第4話 弓という少女
弓という少女の第一印象は、とても大人しそうな感じの子、だった。
つややかなサラサラの黒髪は腰ぐらいまでの長さがあり、左の前髪を小さい赤や青の綺麗な紐で彩られた髪留めで押さえている。
「初めまして。 リトゥア=アロワです」
「あ、えと、」
弓は自分以外に語りかけられた者がいないか確認するように女官長の顔を見る。 女官長が優しく頷く。
「初めまして。 弓です。 弓矢の弓と書きます」
丁寧だけれど声は弱々しく、まるで彼女の方が右も左も分からない新参者のような感じすらした。
何をそんなに遠慮しているんだろう。
漢字の名前が珍しいからだろうか。
そう思うリトゥアの心が分かるのか、弓はうつむき、女官長も心配そうに弓を見つめる。
「ええと……それでは、リトゥア。 今日は荷物の整理をした後は自由にしていて。 あと、分からない事があればいつでも女官長室へ。 よろしい?」
「はい。 あ、女官長」
リトが呼び止めると、部屋を出て行こうとしていた女官長が少し眉をひそめて振り返った。
「ここは愛称で話してもいいのですか?」
「構いませんよ?」
「良かった。 いっつもリトって呼ばれていたから息苦しかったんです」
リトがにっこりと笑うと女官長もほっとしたように微笑んだ。
「それでは私もあなたをリトと呼ばせて頂くわね。 弓もそうなさい?」
弓はやはりまだ不安そうにこちらを見る。
なんだかこっちの方が気を遣わなきゃいけないみたいで。
仲良くなれないかもしれない。
そんな気すらした。
女官長が去ってしまうと部屋には重苦しいとしか表現できない空気が流れた。
何か話さなきゃ。
「えー、っと。 弓、さん、は」
質問を考える。
「どっちの机使ってるの?」
「あ、右側……です」
「じゃあ私は左側を使うね。 えーっと、そしてそして、と」
話が弾まない。
「しゅ、出身の村はどこ?」
その質問をした途端、弓の表情が更に硬くなった。
「……北のスイルビ村……」
返事はとても小さく蚊の鳴くような声。
スイルビ村。
確か何か名物というか有名なモノがあった気がする。
それさえ思い出して話をすればきっともっと打ち解けてこの場が和やかになるはず。
「あー、スイルビ、スイルビ村ね。 えっと、そこって何だっけ、確かー、ゴメン。 私って、地理は苦手だった」
弓は困った様に笑いながら静かに首を横に振るだけだった。
ダメだ。ハズしちゃったみたい。
ゴーン…ゴーン…ゴーン
その時、美しい鐘の音が表に鳴り響いた。 この部屋は教会側にあるので窓から教会の青い屋根と揺れる金の大鐘が見えた。
どうやら教会にある鐘が鳴ったようだった。
「3時の調べよ」
やっと弓が普通に口を開いた。
「あっ、時計代わり?」
「うん。 今日の学びはお終い、って知らせ」
それでか。
白の館の中や庭がざわつき始めていた。
「あの、リト…ゥアさん、私……帰るわね」
「え? もう?」
そういえば同室の一人は通い、だった。
「ここから家までどの位?」
「結構歩く、かな」
「今度遊びに行っていい?」
思わず口からそんな台詞が出た。
「え、あ、えと……」
良いとも悪いとも答えず弓は何か言葉を探していた。
「じ、冗談冗談。 ちょっと驚かそうと思って言っただけ」
何となく焦ってリトが言う。 弓はほっとしたようだ。
「明日何時に来るの?」
部屋を出て行こうとする弓にリトは質問した。
「9時ちょっと前よ」
「そ、そう? うん、じゃ、明日」
軽く会釈して去る弓にリトは手を小さく振った。
足音が遠のく。
リトは振っていた手をだらりと垂らすとそのまま後方のベットへと後ろ向きに倒れ込んだ。
「しんどぉーーーーーい」
ダメだ。
肩こった。
気を遣った。
この子とは仲良くなれない。
きっとそう。
「弓さん……かぁー」
名字、聞くの忘れた。
リトはくっくっ、と笑い出した。
どうしてまだ弓の事を気にしてるのか。 ただのルームメイトでしかも通い。 一緒に寝泊まりする訳じゃないから気にしてもあまり意味はないだろうに。
「荷物、片づけよ」
ゆっくりと身を起こそうとした――その時
「ねぇねぇあなたが今日来た子?!」
金髪のおさげで大きな丸い眼鏡をかけた少女がいきなり部屋の中に入ってきて、頭に響く高いキーで話しかけてきた。
「え、うん。 そう」
「はじめまして! 私はロッティ=ヴィルルカス。 お隣のお部屋よ。 私もお泊まり組なのよ。」
「私はリトゥア=アロワ。 リトって呼んで? ロッティ=ギルルカス」
積極的に話しかけてきたので嬉しそうに答えるかと思いきや、ロッティはあからさまに顔をしかめ、口をとがらかせて訂正した。
「ギル、じゃなくてヴィルよ。 アロワ。 ギルじゃ5等位貴族になっちゃうわ。 私は6等位貴族なんですからね。 間違えてもらったら困りますわ。」
大げさに手を腰にあてて仁王立ちしたポーズでギル、ではなくヴィルルカス嬢は言い放った。
ああ、そっか。 ここは城下町だったっけ。 名字の数にこだわる貴族がいてもそれはおかしくないか。
この国では平民は3文字名字である。 ところが何代か栄えて貴族と称するようになるとま
ず4文字の名字から始まり、1代世襲されるごとに字を1文字増やせるようになっている。 つまりロッティの場合は少なくとも6代以上前からたいそう栄えている貴族ですよ、ということらしい。
「一度の間違いをそんなに追求してわめき散らすものではなくてよ。 ロッティ」
そこに、おしりまで隠すかというほど長い黒髪の美少女が部屋に入り込んできた。
これまた手間と暇と金のかけられたどこかの貴族令嬢だと一目で分かった。 着ているものも立ち居振る舞いも失礼だがヴィルルカスよりも数倍良い。
「初めまして。 アロワ」
そしてやはり彼女も名字で呼ぶ派だった。
そしてちらりとヴィルルカスの方に目をやる。 ヴィルルカスは慌てたように仁王立ちポーズを解き、しとやかに斜め立ちをするとひとつ咳払いをした。
「アロワ。 こちらは、マーヴェリックル=ヒヤンカルサシス様よ。 8等位貴族になられるわ」
満足げにマーヴェリックル=ヒヤンカルサシスは頷いた。 どうやら自ら名乗るのではなく人に名乗らせるのがこの人たちの作法らしい。
「ええ。 初めまして。 アロワ。 私はマーヴェリックル=ヒヤンカルサシス。 私もこま白の館の泊まり組でしてよ。 奥の部屋よ」
「えっと、初めまして。 ヒヤンカルサシス」
郷に入れば郷に従え。 リトは必死に名字を覚えた。 彼女の名前がヒヤシンスだったかヒヤンシスだったかヒヤヒヤスだったか、それはもう覚えていない。 貴族になると自分が認めた人にしか略称で呼ばれることを好まないと聞いた事があるからだ。
その判断は正しかったらしい。 リトが一文字も名字を間違えずに言えたせいか、とても誇らしげかつ満足げにマーヴェリックルは頷くと一歩近づきにっこりと微笑んだ。
「そんなに他人行儀になさらないで。 これから毎日、寝食の場を共にするのですもの。 私の名前はマーヴェと呼んで下さって結構でしてよ」
マーベ、じゃなくてマーヴェなんだろうなとリトは心の中で苦笑い。
マーヴェのその態度を見てロッティは追従した。
「では私の事も、ロッティって呼んで下さいませね」
さっき名字を間違えた時の鬼のような形相とは違って可愛いお人形のような表情である。
「ねぇアロワ。 私たち仲良くいたしましょうね」
どこか命令されているような、拒否できない口調でマーヴェから言われる。 とりあえず、頷いておいて損はない。 はず。
ところが人の返事は聞かずに(まるで断るはずがないといわんばかりである)二人はにっこり笑って目配せをするとまた後でご一緒しましょう、と告げて部屋を出て行った。
無口で距離を感じる同室者と、ちょっと自己中?かもしれない同居者達。 なんとなく、リトは先行きが不安になった。
でも陰気な感じの子よりは平民である(と卑下するつもりはないが)リトにも名を略して呼ばせてくれる彼女らの方が親しみやすい気はした。
そんな事を考えながら、リトは気分転換に窓から外を眺める。
すると庭には弓の姿が見えた。 5、6才くらいの男の子と手をつないで歩いている。弓と同じ黒髪だが、兄弟だろうか。
男の子と何か話しながら歩いていく弓の表情は、とても柔らかで優しそうで、明るかった。
「あんな表情もできるんじゃん……」
明らかに一線を引いていた自分の時とは大きな違いだ。
「もしかしたら、ただ、人見知りなだけなのかな?」
そう口に出して呟いてみる。
そしてしばらく部屋で荷物の整理をしていたが、荷物自体が少なかったのであっという間にやることが無くなり、仕方がないので白の館の中を散策することにした。 大丈夫。 新人バッチがあるのでどこに行っても平気だろう。
リトは部屋を出ると階段へ向かった。 みんな何かしているのか、廊下にも中央ホールにも誰も人がいない。 階段のところまで来て上の階を見上げる。 ここは階段がすべて一直線になっているので1階、2階と階を進むごとに階段の場所が建物の教会側から反対側へとどんどん移動している形になる。 5階の階段を登り切るとこの建物の端の壁になるようで、階段の上に大きな窓が見えた。
教会と反対側の白の館の外はどうなっているのか気になってリトはそのまま4階フロア突き当たりの大きな窓の所に来て外を眺めた。
こちらは庭園というより広場という感じで、遠くに柵で囲まれた場所が数カ所あった。 柵で囲まれた区画はおそらく武術を練習する場所なのだろう。 さらに奥の方は林になっており、その向こうにも何かあるようだ。
リトはもっとよく見ようと窓を開け、身を乗り出した。すると、下の方からキラキラと光が反射してリトをかすめた。窓から下を見てみると、白の館のすぐ側の地面右半分に、池があった。 すぐ側というよりも白の館に接して作られていると表現した方が正しそうだ。 白の館の右側に、まるで館から水がしみ出て池ができたのではないかと思えるような感じで池があった。 池は白の館の西側の一角だけではなく北側の壁側にも続いているようだった。
「堀……じゃないよね。」
堀にしては建物の一角だけなので役にはたたない。
リトは窓を閉めると再び階段の所まで来て下を見る。 ここからは3階のフロアが少しだけ見える。
丁度、3階のフロアを通り過ぎて4階へ上ってくる人がいた。
そのとき、一瞬リトは目を疑った。
少年である。
どこかで走り回ってきたのか髪の毛は乱れ、はね、きらきらと悪戯小僧のように輝く瞳をした、同い年くらいの少年。 簡易なシャツとズボン。 おそらく掃除夫か何かであろう。
4階は、男子禁制だったよね……?
ところが少年は何悪びれるところはなく、リトの姿を見てもひるむことなく階段を上ってくるではないか。 体型から見ても少女でないことは明らかであった。
「あ、あの、あなたさぁ?」
リトは思わず声をかけた。 突然だったのでちょっと声が裏返って恥ずかしかった。
「何?」
少年はまっすぐこっちを見る。
「あなたも来たばかり、なの? えっと、4階から先は男子禁制、なんだって。 ……知ってる?」
リトはおそるおそる説明をした。
少年は鳩が豆鉄砲でもくらったかのように目を丸めた。
「そーだったの? 知らなかったよ」
リトは胸をなで下ろした。
少年はきびすを返すと階段を下り始めた。
「教えてくれてサーンキュー。 リトゥァ」
手を振りながら少年は去っていく。
「どういたしまして。 ……ねぇ、あなたも掃除夫か何かやってるの?」
少年は兵士にしては幼すぎる気がしたのだ。
「そんなもんだよー。 これからもヨロシクー」
少年は笑いながら去っていった。
初対面と感じさせない気の良い感じの少年だった。
リトは彼が恥をかいたり、女官長に怒られる前に知らせることが出来たのは良かったと思った。
はずだった。