美醜
鏡に映った自分の笑顔に、自分はひどく失望した。
犬の笑顔の見づらいことはよく人間が言ったものだ。その通りである。自分の見づらいのは笑顔だけでない。毛も抜けてきた、鼻っ柱も少々すりむけて、色が変わっている。しかし一つ喜ばしいことと言えば向こうにいらっしゃった、ヨークシャーテリアのお嬢さんの容姿、臭い、そして彼女の所作というものが、他の犬どもと分け隔てなく感じられることである。自分の湿り気の少なくなった鼻っぱしに触れる、あの、つんつんとした香りに、それに加えて彼女の飼い主である女性の、これもまたなおさらつんつんとした香りが触れるとき、自分はそこがどこであろうとも眠ることが出来る。安心するのだ。ただ自分は薄暗い道路の端に寝転がって、深い眠りに落ちるのだった。
夜、車の多く通る道路は信号がしょっちゅう色を変えてみせるが、自分はいつもどの色の世界に飛び込もうかと考えている。自分のように、白と黒の単色系に押しつぶされているものにとって、色を求めるのは当然のことではないか?闇の内にいる自分を少しばかり照らし出すものは自分をむやみに誘惑し始める。自分はやみくもに4本の足で地を蹴って、薄汚れた体を空気中にさらしてみる。ところがそんな時に限って人が丁度通りかかろうとしていたりなどして、うまい具合に自分がその人に飛びかかったような形につくりあげられる。一瞬の誘惑が、誤解を招く。それでも自分というものは闇の内において自分で悲しくなるほど強かった。自分は自分の強いことを何故だと思いながらも嘆くことがあった。
自分は一度として色の世界に浸ることなく、単色の世界で生を営み、それを苦とも思わず闇のなかを歩き回ることを天職のように心得ている。そう心得ている限り、自分が闇のなかを浮遊するような心持ちに浸る事が出来る。自分が唯一美しい時である。