【第一章】兄弟の襲撃
「おい師走ー」
月火神社。縁側に寝そべる皐月は先程から何度も欠伸をしている。
「皐月、あなたも弥生と卯月を探す手がかりでも探してきては?姫様たちに任せっきりにしないで」
「お前は昔からそういうところあるよなー」
「……あなたに言われたくないです」
常に冷静な師走だが皐月と話すときはとても疲れる。これが本当に鬼神なのかと疑ってしまうこともしばしば。
「とりあえず、目の保養に卯月を見たい」
皐月はごろりと寝そべりながら天井を仰ぐ。美を司る鬼神、卯月は文月姫と張り合う程の美女でオマケに心も美しいというまさに理想の女性だ。その優しさから弥生に慕われている。
「それに、卯月がおらぬとこの世の中が輝かんな」
「あなたの態度には、卯月も心底呆れておりましたよ」
師走はため息をついて落ち葉をはわく。
「しかし…卯月もですが、弥生の封印も解かなければまずいことになりますよ」
師走は枯れかかった木や草を見つめて呟いた。
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──その美しさで人を惑わす鬼がいるそうだ。
人間のその根拠のない噂というのは今も昔も変わらない。変わらなさ過ぎて笑えてしまう。
卯月は優しすぎる。自分を意味もなく蔑み、訝しむ人間たちにさえ、手を差し伸べる彼女は鬼である身を捨てたも同然の振る舞いだった。
『──卯月様…。待っていてください。この弥生、一生あなたの元で……』
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「美月。美月ってば、次移動教室!」
肩を揺さぶられ目を覚ますと眉を顰めた夏海の姿が目に入った。
「美月が居眠りなんて珍しいね」
夏海は首を傾げて美月の顔を覗き込む。
「夢……」
すごく不思議な夢だった。目を擦って席を立つ。
クラスメイトたちは次の授業の準備をして教室を後にする。美月も急いで机から教科書を取り出すと、声が聞こえた。
──────『近い……』
その声は凛としていた。急に動きを停止させた美月を不思議に思い、夏海は再び眉を顰めた。
「美月、大丈夫?具合悪いなら保健室に行った方が…」
「大丈夫大丈夫。ごめん、まだ眠気が覚めないみたい」
立ち上がり、夏海の隣に並ぶと二人で教室を後にする。それまでずっと、夏海は美月の心配をしていた。
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放課後。帰り道の途中にある、いつもの神社が近づいてくる。師走と皐月に会ってくるか、と鳥居をくぐり抜ける。
「お、姫!」
縁側で寝そべる皐月が美月に向かって手を振る。
「皐月、まさか寝てばかりで師走様にご迷惑をかけたりは…」
「いや、全然そんなことはしてない!俺はこう見えて働き者…」
そこで言葉が途切れた。皐月の目線の先には師走がいた。
「まったく、嘘はよしなさい。寝てばかりだったのですよ」
師走は苦笑しながら美月たちの元に歩み寄る。
「皐月ったら…」
「姫!違うんだ!」
言い訳を始めた皐月に呆れていると師走が会話を真剣な表情で聞いてきた。
「姫様、弥生の居場所を突き止めることはできましたか?」
「いいえ。…でも」
一つだけ、気になることがあった。
「鬼の気配を感じるんです…。今日、夢の中で弥生らしき人物の思いを感じたんです」
師走は美月の話を真剣に聞き、皐月に目を移す。
「皐月。弥生は近くにいるかもしれない。あなたも探しなさい。でなければ、この世が危ない」
その言葉に皐月も頷く。
「ああ、もちろん」
師走は美月に告げた。
「姫様。あなたはあくまで、文月姫の生まれ変わりであって、曼珠沙華があなたを主として認めるまで随分と時間がかかるかもしれない」
「……」
曼珠沙華の主は文月姫。美月は姫の生まれ変わりであって、曼珠沙華はそれを認めているのか、実際のところわからない。
もし、まだ曼珠沙華の力を使いこなせないのなら独断で行動なんてできっこない。
「しかし、曼珠沙華が絶対にあなたに手を差し伸べないわけではありません。信じて、その時を待つのです」
美月は突きつけられた真実を受け入れ、頷く。
「はい。信じます」
曼珠沙華が、私を認めるまで諦めない。そう心に誓った。
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神社を後にし、美月は誰かの気配を感じ取り、歩みを止めた。
異様な雰囲気に眉を顰め、辺りを警戒する。
「……誰?」
思い切って見えない誰かを突き止めることにした。
「おや?ただの人間に生まれ変わったと聞いていたが…。鬼の本能がついに目覚めたか」
現れたのは二人の男だ。その頭には二本の角が生えている。
男たちの様子を見てすぐにわかった。
「葉月…長月…」
「闇百合」
男たちの名を呟くよりも先に鎖が瞬時に美月の体に巻き付く。
「…っ!」
曼珠沙華が入った鞄が手から離れてしまう。
「良いぞ長月。全く、夕霧も役に立たないな。さっさと始末するぞ」
長月の持つ鎖が美月を締め上げる。骨が軋み始める。
「くっ…!」
まだ無力な美月では何もできない。とにかく曼珠沙華を手にしなければ。
「文月。女でありながら、次期頭首の身であるお前が心底憎かった。お前さえいなくなれば、この葉月が睦月の名を手に入れられたのに」
「……っ、私は、もう人間よ…。文月姫じゃない…!」
美月の悲痛な声に葉月は目を細めた。
「お前は、文月だ。双子の小鬼を従える、曼珠沙華の主。わからぬか、自分の中にある力を…。憎らしい程の力を…!」
葉月の手に、大鎌が現れた。鋭く光る刃が、美月の喉元を捉えた。
「安心しろ、お前の遺体は夕霧と共に葬ってやる」
「夕霧…」
夕霧が、この二人と手を組んでいたのだろう。夕霧は美月の命を狙っている。丁度同じ目的の葉月と長月がそれを利用したと考えられる。
──美月を殺すことができたら、今度は用済みになった夕霧を殺すつもりなのだろう。
「やめろ…」
やけに全身が震える。殺されようとしているのに、震えない方がおかしいだろうが。だが、それとは別の理由が美月の全身を駆け巡った。
葉月は大鎌を大きく振り上げた。
「夕霧…………!!!!!」
「っ!?」
鞄の中にある曼珠沙華が赤い光を放ち、葉月と長月を吹き飛ばす。体中に巻き付いていた鎖が緩んだすきに、抜け出し、鞄を持ってその場から駆け出す。
もうすぐ家。だが…。
「待てっ!」
葉月たちが追ってくる。このまま帰っても、小桜と小雪が無茶をするだけだ。
──帰ってはいけない。
あの二人を守るために、美月は家から遠ざかる。
だんだん民家が少なくなり、木々が生い茂る場所まで潜り込んでいく。
──傷つくのは、私だけで良い。
いつだってそうやって他人優先に考えてきた。それが、美月の悪いところだった。
鎖が突如現れ、目の前の地面を叩き割る。
「…!」
「逃げられると思うな」
葉月と長月が美月を挟み撃ちにする。
「お前は前世のときから馬鹿な女だったよな、文月」
葉月が大鎌を手に、じりじりと迫り来る。
「それにしても、先程の様子。そんなにあの男が大事か?」
夕霧のことだろうか、何故、前世の自分を殺した男を大事に思わなければならない。
「何のこと……」
眉をひそめて葉月を、そして後ろから迫り来る長月を警戒する。曼珠沙華を握りしめる手が汗ばんでいる。
「覚えておらぬか。まあ良い、お前も夕霧も殺す。そして、俺が鬼神の頭だ!」
兄弟は同時に地を蹴り、向かってくる。
──夕霧を、殺す…。
胸が、ざわつく。
夕霧を殺す? 夕霧が死ぬ? 夕霧が、こんな奴らに殺される?
「お前たち…」
曼珠沙華を鞘から引き抜く。長く、赤く光る刀を構えた。
美月の目はギラリと光り、それは殺意に満ちた怒りの目だ。
「『曼珠沙華』」
まず、目の前にいる葉月の肩を、そして振り返り、鎖を払って長月の横腹を斬る。
「…っ!」
「…!?」
二人は傷を負った箇所を押さえ込んで美月から距離を取る。
血を浴びた曼珠沙華はまるで喉が乾いていた吸血鬼のように歓喜に満ち溢れ、更に光る。
長月の方が傷が深かったのか、彼はうずくまったままだ。だが、葉月は低く笑いながら美月を見据える。
「───なんだ、やはり力は衰えていなかった…」
瞬間的に迫ってきた葉月の刃を避け、どんどん山の中に入り込んで行く。
何故だろう、曼珠沙華が山奥に進むにつれて、反応している。振り返れば、木が次々に薙ぎ倒されていく光景が目に入る。葉月が追ってくる。
なんとか巻けないだろうか。美月は木を利用して走り込み、ある大木の影に隠れる。
曼珠沙華が震えている。
(何なの…?)
下を見てみると何かの紙が土に埋まっているようだった。
(ここを掘れって言うの?)
美月は土を掘り返し、埋まっている物を確認する。それは御札が貼られた小さな箱だった。
曼珠沙華の反応からして、この御札を剥がせという意味だろうと悟る。
「見つけたぞっ!!」
まるで宝を見つけて喜ぶ子供のような声が上から聞こえ、見上げる間もなく鎌が振り下ろされる。それを避けて美月は曼珠沙華を構える。
「大人しく死ねっ!」
葉月の振り回す鎌を曼珠沙華で遮り、距離を取る。何とかして葉月の動きを封じなければ。美月は曼珠沙華を握りしめ、目を瞑る。葉月の足元が赤く光っている。
「ぐあぁっ!」
曼珠沙華の刃先が葉月の足元を斬り、その痛みに顔を歪めた葉月が倒れ込む。今のうちに、さっきの御札の元へ駆け込む。御札を掴むも、剥がれない。
「なんで!?」
引っ張っても、引っ掻いても。御札は箱から剥がれない。
「文月っ…」
葉月が足を引きずりながら立ち上がる。
「お願いっ、剥がれて!」
願いは届かない。すると、曼珠沙華が震えだす。
(だったらっ…!!)
美月は曼珠沙華を両手で持ち、御札に向かって突き立てた。御札は光を発しながら箱ごと粉々に砕け、葉月と美月を吹き飛ばした。
何が起こった、と倒れ込んでいる美月は顔をあげるとその箱があった場所を震源に山が揺れた。
「何なのっ…!?」
途端、蔓が伸び、鞭のように葉月を叩き飛ばした。葉月は痛みに顔を歪めながら姿を消した。
光の中から現れたのは一つに束ねられた長い茶髪を揺らし、黄金の花柄の袴を身に纏う一人の少女。その頭には二本の角があった。
「あなたは……」
美月が聞くと、あどけなさが残る少女が口を開いた。
「姫様…。ありがとう」
少女は微笑み、こう言った。
「───土を司る鬼神、弥生と申します」
皐月の秘密。
目つき悪い、態度も悪けりゃ言葉遣いもよろしくない。
こんな男だけど実は、花が好き。