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陽炎隊  作者: zecczec
36/47

第36話 神の樹の夢

 その夜。 リトは不思議な夢を見た。


 草原にリトは一人で立っていた。

 誰もいない。

 生き物の気配すらない不思議な空間。

 絵画の中に入り込んでしまったような線の太い色彩。

 風が強く吹く。

 どどどどどどぅ、と地鳴りのような風だ。

 見上げるとそこには立派な巨木がそびえていた。

 どっしりとした幹。 天を突く枝振り。 葉は青々と生い茂り全体から神々しい輝きが発せられていた。

 光がまぶしくて直視できない。

 すると巨木は時間を逆に戻すかのように小さく小さくしぼんでいく。 光も無くなり、しゅるしゅると音をたてて戻ったそれはひ弱で、か細く、柊の葉に似た葉っぱを持つ……


「神の樹……」


 そこへあの老婆がやってきた。 老婆はいつも通り樹の世話をしようと持ってきた袋に手を入れるがそのまま姿が薄くなって消えてしまう。

 樹が、しおれていく。

 みるみるしおれていく。

 生命をすべて吸い取られるように、乾燥して枯れるのを早送りするかのように、どんどんどんどんしおれていく。 あっという間に枯れ草のような様子になって、神の樹はしおれてしまう。


 

「ダメっ!」



 リトは叫んで目を覚ました。

 体中にべっとりと生暖かい汗をかいている。 心臓の鼓動が早い。

 チッチッと時計の音が部屋の中を駆けめぐる。

 ヒョオオオオオ、と風が窓にぶつかり音を立てた。

 真夜中だったが、月明かりのせいで周りはとてもよく見えた。

 リトは起きあがる。

 嫌な予感がする。

 部屋を出てフロアに行き、大窓から神の樹のある小さな森の方を見る。

 動く明かりが見えた。

 ふわふわと浮く光の球と一緒にラムールが森へと向かっていた。

 リトは慌てて階段を駆け下りて外に出た。

 外は不思議な天気だった。 空はとても厚い雲で覆われているのに一部分だけ切れて、そこから月光が地面を照らし、一本の光の道が庭から森へと伸びていた。

 そのおかげでリトは明かりも持たずに森へと駆けた。

 森の中でも月明かりを遮られず明るい。

 それはまるで、風景に青白いベールがかかったようだった。

 ラムールの後ろ姿が見えた。 やはりあの樹の前に立っている。


「ラ……」 


 名前を呼ぼうとしたリトはその場の光景に目を奪われた。

 巨木だ。

 そこに巨木がそびえていた。

 うっすらと青い光を自ら発している立派な樹。 その枝は天を突き、葉は厚い雲のようであった。

 樹は生きていた。

 前後左右に幹を動かし震える。 呼吸しているかのようにふくらんではしぼむ。

 風船がしぼむかのように樹が縮んでいく。

 あっという間に先日見たあの若木に戻る。

 ラムールがそれを見てため息をついた。


「いらっしゃい。 リトでしょう?」


 ラムールは振り返りもせずにそう告げた。

 リトはおそるおそる近づいていく。

 そこにはやはり、あの若木しかない。


「ハルザが、今週は来ていないのです」


 ラムールが言った。


「この樹は、あと数日で、枯れます」


 若木から葉が一枚ひらりと落ちた。

 ラムールは幹をなでる。


「あなたも夢で呼ばれたのでしょう?」


 リトは頷く。


「どうしようもできないということは、寂しい事です」


 そう呟いてラムールはリトの方を向いた。


「この樹はあなたに興味を持ったようです。 ハルザから聞きましたか? この樹は人の感情を栄養として欲していると。 ハルザはそれは立派でした。 50年もかけてこの樹をここまで育てました。 私達にとっては長い時間ですが神ノ樹にとってはほんの数日くらいの長さでしかないでしょう。 この樹がここにいることに興味が無くなったらきっと、明日にも枯れる……ハルザに申し訳ないですね」

「あっ、あの、ラムール様、おっしゃる意味がよく分かりません」


 リトは尋ねた。 しかしいつもなら丁寧に教えてくれるラムールが、今回に限っては困ったような顔をするだけだった。


「私は今回は何もできません、とあなたに伝えるようにこの樹から呼ばれたのです。 この樹はあなたに興味を持ったと言ったでしょう? あなたの好きになさい」


 幹を撫でていた手を下げるとラムールはとても切なそうに樹を見た。

 そしてリトに周囲を照らすための光の球を渡してその場を去った。

 リトは動けなかった。

 両手で持ったその光の球から光の粉が舞い上がる。 光の粒が風に流れて神ノ樹へと続く。

 目の前にあるのは、ひ弱で、小さな若木。

 なのにリトは圧倒されていた。

 樹の周りは人が入れない空間。 人が足を踏み入れてはいけない空間

 本能がそう告げていた。

 同じ空間に存在することすら責められているような感じがする。

 ポコン

 そんな音が胸のあたりで聞こえた。

 水の中で空気の玉が弾けるような、そんな音。

 どどどどどう、と風が渦を巻きリトの体を包む

 いきなり地面から風が噴きあげリトを包み込む

 リトは光の球をしっかりと抱き目を固く閉じた

 風が止まる。


――誰にも


 声がした。

 男の声のようで女の声のようで、高い音のようで低い音のよう。 無理矢理波長の違う音の波長をあわせたような、声。


――訳を話してはならぬ


 そう聞こえると重い空気みたいなものがリトにぶつかりリトの体の中身だけが体の外へと押し出された。 卵の中から殻を割らずに中身だけ吐き出された、そんな感じ。

 リトは目を開ける。

 そこは薄紫のもやがかかった場所だった。

 一人の若い女性が手にした若葉を地面に挿している。

 両手を合わせて祈る。

 リトには分かった。

 この女性はハルザだ。

 時間が早まる。 ぐるぐると周囲の空間がリトの周りをまわり、目の前の光景が早送りになって進んでいく。

 ハルザが樹に水をやる。

 ハルザが樹に肥料を撒く

 ハルザが樹に水をやる。

 ハルザが樹に肥料を撒く

 ハルザが何かに弾かれたようにはっと樹を見る。

 ハルザが微笑む

 ハルザが不思議なものを撒き始める

 それは植物だったり、本だったり、料理だったり、布だったり、ガラスだったり子供の玩具だったり、紙切れだったり、ガラスだったり、火だったり、氷だったり、――涙だったり……

 ハルザがどんどん年を取る。

 幼い少年が出てきた。

 面影がある。 ラムールだ。

 ラムールと口論している。

 ラムールと口論している。

 ラムールと口論している。

 ラムールが黙って見ている。

 ハルザが再び不思議な物を撒く。

 ラムールが黙って見ている。

 ハルザが不思議な物を撒く。

 ラムールもどんどん成長していく。

 ハルザが不思議な物を撒く。

 ラムールが治癒でハルザを癒すようになる。

 ハルザが撒く。 ハルザが撒く。

 リトが、撒く。

 ハルザが撒く。

 誰も来ない 

 誰も来ない

 ラムールが、来た。

 時間の流れがゆっくりになる。

 ラムールは誰かを抱いて来る。

 ハルザだ。

 ハルザは土気色の顔色をして目を閉じている。

 ラムールがハルザを抱いたまま樹を見上げる。

 ハルザが、うっすらと目を開ける。

 そして何かつぶやく。

 震える手を樹に伸ばし、その手が――

 

「!」

 

 マリオネットの糸が切れたように、手がだらりと垂れ下がる。

 ラムールは無表情だった。

 蝋人形のようにまばたきすらしていなかった。

 なのに、涙が一筋頬を濡らしていた。

 ラムールはハルザの亡骸をそっと樹の根本に置く。

 ハルザの亡骸が発光する。

 小さな光の粒となってハルザは樹の周りを漂う。

 樹が、ごごん、と震えた。

 めきめきと音を立てるように樹はどんどん巨大化していく。

 幹がぐんぐん伸び、枝はにょきにょきと広がり、葉がざわざわと生い茂る。

 成長した杉の木ほどの大きさになって、神の樹は動きを止めた。

 ラムールが、見届けて去っていく。

 誰も来ない

 誰も来ない

 誰も来ない

 神の樹が、枯れていく。

 乾燥するように、枯れていく。

 あんなに大きい樹が細く細く小さく、赤紫色に変わる。

 ぽきん、と幹が折れる。

 折れた枝も葉も幹も、すすきのように軽く音も立てず地面に落ちる。

 そしてさらさらの砂になり。風に舞って消えていく。

 後には何も残っていない

 何も……


 

「!」


 

 再び時が逆戻りになる。 樹が大きくなる。 光がハルザになる。 ハルザがラムールに抱かれている。 ラムールがいなくなる。

 誰も来ない

 誰も来ない

 時が、動いた。

 誰かが、来る。

 リトだ。

 リトが来る。

 胸に何かを抱いている。

 リトは厳しい顔をしながらそれを神の樹の根元に置く。

 それが見る見る間にふやけ、地面へと消えていく。

 リトが一歩後ずさりする。

 大砲が放たれたかのように樹がすごい勢いで成長する。

 巨木に、なる。

 リトの目の前に赤い林檎のような実が樹からひとつ落ちる。

 樹が、再び、元に戻る。

 小さな、樹に。

 リトが去る。

 風が吹く

 神ノ樹が、揺れる。

 誰か、来る。

 ハルザだ。

 ハルザがにこにこしながらやって来る。

 頬は桜色で体中から生気があふれている。

 ハルザが撒く。

 ハルザが撒く。

 樹が、風にそよそよと揺れた。

 ハルザがそれを見て、微笑んだ。

 とても良い表情で。


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