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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第一章 『月火神社編」
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【第一章】文月と夕霧

 物語は過去に遡り、文月と夕霧が出会った日から始まる。

 選ばれし十二の鬼で構成される鬼神一族。文月は鬼神族の頭領、睦月の娘である。濡れ羽色の髪の美しい姫で幼いながらも完成された顔立ちは亡き母の面影を受け継いでいた。

 母を亡くし、敬愛していた× × は別の場所へ移り住み、頭領という立場にいる父には滅多に会えない。友達もいない。

 誰も見つけることの出来ない山奥の、この世から忘れ去られたようにひっそりと聳え立つ屋敷で、女中や護衛と共に暮らしていた。


「姫様、姫様! お部屋を抜け出してはいけませんよ」


 鬼の女中が部屋から脱走した幼き姫を探して慌てふためいている。この女中は母の代から仕えていたらしく、屋敷の中では年長者だ。故に姫の身の回りの世話は彼女が特に担っている。


「姫様…!」

「うるさい、金音こがね


 庭に出てようやく見つかったが、姫ともあろうお方が、なんと庭の木の上で平然と柿を食していた。

 しかし、やっと見つけたことに安堵し、女鬼は両手を広げ、姫にこちらに来るようと促す。


「ああ、姫様、そんな所で何をしておいでなのです? さあ、こちらへ……」

「行かない」


 鬼姫はふい、とそっぽを向く。


「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす女中に構わず、姫は木の上から景色を見渡すように視線を巡らせ、やがて寂しそうに眉じりを下げた。


「父上は、今日もいらっしゃらないの」

「…! 睦月様はお忙しいようで……」


 女中は困り果てた様子で言葉を紡ぐ、まるで何か誤魔化すように。

 良いの、正直に言って、暫く御屋敷に来られないのならそう言って。構わないから。そう、心の中で呟いて溜息をつく。

 父は鬼神一族の頭領、つまり妖の国の統率者なのだ。忙しいのは子供でも理解出来る。それに父はちゃんと自分を愛してくれている。顔を見せに来てくれる時、本当に嬉しそうに微笑みかけてくれるのだから。自慢の父に我儘なんて言うつもりはない。

 それでも、幼き姫の心は冷えすぎてしまっていたのだ。元々、愛らしく懐っこい性格だったはずなのに。



 成長した姫は、更に母親に似て美しくなっていた。外見だけは良いが、育った環境のせいか中身は冷静沈着で愛嬌もない、よくいえば次期頭領としては相応しい性格となっていた。賢さも強さも、頭領としての厳しい教育の結果だ。

 暫くして、先代の文月であった母が担っていた殺しを引き受けるようになる。人や、妖の依頼で顔も知らない誰かを殺すことは苦痛だ。しかし、母が亡くなって依頼、溜まっていた仕事をこなすためにひたすら刃を振るった。

 しかし、ここまで心を押し殺しているのも女としていかがなものか。いくら鬼とはいえど、心を知らずしてこの先どう生きていけばいい。

 姫がずっと平気な顔をしていたせいか、僅かに響いていた心の叫びには誰も気づけない。


 ある時、姫は窮屈な屋敷を抜け出して人の町に足を踏み入れた。姫にとって、人とはつまらぬ生き物だった、弱くて脆い、何の役にも立ちそうにない、それなのに生に縋りつく。理解が出来ない。

 姫の心は冷たくて硬い。本当は慈愛に満ちた優しい子だった、どこから間違えてしまったのか。

 一通り町を探索し、屋敷へと向かっていた時、若い声が耳に届いた。


「わっ…!」


 見れば、人間の子供が腹を好かせた妖怪共に襲われていた。

 文月は目を細めて、その光景を眺めていたがやがて気まぐれに紅の鞘に収められた曼珠沙華を引き抜いて全ての妖怪を切り倒してしまった。

 人間の子は目を見開く。二本の角を生やした黒髪の女が刀を手に立っていれば、誰だって驚くだろう。


「鬼……」


 少年は女が鬼であると認識した瞬間、顔を顰めて立ち上がり、何故か怒鳴った。


「なぜ、助けた!?」

「助けぬ方が良かったか」


 文月は曼珠沙華を鞘の中に仕舞いながら、少年を見据える。


「鬼は悪しきものだと、我が一族の言い伝えだ!」

「一族…。ああ、貴様、霧の部族の末裔か」


 霧の部族は大昔から鬼退治をしている、妖の天敵だ。まさか敵を助けることになるとは。

 近くには木刀が転がっている、どうやら鍛錬をしていたようだ。


「こんなひっそりとした場所で鍛錬などやめておくことだ。人間のくせに」


 少年は相手がただの鬼ではないと勘づいた。女であっても、他の妖とは比べ物にはならない程の圧を持っているのだ。

 それでも少年は負けじと睨みつける。


「馬鹿にするな」


 少年はまだ成長しきれていない手でしっかりと木刀を握りしめる。さっきまで妖相手に上手く刀を使えていなかったくせして、根性はあるようだった。


「何故お前から指示されねばならない、鬼のくせに!」


 幼い幼いと簡単に評価していたが、鬼神の圧に怖気付くことなく、堂々としている姿は立派なものだ。来ている着物も上等なもの、恐らくこの少年は霧の部族の頭領の血筋の者だ。もしかすると、次期頭領なのかもしれない。

 この少年が頭領になった時、本格的に対立するであろう存在だ。


「餓鬼、お前は弱い」

「なんだと……」

「自分で妖を倒せない」

「……」

「弱いと言われても仕方ないだろう」


 少年は悔しそうに唇を噛んで俯いている。己が弱さを知り、悔いている。

 しかし、人間の子供を慰めるような優しさはとうの昔に捨て去っているのでこれ以上は何も言わずに背を向ける。せいぜい頑張ればいいと、上から目線にそう言ってその場を去った。


………………


 翌日。再び文月は屋敷を抜け出した。相変わらず、人間には興味など沸かなかったが、外の世界はあの狭苦しくなってしまった屋敷よりはマシだ。


「………」


 昨日出会ったあの子供のことがどうも気になって仕方ない。熱意を灯したあの瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

 あの少年にもう一度会えば、またあの瞳を見れるだろうか。あんなの見た事がない。

 来てみれば予想通り、あの少年が人気のない丘で素振りをしている。あれだけ忠告しておいたのに、わざわざ人目のつかない場所を選んで必死に素振りをする姿を見ていると心底呆れる。


「おい、鬼」


 少年は視線に気づいたのか険しい顔で叫んだ。文月は面倒臭そうに夕霧と目を合わせ、とりあえず反応してあげた。


「なんだ」

「勝負しろ!」


 面倒臭そうに見てくる文月を、少年は鋭く睨みつける。何故人間の餓鬼の相手をせねばならないのだと、文月は眉間に皺を寄せながら吐き捨てる。

 そんなことよりも、自分に刃を向けてくるその姿勢が酷く気に入らない。勝負すれば勝てると思っているようだ。


「人間は嫌い。弱い、脆い、生きていても何の意味もない、そこらの虫共と同じだ」

「弱くとも、脆くとも、人が生きていることに必ず意味はある!」

「黙れ腰抜け。お前たちは我ら鬼神に生かされているというのに」

「人はお前たちと違って強さに恵まれていない、それでも生き抜こうとする俺たちを馬鹿にするな! ―――それともお前の方こそ腰抜けなのではないのか!!!」


 気がついた頃には、少年の手にあったずの刀は弾き飛ばされていた。何かの術式が刻まれている不気味な刀は、宙を舞って遠くに投げ出される。


「弱い」


 いつの間にか背後に回っていた文月に、少年は体を強張らせる。


「威勢のいいことばかり抜かすから少しはできるかもしれないと期待した私が馬鹿だった。こんな餓鬼が私と対等に戦えるはずがない、鬼神と戦えるはずがない」


 文月は曼珠沙華を仕舞いながら鋭い声で少年を罵倒し、軽蔑するように睨む。


「弱者が、我らが敵の長になるとは舐められたものだな。将来無駄死にをするだけの存在が私に刀を向けてくるな、忌々しい」


 人間の子供には重々しすぎる話だ。突きつけられた現実に向き合えるだけの根性がこの少年にあるとも思えない。

 人間がは実に愚かで呆れる生き物だ。これだけ圧をかければすぐに泣いて蹲る、人の子なんてそんなものだ。


「すまない」


 夕霧の声が文月の足を止めた。何が、何に対しての謝罪だ。


「すまない、確かに俺は弱い、お前を腰抜けだと言う資格もない。けれど俺は強くなりたい、この思いに意味はある。先に逝かれた母上が俺に託してくれたのだ、父上に認めてもらいたいこの思いも、ちゃんと意味はある!」

「……。強くなりたいと思うだけ、無駄」


 母上に託された。文月も亡き母に、鬼神文月の名を、刀を託された。文月とて、父に認めてもらいたいという気持ちもある。この少年はもしかしたら自分と似ているのだろうか。

 いや、そんなはずはない。人が自分と似ているなんて、あるわけない。似たような境遇の話に戸惑う文月に、少年はなおも訴え続けてくる。


「俺だって何の覚悟もなしに刀を手にしたわけではない。確かに人は弱くて脆いが、必ず強くなれる」


 まだ声変わりもしていない少年の叫びは、強く空に響いた。人間を酷く軽蔑していた文月にはどう響いただろうか。人ではない、自分よりも強い者の背中に堂々と言葉をぶつけた少年に覚悟がないと言いきれるだろうか。

 文月はそっと、自分が弾き飛ばした少年の刀に視線を向ける。


「お前があの刀を再び握った時、せっかく人間として授かった良心というものを捨てることになるだろう……」


 文月は少年に目を合わせることなくそう言った。やっとわかった、文月は羨ましかったのだ、自分と違う生き様を見せつけてくる人間が。

 人間としての良心。少年は一瞬目を見開いたが、迷いを振り払うようにかぶりを振って言い返す。


「お前にだって良心はあるはずだ、昨日を俺を助けてくれたじゃないか」

「気まぐれだ、お前の命などどうでもいい」


 後ろを向いているから、少年がどんな顔をしているか分からない。でもきっと、初めて出会った時よりも勇ましい顔つきをしているだろう。

 文月は人が生に縋りつく意味が理解出来なかった、人が必死に生きようとする意味が分からなかった。

 しかし少年は教えてくれた。人は、自分の役割を見つけるために、その一瞬一瞬の短い時の流れを大切に踏みしめるために生きているのだ。


「俺は霧の部族次期頭領、夕霧。いずれお前と刀を交える男だ」


 偉そうに。文月は心の中でそう呟いて将来、夕霧を無視して歩み出す。

 夕霧、文月の心に得体の知れない何かを灯した少年。胸が熱い、これは一体なんなのだろう。冷えきっていた心をいとも簡単に溶かすもの。情熱、勇気、感動。それらが文月の塞ぎ込んでしまった心を無理やり引き出そうとしてくる。

 そんなもの知りたくなくて、胸を押えながら駆け出した。





 あれから、夕霧に会っていない。会うつもりもない、あれほど腹を立てたのは初めてだ。今も、人目につかぬあの場所で素振りをし続けているのだろうか。


 ―――確かに人は弱くて脆いが、必ず強くなれる。


 夕霧の言葉が頭から離れない。人が強くなるなどありえない、人は強さに限界のある生き物だ。

 でももし、人が妖に勝つようなことがあったらどうする。決してないとは言いきれない、夕霧の目を見ていれば分かる。夕霧なら、妖に勝つことがあるかもしれない。

 気になる、夕霧が気になる。文月はまた、屋敷を抜け出して夕日の見える丘に、向かってみた。

 案の定、夕霧はたった一人で素振りをしている。まだ刀を持つかと、文月は眉をひそめて眺めていると夕霧の視線がこちらを向いた。


「鬼…」


 夕霧は刀を握りしめ、文月を見上げる。


「なあ、鬼。お前はどうして刀を持つ」


 夕霧は難しそうな顔で自分の刀を見つめた。夕日が、夕霧の小豆色の髪を照らしている。


「………それが、私の運命だからだ」

「運命…?」

「そう、運命」


 文月の静かな声が夕霧の耳に届く。他者の命を奪うのはいつまで経ってもいい気がしない。それでも刀を持たざるを得ない、運命だからだ。

 言う通りに動いていればいい、それが正しいのだと自分に言い聞かせていた。

 夕霧は刀を握りしめて文月に歩み寄ると、まっすぐな瞳を向ける。


「鬼、俺と勝負してくれ」


 まだ懲りぬというのか、この子供は。顔を顰める文月に、夕霧は誠心誠意をもって頭を下げる。


「やめろ、勝てるわけがない」

「そんなの分からないだろう!」

「たとえお前がいくつになったとしても、私を超えることは出来ない」

「そんな……!」


 夕霧の言葉を遮るように、無駄なことはしない方がいいと頼みを尽く跳ね除ける。それでも、夕霧は頭を下げたまま拳をぎゅっと握りしめて頼み込んでくる。

 夕霧は文月たち妖を驚異的な力を持つ最大の敵であることを認めている。一度でもいいから手合わせをして、自信をつけたい。それが強くなるための第一歩だ。


「頼むから!」


 夕霧は頭を下げたまま、地面に声をぶつける。

 あまりのしつこさに、文月は呆れ顔で溜め息がついた。



 

 刀が大きくに空に投げ出されたのと、夕霧の体が地面に叩きつけられたのはほぼ同時であった。

 夕霧の上等な着物は泥にまみれて、地面に投げ出された際に口の中に土が入ったのか顔を顰めながら必死に吐き出している。空を舞っていた刀が夕霧の頬を掠めて地面に突き刺さり、夕霧はひゅっと息を吸い込んだ。

 口元を袖で拭いながら、一瞬で自分を負かした鬼を見据える。濡れ羽色の紅裙の鬼はすました顔でこちらを見下ろしている。


「まだやるか」


 その言葉にカッとなった夕霧は、刀を地面から引き抜いて再び刃を文月に向ける。

 次は勝てる、次は勝てると自分に言い聞かせて、また駆け出した。


「下手くそめ」


 またしても払われる。文月の動きは速く、鋭い。一瞬の隙も見逃さないのだ。

 この鬼に勝てれば必ず強くなれる、そう確信できた。


「まだやるか」

「やる!!」


 キッと文月を睨みつけて、刀の柄をしっかりと握る。絶対に勝ちたい、その一心で夕霧は走る。動きも速く力も強い、近づくことすら出来ない。

 少しでもいい、あの鬼に届け。自分を尽く跳ね返すあの紅の刀を阻止しろ。夕霧は弱音も吐かずに、何度も挑み続ける。

 そうして何百回と繰り返すうちに、ついに夕霧は文月の刀を受けても跳ね飛ばされないぐらいには成長した。


「どうだ!!」

「阿呆か。それがどうした」


 明らかに嬉しそうに声を張り上げる夕霧を見下ろし、文月は眉間に皺を寄せる。


「文月、俺はお前の刀を防げた! 防げたんだ!!」

「それだけで強くなったとは言い切れない。おめでたい頭だな」

「なんだと!!」


 文月は目を細めて夕霧を小馬鹿にし、夕霧は怒って文月を睨みつけてくる。その様子を見ているとまだまだ餓鬼だなと思う。

 それでも、さっきのは確かに手応えがあった。近づくことさえ出来なかった餓鬼が刀を防ぐぐらいにまで成長している。よく考えてみろ、人間の子供が自分よりも背の高い鬼の攻撃を受け止めきれたのだ。

 夕霧には、確かな才能がある。


「まだ、やるか」


 そう問いかけてみると、夕霧はパッと目を輝かせてすぐに刀を構えた。







 あの日から、どれほどの時が過ぎただろうか。長寿の妖は人間に比べて時間の流れが遅く、時間感覚が鈍い。

 夕日の見える丘を訪ねてみれば、いつものように夕霧が先に来て素振りをしていた。昔に比べて随分と力もつき、素振りも様になっている。


「文月、今日も遅いぞ。今度こそお前から刀を奪ってやる」


 夕霧は出会った時よりも自信に満ち溢れた目をしている。

 鬼は老化速度が遅いため、文月はあの日から変わらないが、夕霧は背も伸びて、顔つきも大人に近くなってきている。

 文月は曼珠沙華を鞘から抜き、夕霧に向けた。こうして構えたのも、もう何百回目だろうか。

 刀と刀がぶつかった時、少しだけ驚いた。夕霧の押す力が強くなっているからだ。何度も文月と刀を交えたためか、文月の動きを掴んでいるようだ。次はどうでるか予測し、戦略を考えるようになっている。

 力だけでなく、頭を使うようになった夕霧、すぐに文月を越すはずだ。文月は突然の急成長に戸惑うが、決して顔には出さないように心がける。相手に隙を見せるわけにはいかない。

 しかし、文月から僅かに漏れ出ていた焦りを、なんと夕霧は感じ取っていた。


「………!」


 曼珠沙華が払われた。赤い刀は空を舞い、地面に突き刺さる。こんな、こんなことがあるのか、人間が妖に勝つなんてありえないと思っていたのに。

 ついに刀を手放してしまった文月の喉元に、夕霧の刀の切っ先が触れる。一瞬、時が止まったように感じた。

 文月は目の前に迫った青年を凝視する。


「まさか、私の刀をとるなんて………」


 夕霧は口元を緩めて、刀を静かに鞘に仕舞う。その動作が何故か美しく見えた。


「文月、なぜ俺が勝ったかわかるか」

「知らない」

「お前より背が伸びたからだ」

「……」


 なんだそれはと、文月は呆れを含んだ目で夕霧を見つめる。確かに、文月よりも背が伸びているが見下ろされるのは屈辱だ。

 そんなことを思っていると、夕霧は地面に腰掛け、すぐ横の地面を叩いた。隣に座れと言う意味だろう、しかし文月は眉をひそめてふいとそっぽを向く。


「ふん、お前の隣などお断りだ」

「良いから来いって!」

「…!!」


 夕霧が腕を強引に引っ張るので、文月は不服そうな顔で渋々座り込んだ。

 力強くなっている、いつまでも子供ではないのだ。なんだか、複雑だ。

 ふと、夕霧は不思議そうに首を傾げて問うた。


「お前、笑ったことあるのか」

「えっ」


 文月は目を見開いて言葉を詰まらせたがすぐに、あるに決まってるだろと目を閉じる。幼い頃は特にはしゃぎ回っていたぐらいだ。


「でも、俺はお前の笑顔を見たことがない」

「見なくていい、見てどうする」


 今まで大きな態度で接していた分、今更笑顔を見られるなんて恥ずかし過ぎる。変に強情な性格を持っているといろいろ大変だ。


「お前が笑っているところを見てみたい」

「見なくていいと言っているではないか」


 文月はそう強く言い返して、着物の袖に顔を埋める。この餓鬼……ではなくなったが夕霧にだけは見られたくない。必死に顔を隠していると隣で笑われて余計に腹が立った。

 妖の国の姫が人間ごときに笑いかけてやるものか。意地を張ってお前なんか嫌いだとわざわざ口にしてくる鬼姫に、夕霧は優しく微笑みかける。


「じゃあ、俺がお前を笑わせてやる」


 その時、文月の心臓がトンと鳴った。何を言い出すのやらとそろりと顔を上げてみれば、夕霧の微笑が目に映る。無駄なのに、笑わせるなんて無意味なことなのに。


「よし、続きをするぞ!」


 夕霧は立ち上がって文月に手を差し伸べる。これまたふいっと顔を背ければ、夕霧は文月の手を掴んで強引に立ち上がらせる。

 いつでも顔を顰めるばかりの文月とは対照的に、夕霧は可笑しそうに笑い返すのだった。

文月姫の秘密。

美女。夕霧と初めて出会った時には既に求婚者が続出していた。

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