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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】率いる

 菊ノ清城は復旧のためにひと月ほど待たなければならない。更に、守りを強化するためにも人手が足りない状態だ。

 睦月を含め、頭領一家の者たちは草木帳の都にて話し合い、慎重にことを進めていった。

 睦月、文月、如月、野々姫、長月の計五名による鬼蛇対策への話し合いが始まった。


 まず、最初に被害にあった竜宮。当主の不在により、水の都の肩書きを持ちながら、水不足という深刻な問題を抱えている。しかし、鬼蛇たちに破壊されてしまった結界石はだいぶ回復したという。守りを司る神無月の働きがあったからだろう。

 次に、雪ノ都。こちらも竜宮と同じく、複数の敵から襲撃を受け、住民はかなり減った。当主である霜月が命を落としてしまったが、その子である小桜と小雪が鬼神となって跡を継いだ。鬼神二人がいるので、今の所は安心出来るだろう。

 そして、静美の里。強制的に蘇生させられた竜宮の元当主、水無月が巻き起こした洪水により、幾多の土地や命、静美の頭領が失われた。実の妹である文月が水無月を倒したことで洪水は止まったが、被害は大きい。


「ここまでくると、あの隻眼の鬼も厄介なものよのう。一体どれほどの者たちが朽ちていったか……」


 睦月が疲れきった声でそう言うと、隣にいた如月も頷いて同意を示した。


「問題はいくつもございます、頭領」


 如月は兄を敬い、頭領と呼んだ。


 ──頭領。


 突如、睦月に見据えられて、文月と長月は不思議そうに眉をひそめる。


「どうなさいました?」


 困惑する二人を見つめながら、睦月は顎に手を添える。


「お前たちならどうする」


 唐突にそう問われて、文月と長月は目を見開いた。

 如月は睦月を横目で見つめて、つい上がってしまった口角を袖で隠した。


 ──そうきたか。


 睦月は若い二人を試すように問いかけた。頭領の血を引くのは、今やこの二人だけだ。この二人が、鬼神を率いることになるのだ。今の、睦月と如月のように。


「まず、静美の里は、混乱状態であるにも関わらず、頭領がいません。なので候補にしたい者がおります」


 先に口を開いたのは文月だった。


「申してみよ」


 許可を得た文月は、父に感謝の意を込めて頭を下げるとその者たちの名を挙げた。


「お蝶でございます」


 この名が挙がるのは予想通り。そこで、睦月はいくつかの質問をしてみた。


「何故、あのくのいちを選んだ」

「蟷郎殿が亡くなられた後、里の者たちをまとめていたのはお蝶でした。それに、お蝶は蟷郎殿の一人娘です。問題はないと思われます」


 睦月は納得したのか否か、難しそうな顔で考え始める。


「頭領。敵の襲撃を受けた雪ノ都も、者共をまとめる頭領が決まってからは回復の兆しが見えている。この案は、良いと思われます」


 長月が更に付け加えてくれたことで、文月の提案に希望が見えてきた。文月が心の中で長月に感謝すると、それが伝わったのか長月は文月に視線を向けて小さく頷いた。


「良いだろう。静美の里は、お前たちに任せよう」


 睦月はようやく納得してくれた。文月と長月はありがとうございますと二人で頭を下げた。

 さて、雪ノ都は小桜と小雪のおかげで回復しているので、その件は二人に任せるとしてだ。竜宮の件は打つ手がないので非常に困る。


「水無月の五代目がなかなか決まらなかった理由は、鬼蛇のせいで水無月の武器が兄様から離れられない状態にあったからです」


 文月は、鬼蛇の分身、繭が兄の魂をこの世に縛り付けて、そのせいで水無月の武器も新たな主を探せなくなっていた事を説明した。

 繭は、鬼神の武器ごと魂を意のままに操る事が出来る、有能で、最強だった。


「竜宮に関しては、今のところ難しいわねぇ…面倒なこと……」


 呑気に返したのは、如月の隣で三つ編みを弄る野々姫。その仕草でさえも息を呑むほど優美であるというのに、扱いに慣れてしまった睦月と如月は冷ややかな視線を送った。

 それに対して野々姫は、これまた呑気に、「妾が美しいからってそんなに見つめないで」と微笑する。


「ねえ、睦月。妾、少し気になることがあるのだけれど。よろしくて?」

「なんだ」

「……あの人間の男、本当に生き返るの?」


 徐々に鋭く、冷たく言い放たれた。それは、息子を失った母としての僅かな怒りをはらんでいた。

 その人間の男を今でも愛している文月は、動揺を完全に隠し、至って冷静な顔つきで父を見つめる。兄を失った長月は、何とも言えぬ表情で俯き、如月は息子を失ったにも関わらず、いつもと大して変わらない態度で妻を睨む。


「野々……どういうつもりだ」

「気になったから聞いただけよ。だって、葉月は……青葉は鬼よ? 鬼の寿命で、人間を生き返らせることなんて出来るの?」


 野々姫の言葉が、文月の心を突き刺した。葉月は鬼。鬼の命を与えたところで、人間である夕霧が生き返られる保証はどこにもない。それなら、葉月の死は一体何だったのだろうか。野々姫が怒っている理由はそれだ。

 一気に空気が悪くなり始めた睦月と如月夫婦のそばで、長月の肩が文月の肩に軽く当たった。


「兄上は死を望んでいた。兄上が自ら選んだ道だ。お前が気に病む必要はない」


 長月は前を向いたまま、そう言ってくれた。その優しさに安堵した文月は、ゆっくりと頷いた。


 野々姫と睨み合っていた睦月は、ようやく答えを返した。


「生き返る。だが、人間ではなくなっているだろう」

「あら、生き返るのね」


 野々姫はもう一度確認するように問うた。


「野々」


 暴走し始める妻を止めた如月を、これまた野々姫は睨んだ。


「頭領。話を続けましょう」


 長月がそう言うと、親三人は渋々黙り込んだ。これ以上の悪い空気を吸いたくもなかったので、文月はほっとする。親同士の喧嘩なんて見たくもない。

 文月はふと、父親が言っていたことを思い出す。


 夕霧は生き返るが、人間ではなくなっている。


 その理由は、鬼の命を与えられたからだ。


「頭領、菊ノ清城に関してはご安心を。鬼蛇は、私が倒します」


 そう言い切った文月の瞳は決意に満ち溢れていた。葉月との約束を果たすため。兄の仇を取るために。


「何を言うか、文月よ」

「文月は、殺し屋でしたもの。依頼されれば即殺しに行くことが出来ます」


 文月は、鬼神の中で戦闘に適した能力を持っている。そのため、二代目から四代目までは殺し屋として動いていた。


「それは、もうお終いにしましょう」


 意外にも、野々姫が即止めた。


「二代目の頭領が決めたことだけれど、そろそろ文月を解放した方が良いわ」


 野々姫の切ない表情は、歴代の文月たちの生き様を語っていた。決して良い話ではなさそうだ。

 珍しく如月も野々姫に同意するような顔で文月を見つめている。


「文月……」


 長月までも、文月を止めたがっていた。


「……ならば、これで最後にいたしましょう」


 ここにいる全員を納得させなければ、話は進まない。


「私が鬼蛇を倒して、終わりにしましょう。文月の殺し屋としての仕事は、これで最後です」


 鬼蛇との戦いで、今までの苦痛を終わらせる。自分で決着をつけてみせる。文月の思いが届いたのか、睦月はあっさりと承諾した。


「余の娘が、あの虫に勝てぬわけがなかろう」


 睦月は強く、その娘も当然強い。当たり前だと睦月は言い切った。

 父は、娘を信じてくれているのだ。


「ありがとうございます。……父上」


 文月は少しだけ父を恨んでいた。母も兄も死んでしまったのに、父は何も行動を起こさない。そして、文月を一人ぼっちにした。

 何か理由があったとしても、幼いながら"文月"となった彼女にとっては、辛い出来事だった。


 ──そんな父上を、私も信じよう。


「ところで、夕霧は何に生まれ変わるのでしょうか」

「何故だ」

「それは──」


 一か八か。夕霧が生まれ変わってくれれば、全て上手くいくだろう。そう確信できた。



………………………………………………………………



 青々とした竹林を縫うように、黒い影がどこかへと向かっている。獣のような唸り声を上げて、時には人のような悲鳴を上げて、それはぼこぼこと膨らみながら林を侵食していく。

 それらは、ある男の前にぴたりと止まった。


「お腹は、空いていますか?」


 片目を布で覆った不気味な男は、つい今しがた奪ってきたと思われる、人間の片腕を手に笑う。切られた断面から滴り落ちる血を浴びて、影は死にものぐるいでその腕に飛びかかった。

 大きな牙で皮膚を破り、骨の碎ける音と、肉を歯ですり潰す音が竹林に響き渡る。


「ああ、私は食べられませんよ。でも、そこらじゅうに人は居ますからね」


『欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい』

『食いたい食いたい食いたい』

『お腹空いたぁあ』


 男の声が、時には女や子供の声が影から聞こえる。


「ああ、良かった。私の言葉が理解出来るようですね」


 嬉しそうに手を叩く鬼蛇に、影たちは赤赤と輝く瞳を向けて、肉をねだり始める。


「さあさあ、急ぎましょう」


 鬼蛇の後を追って、黒い影たちは田舎町を徘徊し始めた。




 その家では出張中だった父親が帰ってきたお祝いに、夕飯がいつもよりも豪華だった。突如、食器が僅かに揺れた。

 地震かなと、夫婦は子供たちを守る態勢につく。直後、壁が突き破られ、大きな黒い手が父親を攫った。

 家のあちこちが次々に破壊されて、子供たちを庇っていた母親が連れ去られた。

 両親を攫った化け物たちはむしゃむしゃと何かを頬張っている。

 子供たちは怯えるしかなかった。



 その光景を遠目から見ていた鬼蛇は楽しそうに微笑んだ。


「物の怪を使うとより迫力があって良いですね。やはり、生き物の死に様というのは心惹かれる何かがあるのです」


 やはり、この男、頭がおかしいようだ。生まれた時から殺ししか分からない頭だったのだから、当然だろう。

 繭が死んだ時に生まれた感情が何なのかさえも分からなかったぐらいなのだから。



…………………………………………………………



「人間たちが物の怪に?」

「弥生、琥珀、私と一緒に人間界に行きますよ。睦月様のご命令です」


 師走に真剣な顔で言われて、弥生と琥珀もすぐに頷いた。そばにいた小桜も立ち上がった。


「私も参ります」


 隣にいた小雪から「駄目だ」と即引き止められた。

 繭との戦闘で傷を負った小桜をまた戦わせる訳にはいかない。


「僕が代わりに行くよ」


 それに何か言い返そうとする姉の言葉を小雪は、全力で遮った。


「姉さんは傷の回復を待って」


 これ以上傷つかせたくはない。弥生も小雪に同意した。


「ここは小雪に任せた方がいいわよ、小桜。弥生もいるから、安心して」

「俺もいるんだけどー」


 弥生と琥珀がいるなら、小雪の安全も保証されるかもしれない。それでも、姉として心配してしまうらしい。

 小雪は苛苛とした口調で小桜を叱った。


「自分を大切にしなさすぎじゃない? ていうか、僕は雪ノ都の当主なんだから弱者と一緒にしないでよ。くどいんだけど、馬鹿なの」

「まっ、姉に対してそんな口の利き方がありますか!」

「そんなのどうでもいいじゃん」


 また喧嘩し始めそうな空気を醸し始めた双子の間を、弥生が割って入った。この二人は文月姫がいないと情緒不安定にでもなるのだろうか。

 物の怪を撃退しに行くのは、弥生、琥珀、師走、小雪に決まった。頭領一家とお蝶、小桜が草木帳に残ることとなった。物の怪程度なら、これぐらいで十分だろう。


 それにしても、何故突然物の怪たちが暴れ始めたのだろう。討伐組は疑問を抱きながらも、それぞれ武器を手に屋敷を出た。




……………………………………………………



 鬼たちは木々の上から、人間たちが住む田舎町を見下ろした。黒く大きな生き物たちが、家々を荒らし、そこから引っ張り出した人間をたらふく頬張っている。

 弥生と琥珀は二人で家々の間を駆け抜ける。右を向けば物の怪。左を向いても物の怪。この数を果たして相手に出来るのか。


「琥珀、弥生が教えた通りにね」

「当然だし」


 二人同時に弓を引く。威力は弥生の方が上だが、琥珀の方が繊細で的確だ。


 ──萩緑。


 長年愛用してきた武器を握りしめて、矢を放った。矢はきらきらと輝きを放ちながら、闇を切り裂いていく。

 弥生は死ぬ勇気を持っていた。だけどその分、生きる勇気を琥珀に貰った。琥珀という存在を守りたいのだ。

 物の怪は弥生たちを見つけると大きな鉤爪を振り上げた。


『──!!!』


 その時、弥生の矢を受けた大樹が物の怪の腹を貫いた。腹にぽっかりと穴を空けた物の怪は倒れる寸前に消えていった。

 この町には多くの木や緑に溢れている。その全てが、弥生の味方なのだ。

 また、弓を引く。


「一気に消しちゃうんだから!!」


 弥生の手によって放たれた矢は、蔓や花を纏いながら、一直線に進んでいく。蔓は鞭のように物の怪たちの体を叩きのめす。花は刃のように鋭く、物の怪たちの体を切り裂く。

 結構な数を倒し、弥生はひとつ、息を吐いた。


「琥珀!」

「弥生、いっぱい倒したな!」


 そういう琥珀こそ、小さい体ながらあの大きな物の怪たちを相手によく戦えている。

 だが安心したのもつかの間、物の怪の爪が目前まで迫ってきていた。気づくの遅くなり、すぐに弾き返すことが出来ない。


「……っ、琥珀!」


 弥生は咄嗟に琥珀を庇って背中から攻撃を受けてしまった。


「弥生っ!?」


 目の前に弾ける血飛沫に、琥珀は目を見開く。


「畜生!!!」


 琥珀は弥生を傷つけた物の怪の額に、見事矢を命中させた。物の怪は頭をふらふらと揺らしながら、消えていった。

 すぐに傷を負った弥生の体を引きずって、倒壊寸前の家に避難する。


「琥珀っ」

「うわっ!」


 血塗れの弥生は琥珀の肩を掴んで、顔を歪ませた。


「どこも、怪我してない……?」

「怪我してないから! ていうか、おめーの方が怪我してんだろ!」


 大きな足音が二人の元に近づいてくる。安全な場所なんてどこにもなかったんだ。

 弥生は決死の覚悟で立ち上がった。


「場所、気づかれてるのかも……弥生が囮になるから、琥珀は逃げて」

「待て!」


 琥珀に引き止められて、弥生は眉間に皺を寄せる。


「傷を負ってんのに囮になるとか、死ぬ気かよ! 俺も一緒に行くから!」


 ──それで、もしも琥珀が死んでしまったら?


 弥生は、卯月と皐月を守れなかった。いつも二人に守られてばかりで、結局二人を死なせてしまった。

 もう、失うのは嫌だ。怖い。

 弥生は先程攻撃された際に手放した萩緑を、もう一度呼び出して握りしめる。


 ──私が、琥珀を守らなくちゃ……!


 どんどん、足音は近づいてくる。琥珀を守るように身構えた時。


「弥生」


 琥珀の鋭い声が、弥生の耳を刺した。


「俺は、死なない」


 まるで心を読まれているかのようだ。

 物の怪は確実に二人の存在に気づいている。すぐそこまで迫ってきている。

 それでも弥生はゆっくりと振り返って、自分よりも少しだけ背の低い、琥珀の目を見る。


「弥生は、不安だもんな。誰かが死ぬの、もう見たくないんだよな」


 弥生の瞳が揺れた。


「俺も、もう誰にも死んでほしくない」


 琥珀も、瑠璃を失ったのだ。唯一、心を開いていた存在を失ってしまった。


「だから……」


 ついに、物の怪が二人が身を潜めている建物を覗き込んだ。


「俺が、弥生を守る」


 眩い光が、建物を打ち砕いた。驚いて後ずさった物の怪の体を弾き飛ばす程の強い力が働く。


 この力を、知ってる。


 弥生は、一瞬だけ見えた人影に、目を見開いた。


「皐月……?」


 ありえないのに、ほんの一瞬だけ、皐月の姿が見えたのだ。更に、皐月の武器、芭蕉が見える。これは、幻ではない。本物の芭蕉がそこにあるのだ。


 そして、芭蕉の槍を握っているのは、琥珀だ。


「──ふん、弥生を一人残していったくせに、偉そうなこと言うなよな」


 誰と話しているのだろう。琥珀は弥生には見えない何かと短く会話を交わした後、槍を大きく振った。

 暴風を巻き起こし、物の怪たちの大半を払い除ける。


「弥生!」


 琥珀が弥生の背中に手を翳すと、みるみるうちに傷が治っていく。気付けば、痛みもなくなり、完治していた。


「弥生、一緒に戦ってくれ。俺にも弥生を守らせてくれ」

「琥珀……」


 琥珀の顔は今までよりも強く、大人っぽく見える。

 もしかすると、弥生が気づかなかっただけで、琥珀はもうとっくに成長していたのかもしれない。

 二人はそれぞれ武器を握りしめて、再び戦場へと足を踏み入れた。



………………………………………………



 お蝶は日暮をあやしながら、ふと、外を見やる。美しい歌声で幸せを謳歌する小鳥たちを瞳に映しながら、溜め息をついた。


「疾風……」


 夫は、元気だろうか。何も言わずに行方をくらまして、更に父の蟷郎が亡くなった事が既に伝わってるはずだから、ますます心配かけてしまったかもしれない。

 沢山、仲間を失ってしまった。前の主の水無月も、父親の蟷郎も……そして、瑠璃も。


「私は……わっ」


 突然、髪を引っ張られた。日暮がお蝶の髪の毛を引っ張って、不思議そうな顔をしている。


「もう、日暮様。姫様の髪の毛も引っ張ってましたね。これ、結構痛いんですよ?」


 何を言い聞かせても、日暮は可愛い目をぱちくりとさせるだけだ。

 こんな可愛い顔をしているが、男の子だ。やはり、父親の面影を継いでいる。


「どんな女の子に出会うんでしょうね……あ、あなたのお父様とお母様はですね──」

「ちょ、ちょっと何を教えてるの?」


 すぐ背後から焦った声が聞こえて、お蝶は肩をびくっと振るわせた。

 振り返れば、案の定、赤子の母親と目が合った。


「姫様、お話は終わられましたか」

「終わったけど……」


 そんなことより、我が子に何を教えていたんだと、美月はお蝶をじっと見つめる。お蝶は苦笑いして、日暮をそっと美月に返した。

 日暮は母親の顔を見て嬉しそうに笑った。それに釣られて、美月の頬も緩んだ。


「この子の奥さん、確かに気になるけど……」

「ほら、気になりますでしょう?」

「でも、私と夕霧の話は恥ずかしいから秘密にしとこうかな」


 美月は頬を赤く染めて、いかにも秘密事を持っているかのように日暮から目をそらす。

 それがおかしくて、お蝶は小さく笑った。


「良いではありませんか、お話しても。あなたの父と母は、前世で愛し合って、何度も生と死を繰り返して、幾多の困難を乗り越えてやっと、あなたが生まれたのだと」


 お蝶はおとぎ話を子供に読み聞かせるかのように話した。こうして聞くと、美月の生き様は壮大だ。

 お蝶はその生き様に胸を打たれていた。


 夕霧と文月姫が出会わなければ、物語は始まらなかったのだから。


「お蝶、私についてきてくれて、ありがとう」

「どうなさいました、姫様」

「今、あなたについてきてもらえて心から嬉しいと、そう思えたの」


 お茶目に笑う美月を見て、お蝶も嬉しそうに微笑む。


「それに、今から話すこと、よく聞いてね」


 美月は真剣な顔で、お蝶と向き合うように座った。お蝶はいつものように、気を引き締めた顔で頷いた。


「お蝶。あなたを、静美の頭領に任命する」


 お蝶の反応は至って冷静で、動揺を見せない。それでも、顔つきが変わっていた。それは、父の跡を継ぐという重要な役割を与えられた、責任感のある表情だ。

 さっきまで、女同士としての会話を交わしていた二人。今は、正真正銘、主従として言葉を交わしている。


「きっと、あなたならやり遂げることが出来る」


 美月の、お蝶に対する信頼が、そこに表れていた。


「はい、姫様。ありがとうございます」


 お蝶は目の前にいる主が、眩しくて仕方なかった。

 美しい姿勢、凛とした顔つき、それでいて落ち着いた声。お蝶は、確信していた。



 この方が、鬼神一族を率いる鬼姫なのだ、と。




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