第39話 私は大嫌いです。
日曜日は昨日の嵐がウソのように晴れだった。 リトは早くに目が覚めた。 思い切って神の樹のところまで行ってみる。 すると心なしか葉っぱが散った気がした。 でも昨日は嵐だったのだ。 葉が飛んでも不思議ではない。
次にオクナル家を訪ねてみた。 ところがハルザが病床に伏せているとのことで医者が頻繁に出入りし、とてもそこまで親しくないリトがお見舞いに入っていける雰囲気ではなかった。
その次はイラクサを探してみた。
どこにあるのか分からなかったのでまずは白の館の敷地内を探してみようと戻ってみたが、それは教会の裏ですぐ見つかった。 量は沢山ある。 触ってみると葉にも茎にも細かい棘がびっしりと覆っている。
「イラクサは昔はきちんとした布の材料だったんだ」
後ろを見るとルティが立っていた。
「茎を刈り取って皮と芯にして、茹でて繊維を取り出して、干して紡いで糸にして、そしてきちんと織っていたんだって。 知ってた?」
ルティは近づいて来て一緒にイラクサを眺めて言った。
「ううん。 知らなかった。 結構手間がかかるんだね」
「そうだね」
「じゃあ……イラクサの布を作って、って出来ない話じゃないんだね」
リトのつぶやきにルティは頷いた。
「そうだね。 でもイラクサ遊びは……この茎をそのまま交差させて作るんだよ。 痛かっただろうに」
ルティはどこか遠くを感じている。
リトは考えた。
布を普通に作るなら手間がかかる。 12枚も普通に作っていては水曜日までに間に合わない。 ならばこの茎をそのまま使うしかないと。 夢で見たリトの持っていた布は緑色だった。 きっと、これを加工することなく使ったのだろう。
私、何考えてるの? 作るつもり?
リトはおかしかった。
自分の思いついたことなのにそれが答えであるかのように思っている自分が。
作ってもただの思いつきだ。 何も起こらないかもしれないではないか。 無駄ではないか。
でも、何か起こるとしたら?
ハルザの笑顔が心に浮かんだ
奇跡が起きたら?
起きるかもしれないではないか。
――それしかなかった。
リトは一度部屋に戻ると厚手の軍手を取り、再びイラクサの生えている教会の裏に来た。
そして茎を何本か刈った。 そしてそれを部屋に持ち帰り部屋の鍵を閉めた。
こんな馬鹿げた事をしている姿を他の人に見られてはいけない、そう思ったからだ。
リトはハンカチを一枚机に敷いた。 30センチ四方くらいである。
まずイラクサの茎をそのくらいの長さに切る。 そして縦横を交差させて絡まらせていく。
「いたっ」
リトは何度も声をあげた。 棘は小さくするどく、布の隙間から入り込み容赦なくリトの皮膚を刺す。 じんじんという痛みがやがてズキズキになる。 痛みが増す。 ハンカチの3分の一くらいの大きさまで作り上げたときはお昼も過ぎて3時になっていた。
「いたた……」
手は腫れ上がりくわんくわんと鐘が鳴っている感じで震えている。
これは思ったより大変な作業だ。 確かにイラクサ布の遊びが縁切りに使われたのがよく分かる。 作るのも大変ならば、こんなもの貰っても何の役にも立たない。 それを作らせるのだ。 それをプレゼントするのだ。 縁を切りたがっていると解釈されても何らヘンではない。
「よく弓は作れたなぁ……」
リトは呟いた。 確かに痛くて痛くて、こんな痛い思いをするくらいならさっさと絶縁宣言したほうがマシだ。 痛い思いをして布を渡しても相手は使わないから傷つく事はない。 作った自分だけが傷つくのだから。
そんなに弓はルティと絶縁したかったのだろうか。
どうも納得できなかった。
そして夕方まで作業は続く。 やっと1枚目が完成するかという程度だった。
このままでは12枚、どう頑張っても間に合わない。
リトは爪を噛みながら考えた。
丸一日かけて、1枚。 月、火、過ぎて、水曜日には合計12枚。
どう考えても一人では無理だった。
でも女官は沢山いる。
手伝って貰えば出来ないこともないのではないか?
リトはやってみようと思った。
何の役に立つか立たないかさえ不明だったけれど、今リトにはそれしか出来なかった。 出来ることをやろうと思った。
何もしないで時間だけが過ぎたらきっと後悔する。
やって、みよう。
リトは決心した。
扉を開けると丁度、ラウンジからノイノイが出てきて部屋に戻るところだった。 リトはノイノイを掴まえて言った、
「イラクサで布を作って欲しいの」
ノイノイは目を丸くした。
そしてプッ、と吹き出すとあははは、と笑った。
「やぁだぁ、リト。 お断り。 何を言い出すかと思ったら。 私はリトの事好きよ? だから友達でいましょう。 私があなたと友達でいたいか不安だった? そりゃあ最初は誤解していたから冷たい奴って思ったかも知れないけど今は友達でいたいわ」
そしてノイノイが通りすがりのランに言った。
「ラン、イラクサで布を作って?」
「ジョーダン言わないで」
ランも全然本気にしていないようでさらっと答えた。
リトはこれはダメだと思った。
中途半端に笑顔を作ったままリトは白の館内を歩く。
反応は人それぞれだったが基本的には同じだった。
リトと最近よく行動している娘は笑ってNOと言った。 マーヴェだけが「私と縁を切りたいの?」と真っ向から返したが、違うと答えると「では作りませんわ」と返事が返ってきた。 あまり話したことのない女官は困った顔をして首を横に振った。 そして、「私、何かあなたの気に障ることがあったかしら?」と尋ねた。 どうやら最初に無視した件で許されていないと感じるらしい。 リトはそのたび「違うよ、作れないならいいの、これからも仲良くしてね」と弁解をするはめになり、相手は機嫌がよくなった。
すると女の子はそういう遊びが好きである。 他の娘もイラクサ布作ってくれる?と尋ね始めた。 そして断られ、友情を確認しあっていた。 リトもユア達から「作って?」と言われたがやはり返事はNOとしか言えなかった。
これでは本当にどうしようもない。
リトはラムールを思い浮かべた。
彼なら気づいてくれるのではないか。
彼なら。
そう思って事務室に行く。 しかしラムールは不在だった。
明日、朝の仕事のときにたずねてみよう。
リトはそこに一縷の望みをたくした。
翌朝。リトは明け方近くまでイラクサの布を作っていたので危うく寝過ごしそうになった。 なんとかもう一枚作ったが、今日は仕事も授業もある。 今日もう一枚、明日一枚としても、水曜日までには5枚しかできない計算になる。 あと七枚。 どう考えても一人では無理だ。
リトは急いでラムールの事務室へと行く。 手は傷だらけでとても痛かったがこうしていれば何か気づいてくれるのではないかと思っていた。
ドアを開けるといつも通りラムールは机に座って紅茶を飲みながら新聞を広げていた。 机の端には20部位の新聞が山積みされており、リトの手伝いはこの中でラムールがピックアップした記事をスクラップにすることである。 新聞はテノス国のものだけではなく海外の物、見たこともない文字のもの、真っ白で何も書かれていない新聞もあった。 そのどれにも赤枠で印がつけられていた。
「おはようございます」
「おはよう。 リト」
ラムールは声だけで返事をして、凄く早い勢いで新聞をめくっていく。 そして印をつけていく。 リトはさっさと作業にとりかった。 なんといってもラムールは仕事をリトに押しつけるような者ではない。 印を付け終わるとさっさとスクラップ作りを始めてしまう。 だからぼやぼやしているとリトの仕事が無くなるのである。
新聞のスクラップが終わったら一息つくから、そこで話をすればいい。
リトはそう思った。
「……おや? リト」
ラムールがリトの様子に気づいたようだ。 新聞をたたみ、脇へ寄せ(ラムールは一部読み終わるまでは周りに目を向けないタイプだった)リトの側にやってきた。
「夜更かししましたね? 顔色が悪いですよ」
そう優しく言うと右手をリトの瞼に当てる。 ラムールの手から高原の風のような、ペパーミントの畑にいるような、爽やかな空気がリトに流れ込む。 ぼうっとなった頭を冷やして石清水で清めていかれるようにすうっと疲れや眠気が飛んでいく。 ラムールが手を離した時はすがすがしい気持ちになっていた。
「何を触ったのやら」
そしてラムールはリトの両手もそっと包んだ。 痛みも傷も、水に溶けるように泡が弾けるように消えていった。
手にはどこにも傷は残っていない。
「さて、切り張りしちゃいましょうか」
ラムールはそう言うと新聞を切り抜き始めた。 忙しい時は魔法でするそうだが、こうやってハサミを動かすのもまた楽しいらしい。
しゃっ、しゃくっ、とハサミが紙を切り離す音が部屋に響く。
雑談するなら今だ。
リトはタイミングを狙っていた。
イラクサの布を作って欲しいのですけど。
簡単な言葉だ。
きっとこの言葉を言えばラムールこう言うだろう。
あなたがそんな事を言うとは……何か訳があるのでしょう、分かりました。 まかせなさい。
と。
「ああ。 また走ってきている」
突然ラムールがそう呟いた。 リトには全く音も聞こえなかったが、必ずこう呟いた数秒後には階段を駆け下りる音が響いてきて――
「せんせー!」
バターン、と大きな音をたててノックもせずにデイが入ってくる。
「イラクサの布、作って、せんせー♪」
リトは目を丸くする。 ラムールは頭を抱える。
「せんせ、せんせ♪ 作ってくれる?」
デイは無邪気にそう言ってラムールの周りを子犬のようにじゃれて回る。
ゴチン。
大きな音がしてリトは思わず目を閉じた。
「いってー! せんせー、 ゲンコツで、いてー!」
ラムールはしっかりと拳を握りしめてデイの頭を叩いた。
「残念でした。 あなたが一人前になるまで誰が離れますか」
ラムールはフゥ、と自分の拳に息をふきかけて冷やしながら言う。
「ちぇーっ」
デイはたんこぶをさすりながら涙目になっている。
「まったく。 イラクサ遊びが女官達の間で流行っているからといってそんなつまらない
遊びをするものではありません」
ラムールは新聞に目をやり、ハサミを動かし始める。
「あれ、せんせー、知ってたの? はやってるって。 なー、リト? イラクサ布を……」
デイは視線をかえてリトに向き直った。 「作って……」とデイが最後まで言わないうちにラムールが、シャキイン、と大きなハサミで紙を切り落とす音がした。
「おやめなさい。 デイ。 私はイラクサ布の遊びが 嫌 い です」
視線こそ新聞に注いだままだったが、それが逆に怖かった。
「そなの? せんせ」
デイが不思議そうにきく。
「縁を切りたいなら切りたいとはっきり言えば良いのです。 もったいぶって相手の真意を確かめるような行い、私は大嫌いです。 そしてそういう形で友情を確認しようという心根がまず情けない。 友を信じるという行為はわざと確認するようなものではないのです」
かなり不機嫌な口調だった。
「もし私にイラクサ布を作ってくれますかと誰かが尋ねれば布を作って返すまでもない。 私はその時点でその者を見切り一切の縁を切りますね」
強く言ってラムールはまた作業に戻る。
想像以上にラムールがおかんむりなのでデイは不安になったのだろう。 「せんせ、俺の事、怒ってる?」と、幼児が兄に甘えるようにおずおずと尋ねた。
ラムールはデイを冷たい視線でちらりと見ると、今度はにっこりと、春の野に花が咲いたかのように暖かな笑顔を見せた。
「デイのは確認じゃなくて遊びだからもう怒っていませんよ」
「やたー。 よかった」
デイもほっとしたようだ。
「でも私は嫌いな遊びですから以後やらないように」
「ん♪」
デイの安心した笑顔もいいが、ラムールの厳しい顔と優しい顔の飴と鞭もなかなか見応えがあった。 デイはなんだか嬉しくなったらしく切り抜きを手伝い始めた。 とても大ざっぱに切るのでやりなおしを言われていたが。
リトは二人は兄弟のようだと思った。
喧嘩もしたりお互いに思い通りにならないけれど、それでもどこか奥深くで揺らぐことのないもので結ばれている関係。
絆ってこういうものかもしれない。
そう思った。
ところがこうなるとリトは「イラクサ布を作って欲しい」の言葉が全くラムールやデイに言えなくなった。 きちんとした理由があれば言えたのかも知れない。 しかし今回の場合はハルザの病気にきくかもしれない気がした、というだけなのである。 しかもそれは高名な占い師のお告げでも、賢者の意見でもない、ただのリトの思いつきなのである。 夢ですら見ていない、ただの思いつきなのである。 自分に占い師や賢者のような能力があれば信じることもできただろうが、リトは自他ともに認めるただの凡人なのである。
ぜったいこうすれば大丈夫という信念は無かった。
だから言えなかった。
そして万が一、本当に必要だという事に気づいてもらえず縁を切りたがっている、もしくは悪趣味な遊びをしているとでも思われたなら?
『分かりました。 あなたがそのつもりでしたら明日から髪結いの仕事も来なくて結構です。 一切関わらないようにしましょう』
と冷たく言い放つラムールが簡単に想像できた。
それは恐怖だった。
ラムールは意図していないが、彼の見えない権力は絶大だった。 皆がラムールを信じていた。 ラムールを頼っていた。 ラムールの味方だった。 そのラムールから縁切りをされたならば。 以前の誤解ではなく明確に縁切りをされたならば。
考えるだけで恐ろしかった。
そして今なら、女官達みんなが誤解が消えるまでの間あんなに意地悪だったのが理解できた。
リトはその日の朝の仕事を終えると暗い気持ちでラムールの部屋を後にした。