【第一章】蘇りし過去
美月の家まで学校からのプリントを持って行った帰り道、桐崎は誰かの視線を感じ、立ち止まった。
「そこに、いるのか」
鎖の音と共に目の前に長月が現れた。
「兄上からの伝言だ。なぜ文月を殺さない?」
「………」
「お前が手を下さないのであれば、すぐにでも兄上が文月と戦うことになるだろう」
黙り込む桐崎を見て目を細める長月。苛立っている様子がよく伝わってくる。
文月姫の生まれ変わり。彼女を殺せない理由などわからない。本当にわからない。
──だが、彼女の流す涙は、なぜこんなにも胸が痛くなるのだろう。
「長月、聞きたいことがある」
桐崎は美月の苦しむ顔を思い出しながら、このもやもやとしたものを吐き出すことにした。
「…俺と文月は、会ったことがあるのか?」
思いがけない質問に、長月の眉毛がピクリと動いた。
「さあな」
長月は知らないふりをして、どこからともなく現れた鎖と共に闇へと消えた。
静かすぎる森の中では、動物の声が全くと言っていいほどしない。
その元凶である、鬼神が動物の死体を片手に口角を上げた。
「どうした、長月」
闇から現れた弟の名を呼んだ。
「兄上、夕霧が記憶を取り戻しつつある。このままでは…」
「ふん、所詮は人間。記憶を取り戻したとしても、最後は我が刃の餌食」
「しかし、奴が記憶を取り戻せば文月を殺すことが…」
「まさかとは思ったが、夕霧は使えん奴だ。文月を殺す前に完全に記憶を取り戻したりでもしたら、文月もろとも消し去ってくれよう」
葉月は血の匂いで充満した森を見渡し、笑った。
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翌日。学校では、今日も欠席である美月の席を夏海が見つめていた。
(美月どうしちゃったんだろう…)
ふと、美月と隣の席である桐崎が目に入る。
「桐崎君、昨日美月の家に行ったんだよね? どうだった?」
桐崎は頬杖をつきながら横目で夏海を見つめた。
「顔色悪そうだった」
「じゃあ、病気なんだ…」
親友を心配して、俯く夏海。
やっぱり、昨日家に行っておけば良かったな、と少し後悔してもう一度桐崎を見た。
「桐崎君…もしかして美月に何か言った?」
「………」
「…。もし美月に何かしたら許さないからね!」
少し強めの口調で桐崎を叱りつける。親友のために声を張る夏海だが、桐崎は何も答えない。
(──俺のせいなのか…?)
その言葉だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
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「姫様、お茶です」
部屋で勉強する美月の部屋へと入り、小桜は机に湯呑みを置いた。
「ありがとう小桜」
「勉強、頑張ってください」
小桜は両手を胸の前で握りしめた。
本当に優しくしっかり者の小鬼に笑って頷くと本当に嬉しそうに微笑み返された。
「小桜、一つ頼んでも?」
「はい、何なりと」
「外に出ても、良いかな……??」
美月が苦笑いで自信なさそうな声で頼み込むと小桜が目を見開き、ぶんぶんと首を振った。
「絶対の絶対の絶対に、だめです!」
「でも今授業中だから桐崎君は外にいないと思うんだけど…」
それを言うと小桜はますます拳を震わせた。
「姫様、お外は危険なんです!」
「でも、さっき何なりとって…」
「うっ…」
すきを突かれ、小桜は言葉をつまらせた。だが、すぐに眉を顰めて美月を止めようと言葉を紡いだ。
「たとえ……私が許したとしても、小雪が絶対に許しません」
「小桜は姉でしょ?」
「そう、ですけど……。とにかく小雪は断固拒否します」
昨日のこともあり、双子の警戒はより一層強まるばかりであった。
特に小雪は、前世からの想い人である美月を守るために必死になるだろう。外へなんて一歩も近づけさせないつもりである。
それを理解している小桜は美月を止め続けた。
「わかったよ、じゃあ、小雪に頼む」
「姫様ぁ………」
げんなりとなる小桜。美月は立ち上がり部屋から出た。
リビングに向かうと小雪が椅子の上に正座し、お気に入りのポテトチップスを食べていた。
「小雪」
美月は小雪の元へと歩み寄ると早速頼み込んだ。
「外、出て良い?」
「………何しにですか」
「ちょっと……コンビニに…」
「駄目ですね。何を考えていらっしゃるんですかどうかしてるんじゃないんですか」
即答、しかも口が悪い。毒気のある小雪の言い方に圧倒されつつも負けじと美月は両手合わせて頼み込む。
「文房具買わないといけないの。この近くにはコンビニにしか売ってないし…」
「師走様の所かと思ったのですが。外に出れば、どんな危険があるのか理解できてないのでは?」
小雪は鋭い目つきで美月を見上げ、更に厳しく言葉を重ねた。それに少し怯む。
側で心配そうに小桜が様子を見ている。
美月は観念したように息を吐いた。
「じゃあ、師走様のところなら良いの?」
小雪はじっと考えたあと呟いた。
「…そこなら安全ですから」
「なら、そこまで行こう」
美月が頼むと小雪はようやく承諾した。まだ何か言いたげだったが、肩を落として小雪は大人しくなる。
成り行きを見守っていた小桜も安心したようにホッと息を吐いた。
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「姫様ー!」
神社の鳥居をくぐると師走の手伝いをしていた弥生と卯月がいた。
弥生は嬉しそうに笑うと美月の元へと駆け寄る。
「弥生、お手伝いなんて偉いね」
「ありがとうございます!」
弥生はペコリと頭を下げた。
卯月はそんな弥生を見て口元を手で隠し、クスクスと笑った。
「弥生も、まだ幼いの」
「そんなー…卯月様…」
弥生は眉を顰めて振り返った。皐月に言われるとたいそう怒るが、卯月に言われるとショックを受けるようだった。
「弥生、姫様にお茶を」
師走が目配せして弥生に頼むと弥生はすぐに奥にあるいつもの部屋へと走っていく。
「師走様、頼みがありまして…」
「頼み、ですか」
美月が苦笑いしてしどろもどろに切り出した。
「文房具、とかがあったらいただけませんか?」
文房具…と呟き考え込む師走。
「ああ、確か、鉛筆ならありましたけど…それでよろしかったでしょうか?」
「はい!十分です、ありがとうございます!」
美月は目を見開き頷いた。
「小桜と小雪でしょう」
「はい、すっかり外出禁止で…」
「あの二人はあなたのことを何よりも大切に思っていますからね」
師走と共に古い物置を訪れると新品の鉛筆、十本入りの箱を師走が取り出した。
それを会釈して受け取った。
「姫様は、聞きましたか?あの子達は鬼と人の間に生まれた、つまり半妖であることを」
「はい…。あのとき、人しか立ち寄れない黄泉の国に、鬼である二人が入ってきて勘付きました」
師走は少し寂しげに笑う。
「小桜と小雪は、本当に良い子たちです」
その悲しげな声に美月は首を傾げた。
そして語られる予想外の真実に美月は戸惑いを見せた。
「小桜と小雪の母親は、人間です。二人が幼いときに、母親は亡くなられたそうで」
小桜と小雪の声が聞こえた。外で小桜がなにやら小雪を叱っているようだ。
いつものことだが、なんだか今日はとても悲しく思う。
「まだ右も左もわからない、幼い二人は必死に自分たちだけで生きていました。そんな二人を、文月姫が拾ったのです」
美月は目を見開いた。前世の自分のことをよく知らない美月。
双子との出会いを今初めて聞いた。
「あの、師走様。二人の父親は、鬼なんですよね?一体、どこにいるのですか?」
母親が人間でも、父親は鬼。ならば、どこかにいるはずなのだが。
師走はフッと笑った。そして懐かしむように目を閉じた。
「二人の父親は、今も生きておりますよ。百年前くらいに会いました。鬼族の中でも神秘的な鬼です」
驚いた。師走は小桜と小雪の父親のことを知っていた。
「……二人はお父さんに会いたいのかな」
「考える間もなく、いつか、二人が父親に会う日がやってくるはずです。さあ、そろそろ戻らなければ二人が心配します」
美月は頷いて師走と共に物置を後にした。
小雪の秘密。
ポテトチップスにハマった。