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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第一章 『月火神社編」
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【第一章】文月の後悔

「なあ文月。お前が好きなものはなんだ?」


 突如夕霧が持ちかけた話題に文月は首を傾げる。


「そんなものを聞いてどうする」

「もちろん、お前を笑わせるためだ」


 夕霧は愉快そうに答える。文月は異様な物を見るような目を夕霧に向ける。


「言っただろう。俺は文月を笑わせるとな」


 この間言ったあの言葉は本気だったようだ。文月は少し、考えて静かに答えた。


「………父上」


 答えたものが悪かったのか、夕霧は眉をひそめて難しそうな表情で考え込む。


「父上って…鬼神の頭領か?俺はそんなもの用意できん」


 やはりか。まあ、わかっていたことだ。俯く文月を見て、夕霧は更に考え込んだ。

 そんなに、笑わせたいのだろうか。文月は隣で必死にうんうんと唸っている夕霧を横目で見つめて、不思議そうに目を丸くする。


「すまないが、お前の父君以外にはないのか?」


 そんなこと言われても困る、文月は父以外に、自分が求めるものなど見当たらない。

 だが、ひとつだけ。心当たりがあるにはある。どうせ教えたって無駄だろうけどと、おもむろに呟いた。


「母上……」

「同じことだろう…」

「母上の鈴を……」


 文月の静かな声に、夕霧は少しだけ目を見開いて文月に視線を向ける。


「亡き母は、私にこの曼珠沙華だけを託して逝ってしまった。私の中にある母上の記憶と言えば、母上の鈴の音だ」


 曼珠沙華を握りしめて、文月は悲しげに俯く。

 母との記憶があまりない。幼い頃に逝ってしまった母の顔がもう思い出せない。あれほど大好きだったはずなのに。

 お前も母がいないのかと夕霧が驚いたように問いかければ、文月はゆっくりと頷いた。すると、夕霧は悲しげに微笑んだ。


「俺の母は行方がわからない。生きているのか、死んでいるのか…何もわからない」


 奇遇だ。二人は母がいない。そして、父を誰よりも慕う。

 だが、ひとつだけ違うことがある。



「夕霧、お前には兄弟がたくさんいるのだろう…」

「ああ。俺が長男だ」

「家族を大事にしろよ……」

「………」


 文月には、家族が側にいない。屋敷でずっと、孤独に過ごしてきた。

 だが、今では夕霧と話すことがいつの間にか唯一の楽しみとなっていた。








 文月はいつものように屋敷を抜け出して、夕霧と会うため、あの丘へと向かう。

 夕霧は一人でまた素振りをしていた。彼を見て、ふと不安になった。夕霧は人間だ。更に鬼の天敵である、霧の部族の次期頭領である。そして、文月は鬼神族の次期頭領である。

 この敵同士であるふたりが、こうして会っていて大丈夫なのだろうか。今更ながら、不安になってくる。

 夕霧は、大丈夫なのだろうかと。


「文月! 何をしてるんだ?」


 ボーッと突っ立っている文月を見つけて夕霧は手を振った。


「今日、文月に渡したい物がある」


 夕霧は文月に駆け寄り、懐を探る。取りだしたのは赤い紐が取り付けられた金色の小さな鈴だった。


「これは……」

「お前の母の鈴ではないがな。買ったんだ。お前にやるよ」


 夕霧は優しい声音でそう言って、おずおずと差し出された文月の両手にそっと乗せる。転がる度に小さな音色を放つ金色の鈴を見て、文月は目を見開いた。


「これを、わざわざ………」


 この、胸の辺りに感じる熱いものはなんだろう。

 文月はこの感覚に震えた。


「文月……?」

「どうして、そこまでしてしてくれるの…」


 いつもと口調が違う、まるで本音を吐き出したかのように弱々しい言葉が聞こえて、夕霧の心臓が跳ねる。


 ───文月が、笑った。


 目に涙を溜め、口元が僅かに綻んでいた。

 強めの風が吹き、文月の濡れ羽色の髪が緩やかに揺れる。

 初めて見る鬼姫の笑み。月のような静けさを持つ、優しい笑顔だ。

 夕霧の手がそっと、文月の頬に触れる。そのまま引き寄せられ、気がつけば夕霧の腕の中に収まっていた。文月は目を見開き、戸惑いがちにそれを受け入れる。人間の腕はあたたかくて、優しいのだ。溢れ出しそうな涙を何とかせき止めて、文月は長い溜め息をこぼす。


「夕霧、何をしてる…」

「…!」


 その声に我に返り、夕霧はすぐに文月を離す。少しだけ名残惜しかったとは、お互いに言えない。


「ああ、いや、…すまない」


 夕霧はこの状況に混乱する文月にしどろもどろに謝罪を繰り返し、そろそろ帰る、またなと赤くなった顔を背けて颯爽とその場から逃げて行く。

 文月は夕霧がくれた鈴を見つめて、そっと胸に抱く。








 霧の部族。


「鬼姫の討伐?」


 夕霧たち兄弟は父親の御前で跪く。

 父親が持ちかけた話に、夕霧は眉をひそめている。


「鬼神族の鬼姫の居場所をとうとう突き止めた。早めに手を打たねば」


 父親は長男の夕霧をまっすぐ見つめて期待を孕んだ声でこう言った。


「夕霧、お前の腕ならば、鬼神一人を殺せるはずだ」


 鬼姫の討伐隊を率いるよう託されてしまった夕霧。その鬼姫に教えてもらった刀で鬼姫を斬れと、まさかの命令が下され、心臓が嫌に軋んだ。








「文月、文月!」


 夕霧はいつもの場所で何度も名前を呼んで探し回ると、ようやく鈴の音が聞こえた。


「夕霧…?」

「文月! 霧の部族が、お前の屋敷を見つけてしまった。お前を殺すつもりだ。逃げろ!」


 文月は全く動じず、ただ夕霧を見つめている。


「いつか、そうなることはわかっていた」

「だったら、すぐにでも…!」

「私は死なぬ。夕霧、もうお前にも会わない」


 夕霧は眉をひそめ首を振るとすかさず文月の手を掴んだ。


「ならば、共に逃げよう」


 その力強い言葉に、文月は目を見開く。夕霧の決意のこもった表情に心が揺らぐ。

 本当はすごく嬉しかった、こんな自分に手を差し伸べてくれる相手がいるだけで、文月の胸の中はいっぱいだった。


「この里から遠く離れた地で、二人で暮らそう。お前も、俺も、助かる唯一の方法だ」


 夕霧は文月を連れ出そうと必死に説得する。だが、文月は悲しくも首を振った。


「お前には、家族がいる」


 その言葉に夕霧は一瞬息をつまらせる。


「お前には、父と、妹や弟、愛すべき者たちがたくさんいる。大切な居場所をお前から取ることなどできない。お前は、何も心配しなくて良い…」


 ──どうか、あなただけは孤独にならぬよう…。


「私は忘れない、お前と出会ったこの場所を。お前がくれた小さな鈴を。お前が教えてくれたあたたかさを……」


 文月は、笑顔を教えてくれた人に、最後の笑みを見せた。


「──お前を愛したことを、忘れない」


 ──夕霧、愛してる。もうお前には会えないが、それでも…。


 それでも、彼女を助けたくて必死だったのだろう夕霧は、文月を強く抱きしめて今にも泣き出しそうな声で囁いた。


「お前にも、家族が居るんだろう? お前を死なせやしない。今夜、ここで。あの月火の社が目印だ。頼むからここに来てくれ。迎えに行く」


 夕霧は諦めない、文月を連れ出すためにずっと説得をし続けた。

 今夜、ここにと言われたが、迷った末、文月は夕霧から背を向け風のごとく消えて行った。








 日が沈み、夕霧は約束したあの場所へ向かった。文月を迎えに行くためだ。

 夕霧は神社が見える丘に到着した。少し早すぎてしまったが、夕霧はいつまでも文月を待つ気でいる。いつまでも。

 その時、ただならぬ気配を感じ取り、夕霧はすかさず戦闘態勢に入った。姿を現したのは二体の鬼だ。


「何者だ……」


 夕霧は低い声で問いかけると、鬼は笑いながら持っていた大鎌の刃先を夕霧に向けて、ニタリと笑う。


「我が名は、葉月。鬼神族の真の次期頭領。刀を納めろ、人間風情が偉そうに」


 自らを次期頭領と名乗った男を、夕霧は殺気を込めた瞳で睨みつける。次期頭領は文月の筈だ、何かおかしい。


「何のようだ…」

「手伝ってほしい、俺のために」


 気づけば葉月の後ろに控えていた鬼が姿を消していた。

 葉月は地を打ち砕くほど蹴り、大鎌で夕霧に斬りかかる。それを防ぎ、夕霧は葉月と距離を取る。


「文月に教わったのか人間!」


 葉月と夕霧は何度も衝突し、どちらも譲らなかった。鬼神と互角に戦えるなど、只者ではないことが分かる。それに僅かに感じる人間離れした霊力、夕霧は一体何者なのか。

 葉月が目前まで迫った時、迷いなく振り上げられた刀は、突如、絡みついてきた鎖が取り上げてしまう。怯んだそのすきに体中に鎖が巻き付き、身動きが取れない状態になった。


「すまないな、弟が邪魔をしてしまった」


 わざとらしい笑みを見せる葉月。

 鎖を握る鬼に気づけなかった夕霧は悔しさに拳を握りしめる。


「安心しろ、殺しはしない。死んでもらっては困る」


 葉月は刃を下に下ろし、柄に肘をかけて見定めるように夕霧を見据える。


「俺の目的はただ一つ。文月を殺すこと」

「……!」


 夕霧は一層葉月を睨んだ。そんな夕霧に対して葉月は面白そうに唇の端を吊り上げると夕霧の頭へと手を伸ばす。


「良かったな、文月。最愛の人に息の根を止めてもらえて」


 葉月はこの場にはいない従妹の名を呟いた。鎖の締め付け具合が途端に上がり、夕霧は顔を歪める。


「俺は時を司る鬼神、人の記憶を操ることなど容易い」








 霧の部族が文月の屋敷を攻める。

 ああ、この日が最期になるとはと、後ろに控える双子の小鬼に目を向け、文月は瞳を伏せる。。


 ――せめて、小桜と小雪は守らなければ…。



「私が鬼の末裔、文月だ!!」


 屋敷を包囲した人間たちに向かって叫んだ。

 母が亡くなってから初めて手にした、曼珠沙華を振るう文月は、狂った鬼のようだ。


 ───だがなぜだろう。


 文月は曼珠沙華の餌食となっていく人間たちを見ながら、涙を流した。


 ───なぜ、こんなにも苦しいのだろう。





「文月」


 聞こえてきたその声に、文月は目を見開き急いで振り返った。


「夕霧……」


 なぜ、夕霧が刀を向けているのか。文月は酷く混乱した。

 あなたに会えたのに。どうしてこんなにも、辛く苦しいのだろう。でも、会えた、もう十分。だから受け入れよう、自ら滅ぶこの時を。

 文月は夕霧のおかげで取り戻した微笑みを見せて、次いで泣いてしまいそうな眼を閉じる。

 夕霧は憎らしげに目の前の妖を見つめる。そこに最愛の女を見るあの目は失われていた。ただ、人を傷つけた妖を退治する決意を宿した鋭い眼光を向けられる。


「そうか、夕霧…お前は……」


 お前は、私と過ごした時を忘れたのか。

 文月は曼珠沙華をかざし、夕霧に向ける。二人の刀がぶつかり合い、鉄の擦れ合う音が木霊する。

 夕霧は、文月のことを本当に覚えていない。それなのに、文月が教えた刀の構えも何もかも、完璧にできていた。

 受け入れよう、お前が私を殺してくれるのなら、全て終わらせてくれるのなら、それでも構わない。文月はそっと、刀を下ろした。


「………!!」


 腹部に衝撃が走る。夕霧の刀が、文月の腹を貫いていた。声が出なくなる、それでも、絞り出すような声で、誰にも聞こえないような小さな声で、こう言った。


 あいしてる。


 夕霧の目が見開かれたのを確認できた。そんな彼の様子を見て、ちゃんと伝わったのだなと安堵する。

 例え、夕霧が文月を忘れたとしても、いつまでも、文月は夕霧を愛してる。


「小桜…小雪……」


 この二人は、文月の家族だ、大事な家族だ。文月は母親の形見、曼珠沙華を二人の小鬼に託した。二人を守るために、……また来世で会えるように。


 逃げていく小桜と小雪を見送って、夕霧を見上げた。本当に自分のことを覚えていないらしい冷たい瞳を目にして、心が徐々に傷んでいく。


「なぜだ……」


 あの場所で言ってくれた言葉は全部嘘だったのか。


「私は、お前を……」


 だが、最後の夕霧の言葉は文月を絶望に突き落とす。


「なんのことだ……」


 やはり覚えていない。夕霧は、文月を忘れてしまった。あの場所も、あの言葉も。何もかも、全て忘れてしまった。


(これが、私の運命。ならば、受け入れよう。最後に、愛する人の手で逝けるのなら、それでも……)


 視界が潤んでいく、霞んでいく、見えなくなっていく。なぜ、涙が止まらない。



 文月は二度と動かなくなった。



夕霧の秘密。

文月の横顔が好きでたまに盗み見ている。

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