【序章】
『茜色の空
御前の笑みの色
眩き言の葉は冷むわがこころをぬるみける
愛おしい夕暮れ
離れなで隣る
はじめての嫋やかな恋草
藍色の空
我が涙の色
幼き頃のおもひでは包み隠して捨ててしまえ
愛おしい夕暮れ
離れなで隣る
泣き濡れる哀れな恋草
今一度 恋い慕う御前の元へ
この命 投げ出づと臍を固める
……愛おしい夕暮れ
隣りに居ぬ
臍を噛む御前が労しい
どうか生きて 恋しい夕暮れよ
御前がいかなる所に生を変へたりとも
会いに往く
時雨る恋文はこれにて終ふ』
──愛するあなたへ 聞きたいことがあるの。
──何故、私を殺したの。
丑の刻。人々は松明を手に、木々の生い茂る山へと駆け抜けていく。山の奥深くに、息を潜めるように小さな屋敷が建っている。屋敷の当主と思われる黒髪の鬼姫は、徐々に近づいてくる男たちの唸り声と足音に耳をすませている。
「姫様。お逃げください」
鬼姫の後ろに控える二人の忍。その一人が不安げな声で呼びかけると、姫はさっと顔を上げ立ち上がる。
「心配するな小桜」
紅色の刀を手に姫は立ち上がった。
「鬼姫はどこだ!!」「成敗してくれる!!」
「妖を封じよ!!」
ついに、男たちは屋敷に辿り着いた。姫はおかしそうに喉を震わせた。
「結局、私の居場所など、無かったわけだ」
姫は二人の忍に向かって叫んだ。
「私の後に続け!」
「仰せのままに。姫様」
忍は声を揃えて、立ち上がる。
屋敷を完全に包囲した人間たちは、鬼姫はどこだと探し回る。
突如、紅の刀を振るいながら黒髪の鬼姫が姿を現した。一瞬にして人間たちは斬られていく。
「ここを去れ!! 無駄に命を奪いたくはない!」
鬼姫の話など聞くはずもなく、人間たちはそれぞれ武器を手に鬼姫へと向かっていく。
「鬼姫!!」
その声に反応して姫は急いで振り返る。一人の男が姫の背後を狙った。だが男の刀はかわされ、紅色の刀で跳ね返された。
「夕霧…っ」
目の前に降り立った男を、姫は驚愕の表情で見つめた。
「夕霧、私が分からないのか!」
姫は胸に手を当てて、私だと、必死に訴えた。なのに、夕霧は眉間に皺を寄せて警戒心溢れる目で鬼姫を睨みつける。
「訳の分からぬことをほざくな妖め! 霧の部族次期頭領として、俺はお前を殺す!!」
夕霧は刀を構え、鬼姫と激突した。二人の刀がぶつかり合い、刀の擦れ合う音が木霊する。
夕霧以外の人間たちは鬼姫の屋敷に乗り込んでいく。屋敷の中には、同胞がいる。そんな心配をする余裕もなく、鬼姫は夕霧の攻撃を必死に受け止める。
鬼姫は、夕霧を傷つけることが出来なかった。そんな甘えた感情が命取りとなってしまった。夕霧の刀が鬼姫に向いたその時、鬼姫は刀を握りしめていた手から力を抜いた。
「………!!」
鬼姫の腹に、鋭い痛みが走り抜ける。
夕霧は更に深く刀を突き刺す。鬼姫は短く唸り、手から紅色の刀がするりと離れた。刀は金属の音を響かせながら、固い地面に転がり落ちた。
夕霧は鬼姫の腹から刀を抜き、血を払って静かに鞘に収めた。
「姫様!」
別の場所で戦って体中に傷を負った二人の忍が、倒れた主の元に慌てて駆け寄った。
「小桜…小雪…。私の、曼…珠沙華を………」
手放してしまった刀のために、姫は途切れ途切れに声を発する。夕霧が小鬼二人に目を移す。
──その子達には、手を出すな…。
次は二人が狙われるのではと、鬼姫の体が強ばった。夕霧が二人に刀を向けたその時は、軋む体を無理やりにでも引きずり、二人を守らなくては。
「小鬼がニ匹…。子供なら仕方あるまい…」
夕霧はとりあえずは二人を逃がすつもりのようだ。それがわかり、鬼姫は安堵の息をつくと二人の小鬼に伝えた。
「曼珠沙華を…持って…お行き…」
二人の忍は、側に転がり落ちていた刀を急いで拾うと、鬼姫に見せてあげた。だけど、鬼姫は厳しい顔で二人を睨みつける。
「何をしている…さっさと逃げろ!!」
二人は涙を浮かべ、くしゃりと顔を歪める。鬼姫のそばを、離れたくなかった。
「よく聞きなさい…っ……私は、ここで果てはしない……。また会える…曼珠沙華を、しっかり……持っていなさい!!」
主の言葉を信じて、ここを立ち去るしかない。二人は同時に頷くと、紅色の刀を大切に抱えて鍛え上げた脚力で屋敷の敷地内を急いで出ていった。
二人を見送ると、姫は疲れきった顔で空を仰いだ。
「鬼として生まれたのが哀れ…。来世は人間であることを祈るぞ。お前の死体は霧の部族が引き取る」
夕霧は姫に向けてそう言うと、背を向けた。
「なぜだ……」
鬼姫の声が、立ち去ろうとする夕霧の足を止めた。
「私は、お前を……」
だんだん小さくなる、か弱き声の主を、夕霧は目を細めて見下ろした。
「───何のことだ……」
その声はやけに冷たかった。
───あなたが、そんなことを言うなんて…。
やがて、鬼姫は動かなくなった。その固く閉ざされた瞼から、一筋の涙が零れ落ちた。彼女の手には、鈴が握られていた。悲しい音色を立てながら、鬼姫の最後を哀れんだ。