【第一章】闇百合
「真か、皐月……」
「ああ、お前たちに従おう。それで良いのだろう?」
皐月を見下ろし、訝しげに目を細める長月。
すんなり言うことを聞いた皐月に違和感を感じたのか長月は警戒を怠らず、弥生を簡単には離さない。
「皐月……」
「卯月、俺を信じてくれるか」
皐月の意味有りげな呟きに卯月は目を見開く。弥生も皐月の答えに混乱している。
卯月は何かに気づき、すぐに皐月の問いに頷いた。
「それで、良いのだな」
未だ警戒している長月に、皐月は首を縦に降る。
緊迫した空気の中、弥生は息を吸うことさえ忘れ、何を考えているのかわからない皐月へと視線を向けている。
「…まあ良いだろう」
長月は弥生を鎖で引っ張りながら、卯月と皐月から視線を外した。
「───時間稼ぎ完了か」
皐月の呟きを合図に長月の目の前に眩い光が差し込む。
「……!」
「おらよっ! このばぁか!!!」
皐月は片手で引き抜いた木を長月に向かって投げつける。長月がそれを避けた瞬間、鎖にぶち当たり引き千切れる。
「…!」
その衝撃で弥生は体制が崩れる。
弥生を再び捕えようと手を伸ばすも、今度は長月が立つ木の幹に衝撃があり、大木ごと倒れていく。その先に待っていたのは突然現れた眩い光。
「長月、その光を直で見ると両の目が潰れるぞ。時間をかけて強い光を生み出したのだ」
「昔、この方法で卯月と難を逃れたことがあったんでな」
卯月は椿歌を指で掲げながら微笑む。皐月もおかしそうに喉をクツクツと鳴らす。
長月を油断させ、僅かな時間を稼ぎ、卯月の椿歌に力を溜める。そのおかげで長い時間力をため続けた椿歌はとんでもない威力を持つ光を生み出した。
「弥生来い。私の近くにいれば、光の影響を受けない」
「貴様らっ…!」
眩しすぎる光に顔を歪め、目を背けながら長月は標的に向かって鎖を振る。
地面が叩き割れる音。巻き起こる砂嵐と煙を払い、目の前を見据えるが、既にあの三人と眩い光は見当たらない。
「畜生…!!」
長月は地面を強く踏みつけ、穴を空け、衝撃で土が飛び散る。
(これほど不愉快なものはない………)
長月は鎖を構えたまままっすぐ走り出した。
………………………………………………………………………………………………………
「……!」
突然地面が激しく揺れ、美月、小桜、小雪は眉を顰める。
やがて、少し離れた所で白い光が林を包んでいる。
(卯月様の椿歌…近くにいる!!)
小桜と小雪は互いに顔を見合わせ頷くと足を速める。
「────見つけた」
小雪に向かって刀が振り下ろされる。それを避け、小雪は現れた敵を睨みつける。
「しつこいです夕霧…!!」
痺れを切らし怒鳴る小桜。
刀を片手に静かに着地する桐崎は小雪に抱えられた美月を見据える。
刀を握りしめ、一歩ずつ近寄る桐崎を警戒しながら小雪も一歩ずつ後退する。
「…小雪、降ろして」
美月の言葉に耳を傾けず、小雪は一層手に力を込める。
「小雪…!」
「………いやだ」
やっと絞り出された声は酷く苦しげだった。
「側を離れたりなんかしない。約束するから、降ろして…」
美月の真剣な目を小雪は難しい表情でようやく頷く。
「主の命令は絶対。でも、僕から離れたら許しません」
小雪の約束に頷き、美月は地に足をつく。
小桜は腰を低くし、桐崎を睨みつけながら次の行動を読み取られないように無表情となる。
そのときの小桜は当然ながら、普段の小雪とそっくりだ。
「文月、お前に聞きたいことがある」
小雪は警戒を強め、美月を庇うようにして前に進み出る。
ゆっくりと近づきながら桐崎はどうしてもわからないとでも言いたげな表情を向ける。
「お前が死ぬ前、俺に言った言葉を覚えてるか……」
記憶を遡っていく。
最期に、あの人に告げた。あの人にしか聞こえないように、意識が朦朧とするあの中で確かに告げた言葉。
──『あいしてる』。
悲しい。とても悲しい。言葉だけ伝えられても、気持ちだけは何も届かず、何も残らない。
それは酷く無様で滑稽で後悔の残る、でもやっと伝えられた解放感に浸るのに十分な最期だった。
「答えろ。なぜ、最期にあんな…」
「───本当のことだから」
まだ美月の中に残ってる。ちゃんと覚えてる。あの時の後悔と悲しみ。ただ、一つ嬉しかったことは、
──今でも夕霧が、あの言葉を覚えてくれているということ。
それだけ。それだけで嬉しいはずなのに…。
「どうして、私のことを覚えてないの?」
「何を言っている?覚えている、お前が多くの命を奪ってきた鬼だということをな」
「……なんで、なんで覚えてないの」
体が僅かに震える。小雪は美月が激しく動揺していることをすぐに感じ取った。
大切な人を傷つけた夕霧。小雪は怒りに燃えた目で桐崎を見つめる。
「文月。何の話か俺にはわからない。お前のことなど、何も知らん。───あの夜、『初めて』お前に会った」
その言葉は美月の、文月の心を深く切り刻み、深い傷跡を残した。
「………」
赤い光が灯る。
美月の手に、短刀が握られている。
「なぜ、何も覚えていない………。なぜ? 夕霧……夕霧…!」
美月の手の震えが短刀へと振動する。
美月の掠れた声と涙は小桜と小雪の心を強く揺さぶった。
「…!」
桐崎の足元にいくつもの手裏剣が突き刺さる。
「寄るな」
小桜の低い声が、桐崎の歩みを止める。
「よくも我が主の心に傷をつけたな…!」
「理不尽な…。何も知らないのにそう責め立てられても困る」
「貴様…本当に覚えてないのか。姫様がお前をどんなに大切に思っているのか…!」
「そんなもの知らぬわ!」
刀を構え地を蹴って突進してくる夕霧の刀を避け、小桜と小雪は心の壊れかけた美月を守る。
『───滅ぼせ』
耳元で、またあの声が聞こえた。自分と同じ声。
この声の主など、わかりきったもの。
(文月……。この声は、前世の私でしょう…?)
美月は眉を顰め、今聞こえた言葉の意味。
文月姫は、かつて愛した人を、曼珠沙華で滅ぼせとでも言いたいのか。いや、そんなはずはない。夕霧を殺すなど、もってのほか。
『──曼珠沙華は、妖術をも滅ぼす。滅ぼせ』
美月は目を見開き、ハッと息を吐いて前を向く。
小桜と小雪が桐崎と戦っている。桐崎は木から木へと飛び乗ってはいくつもの手裏剣を避ける。
双子は短刀を取り出し桐崎の首元へと狙いを定めるがそれを刀で払われる。
「妖術をも、滅ぼす………」
聞こえてきた言葉をもう一度確認するように呟いた。
『────葉月の妖術を解け』
美月は文月の言葉に耳を傾け、曼珠沙華の短刀を鞘から抜く。
(あなたを苦しめたのは、葉月なのね)
鞘から現れた美しい紅色の光を放つ刀、曼珠沙華。
(私を殺すためだけに、夕霧を利用した…)
時を司る鬼神、葉月。恐らく記憶操作など容易いことなのだろう。
その術を夕霧にかけ、夕霧自身の手で文月の命を奪わせた。
──夕霧を利用した。
ふつふつと沸き上がるこの怒りが曼珠沙華に反映する。
「姫様…!」
小桜と小雪が美月の異変に気づく。
美月は目を閉じ、曼珠沙華を構える。桐崎の肩のあたりが赤く光る。
「……っ」
地を蹴って斬りかかる美月の刀を防ぎ、払いのけるも刀の動きが予想以上に速い。
それよりも驚くことに、美月は目を瞑っている。視界を閉じたまま、戦っている。
やっとのことで刀を振り払い、美月を突き飛ばす。
「姫様……!」
標的から飛ばされ少し離れた所で地を踏みしめる。
「──あの夜は、お前に裏切られたことで酷く動揺してし、あっさり命を投げ出してしまった」
美月は目をゆっくりと開く。
全員息を呑む。
小桜と小雪でさえも言葉を失ってしまう。
「今は油断せぬ方が良い。あれは半分以下ほどしか力を出していない──」
その聞き覚えのある口調。
──美月の瞳は、金色に輝いていた。
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皐月たちは長月を撒き、林の中を駆け進んでいく。
「卯月様…っ」
後ろから苦しそうな声が聞こえ、卯月と皐月はすぐに足を止めた。
「弥生、どうした…」
見れば弥生の息が上がっており、長月の鎖、『闇百合』が巻き付いていた首やら手に黒く跡が残っている。
「先程から、体が、特に首が苦しくて…」
顔を歪めながら弥生は咳き込む。卯月は弥生の首を元を見つめて眉を顰めた。
首には鎖が巻き付いていた跡が黒くくっきりと残っている。
「まさか、毒……?」
息がどんどん荒くなる弥生に見兼ね、卯月は辺りを警戒しながら小さな声で皐月に話しかける。
「皐月、弥生を連れて、どこか安全な場所に…」
「その方が良いみたいだな」
皐月は弥生をおぶって卯月と並んで再び走り出す。
「師走は大丈夫だろうか……」
弥生、卯月、皐月の秘密。
月の異名の順番は弥生→卯月→皐月。
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卯月が二人に取り合いされてる感じがしません?