【第一章】どんな形であっても
小桜と小雪と共にいつもの様に料理して、テーブルに皿を並べていった。
だが、やけに胸がそわそわとして落ち着かなかった。
「姫様、どうかなさったのですか?」
「…! なんでもないよ。さてご飯ご飯!」
微妙な表情の小桜と小雪を促して椅子に座らせた。
今日も上手く料理できたはず。小桜と小雪の方がもしかしたら料理上手いのかもしれないが。
今まさに食べようと手を合わせた時だった。家のインターホンが鳴り、三人で一斉に玄関を見た。
「ちょっと出てくるね」
玄関に向かって、ドアスコープを覗いてみると思わぬ人物に息をつまらせた。急いでドアを開けるとその人物が美月に向かって倒れ込んできた。
「桐崎君、なんでそんなに血だらけなの!?」
応答がないのでますます慌てていると、やっとのことで桐崎は声を絞り出した。
「ごめんな…」
「…えっ」
徐々に弱々しくなっていくその声に全身が小刻みに震えた。
美月の声に駆けつけた小桜と小雪は桐崎を見た途端目を見開き、表情は険しくなる。
「小桜、小雪…お願い。助けて…」
美月の願いに戸惑いながらも行動しない小桜と小雪。だが、どうしても、助けてほしかった。
「お願い…この人を、助けて…!」
血だらけの桐崎の肩を抱きながら、力いっぱいに叫んだ。するとようやく小桜と小雪は桐崎の肩を掴んだ。
三人で桐崎を部屋へと運び、傷の箇所を布で塞いだ。小雪に包帯を巻いてもらい、あとは眠ってもらった。
「ありがとう、小桜、小雪」
「………今回だけです」
相変わらず桐崎に向ける視線は鋭いものだったが、二人のおかげで桐崎の介抱も早まった。
「姫様…安全とは言えません。目が覚めたらそいつにはすぐに出ていってもらいます」
「そんな…! この人は、違うの! 本当に!」
「でもそいつは…!」
──あなたを殺したのに…。
小桜と小雪は眉を顰めた。二人の言いたいこともわかる。だが美月は、桐崎を庇った。今だけは、彼を救いたかった。
「私の、大事な人だから…。お願い、今回だけは許して」
その言葉に小桜は俯きがちだったが小雪は険しい表情のまま、桐崎と美月を見据えた。
小桜は不安を抱えながらも顔を上げた。
「わかりました。今日は面倒を見ることにします。ですが、もしものことがあれば、そいつを即殺します」
「姉さん…!」
小雪は目を見開き、姉に何度も訴える。
「明日まで、そいつをここに置くの!?」
「どうせ傷だらけでこのままでは何もできない」
「それでも…!」
二人の言い合いは続き、不安げに見つめているとようやく収まった
小桜は姉としての威厳を見せ、小雪を連れて寝室から出て行った。二人に申し訳ない気持ちになりつつも、桐崎の側についた。
そして、彼は目を覚ました。
「良かった、どこか痛まない?」
「……十六夜。…………文月」
「……!」
桐崎は痛みに耐えながらも右手を動かし、美月の頬に触れた。
「俺は………ごめん……本当に…」
「何を……」
「お前を裏切った………」
ようやく、夕霧としての記憶を辿りながら桐崎は自分が犯した罪を話した。
命をかけてでも、自分を守ろうとした優しい鬼の命を奪った。挙句の果てに、思い出さえも忘れてしまった。あの日、共に逃げ出せていれば、何かが変わったかもしれないのに。
「私のことは良い…。あなたが無事ならそれで良い…。あなたは何も悪くない」
桐崎の手を握りしめ、涙を流した。文月を殺すためだけに、葉月と長月に利用されたのだ。何も、悪くない。
──だから、思いつめないで。私が、あなたを守るから。
「………俺が、悪いんだ」
暗い声。夕霧の生まれ変わりは心の中で嘆いていた。なぜ、ここにいるのか。どうして彼は生まれてきたのだろう。
朝。昨日からずっと桐崎の傍らにいたのだが、目を覚ますとベッドの上には誰もいなかった。
焦って玄関から飛び出したが彼の姿は既になかった。
「どうして…一人で思いつめるの…」
美月は唇を噛み締め、冷えた朝の空を眺めた。
「姫様…」
玄関から小桜と小雪が顔を覗かせた。
「夕霧は…どこに行ったのですか」
「目覚ましたらいなくなってた…。どうしよう、あんなに怪我してたのに…」
焦っていると小桜と小雪に両手を握られた。
「姫様は、お優しい。どんな者でも助けようと必死になる。だから…心配になります」
小桜の不安げな声。小雪の震える手。二人はどんなに辛い目にあっても、美月のために行動していた。
こんなに良い子たちをおいて逝ったなんて…。そう考えると胸が痛くなる。
「朝は冷えるね…。中に入ろう…」
三人で家に戻った。
今日は休日だ。前だったら、ゆっくり家で過ごしていた。一人が好きだったから。でも…。
「今日、弥生の様子を見に行こう」
「弥生様ですか…。わかりました」
小桜は頭を下げて、支度し始める。
弥生は長月の闇百合の術にかかって以来、以前のように動き回れないらしい。
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月火神社に到着すると、師走が迎えた。
奥の部屋へ向かうとまず、卯月と皐月に会う。
「姫、来て下さったのか」
「うん。弥生は大丈夫?」
「ああ…徐々に回復しつつある」
卯月は美しい微笑みを返す。
「良かった…。弥生に会いに行ってくる」
卯月と皐月に一礼して、弥生が休んでいる部屋へと向かった。
卯月と皐月は美月を見送りながらため息をついた。
「姫も…お可哀想な方だな…。せっかく生まれ変われたというのに、前世同様、命を狙われるなど…」
「皐月、何を言っている。今の姫様には、私どもがついておる」
「…そうだな。それに、他の鬼たちは一体何をしている…」
皐月は眉を顰め、縁側から空を眺める。睦月、如月、葉月、長月はともかく、水無月、神無月、霜月の行方は未だ不明。
葉月、長月の兄弟と違い、文月姫の護衛に貢献するこの三人の鬼さえ見つかれば、美月の安全もより一層確保できる。しかし、なかなか会えないのである。
「皐月、もしも見つからなければ我らが守らなければ。姫様をお守りするのが、我らの使命じゃ」
「守って見せよう。それに、卯月もな」
「調子に乗るでない」
ふい、と卯月は顔を背ける。皐月が卯月を守りたいのは本当だ。
卯月がもし、悲しんでいるのなら、自ら手を差し伸べる。売り買いされていた過去を持つ、二人の約束だ。
「卯月は俺が守る。だから、笑ってくれ」
「………」
卯月は戸惑いがちに、視線を彷徨わせるが、おかしそうに笑みをこぼした。
「お前だったら、任せてやってもよいぞ?」
「おう!」
皐月は笑った。卯月が皐月のことをどう思っているのかわからない。だが皐月は卯月を好いている。
好きな女のためなら、自分の命を投げ出すつもりである。
「弥生、もう苦しくない?」
「はい、姫様ありがとうございます」
弥生は布団で横になっていた体を起こして、美月に笑顔を向けた。
「姫様のおかげで、命を救われました」
弥生は胸の前で拳を握りしめ、微笑んだ。このまま回復も進めば、弥生は無事難を乗り越えるだろう。後ろで控えていた小桜と小雪も顔を見合わせ笑みをこぼした。
「師走様。私たちはこれで」
「おや、もうお帰りですか。お気をつけて」
「はい。失礼します」
美月は頭を下げて、小桜と小雪と共に鳥居をくぐり抜けた。
「…桐崎君は、ちゃんと家に帰ったのかな」
「と、言いますと?」
小桜は首を傾げた。
「すごく怪我も多かったし、まだ狙われてるのかも…」
「そんなに、心配ですか」
小桜はくぐもった声で問いかけた。
「心配だよ…。夕霧は葉月たちに利用されただけ。本当は良い人なの」
まだ双子は納得してくれない。それでも、少しでもわかってほしい。彼は優しくて、良い人。温かい人なんだ。
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時間は過ぎ、夕方になった。家に帰って夕食の準備をしていたときだった。
「…?」
曼珠沙華が赤く輝いている。曼珠沙華が輝くのは何かを知らせているときだ。美月に何かを伝えたがっているのだ。
短刀を手に取ると、誰かが耳元で囁いた様な気がした。
──走って。
走る?困惑して鞘から刀を抜いてみるとそこには桐崎が映った。
思い詰めたような、暗い顔。それに驚愕の表情を浮かべていると小桜が顔を覗いてきた。
「姫様?どうかなさいました?」
「……桐崎君が…」
美月は震える手で曼珠沙華を鞘に仕舞った。
「私、出かけてくる」
「!? 一体、どうなさったのですか!?」
「ごめんね、小桜、小雪!」
「姫様!!」
美月は曼珠沙華を片手に玄関から飛び出した。
学校の屋上。桐崎はいつの間にかここにいた。
この場所はなんだか落ち着く。ここは一体、何なのだろう。どうしてこんなにも安心できるのか。
見渡せば、神社の鳥居が見える。
──見覚えがある場所。
桐崎は目を閉じて息を吸い込んだ。
ここにいる意味を、生まれ変わった意味は何なのか。
「桐崎君!」
その声に驚いて顔を上げた。
走ってきたのか、息を切らした美月が立っていた。
「傷は、大丈夫なの?」
「別に…」
「ぁ……あんなに怪我して……それに……」
顔を背けると美月は眉を顰めた。
あんなに、傷だらけで、ここまで来たなんて…。
「十六夜、もう俺はお前に会わない」
「……」
「わかったんだ。俺と一緒にいたって、お前は幸せにならない。前世でわかっただろ。俺はお前を裏切ったんだ」
「それは…!!」
美月は目を見開き、必死に否定の言葉を探した。
「それは、葉月たちのせいでしょ!? あなたは何も悪くないのに…!」
「何も悪くないわけないだろ!」
突然の怒鳴り声にびくりと肩を震わせた。
「お前を殺したのは事実。それに、この間お前を神社に呼び出したのは、お前を殺すためだったんだ」
あの日だ。桐崎に呼び出されて神社に来てみれば黄泉の国に引き込まれ、物の怪に襲われた。あの時は小桜と小雪もいて、曼珠沙華の力を使えることができたから難を逃れることができた。
あれは桐崎の罠だったのか。
「俺はもうお前に会わない」
俯いた桐崎の元へ、美月は歩み寄った。
「どうして…当時の私は、人を、命をたくさん奪ってたから。すごく苦しかった。誰も助けてくれなくて…。でも、あなただけは、私を励ましてくれた。なのに…」
「そんなもの…」
「あなたは私に、笑うことを教えてくれた。嬉しいって気持ちを教えてくれた。楽しいことをたくさん教えてくれた」
桐崎は唇を噛んで、首を振った。
「それでも…、結果的にはお前を傷つけることになった…!」
「あなたは私を救ってくれた。あなただけが。生まれ変わった今でも、私を救うためにこんなことを言うのでしょ?」
桐崎は尚も首を振るが、美月は微笑んだ。
「あの日の夜。あなたが私に刀を向けたとき、私は覚悟を決めた。受け入れられた。私を殺してくれるのが、あなただったから」
「俺はお前が……嫌いだ」
「あなたが私を嫌っても。私はあなたを守ってみせる。今度は私があなたを救うから。だから……泣かないで」
桐崎は声も出さずに、静かに涙を流していた。
「どんな形であっても構わない。──あなたに会いたかった」
桐崎の拳が震えた。どう説得すれば美月は諦めてくれるのだろうか。彼女の性格は不思議なものだ。いつだって他人優先である。
「諦めろ。俺はお前のことをなんとも思ってない。………ただ、これ以上、人を傷つけたくないだけだ」
美月はその言葉に動じることなく、真っ直ぐ桐崎を見つめた。
わかってた。なんとも思ってないことぐらい。あなたは優しいから、わざとこんなことを言うんだ。
「あなたとの時間が、また振り出しに戻ったとしても。私は後悔しない。ありがとう、桐崎君」
微笑んだ。精一杯。美月の笑みを見つめたまま、桐崎は眉を顰めた。
「この場所、なつかしいね」
突然切り出された言葉に、桐崎は違和感を覚えた。
「覚えてない? ほら、そこに月火神社があって、夕日があって…」
見渡してみた。なんだか見覚えのある風景。
「ここは、文月と夕霧が出会った丘。屋上が丁度、その場所だったんだよ」
美月は両手でその場を示した。
「鈴をくれたのもこの場所だった。ごめんね、もう見つからないの」
少し寂しげな微笑みを、桐崎に向けた。耐えられなかった。桐崎と、上手くいく気がしない。それでも、彼を救いたいと思うのはいけないことだろうか。
「無茶をしないでね。心配かけないでね。………また、会おうね」
美月は、まるで会うのが最後になるような予感に密かに怯えながらも、最後まで笑顔を崩さず、彼に背を向けた。
屋上を去った美月を追いかけられなかった桐崎は、俯いた。最後の最後まで笑って耐えた美月に対しての桐崎は、自分の無責任さに悔やんだ。