第5話 ルティ
フロアに出てきたマーヴェがリトに声をかけた。
「アロワ。 私の部屋でお茶でもご一緒しませんこと? お父様から差し入れでいただいたノリト国名物のフラワー・クッキーがありますのよ。 私の部屋は突き当たりの緑のドアですから遠慮無くいらしてね。 お待ちしているわ」
マーヴェは花柄のワンピースに着替えていた。 部屋着のつもりらしいが、リトにとっては十分よそ行き着としてしか使えないようなワンピースだった。
リトの視線に気づいたのか、マーヴェはワンピースのすそを少し持ち上げて揺らしながらわざわざ説明をしてくれる。
「珍しいでしょ? お父様が特注でデザイナーに作らせた部屋着なの。 こんな質素な館生活ですもの、浮いてしまうのも仕方ないわね」
仕方ないわねといいながらも自慢げに微笑むマーヴェを見て、リトはお茶をしにいくのを止めようかと思ったけれどそれだけを理由につき合いを断るのも大人げない気がしてこらえることにした。
マーヴェの後ろについて廊下を進んでいく。
それにしてもマーヴェ、ロッティの他に人はいないのか、不思議でならない。 3時の調べがなったとき、そしてさっき外を眺めた感じではもっと多くの人がいてもよさそうなものなのだが。
「こちらよ。 どうぞ」
ご丁寧にロッティがマーヴェの部屋の扉を開けて待っている。
軽く会釈して中に入ると、何というか……「まぁ……」と呟いた。
「嫌だわ。 驚かなくて結構ですのよ」
そういう意味での「まぁ」ではなかったのだが、二人は褒められたと勘違いしたらしい。 とてもご機嫌になってリトを椅子に座らせた。
見るからに特注とわかる、深紅の生地に金の刺繍がふんだんに施された重厚でゴージャスなカーテン、ふわふわで、一度寝たら埋もれて二度と起きあがれないのではないかという位の迫力があるベット。 ルビー色の風合いが見事なアンティークのテーブルとチェア。 壁に掛けられた多くの写真と人形、オルゴール、宝石箱……どこからどう見ても裕福な貴族の部屋である。
しかし欠点があった。 部屋が狭すぎるのである。 こじんまりとした2人部屋に10人家族が生活しているかのようにすべてが所狭しとなっており、しかも一部屋全体がそのトーンで統一されているならまだしも、ここは通いの者が一人いる二人部屋。 部屋の半分は(というよりマーヴェの荷物が多すぎて、残ったスペースは4分の1くらいだが)リトの部屋と同じ、質素だが整理されている空間だからだ。 マーヴェ地帯は酸欠で息苦しい感じがして、残りの部分は酸素の吹き出し口にすら思えた。
あっちの爽やかな空間に座りたい……
そんなリトの心も知らず、マーヴェは紅茶を差し出し、ロッティの説明に嫌だわ、とかお恥ずかしい、とか言いながら調度品の数々の説明を懇切丁寧にするのだった。
「家を出るなんて初めてでしょう? 不安で不安でついつい小さい頃から大事にしているものを持って来ちゃいましたの」
そこにはリトも同意した。 リトもここに来るまで不安でたまらなかったのは事実だ。 リトはまだ割り切ってしまえば平気だが、この二人のように見るから良いところ出の娘だと親元を離れて暮らすのはさぞや辛かろう。
「でも結局この位しか持ってこれなかったのよ。 アロワ。 よろしかったら残りを今日これから御覧になる? 家はすぐ近くでしてよ。 よろしかったらお夕食も御馳走しますわ。 ロッティもいかが?」
「まぁっ、嬉しいわ!! ぜひご一緒させて頂きますわ。 光栄ね、アロワ!」
……えと。ここは親元から通えない人がお世話になる館であって、ということは今から遊びに行けたり夕食をご馳走になれる距離に家があるということは……
「マーヴェは、通い?」
リトの問いに、一瞬、マーヴェもロッティもぽかんとしたが、次の瞬間何かの糸が切れたかのようにオー、ホホホホホと高らかに笑い出した。
「オー、ホホホ。 嫌だわ。 アロワ。 一度聞いた事を忘れるようでは幼稚舎からやりなおさないといけませんわよ」
「ホホホ。 まったくですわ。 南の村の人って面白いのね。 一度聞いたことを忘れるのですもの」
かっ、と頬が赤くなった。
私はそんなに常識はずれの事を尋ねたのだろうか?
「私は泊まり組ですわよ。 もう覚えて下さったかしら? それとも紙か何かに大きく書いて張り出さないといけないかしら? オホホホ」
「なんてすてきな考え! じゃあ私が紙に書きますわ。 扉に張り出して声に出して読んだら覚えないかしら?! ホホホ」
嫌だ。
この笑いは意地悪なのだろうか、冗談なのだろうか。 本当におかしいだけなのだろうか。
抗議するタイミングも失い、リトは唇を噛んだ。
マーヴェ達は心ゆくまで笑った後、浮かべた笑い涙を拭きながら再度尋ねる。
「それで今からどうなさるおつもり? もちろん……」
「新人さん。 女官長が呼んでるわよ」
突然、よく通る堅い声がマーヴェの問いを遮った。
振り向くと扉の所に少し大人びた感じのショートヘアの女性がいた。
「マーヴェリックル。 そういう訳だから今日のご招待はいつも通りロッティ一人になさい」
その少女は淡々と告げると、手に持っていた本を部屋の中の棚に置き、リトに女官長の部屋まで送ると言った。
マーヴェは面白くなさそうな、でも、言い返すほどでもないとでもいいたげに上目遣いで彼女を見ていたが、首を軽く横に振るとため息をひとつついて仕方ないわねと呟いた。
「今度はぜひいらしてね。 アロワ」
そういうマーヴェの表情は、どこか挑発的だった。
「さ、行きましょう。 新人さん」
リトに返事をさせないかのように彼女が言うと、マーヴェは少し顎を突き出して言った。
「大変ですわね。 ルティ。 監督役も」
「おかげさまでね。 ……さて、急ごうか。新人さん」
彼女、ルティはマーヴェの態度を気にもせず、リトの手を取って部屋を出る。
扉が閉まるとすぐさま扉一枚隔てた向こうでマーヴェ達がキイキイと大層ご立腹してわめいているのが聞こえてきた。
ルティはリトの顔を見てにっ、と笑った。 少女なのにどこか少年のような笑顔だ。
「はじめまして。 私はルティ=チャーブ。 この白の館にいる女性の監督役をしてる。 って、一番古株ってだけだけど。 女官長はお忙しいから簡単な事や分からない事や困った事はいつでも相談に乗るよ。 ――ところでだ。新人さん、名前は?」
ルティは指を一本立ててリトの鼻頭に当てて尋ねた。
来たばかりだから当然なのだけど本日何度目の自己紹介だろう。 リトは名前を告げるとルティは数回反すうした。
「リトでいいね。 その方が覚えやすいし。私のことはルティでもルーでも好きに呼んで」
ルティは腰に手を当て困ったように言った。
「人の名前覚えるの得意じゃないんだ」
そして廊下を歩き出す。
ああ、やっと安心できる人に会えた気がする。
でもマーヴェと同室ならば……
「ルティは、通いですか?」
ルティの後についていきながらリトは尋ねた。
振り向かずに返事が来る。
「ん? ああ。 違うよ。 泊まり」
それは嬉しい返事だったが、1室に泊まりが2人いるのだろうか、それともやはりマーヴェが通い?
【私は泊まりですわよ。 もう覚えて下さったかしら?】
彼女の嫌な笑い声が頭に響く
リトの足取りが次第に重くなり、ついには止まった。
「どうした?」
ルティが気づいたらしく、振り向くと少しかかんでリトの顔をのぞき込んだ
「分からない事は聞く。 あなたは新人なんだからそれでいいんだよ」
ん?と子供をあやすように首をかしげて微笑むルティ。
「それを茶化す人は子供だ、とでも思えばいいよ」
彼女が何を言いたいのかは分かった。
その言葉が心にしみて暖かかった。
不意に涙が出そうになり、リトは自分が新しい環境で緊張していたのだと知った。
ルティは再度にっ、と笑うともうこの話は終わったとばかりに胸を張って口を開いた。
「今から館の中を少し案内しようかと思ってたんだけど、もうだいたい見てまわって分かっちゃった? そうなら私の部屋かティールームでお茶しながら館の仕事について説明しよっか。 今はまだ他のみんなはお手伝いしている最中だから静かでいいし」
「他のみんな……って」
「ああ、そっか。 まだ分かんないよね。 んじゃもっかい1階から観光しよっか」
ルティはフロアにでて階段へと向かう。
「あ、あの、女官長は?」
4階の階段のすぐ側には女官長宅という赤いプレートのかかった扉があり、僅かに扉が開いていたので女官長はそこに居るようであった。
階段を下る足を止めて振り向くと、ルティは舌をぺろっと出した。
「リトが居心地悪そうにしてたからさ」