第29話 アレキサンドライト
それからリトは合流した女官達と一緒に見て回ることにした。
ネイルコーナーやアクセサリーショップなど可愛らしいものを沢山見た。 中でも光の当たり具合で色が変化するアレキサンドライト石のついたブレスレッドは小ぶりでキュートだったので気に入ってリトは一つ買った。
「ねぇ、あれってすごくない?」
一人の女官が似顔絵屋を指さす。 見ると似顔絵が出店に沢山貼られている。 そのどれもがモデルの表情や特徴を見事に捉えてあった。
「私、書いて貰おうっと」
と、一人の女官が言ったら他のみんなも続けとばかりに「それじゃあ私も書いて貰う」と言い出した。
「リトはどうするの?」
リトはあまり似顔絵には興味が無かったので遠慮した。
「みんなが終わるまでこの辺りを見てるよ」
リトはそう言った。
「オッケー。 じゃあ、あんまり遠くにいかないでね」
そう告げて娘は似顔絵の列へと並ぶ。
リトはぶらぶらと探索することにした。
ふと見ると出店と出店の間に外へと通じる出入り口があった。
ここはどの方向の出口なのだうか。
出口を見てみたが、昨日目印にしていたネズミの置物は無かった。 ということは西口以外らしい。
なんとなくその出口の先を見てみると先の方の看板に
アレキサンドライトルーム
という文字が見えた。
アレキサンドライト? さっき買った石である。
もっと色々なデザインやアクセサリーが置いてあるのだろうか。
リトはちょっと行ってみたい誘惑に駆られた。
似顔絵は一人3.4分はかかるだろうからまだまだ時間的には余裕もある。 ちょっと行って覗いてみるだけだ。
リトはそう考えてその出口を出て道を進んだ。 なだらかな石畳の通路。 シンプルでさっぱりとした地域だった。
目指す看板はかなり離れたところにあった。 リトは少し早足で先に進んだ。 塀の上で休んでいた野良猫が何かを告げるように一声鳴いた。
リトがまっすぐ進むと道が三本に分かれていた。 看板はちょうど真ん中の道の奥にあった。
何かひっかかる事があると思いながらリトは進む。
看板の所まで来ると家だけでそれらしい店は無い。 看板の下の方によく見ると右折の矢印があり、その下に小さな文字で「2つ目の角を左はいってすぐ お祭り価格です!」と書いてあった。
リトは看板に書いてある通り 右に進むと二つ目の道を左に入った。 左の道はほんの1メートル先で右に曲がり、さらにその先も左に、と曲がっていた。
一本道だから迷わないけど……
とリトが思いながらしばらくあちらに曲がり、こちらに曲がりを繰り返して進んでいると、背後でカチン、という音がした。 見ると小さな光るものがある。 近づいてみてみるとそれはガラスの破片のようだった。 そしてその側に子猫がいた。
「危ないよ?」リトはそう言って子猫をガラスから離そうと近づいた。 子猫はリトの周りをくるくるとじゃれてまわる。 そのあまりの可愛らしいしぐさについリトも子猫を追いかけて少し道を進んだ。 ニャアオ、と子猫は満足そうに鳴くと素早く塀の上に駆け上り塀の向こうへと飛び降りて行った。
「あーもぅ」
残念そうにリトが呟きふと前を見ると。
「あれ?」
どっちに進んでいたか分からない。
周囲はリトの頭よりも高い、同じ灰色の細かい煉瓦だったせいだろうか。 気づくとリトは交差点にいた。
塀は高く、道は狭いので塀と空以外は何も見えない。
「……えと……」
基本的に一本道だったから、どこかで看板を見落としたとは考え難いのだが。
急に空気が冷たくなったような気がした。
リトは慌てて今来た道を戻る。
ところがどうしたことか。 一本の道に2つの脇道があるではないか。
「迷った……」
その時リトが感じたのは悪い予感だった。 先日アリドに助けて貰ったときよりも悪い予感。
そしてやっと目に飛び込んでくるドクロのマーク。
――ひとつでもドクロのマークが見えたら引き返して――
引き返そうにも、道がわからない。
どうしてだろう。 ねずみの置物は無かったはずなのに。
リトが不安になるのを待ちかまえていたように通路から6人くらいの男が姿を現した。 それぞれが顔に奇抜なメイクをし、黒革のシャツを身につけ腕にはドクロの入れ墨が施されている。 その眼差しは虚ろで、下品なうすら笑いが口元に浮かぶ。
「あっれぇ? このおじょーちゃん、この前も遊びに来ていたね」
男は確かにそう言った。 リトの鼓動が早くなる。
「んぁ? そうなのか? オトモダチになりたいのかな?」
一人が言うと他の者がひゃひゃひゃ、と一斉に笑う。
「あっ、あの、アレキサンドライトルームってお店を探しているんですけど……」
リトは震える腕をしっかりと握りながらそう言った。 ところが男達はそれはさも愉快そうに笑う。
「ここだよ」
一番背の高い男が一歩前に進み出て言う。
「アレキサンドライトっていうのは昼と夜で輝きが違うよナ? ここはこの国の……夜さ」
ひゃっひゃっ、とまだ笑いは続く。
「うひゅー、かっこいー」
「ひさしぶりの女だぜ」
後ろにいる者たちが、やいのやいのとはやし立てる。
「祭だから観光客が迷ってくるかなとは思っていたけど、なかなかいいタマが入ってきたじゃない♪」
男はそう言ってリトとの差を縮める。
後ろを見ると通路の先に扉があり、そこが大きく開かれている。 扉の前には別の男が二人立っており、中は真っ暗で何も見えなさそうだ。
「この国のオンナやるのって初めてじゃねぇ?」
ガムをくちゃくちゃさせながら扉の前の男が言う。
それがどんな意味かリトにも分かった。
「前の国じゃさんざヤり捨てたよな」
「い、嫌がるのが、い、いい、んだよ」
わざとリトに聞こえるように男達は言う。 そうしてリトの反応を確かめているようだ。
怖くて、助けてと叫ぶ事も、走り出すことも、できなかった。
「倉庫じゃどんなに叫んでも聞こえないしな」
「は、早くやろうぜ」
「まてまて……」
リトはじりじりと後ずさりする。 しかし後ろには扉の開いた倉庫があるだけだ。
――いやっ!!!
リトが泣きそうになった時だった。
「リト!!」
男達の後ろで聞き慣れた女の声がした。
その声を聞いてリトは顔を上げる。
男達の間をかき分けて少女がやってくる。
それは
「弓……」
弓だった。
男達はさほど抵抗もせずに弓を通す。
どちらかというと男達も面食らっているようだった。
それはそうだろう。 こんなせっぱ詰まった状況の所に少女が一人入り込んできたのだから。
弓はリトの所まで来るとリトの手を握った。
「帰ろう?」
弓の言葉にリトはこくんと頷く。
弓はどこから駆けてきたのか息が荒く、うっすらと汗をかき、肩が上下していた。
「見失っちゃって……」
弓はそう言った。 そしてリトの手を引いて男達の固まりの中へと進んでいく。
「ごめんなさい。 ちょっと通して下さい」
弓が言う。 ところが一人の男が我に返り弓の前へと立ちふさがる。
「おめぇちちゃんもたのしんでいけよ」
ろれつの回らない口で言う。
弓が返事をする前に先ほどの一番背の高い男が口を挟む。
「その女はアリドの知り合いだ。 やめておけ。 死にたくなかったらな」
それを聞くとろれつのまわらない男は伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。
弓は軽く一礼して男達の間をすり抜けた。
「おめぇさん、外への出方は知ってるのか?」
男が背後で尋ねていたが弓は返事はしなかった。 しかし迷うことなく道をずんずん進んでいった。 角をいくつか曲がると男達の気配も消え、だんだん空気も暖かくなっていくような気がした。
「弓……」
リトは手を引かれながらなんと言って良いか分からず呟いた。
「出て行く姿が見えたから追いかけたけど……。 気をつけてね、リト。 西の出口は行っちゃダメ」
「置物がなかったから違うと思って……」
「置物?」
リトは答える。 少しでも自分の非を減らそうと。
「ねずみのおきものがあったの。 昨日」
弓は歩みをゆるめることなく考えていた。
「……あ、それは前夜祭の儀式だわ」
なんということだろう。 収穫の敵であるねずみを追い出すための儀式まじないだというではないか。
「当日には無いからね。 リトは知らなかったんだもの。 仕方ないわよ」
弓がフォローをする。 しかしリトは悲しくて仕方がなかった。
しばらく行くと祭の会場が見えてきた。 弓はやっと手を離した。 しっかりと握られていた手がほんのわずかしびれていた。
ふぅ、と一息つくと「じゃ、私、行かなきゃ」と言ってリトから離れていった。
弓はそう言うと振り向きもせず、占い師の少年の所まで行き、何事も無かったかのように談笑を始めたではないか。
それを見た瞬間、リトはなぜかやるせなくなった。
弓に手を離してほしくなかった。
そして離れてすぐ他の男と話して欲しくなかった。
なんだか自分が弓にとって軽い存在であるように思えたのだ。