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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【最終章】いかなる所に生を変へたりとも

 鬼蛇は木から軽く飛んで着地すると、美月に丁寧にお辞儀をした。だが、美月は気味の悪そうに顔をしかめるだけだ。


「初代睦月様がこの私を作った時、私にこう命じられました……殺せ、と。それ以外は何も知りません」


 口角を上げたまま話す鬼蛇の周りを、いくつもの黒い短刀が包む。


「命を奪うことは、私にとっての生きる理由なのです。あなたと同じです」

「一緒にしないでもらえる』

「私はありとあらゆる死を求めますよ。──見せてください、あなたの死に様を」


 突如頭上から刃物の雨が降り注いだ。鬼蛇を取り囲んでいた短刀は、美月の気を引くための罠だったのだ。立ち込める土埃の中から未だ鳴り響く鉄の音。常人ならば、とっくに息絶えたはずだ。

 音が止んで土埃がゆっくりと引いていくと、地面に突き刺さった大量の短刀と、それに囲まれる鬼姫の姿が見えた。あれほど派手な襲撃を受けておきながら、美しい顔には傷一つついていない。


「おや、どうやって避けたのやら」


 ならばと、美月の周りを短刀で取り囲み、身動きが取れないようにしてみる。


「今度こそ、さようなら」


 その言葉を合図に、大量の短刀は美月に襲いかかった。だが、美月の影から現れた物の怪たちが鉤爪を振るい、短刀を払い退けた。どうやら防御に特化しているようだ。


「なるほどその手がありましたね。それにしても、知能を持った物の怪には初めて出会いましたよ。何なんですかね、それは」


 美月はあちこちに現れる短刀を曼珠沙華で弾き返す。どちらも一瞬の疲れも隙も見せなければ、最初の場所から一歩も動いていない。見た通り、互角だった。


「この子たちは、昔、私のことを守ってくれていた大切な同胞なの」


 美月が鬼蛇を指させば、物の怪たちは鬼蛇に爪と牙を向ける。今度は美月が攻撃する番だ。鬼蛇目掛けて大きく振りかぶった鉤爪は、突如出現した短刀によって食い止められた。


「この物の怪たち、生前は戦いの経験がなかったのでは? 女が多い気がしますね」


 鬼蛇の短刀は、物の怪たちの鋭い爪を食い止めただけでなく、そのまま爪を削ぎ落とした。


「爪研ぎはきちんとしておくべきですよ」


 物の怪たちは鬼蛇を睨みつけたまま素早く後退し、美月の近くへと戻っていく。



 母の三代目文月と兄の水無月と共に暮らしていた屋敷。あの屋敷の女中たちは、美月が幼い頃から働いていて、いつも美月のことを見守っていた。母や兄が忙しくて遊んでくれない時は代わりに遊びの相手をしてくれた。その他にも、勉強中にこっそり甘味をくれたこともあった。

 あの屋敷の女中たちは皆明るく優しい者たちばかりだった。ひとりぼっちになって、どんどん美月の性格がひねくれ始めた時だって、めげずについてきてくれた。霧の部族が襲来したあの日から、その女中たちはどうなったのか分からない。



 今、美月を必死に守っている物の怪たちこそ、あの時の女中たちなのだ。


「私は……あなたたちに守られていたのね……」


 物の怪たちは美月と目を合わせて、じっとしている。


 ──戦って。


 彼女たちは、美月にそう伝えたがっている。

 美月の引き締まった顔を見て、鬼蛇は片方しかない目で興奮気味に瞬きを繰り返した。


「紅く麗しき、あなたの血。その美しさは、この世の清らかなる水さえも見劣りしてしまいます」

「ちょっと、変なこと言わないでよ。─っ!」


 鬼蛇と美月が、今日初めてぶつかった。鬼蛇の放った短刀は物の怪によって全て払いのけられる。物の怪の力を使えば、美月は大幅に体力を消耗するはず。それなのに、彼女は全く疲れてなどいない。何度攻撃しても、美月に傷を作ることが出来ない。鬼蛇の短刀を簡単に避けて、曼珠沙華を意のままに操る美しい姫、ぜひともこの手で殺したい。


「中のものをさらけ出してみてくださいな」


 鬼蛇はニヤリと笑って、素早く短刀を掴み、美月の胸を突き立てた。しかし、刃の先に感じる違和感に、鬼蛇は眉をひそめる。

 着物の内側で、何かが割れた。


「……!」


 美月はサッと後退し、胸元を探った。取り出したのは、亀裂の入った髪飾り。薄紅色の花弁の髪飾りは、竜宮を回った時に夕霧がくれたものだ。愛しい人から貰った大切なものは、鬼蛇の短刀によって打ち砕かれてしまった。

 怒りに震える美月の様子を見て、鬼蛇は首を傾げた。


「おやおや。もしかして大事なものでした? お怒りですか?」

「……怒ってるよ」


 美月が地面を踏み込むと、その衝撃で地響き割れが起こった。物の怪たちを放つと同時に、美月自身も鬼蛇に突進する。鬼蛇も反撃したが、その全てをはね返された。物体瞬間移動も無意味だと言わんばかりに、美月の動きは機敏で繊細だ。

 そんな状況でも鬼蛇は笑顔を絶やさない。鬼蛇と美月が間近で睨み合う。双方の持てる力の全てが激突し、風が唸った。


 ──やっと、この私に終わりをもたらしてくれるのですね。


 鬼蛇はそう言った。


 ──鬼蛇……あなたももう、疲れたのでしょう?


 初代睦月は、殺すことしか頭にない男を生み出した。誰かの命を奪うことだけが、生きがいの男。

 今こそ、終焉を迎える時。滅を司る鬼神、文月。彼女が鬼蛇を無に帰す存在なのだ。


「繭は、いかがでしたか」

「?」


 鬼蛇の攻撃を防いだ時、唐突にそう問われた。質問の意図が分からないので答えずにいると、鬼蛇は一人で話し続けた。


「繭は良い子でしたよね? あの子は私の命令に背いたことなどありません。いつも良い子でした。……でも、最期は良い子ではありませんでしたね」


 互いに攻撃を防いで、隙あらば攻撃を繰り返す。その合間に、鬼蛇は懐かしむように話し続ける。何が言いたいのやら。殺し合いにしては、鬼蛇には余裕がありすぎて緊張感がない。


「私はあの子に、死ねとは言っていないのに。悪い子でしたね」


 数千本の黒い短刀が一気に襲いかかってくる。曼珠沙華で短刀を薙ぎ払った直後、瞬間移動で美月の背後に移動していた鬼蛇が、美月の背中めがけて短刀を振るう。だが、美月は背中に曼珠沙華を回し、短刀を受け止めた。

 振り返った美月の瞳は金色に光り、爛々とした目で鬼蛇を見つめている。


「美しい」


 美月相手にしか感じない恐怖と感動を覚えた鬼蛇。今の美月は今までよりも警戒心が高くなり、素早さと力が格段に上がったようだ。鬼蛇との戦いが更に激しくなっていく。


「鬼蛇。あなたが違う理由で生まれてきていれば、あなたに向けられていた愛情に気づくことが出来たかもしれない」


 鬼蛇は笑顔は崩さぬまま、訳が分からないと首を傾げた。

 美月は曼珠沙華を煌めかせ、鎬を鬼蛇に向けて右斜め下に下ろした。金色の瞳でしっかりと鬼蛇を捉える。その瞬間、鬼蛇の中には経験したことの無い感情が生まれた。不死身ではなくなったことへの不安。相手の強さを知った時の恐怖が、心の奥で広がっていく。


「私は長く生きた割には知らないことがまだ沢山あったようです」


 鬼蛇は懐に武器を隠し持って、美月に急接近する。美月は鬼蛇の周りに浮いていた短刀の刃先を避けて、鬼蛇が隠し持っていた短刀も曼珠沙華で払い落とすと鬼蛇の腹に刃を向けた。しかし、鬼蛇の前に出現した短刀によって遮られてしまう。


 ──守りが厚い。


 どんなに攻撃を繰り出しても瞬間移動で現れた短刀に遮られてしまう。

 短刀を操っているのは鬼蛇の目だ。


 鬼蛇から離れた場所に着地した美月は刀の柄をぎゅっと握り、足をふみしめると目を瞑った。


 ──曼珠沙華が、鬼蛇の弱点を的確に教えてくれる。


  鬼蛇は血を見るのが待ち遠しいと、短刀を両手に美月の元へ興奮気味に飛び込んでいく。


「……ッ!」


 曼珠沙華が唸った。紅い線が弧を描き、鬼蛇の顔に直撃した。この手に確かな手応えを感じた。

 あるものが血を引きながら宙へと投げ出される。それは血の筋を地面に描きながら、ころころと転がって月明かりの下に止まった。鬼蛇の目玉だ。


「クク……」


 鬼蛇は空洞となった右目を押さえて、ニヤリと笑った。


「父は左目を、娘は右目を奪いましたか……」


 美月が右目を奪った直後、宙を浮遊していた短刀たちは気力を失くしたかのように地面に落ちていく。

 両目を完全に失い、瞬間移動の能力が機能しなくなった今、鬼蛇の戦闘力は今までよりも低くなったはずだ。


 美月は曼珠沙華を握り直し、鬼蛇の腹部を狙った。

 だが、目の見えないはずの鬼蛇は曼珠沙華の刃を素手で掴んだ。


「……!」

「状況が悪くなった時のために、次の策を練らなければなりません」


 今までに感じたことの無い瘴気の気配を察知し、美月は掴まれた曼珠沙華を消して後退した。

 途端、地面が大きく揺れて鬼蛇の姿形が変化した。その勢いに美月は弾き飛ばされて、鳥居の柱に頭をぶつけた。


 黒い影がどんどん大きく太くなり、とぐろを巻いた。

 その巨大な蛇は人間の匂いを感じ取ったようで、近くを見回し始めた。思った通り、神社の付近を人間の男が歩いていた。

 人間の男は化け物を目にし、慌てて背を向けて逃げて行く。しかし、蛇の動きは速く、獲物に食らいついた。

 男の悲鳴が響き渡った頃、美月は頭を押えながら起き上がった。


「あれは……」


 獲物を呑み込んだ蛇は長い舌を震わせて、美月を目で捉えた。


 ──あいつは目が見えないはず。


 蛇は美月をしっかりと見つめている。

 もしかすると、目は見えなくとも他の感覚が鋭いのかもしれない。美月は石を拾い上げると遠くに投げた。石は固い音を立てて地面を転がっていく。音に反応した蛇は石が転がって行った方向を向いた。


 しかし、嗅覚も優れているためか、音がした方向と美月が今立っている場所を交互に見ている。


『無駄なことはなさらぬ方がよろしいですよ。こっちの方向からあなたの血の匂いを感じます』


 美月はハッとして自分の頭に触れた。さっきぶつけた時に頭を切ったようだ。


 大蛇と成り果てた鬼蛇は大きな口をがぱりと開けると美月に襲い掛かった。美月が木に飛び乗ると、鬼蛇は勢いのまま大樹に頭をぶつける。

 鬼蛇はぶんぶんと頭を振って木の上にいる美月を見上げる。


「………」


 鬼蛇は長い体で木を薙ぎ倒すと、その木を美月に向かって弾き飛ばした。美月は咄嗟に木から飛び降りたが、今度は大きな石が飛んでくる。


「罰当たりな……」


 大きな物体は神社のものを次々に壊していく。物の怪たちを呼び出してその木や建造物の破片から身を守った。

 だが、鬼蛇が暴れまわって地面が抉れ、足元が安定しなくなり、美月は倒れ込んだ。


「……?」


 倒れて地に手をついた時、ぬるりとした感触を指先に感じた。


 一方、鬼蛇は美月の頭から流れる血の匂いを頼りに彼女の居場所を探した。だが、不思議なことに美月の血の匂いが途絶えていた。


『どこに隠れているのですか?』


 勿論、答えてくれやしない。美月の気配が完全に消えた。

 その時。


『──!?』


 鬼蛇に衝撃が走った。曼珠沙華が鬼蛇の長い体を裂いたのだ。


『っ!!?』


 こんなに近くにいたのに、何故気配を感じ取れなかったのか。その真相はおかしな血の匂いにあった。


 先程鬼蛇が食い殺した人間の男の血を、美月は全身に塗りたくったのだ。鬼蛇が食い荒らしたがためにあちこちに血が飛び散っていた。


 美月は曼珠沙華を高速で振るって鬼蛇の体をずたずたに切り裂いていく。

 さすがの鬼蛇も弱って動きが鈍くなる。


「──地獄で償え」


 美月は頭を垂れる鬼蛇に向かって曼珠沙華を振り上げた。鬼蛇は最後も笑っていた。


『私はまた戻ってきますよ、何度で──』


 鬼蛇の頭を曼珠沙華が容赦なく貫いた。鬼蛇はついに動かなくなり、そのまま、塵となって風に流されていく。それと同時に鬼蛇が放った黒い短刀も同じように塵となって消えていく。

 鬼蛇の体が完全に消えると、美月は地面に突き刺さっていた曼珠沙華を引き抜いて、静かに鞘に収めた。


「帰りましょう」


 美月は物の怪たちを引き連れて神社を後にした。



…………………………………………………………



 あれから数年後のこと。美月は少し成長した日暮を連れて木々が生い茂る何の変哲もない山奥に訪れた。

 とある場所に辿り着くと、美月は目を閉じて息を吸った。


「母さん?」


 日暮は小さな手で美月の着物を掴んで呼びかけた。


「ここは、母さんの家があった所なの……」


 美月は懐かしそうにそう言った。


「日暮……?」


 日暮は握っていた美月の手を離すと開けた場所の中心に立って、笑顔で美月にこう言った。


「見えるよ! 綺麗なお屋敷!」

「え……」


 日暮からは、鬼神の気を感じた。


 ──あの子も、鬼神に……。


 過去の記憶や情景を見ることが出来る鬼神は一人だけだ。


「日暮……」

「母さん、見て」


 突如目の前に広がった光景に、美月は目を見開いた。

 さっきまで何も無かった場所に、美月が生まれ育ったお屋敷がそびえ立っているのだ。更に驚くことに懐かしい人影が奥からゆっくりと歩いてくる。


「母上……」


 烏の濡れ羽色の髪、濡烏と呼ばれた美女がそこにいる。美月が慌てて駆け寄ったが、その手は母の体をすり抜けてしまった。

 目の前にいる母の表情は、困惑していた。


「母上?」

「──。美月?」

「はい」


 返事をすると、母の表情はみるみる和らいでいく。次いで美月の顔を両手で包んで、その輪郭を確認ていく。


「大きく、なったね…」

「はい」


 微笑めば、母も微笑んだ。優しい表情だった。だけど、時は待ってくれず、母の体は徐々に薄れていく。

 まだ行かないでほしいと、美月は慌てて母を呼び止めた。だが、母は半透明の手で美月の頭を撫でると、優しい声でこう言った。


「今、幸せ?」

「幸せ、だよ」

「それでいいの。あなたが幸せなら、私はそれでいい」


 母はそう言い残して、姿を消した。幼少期の頃の記憶が蘇る。兄と母と共に遊んだ記憶を思い出して、涙が溢れてくる。

 その時、日暮が美月の袖を引っ張った。


「母さん、泣いてるの?」

「……ううん、大丈夫だよ」


 美月は涙を拭いて日暮を抱きかかえて、笑った。母親の笑顔ほどほっとするものは無い。日暮も嬉しそうに目を細めた。


「今日は、父さん、目覚ますかな?」


 日暮はおもむろにそう囁いた。

 鬼の寿命を受け継いだ夕霧は、今も尚眠り続けている。だが、睦月曰く、息は吹き返したらしい。美月も日暮も、夕霧が目を覚ますのを待っているのだ。

 だけど、信じている。夕霧が目を覚まして、会いに来てくれると。


 かつて住んでいた屋敷の跡地に背を向けて、美月は我が子を腕に抱きながら歩き始めた。


 ──日暮、大きくなったよ。夕霧、会いに来て、待ってるから。


 会いたい、会いたい会いたい。まだ、夕霧のことを想っている。ずっと、待っている。








「──美月」







 低い声が、美月の足を止めた。拭ったばかりの涙が再びぼろぼろと溢れ始めた。

 やっぱり来てくれたんだと、声のした方を振り向く。望んでいた人が、そこに立っていた。その人は、ゆっくりと近づいて、日暮ごと美月を抱きしめた。堪えきれなくて、美月は声を上げて泣いた。


「ごめんな」


 美月は声をしゃくりあげながら、その人の腕の中で頭を振る。


「置いて逝って、ごめんな」

「──っ」


 止まらない涙でその人の肩を濡らしながら、美月はまた、頭を振った。


「会い…たかった…っ」


 大量の涙を流し、顔を真っ赤にさせる美月の頭を優しく撫でながら、──夕霧は微笑んだ。


「今度は、一緒に生きよう。一緒に、長い時を最後まで」


 もう、どっちかが先に死ぬ運命はこれで終わりだ。家族で、生きていこう。ずっと、一緒だ。

 夕霧は葉月の命を受け継いだため、鬼となってしまった。それでもいい、美月と長い時を生きられる。たとえ何百年、何千年と生きたとしても、美月だけは離さない。もう二度と。


 夕霧と美月と、日暮の三人は、固く手を繋いで、家に帰って行った。




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