本当に変わったのですね』


『いつも一人で……退屈しないのかしら』


『可哀想』





 


『美月……、あのときあなたが、我儘を言わなければ………あんな事故にはならなかったのに…』


『十六夜さんの娘さん、小さい頃に両親が目の前で……』


『可哀想』


『しかも、死体が酷いったら……』


『トラックが突っ込んできて…………』


『可哀想』


『あんなに小さな子供がよく生き残って…………』


『可哀想』




 ───うるさいな。



…………


 側には、水無月の姿はなかった。でも、左手に温もりを感じた。そこに、優がいた。美月の顔をじっと覗き込む優を見つめ返し、現実に戻ってきた感覚と共に、全身に汗が吹き出る。

 夢の中の全てが一気に頭の中に流れ込んで来る。心臓が捻り潰される感覚に怯えた。優は小刻みに震え始める美月の頬に触れ、彼女の左手を握りしめる。


「何も思い出すな」


 強く、優しい声で語りかけた。


「今は何も考えるな」


 美月の頬を伝う涙を指で拭いながら、優は優しい声色で何度でも美月に語りかけた。ずっとそうやって彼女を安心させ続けた。

 やがて、美月の呼吸が安定してくる。優はずっと無表情だった。ただ、声をかけ続けた。美月が落ち着くまで、彼女の瞳を見つめていた。


「ねえ……」


 美月の声に反応し、夕霧は瞬きをする。少しだけ、美月の顔色が良くなっていたので、安堵した。


「優は………ずっと……」


 ──おとーさんと、おかーさんはずっと一緒にいてくれる?


「………」


 口をつぐんでしまった美月の様子に眉間に皺を寄せた。

 今、何を言おうとしていたのだろうかと、優は美月の瞳をじっと見つめていたが、彼女はその先の言葉を言おうとしない。


「どうした」

「………」


 まあ、良いか。そこまで深く考えないようにしよう。また、教えてくれる日が来るかもしれない。

 美月がここまで優に甘えることは滅多にない。美月のこんな姿を見るのは初めてだ。

 美月はおもむろに口を開くと、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。


「くるしかった………」

「………」

「ずっと………ずっと………くるしかった」


 美月の発した一言一言に懸命に耳を傾ける。美月はずっと、ぼんやりとした目で天井を見つめている。本当はこっちを見てほしかった。目を合わせたくて堪らない。


「私は、生まれ変わっても………鬼なんだ……」

「………」

「何度も足掻いても、運命は変わらない。私は、鬼神で………文月なんだ」


 文月という名を貰った、滅を司る鬼神なのだ。たとえ、何度転生しても。美月はこの運命から逃れることなどできないのだ。


「一人は…嫌だ………」


 美月はまた泣きそうな声で言った。すっかり心が折れかかっている美月の手を握りしめて、髪を撫でる。


「俺はここにいるから」


 これからも、ずっと。美月は、優の言葉に切ない表情で頷いた。



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