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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】可哀想

そのまま優に連れられながら月火神社に到着して早々、美月と優の間を手裏剣が引き裂いた。


「危な………」


 優は動揺せずに木にぶち当たった手裏剣を見つめる。

 鳥居の向こうを見据えれば、やはり無表情の小雪が投げたものだった。

 小雪は訝しげに目を細め、優と美月を交互に見つめると、すぐに二人の元に歩み寄って行く。


「───姫様、おかえりなさいませ。すぐさまそやつの小汚い手をお離しください」

「本当に口が悪いな。そして突然の攻撃とは、失礼にも程がある」

「僕は姫様に触れるお前の無礼を指摘した」

「じゃあ、俺はお前の他人に対しての無礼を指摘しよう」


 優と小雪との間に火花が飛び散り、今にも怒りが爆発しそうな二人を余所に、美月は小桜と談笑し始める。


「姫様、お弁当どうでした?健康に良い食材ばっかりでしたでしょう?」

「すごく美味しかった。さすが、小桜は料理上手ね」


 美月に褒めてもらえたことが余程嬉しかったのか小桜は頬を染めて微笑んだ。

 すぐ隣で修羅場が始まっても気に留めない。美月は結構な能天気者なのかもしれない。というより、何が起こってるのか理解できないのかもしれない。


 やがて外の騒がしさに気づき、師走が出てくる。

 優と小雪の争いを見て頭を抱え始める。


「はあ……。弥生と皐月の喧嘩が終わったと思えば……」

「師走様、こんにちは。……またあの二人喧嘩したんですね」


 いつものことなので気にしたら負けなのだが、あの二人ももう少し仲良くしてもらいたいものだ。

 卯月が亡くなり、実は相当悲しんでいるのだが、それを紛らわすためにもわざと騒々しくしている様にも見えるのだが………。


「姫様、さあもうすぐ日も暮れるでしょう。疾風たちが迎えに来ます」

「疾風………?」


 その名前に反応したのは小桜と小雪だった。

 疾風というのは、昨日訪ねてきた忍のうちの一人なのだろう。小桜と小雪と繋がりがある可能性も高い。

 美月は動揺している双子小鬼を横目で見つめながら一人納得していた。



……………………


 月火神社の奥にある、鬼たちの住処。

 弥生はそこで師走の手伝いをする巫女なのだが、皐月の怠け者っぷりには聞いて呆れる。

 鬼神一の力持ちである皐月こそ、仕事をするべきなのだが。


 夕暮れに差し掛かり、もうすぐ竜宮からの使いが、迎えに来る。

 それまでに仕事を終わらせなければ。


「皐月ー、少しは手伝ってよ!」


 廊下で怒鳴り散らす。だが、いつもの生意気な言い訳は帰って来なかった。

 不思議に思って、皐月が居るであろう部屋を覗いてみた。

 やはり、ちゃんとそこにいるのだが。


 皐月は卯月に渡したはずの簪を見つめたまま、じっとそこに座っていた。


 その背中があまりにも寂しそうで声をかけづらい。


「………」


 部屋に入るのに躊躇するも、思い切って一歩踏み出し、皐月に歩み寄った。


「───いってぇ!!」


 弥生は皐月の背中に平手打ちした。


「弥生、何しやがる!」


 見上げれば、弥生の引き攣った表情が目に入った。

 握りしめている拳は震え、何かを押さえつけるように唇を噛み締めている。


「弥生……?」

「この馬鹿!意気地なし!阿呆!」

「は…?いきなり何を………」

「お前がそんなだから………。…………。………もっと気を張ってよ!」


 弥生は何か言おうと口を開きかけるが、躊躇い、結局は全く違う事を言ってしまった。

 本当は、『元気出せ』ぐらいは言ってやりたかった。

 そして、その情けない背中を蹴り飛ばして『立ち上がれ』ぐらい言って、スッキリさせたかった。


 卯月を失った悲しみは、弥生の中でも大きかった。

 もちろん、皐月の方が卯月といた時間が長いのはわかっていた。それでも、なよなよした皐月なんて、皐月らしくなくて、居心地が悪い。


 ぽかんとした皐月など、お構いなしに弥生はそっぽ向くと仕事の続きに取り掛かることにした。


 部屋を出て行こうと背を向けたとき、


「弥生、ありがとな」


 思ってもみなかった、皐月の静かであたたかな声が弥生の足を止めた。


 振り返ることもなく、弥生はその部屋からたち去った。


「弥生様、お邪魔致します」

「お、小桜、小雪ー!」


 部屋を出たところで、早速美月たちが訪ねてくる。

 今夜だ。今夜が竜宮に行く日だ。


 美月の、兄に会う日。

 前世の頃の記憶には、兄と遊んだ思い出が薄っすらと残っているだけだった。


……………………


 月が浮かび上がり、闇に星が疎らに散っている。

 師走は縁側で疾風を待っていた。


「……竜宮に簡単に行くことができるでしょうか」


 師走の呟きと共に、獣霊の白狼が姿を現した。

 白狼へと視線を移し、師走は頷いた。


「ああ、来たんですね」


………


 昨日美月の元を訪ねてきた忍の二人が月火神社の庭に姿を現した。


「竜宮へ向かわれるのはこの方々ですね」


 美月たちの面々を確認し、男の方が穏やかな口調で言った。


 小桜と小雪は、その忍をまじまじと見つめていた。

 他の忍を滅多に見かけないので珍しいのだろうか。いや、もっと深い意味がある気がする。

 美月は双子を横目で見つめながら考えた。


「よろしいですか、疾風」


 忍のことを疾風と呼んだ師走は訝しげな視線を相手に向けながら落ち着いた口調で問う。


「竜宮は安易に入れるような場所ではないですよね」


 疾風は目を細めた。


「流石………。師走には誰も叶わんな」

「竜宮は睦月様のご配下にあるのです。専属護衛である私が知っていて当然です」


 呆れたように溜息をつく師走の様子を見る限り、疾風とは気軽に話せる仲なのだろう。


「………そう簡単に入れないのか?」


 心配そうに皐月が疾風に向けて問いかける。

 その一言で、その場にいる全員の体が強張った。


「ご安心を。お心を強く持ってくだされば、何もありません。お心に闇を抱えてらっしゃる方は、最初の門で足を止められるでしょう」


「………闇?」


 疾風の言葉に反応したのは、美月だった。


「怒り、苦しみ、悲しみなどの、負の感情を抱かれている方は、竜宮の門で必ず足を止めてしまいます。酷いときは、気絶をなさった方も」


 そんなこと何故早く言ってくれなかったのだろうか。


 だが、そこで美月は目を見開き、弥生と皐月に視線を移した。

 案の定、二人はそれぞれ不安げな顔をしている。


 二人が大切に思っていた、卯月が亡くなったのはつい最近だ。

 卯月を失った苦しみ、悲しみ。卯月の命を奪った雪女への怒り。

 弥生と皐月は全ての条件を達していた。


「姫様」


 凛とした声が響いた。

 疾風の後ろで控えていた、くノ一が美月を真っ直ぐに見つめていた。


「水無月様が、姫様は特に注意するように、と」

「私…………?」


 何故、よりによって美月なのだろうか。


「どうか、竜宮門ではお気をつけてください」

「………わかった」


 とにかく、兄が言うのなら、その通りなのかもしれない。

 美月はくノ一の忠告に頷いた。


「では、参りましょう」


 疾風とくノ一の後を追って鬼たちは神社を後にした。


…………


 随分と山奥に向かった所で、池が見えてきた。

 池の透明度は凄まじいもので、水面には、はっきりと月が映っていた。

 水中に見えるは、そこに住む小魚だ。


 疾風は池の中に青く光る小石を投げつける。

 途端、池は青い光を発する。

 その光に目を細める。


「皆様、この中に飛び込めば、竜宮門です。ついてきてください」


 疾風はそう言うと青い輝きを纏う神秘的な池の中に飛び込んだ。

 これほど透明なはずなのに、池を覗けば、そこに疾風の姿はなかった。


 続いて、迷わず飛び込んで行ったのは皐月だった。皐月らしい。

 その次に、好奇心旺盛の弥生が飛び込んだ。

 美月も興味津々だった。

 小桜と小雪と共に、池の中に飛び込んで行った。


 全身を冷たい水が包み込んでいく。




 ──────『汚れし心を流せ』





……………………


 水の中の感覚は一瞬でなくなった。

 目を開けば、そこには真っ白な空間が広がっていた。

 しかし何もない真っ白な空間を彩るのは紅色に輝く彼岸花だった。






『母上、兄様』


 鈴を転がすような声が聞こえ、振り返った。


 赤い着物を纏う、黒髪、小さな二本の角。

 幼少期の文月姫だ。

 文月は同じく黒髪の、落ち着いた風貌の女性と、側にいる少年の元に駆け寄る。


『聞いて、母上、兄様。花をたくさん摘んだの。それで、蝶々を見つけたから、追いかけて……』


『美月、落ち着いてお話し。ちゃんと、聞きますから』


 そうだ。母親である鈴紅が生きているのだから、まだ文月は本名である、美月という名を名乗っているのだ。


 ところで、何故こんな場面に遭遇しているのだろう。

 その三人の家族を不思議に思い、見つめていると、突然雨が降った。


 雨は美月の着ている制服を塗らし、肌寒くなっていく。

 背後で啜り泣く声が聞こえ、また振り返った。







 小さな文月と、その兄、水無月と思われる少年が、肩を並べ、悲しみに暮れている。

 すぐ目の前には、真っ白な顔で横たわる鈴紅の姿があった。

 そして…………。


「!!!」


 その向かい側には、父親……睦月の姿があった。


 だが、肝心の顔が見えない。


 睦月は俯きながら、子供たちと共に横たわる妻を見つめていた。


(─────これは、母上が亡くなったときの……)


 呆然と前世の頃の記憶を見つめていると、胸が締め付けられる感覚に襲われ、上手く呼吸ができなくなる。










『曼珠沙華に選ばれたお前は、今日から文月だ。これからは、自らを文月と名乗って生きていくんだ』


 母を失った文月が、父、睦月を見上げながら静かに話を聞いている。










『兄様、遊びましょう?』


 だが、水無月は布団の中で、妹に詫びる。


『ごめんね、美月。今朝から気分が優れないんだ』




 ────その日から、水無月と外で遊ぶことはなかった。


 水無月の病は悪化した。体の弱さは母親譲りのようだった。

 しかし、時期頭領として選ばれた水無月であるのに、無理をすれば更に悪化するだろう。


 文月は悩んだ。悩んで悩んで……。

 病弱な兄のために。優しい兄のために、全てを捨て去る覚悟を持った。


『父上』


 文月は、久し振りに訪ねてきた睦月を見据え、はっきりとした、口調でこう言った。


『私が、兄様の代わりになります。私が、頭領になります!』











 水無月がするべきだった多くのことは、全て妹の文月が受け継いだ。

 そのおかげで、水無月は治療に専念した。

 やがて、水無月は病を清めるのに良い環境だと言われる、竜宮へと移された。


『寂しい』


 呟いたのは、小さな文月だった。

 まだあんなにも幼い鬼は、全てを背負うことになってしまった。その上、大切な者たちは誰もいなくなってしまった。

 孤独を味わうこととなった。






 





 穏やかに、寂しげに流れていった文月の記憶を見届けていた。

 だが、突然その空間は炎に包まれる。

 周りに静かに咲いていた彼岸花は熱さに耐えられずに焼け焦げ、散っていった。


「!」


 そこには、文月に刃を突きつける夕霧の姿があった。


「やめ、て………」


 燃え盛る屋敷。

 父と、母と、兄と過ごした懐かしい屋敷は炎に包まれ、消えていく。


 文月は、最愛の人に殺される最後の瞬間まで、


────なぜか微笑んでいた。


 ああ、思い出した。

 その笑みは文月の、己の人生への嘲笑と、最愛の人の手によって幕を閉じることへの喜びを意味していた。


────『汚れし心を流せ』


 声が美月の頭の中へと響いた。

 心が汚れていると言いたいのか。


「やめて………。ふざけるな……』


────『見ろ』


 ついに声は直接命令し始める。


 己の血溜まりの中に倒れ込む文月は涙を流していた。


 彼女を冷たい目で見つめる夕霧。


「こんなもの…見てどうするの………。私は………」


『──孤独だ』


「………!」


 その声は、美月自身の声だった。






 燃え盛る炎の音は、ピタリと止んだ。

 あの豪炎も、夕霧も、文月もどこにもいない。


 また、空白が目の前に広がっていた。




『おとーさんと、おかーさんは、ずっと一緒にいてくれる?』


 幼少期の文月と同じ声が聞こえ、振り返った。

 だが、そこにいたのは文月ではない。生まれ変わった幼少期の美月だった。

 髪の色は違えど、その容姿は前世と何ら変わりはなかった。


『おとーさんと、おかーさんは、ずっとみつきと一緒にいてくれる?』


 何を思って、あんなことを言ったのだろう。

 まるで、前世で味わった孤独を恐れるかのように、小さな美月は両脇にいる両親に何度も問う。


『一緒にいるよ』

『どうしたの美月。お父さんとお母さんが一緒にいないときなんて、ないでしょ?』


 その答えに満足した美月は、にこやかに笑った。


 美月は、心臓を掴まれるような感覚に襲われ、息をつまらせた。


 親子は仲睦まじく、並んで歩いている。

 家族全員で、仲良く手を繋いで………。それは文月姫の望んだ光景だった。


 そして、十六夜一家はある交差点に差しかかる。


「やめて………お願いだから………」


 親子の視線の先にいる人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている。


 大型トラックが暴走している。


 小さな美月は、目の前の光景に理解できずに立ち尽くしている。

 そんな美月を庇うように母親が抱きしめた。

 そして、父親が二人を守った。


 トラックが、親子へと突っ込んで行った。


 引きずられる音が聞こえる。

 目の前が赤い。


 まだ幼い美月は困惑した様子で周りを見回している。

 自分を包む、赤い塊に首を傾げている。

 気づけば、そのふっくらとした頬にも、べっとりと赤いものが貼り付いている。


 自分を包むような形の赤いもの。

 片方はレンズが割れて、折れ曲がった眼鏡がついている。もう片方は花の髪飾りがついている。

 なんだろう、これは。と小さな美月は自分を包む二つの塊を見つめ、ようやく真実に気づき、驚愕する。


「あ、あぁ……」


 足に力が入らずに、その場にへたり、と座り込んだ。

 美月は幼少期のトラウマに怯えた。


 あの小さな美月を包んでいる赤い塊は、


─────美月を庇ってトラックに引きずられた両親だった。







───『姫は母を失った』


───『姫は兄を奪われた』


───『姫は愛する人に殺された』


───『姫は生まれ変わっても、孤独になった』





 美月の耳元で、無機質な声が次々と聞こえていた。

 そして、打ちひしがれる美月を嘲笑うかのように声は続けた。




─────『可哀想』





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