【第一章】土を司る鬼神、弥生
巫女のような姿をした愛らしい鬼神、弥生。その手には萩の印が彫られた弓矢が握られている。
「弥生…。あなたが、弥生なのね!?」
美月が必死に問いかけると弥生は頷いた。
「葉月は去りましたが、まだ油断はできません。行きましょう姫様」
弥生は見た目に反して行動力があり、美月の腕を引いて、山を下りる。
「ま、待って弥生。どこにいくの?」
「安全な所へ」
美月は自分の腕を引っ張る、弥生の手を掴んで歩みを制した。弥生は不思議そうに美月の顔と掴まれた手を交互に見て、首を傾げた。
「弥生。今から師走様の所へ連れて行くわ」
弥生は美月と向かい合うと目を見開き、弾むような声で問う。
「師走様が近くにいるのですか」
「ええ、師走様と皐月もいるわ。一緒に来て」
二人の名を出すと弥生は目を見開き、「すぐに参ります」と頷いた。ただ、最も会いたいと思っていた人物の名前が出てこなかったことに少し残念に思いながら弥生は美月の後をついていった。
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弥生を連れて神社に向かうとそこには師走、皐月、そして小桜と小雪がいた。双子は美月を見つけるや否や、全速力で美月の元へ駆け寄ってくる。美月の帰りがあまりにも遅いため、師走の元へ訪ねたのだと言う。
美月は事情を説明し、弥生の封印を解いたことを語った。
「姫様…!!」
小桜が叫んだ。小雪は横目でその悲痛な声を発する小桜を見ると眉を顰めた。
「何故一人で立ち向かおうとなさったのですか!? あのまま弥生様の封印が解けなかったらどうなっていたかわかってますか!?」
「お、落ち着いて」
「落ち着けません! 私と小雪がどれだけ心配したと思ってるのですか! 二人の鬼神を相手にしたのですよ!!」
このままではいけないと思ったのか小雪が小桜の頭を叩いた。小桜は涙目になりながら叩かれた頭を押さえて、うずくまる。
小雪は姉のように感情を表に出さなかったが、ただまっすぐと美月を見据えた。その目は色んな感情が混ざり合って揺れていた。小雪のその目に罪悪感を覚え、美月は俯く。
「弥生…」
その後ろで成行きを見守っていた皐月が一人の鬼神の名を呼ぶ。
「皐月、先に封印は解かれていたのね。───ねえ、卯月様はどこ?」
弥生は不安げな瞳で皐月に問う。
「まだ、卯月の行方はわからない」
皐月の答えを聞いた瞬間、弥生は寂しそうに俯き、地面に膝をつく。
「卯月様…。必ず、弥生があなたを救ってみせます…。あなたが救ってくれたように」
項垂れる弥生を見つめて、師走は美月に言った。
「姫様、弥生もこちらで引き取ります。今日はお休みになってください」
「ありがとうございます」
師走の親切な対応に感謝し、小桜と小雪に連れられ、神社を後にした。
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家に帰ると、小桜から泣きつかれてしまった。
何度も小桜の頭を撫でながら謝罪を繰り返しているうちに、泣き疲れた小桜が膝の上で眠ってしまった。
「ごめんね…」
小桜に向けて呟いた。
二人を守りたくて、傷つけたくなくて取った行動が、逆に二人に不安を抱かせていた。何でも自分一人で抱え込んでしまう悪い癖。わかっていても、直らない。自分のせいで誰かが傷つくのは、美月が一番嫌いなことだ。
「最初から、僕達を頼ってください」
横から小雪の声が聞こえた。その声は鋭く、とても不安げな声だ。
「小雪…」
「なんで、頼ってくれないんですか…。僕らが…僕がいつまでも子供だと思っているからですか」
「違う、私は……私は二人が傷つくのが怖くて……」
黄泉の国での戦いで、曼珠沙華を使えない美月のために二人は必死に戦い、傷ついていた。それが脳裏に焼き付いたまま離れない。二人が傷つくその様子は、美月にとって耐えられないものだった。
小雪は明らかに怒っている。そして、何かを恐れるような目つきで、美月をまっすぐと見つめた。
「僕は……」
か細い声で、小雪は呟くと、一気に吐き出すように叫んだ。
「僕は、傷つく姫様なんて見たくない……。もう…もうあんな思いをしたくないっ!」
普段大声なんて滅多にださない小雪に、何も言えずにいると小雪は苦しげに表情を歪ませ、声を絞り出した。
「あんな……血だらけの姫様を……。悲しげな姫様を、また見ることになるなんて…そんなの耐えられない……」
小雪はあの日、夕霧の刀に貫かれた文月姫を思い出して震えた。大好きだった人…。血にまみれた愛しい人を見てしまったあの感覚が、小雪の全身を巡った。
「小雪……」
黙り込んでしまった小雪に眉を顰めて美月はふいに名前を呼んだ。
美月の声は、前世である文月そのものだ。髪色が違えど、その姿は小雪が想いを寄せていたその人だった。
「どこにも、行かないでください。姫様…。あなたを失いたくない………」
小雪の切なげな声に、美月は胸を痛めた。
二人を心配させた。罪悪感に、美月は言葉を失ってしまった。
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葉月と長月と戦ったその日から、小雪と話さなくなってしまった。元から無口で普段から小桜ばかり喋っているから、いつもと変わりのないはずだが。朝食も小雪とは会話を交わさず、美月は小桜の話に相槌を打つばかりだった。
学校に行く美月を見送ったあと、小桜は隣にいる弟を見て眉を顰めた。
「小雪。姫様に何か言ったの?」
「………」
「まったく…」
世話のかかる弟だ、と言わんばかりのため息をついて小桜は鍵をかけてリビングに戻った。
残された小雪は美月が去った後の玄関をしばらく見つめていた。
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学校について、美月はすぐさま夕霧を警戒する。未だ、彼の生まれ変わりの手がかりを掴めていないためこうして警戒するぐらいしか身を守る術がない。
それよりもっと気になること…。
(なんで、夕霧のことがこんなにも気になるんだろう…)
前世の自分を殺した張本人である男のことを、気にかけてしまうのは何故だろう。葉月と長月に夕霧が利用されていることを知って激怒したり、夕霧のことを考えると胸の内が暖かくなっていく。
──おかしい…。
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今日は夏海が風邪を引いて休んだらしい。仕方なく、お昼は小桜が作ったお弁当を持って屋上に向かった。
屋上に続く階段を登って、思い扉を開くと空色が視界いっぱいに広がった。
背の高いフェンスに囲まれた屋上に一歩足を踏み入れた途端。
「あ…れ…」
何かが、美月の全身を駆け巡っていく感覚に襲われた。見渡せば、月火神社が見える。
「ここ、前にも来たっけ…」
いや、そんな訳ない。実を言うと屋上に来たのは今回が初めてなのだが。
(──何でこんなにも懐かしいと思えるの…?)
美月が違和感の正体を探っていると、ある人物に目が止まった。
桐崎優。彼が一人、購買で買ったであろうパンを頬張っていた。彼も美月の存在に気がつくと怪訝そうに顔を歪ませると鋭い口調で美月を攻撃する。
「面倒くさいのが来た」
美月は彼のその毒舌っぷりに慣れてきたのか完全無視して桐崎よりもだいぶ離れた場所で弁当を開く。
桐崎は彼女の様子に目を細めた後、またパンを食べ続ける。
「…桐崎君」
「………」
「桐崎君」
「………」
「優君」
思い切って言ってみた彼の下の名前。桐崎はこれには驚いたのか目を見開き、動揺するもまたすぐにグサグサと突き刺さるような言葉を言い返す。
「なんだよ……気持ち悪い。阿呆臭い。馬鹿じゃねぇの」
「どういう反応するかなって」
真顔で答える美月に対する桐崎の視線が更に鋭くなる。
「人で遊ぶな…」
「………。そう、だよね。人だもんね」
「どういう意味だよ」
桐崎にはわからないだろう。生まれ変わったとしても、鬼である運命から逃れられない。もしかしたら、文月姫は鬼として生まれてきたことを悔やんでいたのではないか。ずっと孤独で、命を滅ぼすことしか、教わらなかった幼少時代を過ごして。
生まれ変わっても孤独のままで。運命に見放されたのでは。
「良いよね。何も考えなくても、許されるんだから」
ああ、何言ってるんだ。違う、そんなことを言いたいんじゃなくて。昨日、小桜と小雪への罪悪感で眠れなかったから、すごく眠い。
「本当に、面倒くさい人生は昔から変わらない…」
「───本当にな」
桐崎は微かに、そう呟いた。それは聞き間違えではないかと錯覚してしまうものだったが、確かに、彼はそう呟いた。
美月は眠気で冴えない頭を何とか動かして、口を開いた。
「桐崎君は、私の事嫌いでしょ?」
「………」
「うん、言わなくてもわかるよ。だから──」
──殺したいなら殺せばいい。
突然、美月の言葉が途切れ桐崎は眉を顰めて彼女の顔を覗き込んだ。
「ね、寝てる??」
突然座ったまま眠りだした美月を不審に思い肩を揺さぶってみたが起きる気配が全くしない。それほどまで、疲れていたようだ。
「………」
桐崎はもう一度眠っているのか十分に確認した後、隠し持ってた鋏を取り出した。それを美月の喉元に狙いを定めた。
彼女の白い肌と長いまつ毛。……誰かを思い出しそうになる。鋏を持つ手が震え、そのまま、刃を下げてしまった。
──やっと見つけ出した鬼姫の生まれ変わり。
滅を司る鬼姫を殺すことが、夕霧の使命であった。桐崎優の頭の中には、文月が残虐な姫であることと、もうひとつ失われた記憶の欠片があるようだった。
何故、ずっと追ってきた鬼が目の前にいるのに殺せないのだろう。彼女を殺せば、それで終わるはず。なのに─
「殺さないのか」
その声に反応し桐崎は立ち上がって辺りを見渡す。
「ここだ、夕霧」
桐崎のすぐ後ろのフェンスの上に、長月が立っていた。
「どうした、夕霧。その女を殺すことが、お前の使命ではなかったのか?」
「…お前たち兄弟も、文月の死を望んでいるのだろう」
「ああ。だから同じ目的を持つ者同士、手を組むことにしたのだろう。──なんなら、今ここで俺が殺してやろうか」
長月は鎖、『闇百合』を出現させ、眠っている美月を見下ろす。だが、桐崎は美月をまるで庇うようにして長月に立ちはだかる。
「この女は俺が殺す」
「自分の手で殺したいってか?面倒な奴だ。それとも今更、文月に惚れたとでもいうのか?」
「どうとでも言え。所詮俺は人間の身。鬼であるお前たちと意見が食い違って当然だ」
桐崎の意味不明な使命感とやらに長月は目を細めると、鎖を我が身に纏い、闇を発生させ消えていった。
桐崎は長月が言った言葉に引っかかり、考え込んでいた。
「わからないが、殺せないんだ…」
屋上から見える風景を眺めて、そして、月火神社が目についた。
「俺、ここに頻繁に来るわけじゃないんだけどな……」
──何故こんなにも、懐かしいと思うのだろう。
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「くしゅっ」
自分のくしゃみの音で目を覚ますとここが屋上であることを把握する。
「寒い……。…?」
自分の肩には学ランが着せてあった。
誰のだ?そう思って持ち主を確認すると意外な人物に目を丸くした。
「桐崎君…?」
桐崎優の秘密。
理系が得意。文系はそこそこ。絵が上手い。