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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第一章 『月火神社編」
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【第一章】その人優先

「いっ………!」


 冷たい地面に放り投げられ美月は右半身を強打する。鈍い痛みがじわじわと体中に広がってくる。かなり上から落とされたのだと思う。

 起き上がろうにも痛みに気を取られ、体を上手く動かせない。


「さて、と……」


 上から鈴紅の声が聞こえ、体が強張った。今から殺されるのだろうか。

 心臓の音がうるさい。体中が脈打っているようだ。

 体が上手く動かせないが、なんとか目だけ動かして上を見上げると、そこには案の定、鈴紅の顔があった。


「あらごめんなさい、痛かったかしら」


 口元を手で隠して心配そうに顔を覗き込んでくる鈴紅を睨みつける。

 痛い。凄く痛い。今体が痺れていて、動かない。


「───おい」


 低い声がすぐ近くに聞こえた。この声には聞き覚えがある。

 美月は首を巡らせ、後ろを確認するとそこには氷で拘束された桐崎優がいた。


「ほら、母の言う通りでしょう?文月。夕霧もここにいるのよ」

「おい雪女。本当にそいつ連れてきたのか」

「だあって、仲間がいると落ち着いて殺せないもの。だから静かな場所に連れてきたの」


 鈴紅の白く冷たい指の先が美月の頬に触れる。そのあまりの冷たさに肩がビクリと反応した。

 鈴紅はそれさえも愛おしいのか、母親の如く微笑む。


「それに、愛する人に見届けられながら死に行く方が、この子だって寂しくないわよね………」


 何故そんなにも優しい声を出せるのだろうか。卯月を殺した狂気に塗れた女とは思えない。

 桐崎は愛する人という言葉に反応し、眉を顰める。美月は彼のその僅かな動作を見逃さない。


(──愛する人なんて…、そんなこと思っているのは私だけで…)


 途端、胸が締め付けられるような痛みに襲われる。心臓が握り潰されるのではないかと思うくらい。

 涙が出そうになるのを堪え、唇を噛み締める。


 鈴紅が手を翳すとすぐに先端の尖った氷が形成される。

 その先が美月の喉元に向けられる。

 あれが喉に振り下ろされ、皮膚を破り、喉仏に接触し、息がつまり、あっという間に人生が終わるのだろうか。


───こんなに呆気なく終わるのだったら、あの人に、もう一度気持ちを伝えれば良かった。


 月の光を反射し、氷の先が光る。それを瞳に映し、目を見開く。


───死んでしまう。


 美月は間近に迫る死に覚悟し、きつく目を瞑る。


「───待て」


 低い声が鈴紅の手を止める。

 鈴紅は不服そうに声の主を見つめる。


「なんでしょう……?」

「そいつを殺して、俺はどうなる」

「あなたは用済み。私が愛してもいない、どうでもいい人など、殺める必要もないもの」


 娘を殺す行為を途中で邪魔されたことが少し不愉快に思ったのか、鈴紅は苛立たしげに目を細めた。

 美月は眉を顰め、桐崎を見つめる。

 美月を助ける、という考えがないのは初めからわかりきっているとして、桐崎の考えはなかなか読めなかった。


「なあに、それだけ?ならもう良いわよね」

「何か勘違いしてるかもしれないが、俺は前世のように、そいつに惚れてるわけでもない。正直言って、互いにどうでもいい存在だと思ってる」

「それはおかしいわねぇ……」


 鈴紅は桐崎の話に首を傾げ、訝しげに桐崎を睨みつける。


「互いにどうでもいいなんて、嘘……」

「たとえ、その女が俺を想っていようと、俺は何とも思っていない。それなのに、俺の目の前で死ぬのはあまりにも残酷だと思わないか?」

「………………」

「俺の目の前で殺せばそいつが寂しくない?寧ろ逆だね。自分を何とも思っていない人の目の前で死ぬ方がよっぽど酷い」


 桐崎の言い分に鈴紅は眉をピクリと動かし、右足に重心をかけた状態で一人思考を巡らせた。そして時折美月を見下ろす。

 想い人にこんな躊躇ないこと言われ、普通なら、心は折れるだろう。だが、美月には『普通』という言葉が通用しない。


(それでいい。それでいいから、早くその人だけは逃して。これ以上は何も望まないから……)


 美月はじっと鈴紅を見上げる。鈴紅の決断によって、美月の望みが叶う。


「………それで、どうなさるおつもり?」

「これを外して、俺を自由にしろ」


 桐崎の言葉を聞いて、鈴紅は眉間に皺を寄せ、黙り込む。

 桐崎の両手首を大岩の壁に貼り付けている鈴紅の氷は頑丈でピクリとも動かない。

 その氷さえ外せば、桐崎は自由の身となり、鈴紅の元から逃げることができる。


「………確かに、あなたの言う通りかもしれないですわね」


 鈴紅は冷ややかな目線を桐崎に送りながら、暗い声を発した。明らかに怒っている。


「こんな未熟者の見ている前で、愛する娘を殺せない………。良いわ、外しましょう。でも……」


 鈴紅は桐崎の両手首についた氷に触れながら低い声で呟いた。


「私の大事な娘によくもそんな口を聞けたものね。これを外した後、十数える間に私の視界から消えて頂戴な。さもなくば、その目潰して差し上げます」

「ああ、さっさと消えてやる。その女を愛してもいないのに、再びここに戻るわけないだろ」


 その言葉に更に鈴紅の顔が険しくなる。

 鈴紅は桐崎の手首の氷を掴む。そこからじわじわと熱が広がっていくと、高らかな音色と共に氷は砕け散った。


 鈴紅はすぐに桐崎の手首から手を離すと怒りのこもった低い声で、数え始める。


「いーち……にーい………さぁーん………」


 その数え方は現代風に言うとホラー映画のようだ。

 鈴紅はゆっくりと十まで数える。

 その間に、桐崎はさっさと駆け抜けて行く。

 美月は安心しきった顔で逃げて行く彼を見届けた。


──そのとき、桐崎と目が合った。


 桐崎が完全に見えなくなると一気に肩の力が抜ける。これで、彼は助かった。


「十………」


 数えきると鈴紅は余程気に入らなかったようで、桐崎が消えて行った方向を見つめ、怒りのこもった目を細める。

 あの人を追わないで。美月は鈴紅を見上げながらそう強く願う。鈴紅は願ったとおり、桐崎を無視して美月の元へ歩み寄る。


「ごめんなさい、文月。邪魔が入ってしまいました………。でもこれで良いのです。あんな男、愛すべきではない……」


 鈴紅はさっきまでの怒りを忘れたかのように優しい声色で微笑む。

 そして再び氷の刀を美月の喉仏に向けた。

 これで、良い。確かにそうだ。もう、愛してはもらえない。でもこれで、何も気にしなくて済む。前世で味わったあの悲しみをもう一度味わうくらいなら、いっそ…。


「文月、泣いているのね……」


 気づけば、目から大粒の涙が流れ落ちていた。


「大丈夫よ……。母上が、今楽にしてあげますからね。もう、苦しまないで……」


 鈴紅の声が妙に温かい。そして、とても寂しげだった。

 死ねば苦しくなくなる。それは本当なのだろうか。そんなこと、誰が最初に言ったのだろう。

 あの人が、自分を愛してなくたって構わない。この愛が報われなくたって構わない。ただ、あの人がこれから先、幸せになれるのなら、もう何も望まない。


───でも、せめて最後に、愛してると伝えたかった。


 鈴紅の氷の刀が、美月の喉に向かって一気に振り下ろされた。



「…………!!!」



 甲高い音が鳴り響いた。驚いて、辺りを見回せば、美月に狙いを定めていた氷は遠くに弾き飛ばされている。


「やっぱり引っ掛かったなこのばあか」


 見上げれば、鈴紅が握っていた氷の刀を弾き飛ばしたと思われる、刀を握って桐崎が立っていた。


「──何故戻ってきた……!!」


 どすの聞いた声で鈴紅は桐崎を睨みつけながら問うと桐崎は呆れたように笑って答えた。


「こうでもしないとお前にすきができないからな。それに、お前は思考力が劣っているようだ。他者を疑う力が欠けている」

「………………おのれ、夕霧っ!!」


 鈴紅は氷で長い刀を作り上げると桐崎に向けて構えた。桐崎も戦闘に備え、構える。

 鈴紅が地を蹴ったのを合図に、戦闘が始まった。

 それを見つめながら美月は動かぬ体を何とか引きずりながら起こしてみる。一体どれ程の高さから落とされたのだろう。右半身からじんじんと痺れている。

 刀の交わる音が耳に届く。恐らくどちらも引かない。鈴紅と桐崎の刀の腕は同等なのだろう。だが、もし鈴紅が妖術を使えば桐崎の身も危うい。

 美月は体を起こすのに集中する。


「なぜそこまでしてあいつを殺したがる?」

「私が殺さねば、娘を救えないのです…!」


 桐崎の問いに苛立たしげに答えると鈴紅は桐崎の刀を氷の刀で払い、横腹を狙う。

 氷の刀で横腹を斬りつけられ、桐崎は痛みに顔を歪めると一度距離を取って鈴紅を見据える。

 どうもこの手応えは見覚えのある。真っ先に思い浮かんだのは、前世で文月と特訓した時のこと。まだ刀の腕も未熟で毎日文月に刀を払われていた。

 文月の刀を取ったのが、青年となった頃。


──母娘似ている。


「お手が止まってますよ………!!」


 鈴紅が氷の刀を構え、駆けてくる。

 桐崎はその動きをしっかりと目で捉え、刀を握り締める。


「っ……!」


 刀を振るい、鈴紅の持っている氷の刀を振り払った。

 鈴紅はハッとして自らの手を確認する。その手には既に武器を持っていなかった。


「じゃあな!」

「あっう………!!!」


 上から下へ、鈴紅をばっさりと切り捨てる。

 鈴紅は短い悲鳴を上げて、そのまま膝から崩れ落ちる。

 うつ伏せに倒れた鈴紅からは血が流れ、それが、鈴紅を撃ったのだと知らされる。

 動かなくなった鈴紅を確認し、桐崎は美月の元へ駆け寄った。


「十六夜!」


 手を差し伸べられると美月は戸惑いがちにその手を握った。


「どうして…」

「そりゃ、女一人置いて逃げるほど俺は未熟者ではないんでね」


 桐崎はムッとした表情で美月を見つめた。

 美月の胸の奥から、一気に熱くなっていく。手の温もりを感じ、美月は安堵した。


「………………」

「………………」


 会話が続く訳ない。

 桐崎は美月から目をそらし、奥へと続く道を見据える。


「早く帰るぞ」


 桐崎の言葉に頷き、美月が未だ痛む足を一歩踏み出して、ふと気配に気付き、振り返った。


「………………!」


 突然のことだった。美月に突き飛ばされ桐崎は倒れ込んだ。

 視界いっぱいに紅が飛び散る。

 倒れ込む美月を腕で受け止め、桐崎は目を見開いた。


「な……ん…で……」


 たった今、斬り倒したはずの相手は、恐らく新しく作った氷の刀を持って微笑んでいた。


「……やっと、殺せた…」


 桐崎の腕の中で、美月はぐったりとしている。腕が情けなくぶらりと垂れ、服は血で赤く染まっている。

 血の気の失せた白い顔はまるで死人のようだ。


「ふふ……ふふふふふふふふ!!」


 不気味な笑いを浮かべる鈴紅を取り囲むように大きな吹雪が起こる。

 その激しい大風に吹き飛ばされまいと美月を抱えながら踏ん張った。

 やがて吹雪が収まると、目的を終えた鈴紅の姿はいつの間にか消えていた。


「おい、十六夜!おい!」


 何度呼びかけても美月は目を覚ます気配が全くない。

 焦りと不安が桐崎の心を揺さぶった。


「文…月………」


 桐崎は夕霧として、その名を呼んだ。

 それでもやはり彼女は起きない。


「文月……。文月、文月………!」


 ああ、今となって思い出した。あの丘の上。彼女の笑顔。彼女に渡した小さな鈴。何もかも、全て。

 愛する人を、思い出した。


「──死なないで…死なないでくれ…」


 狼狽える暇なんてない。一刻も早く彼女をあの鬼神たちの元へ連れて行かなくては。

 桐崎は血塗れの美月を抱え、この見知らぬ林の中を全速力で駆け抜けて行った。



………………………………………………………………


「師走!姫は……!」


 ようやく戻ってきた師走に駆け寄り皐月は焦りを含んだ声で問うと、師走は首を横に振った。

 皐月は眉を顰める。卯月を殺し、今度は自分たちの姫も殺めようと目論む、鈴紅。

 幼い頃、彼女に良くしてもらっていた記憶があるが、今は憎いとしか思えない。


「先代文月だろうと雪女であろうと関係ない………あの女はこの俺が……」

「皐月」


 自らの拳を握り締める皐月を、師走が低い声で引き止める。


「わかってるよ、師走…。だが…!」

「あなたまで傷ついては、意味がない」


 師走は皐月の言葉を遮る。皐月は悔しげに唇を噛むと拳を下ろした。





 そんなやり取りと中で見ていた弥生は眉を顰め、卯月の冷たい手を握り締めた。


「卯月様…。あのままでは皐月もいつか壊れてしまう……」


 後ろで控えていた小桜と小雪は落ち着かぬ様子で外をチラチラと何度も確認する。

 姫は無事だろうか。鈴紅に酷いことをされていないだろうか。

 本当は今にも飛び出して探し出したい気分だ。だが、この辺で鈴紅と鉢合わせすれば厄介なことになる。

 どうすれば助け出せるのだろう。


「小桜、小雪、大丈夫?」


 弥生は首を傾げ、心配そうに双子の顔を覗き込む。

 本当は全然大丈夫ではない。だが、ぎこちなく首を縦に振る。

 弥生は肩をすくめた。


…………………………………………………………………



 美月を抱え、桐崎はこれまでにないほどの速さで駆け出す。早く神社に到着しなければ、美月は死ぬ。


(───俺を庇ったから…)


 前世でも、自分のせいで文月は死んだ。今回も……。

 桐崎は木の枝が皮膚に刺さろうと、視界を遮ろうと構うことなく駆け抜けて行く。


「…………ゆ…ぅ…………」


 か細く、弱々しい声が聞こえ、桐崎は驚いて腕の中を見る。

 美月が少しずつ唇を動かして、何か喋っている。

 彼女が生きていることに心の奥底から安堵した。


「ぁ……」

「何も話すな」

「ぶ…じ……?」

「ああ、俺は無事だ」


 桐崎の答えに美月は安心しきった声で「良かった…」と呟いて、また気を失ってしまった。


「…………おれの心配してる場合かよ!!!」


 明らかに死にかけている美月の方が心配される立場なのに。それななのに、彼女は目を覚めるや否や、桐崎の身を案じた。

 なんで、こんなにも彼女は苦しまなければならないのか。

 彼女を苦しめる原因となったのは、どう考えても、夕霧という存在のせいであるのはわかりきっていた。

 もっと違う形で、二人が出会えていたら、未来は変わっていたのかもしれない。

 今更もうどうしようもない。


 今は、彼女を救うことだけを考える。





 やっと辿り着いた神社に、足を踏み入れ、中へと走り込んで行く。

 桐崎の姿を確認した皐月と師走は目を見開いた。そして、何よりも驚いたのは、桐崎に抱えられた血塗れの美月だった。


「姫!」


 皐月と師走は桐崎の元へ駆け寄る。


「一体……」

「たの……む…」


 桐崎は息も切れ切れでやっとのことで言葉を一つ一つ繋いでいく。


「まだ…生きてるんだ……。はや……く…」

「…………ああ、わかってる」


 皐月は頷く。

 騒ぎを聞きつけ、小桜と小雪が飛び出してくる。


 二人は桐崎に抱きかかえられた血塗れの美月を凝視して、駆け寄った。


「姫様っ!姫様ぁ!!」


 小桜と小雪は美月のぴたりと閉じられた瞼と、腹から流れ落ちるおびただしい量の血を見つめ、顔を歪めた。


「ぅ……」


 桐崎は美月を抱えたまま膝から崩れ落ちる。

 そのまま桐崎も気を失う。見れば、彼も横腹に大きな傷をおっており、体中も小さな傷から大きな傷まで多くある。


「姫様っ…」


 普段の冷静さを欠き、小雪が血相を変えて、血塗れの美月を抱き寄せる。


「二人共運びましょう。皐月、夕霧を連れてきなさい」

「おう」


 皐月は倒れた桐崎を担ぎ、部屋へと運び入れる。

 小雪も美月を抱きかかえ、急いで皐月の後を追う。その隣を小桜が並ぶ。


 …………吹雪が一向にやまない。

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