第26話 アイロンがけ大会
大会が始まった。 ルールは簡単。 予選で集まった出場者20人が、ワイシャツ3枚を何分でいかに綺麗に仕上げるか、その上位5人が決勝に。 決勝はレースや飾りが沢山ついた貴婦人のドレスを制限時間5分の間にいかに綺麗に仕上げるか、時間と腕が勝負の大会である。
優勝者には賞金、そして優勝者が勤めている工場には盾と賞状が送られるのである。
司会者が一人一人紹介を始めた。 紹介された声はマイクを通してスピーカーで広場に響き渡っていた。
紹介されるごとに観客の関係者や応援団から「頑張れー」と声援が上がる。 一人、また一人と紹介される。 その名前が呼び上げられるたびにリトの肩に置かれたアリドの手に力が入っては抜けていった。
出場者はやはり経験がものを言う中高年の者ばかりだった。 その腕とプライド。 みんな眼差しが真剣だった。 中でも5年連続で優勝しているという隣国のスカビッチクリーニング店の店長スカビッチは堂々たる貫禄で雰囲気だけでも他を圧倒していた。
そんな中、何かの間違いか誰かの代役かと勘ぐりたくなるような、おどおどして萎縮している少女がいた。 弓である。 並ぶ場所も彼女らしく、一番最後尾にぽつんと立っていた。
「パールクリーニング代表 城下町出身 ラーラ=ボンシェ……」
「ナイスクリーニング代表 パーム村出身 コネリー=アッシェ……」
「クララクリーニング代表……」
弓の番だ。 弓がおずおずと一歩前に出る。
「スイルビ村出身……」
そのとき、会場全体がざわめいた。
「やべえな。 弓、緊張してやがる。 見てみろよ、真っ青だぜ?」
アリドがいきなり強く引き寄せて大きな声で話すものだから弓の名前が聞こえなかった。
そして奇妙な事が起こった。
「弓ぃー! 頑張るのよぉー??」
クララ婦人の声援が飛ぶ。 それとは別に会場にいる者がまるで不思議な呪文のように弓の名前をひそひそと言い合うのである。
それだけではなかった。 大会会場に人が集まり始めたのである。 女性だけではなく、男性も。 特に年配の者がぞろぞろと笛で呼ばれたかのように出店見物も止めて来るのである。
司会者は前年優勝者の紹介に移っている。 しかし、みんなそっちのけで、いまにも消えてしまいそうにしている弓に視線が集中し、あろうことか他の出場者までもが弓を見ていた。
「あっちゃ、やべぇ。 マジでやべぇ」
アリドはリトから手を放すと周囲を見回し慌てた。
何がヤバいのか。
「弓、緊張しすぎだって。 大丈夫かよ……。 あいつ、目立つような事は苦手なんだよ……こういう場所も……」
アリドはまるで交代できるものならしてやりたいといわんばかりにそわそわする。
「オレだったら注目浴びるのは平気だけどさ……」
それはその通りの気がした。
「羽織達は?」
デイが言う。 羽織?誰だろう。
「羽織達は弓が緊張するからどっか影でこっそり見てるはず。 それに来意の奴もその方がいいって言ったらしーんだよ。 でも見ろよあの心細そーな弓。 あーもうだからオレは反対したのに」
アリドは父親のように心配している。
確かに誰が見ても分かるくらい、弓は緊張して顔色も悪く足も震えていた。 いまにも泣き出すのではないかときっと誰もが思ったはずた。
「弓!」
思わずリトは叫んだ。
リトの声に弓は弾かれたようにびくっ、と反応し、声のしたほう――リトの方に顔を向けた。
「大丈夫! 弓、落ち着いて頑張って!」
リトは握り拳を両手で作り、胸元で小さなガッツポーズをした。
弓にそれが届く。 弓はふわっと花がほころぶように笑顔になり、一度頷くとしっかりと立った。 もう平気そうだ。
アリドが笑顔になりリトの髪の毛をくしゃくしゃに撫でる。
「やるな、リト!」
アリドはとても嬉しそうだった。
「ありがとよ」
そう礼を言って座り直す。
「なに? りーちゃんの友達で出る子って弓ちゃんだったの?」
デイが尋ねる。 リトの代わりにアリドが頷く。
「なーんだ、それじゃ何もできないな」
何をするつもりだったんだよ、とアリドからつっこみを入れられてデイはへへへ、と笑う。 リトはデイが弓を知っていることに驚いた。
競技が始まった。 三種類のワイシャツが用意されている。 1枚は子供用。 そして紳士用と婦人用が一枚ずつ。 開始の声と一緒に一斉にアイロン台に服をのせてかけはじめる。
すべて完成したらタグをつけ審査に出す。 審査は公正を期すため、誰がかけたものかは審査員には分からないように提出するときに番号札を引いてタグが決まる。
みな熟練者。 流れるようにアイロンをかけていく。 プロの技は誰が見ても鮮やかである。 手の動かしかた、布の押さえ方、すべての動作に無駄がなくまるで舞いを見てるかのようだ。 その中でもスカビッチは飛び抜けて上手くあっという間に仕上げていく。
「はやっ。 あのおばさん」
デイが指さして言う。
「なぁに。 弓だって負けていないさ」
アリドが呟く。 弓は舞台の奥の方にいるので進み具合はリト達には全く見えなかった。
スカビッチは一度かけたものの出来を見直してから手を挙げた。
『できました』
ところが声は二重に重なった。 スカビッチも驚いて声の主を見る。
弓だった。
「同着!1分5秒」
司会者が時間を告げる。 あまりの早さにおお、と会場で歓声があがった。
二人はそれぞれワイシャツをハンガーにかけ、舞台中央の箱の中から数字の書かれた玉を取り司会者に渡す。 そしてその玉の番号が書かれた札を司会者がタグとしてできあがったワイシャツにつける。
ほどなくして皆次々にしあげていく。 終わった者は席で待つ。 スカビッチは舞台の最前列にいたので観客席の最前列の者が話しかけていた。
「大丈夫だよ、あんな娘っ子、きれいに仕上げてないって」
スカビッチの応援団も、スカビッチ自身もそう思っているようだった。
審査に入る。 服は札の番号順に並んでいるのでどれが誰のかは分からない。
「えー、審査結果の発表です。 上位5名、決勝に進出して頂きます」
審査が終わり司会者が中央に出てくる。
「まず一次通過――総合得点95点、スカビッチさん!」
やはり、とばかりにみんなが拍手する。
「そして――総合得点95点、おや、同点ですね、弓さん!」
どどどどど、ざわざわ、と会場がどよめく。 スカビッチもとても驚いた顔で弓を見つめる。 弓は真っ赤になりながら足下を見ている。
「よーっしゃ、よくやった! えらいぞ弓!」
アリドが叫んで6本の腕で3人分の拍手をする。 クララ婦人も「ほぉーっら、 やるでしょう?」と胸を張っていた。 リトもデイも拍手をした。
恥ずかしいからあんまりおおげさな拍手はしないで、とばかりに弓はちらりとはにかんでこちらを見た。
そして会場からもぱらぱらと拍手がおこる。
つづいて3位通過のベス、4位通過のキャンディー、5位通過のナミコが呼ばれた。
「こりゃあ勝負のゆくえは二人に絞られたな。 3.4.5はどんぐりの背比べって感じだ。 面白くなってきやがった」
アリドはぺろりと唇を舐めて身を乗り出す。
「頑張れー、弓……」
ブツブツとアリドはつぶやいている。 瞳がとても真剣である。
司会者が次の種目の説明をする。 5人での競技。 それぞれに同じタイプの貴婦人のドレスがあてがわれる。 ドレスには刺繍や厚い布や薄い布、色々な布が使われており1着仕上げるのに30分はかかる代物らしい。 30分も時間はないので5分、たったの5分でどれだけ綺麗にできるかという競技た。 これはとっさの時にどれだけごまかして美しい服に見せるかという舞踏会ではよくある話らしい。 ドレスは審査員が見てだいたい同じ位しわになったものを用意してあった。 これも審査員は誰がアイロンをかけたか分からせないように別の部屋で行程が見えないようになっていた。
弓は遠慮したのだが、1位通過ということで弓とスカビッチは舞台の中央で競技することになった。 3位まで賞金などが出るので他の3人も真剣だ。
スカビッチが弓に向かって言った。
「なかなかやるね。 面白い。 いい勝負をしましょう」
弓は頷く。
さて競技が始まる。 既に舞台上では台もドレスもアイロンも置かれ準備万端。 時計の秒針が12を回ったらスタートとなった。
「では始まります、20秒前……10秒前」
リトたちは固唾をのんで見守った。
「3…2…1…はじめ!」
一斉にアイロンがドレスの上をすべり始めた。
ものすごい勢いでスカビッチが手を動かす。
「?」
その時誰もが弓に注目した。
弓はアイロンを手にとり、布に押しつけようとした瞬間、はっ、と何かに気づきアイロンに手を押し当て、真っ青になる。 慌てて後ろを見ると何ということだろう、弓のアイロンのコンセントが間違えて抜かれてしまっているではないか。 場所を移動させたときに抜けてしまったのだ。
「弓!」
リトは叫んだ。 弓はすかさずコンセントをつなぎに行った。 アイロンが暖まるまでに時間が少しかかる。 弓は黙ってアイロンが暖まるのを待った。
舞台の後ろでは司会者達が不手際に大慌だ。 しかしもう他の選手は競技を始めているのだ、止める訳にもいかない。
弓は他の参加者が黙々と作業をこなしていくのを気にしないようにアイロンに集中してじっと暖まるのを待った。
――勝てなくても、精一杯やらなきゃ――弓の心境はただそれだけだった。
「お、おい、あれ見ろよ」
会場の誰かがスカビッチを指さした。 大きなざわめきが起こる。
スカビッチも弓と同じようにアイロンを台に立て、動きを止めていたのである。
「な、何やってんだよ、スカビッチ!」
スカビッチ陣営が慌てて叫んだ。
「何も言わないでおくれよ!」
スカビッチは厳しく言い返した。
「あたしゃこの娘っ子と対等にやりたいんだよ」
そして弓を見る。 弓もスカビッチと目を合わせた。
「そのタイプのアイロンだと暖まるまであと少しってところかいお嬢ちゃん。 今度は手加減はいらないよ。 いいね?」
スカビッチの問いに弓が頷く。 その瞳が今まで見たことのないとても真剣な眼差しに変わった。
「こいつぁますますおもしれぇ。 あのばあさん、やるじゃん」
アリドが言う。
「弓が1次予選の時、ばあさんの出来上がりまで待ってたの知ってやがらぁ」
知らなかった。
でも弓ならありえると思った。 1番に出来上がっても1番に出来上がりましたと手を挙げる勇気は無いだろうからだ。
ということは、1次で弓は同点ではなく勝っていたことになる。
残り4分になったとき、弓がアイロンを手にした。 と同時にスカビッチもアイロンに手をする。
「始まった!」
デイが言う。 リトも固唾をのんで見つめた。
弓はものすごい早さで迷うことなくドレスにアイロンをかけていく。 厚い生地のところは普通に、薄い生地やレースの所は厚みの違うあて布をあて一分の隙も無駄もなくかけていく。
「やるねぇ!」
スカビッチが言った。 どこか嬉しそうだ。 そしてスカビッチも負けてはいない。 勢いよく大胆に動く。
「こりゃー、あのバアさんも一次じゃ手ぇ抜いていたな?」
アリドが呟いたがリトも同感だった。
舞台の上は二人の所だけ違う時間が流れているようだった。 残りの3人と同じドレスなのにドレス自体が生きているかのように無駄なく動き、アイロンによってシワがのばされ生地が見る見る生き返って新品になっていくかのようだ。 間違いなく二人の一気打ちだ。 どちらが勝ってもおかしくない。 それは誰が見ても明らかだった。
「負けるんじゃないよ!スカビッチ!」
スカビッチ陣営がたまらず声を張り上げた
「弓! いける! 落ち着いて頑張って!」
リトも声を張り上げた。
弓は、ほんの一瞬リトを見た。 そして、ぐっ、と唇をかみしめ気合いを入れると更にスピードをあげた。
「いけ! 負けるなバアさん!」
「やれーっ! 嬢ちゃん負けるな!」
会場のあちこちから双方に声援が飛んだ。 声援は大きくなり会場はものすごい盛り上がりようだ。
「残り10秒!」
司会者の声が響く。
「9」
「8」
「7」
「6」
「5」
その時だった。
『出来ました!』
弓とスカビッチが再び同時に声を上げた。
おおお、と会場全体がどよめく。
二人とも額にうっすらと汗をかき軽く肩で息をしている。
「2……1……そこまでっ!!!!」
司会者が終了の合図をする。 そこでやっと他の3人は手を止める。
服がすべてマネキンに着せられる。 そして一列に並べられる。
リトは初めて知ったが、アイロンも上手な者がかけると布地のよさを2倍にも3倍にも引き出して数倍も質が良いものに見えるのだった。 当然、弓とスカビッチのものが他とは違って輝いて見えた。 思わず会場からその出来の良さに感嘆のため息が漏れる。
審査に入った。 審査員が5人出てきて真剣な顔つきで服を見ていく。 審査員達も2着の飛び抜けた美しい仕上がりに目をみはっていた。
「それでは、結果発表です。 まずは3位。 総合得点78点。 マーブルハウス代表、キャンディさん!」
わああ、と拍手が沸く。 キャンディは礼をする。
もし、弓とスカビッチが同点なら、次は一位と言われるはず。
会場中が固唾をのんで司会者の言葉を待つ。
「2位」
司会者がそう言うと会場が水をうったように静まりかえった。
「総合得点98点」
ごくりとリトは唾を飲む。 スカビッチ陣営も手を合わせて祈っている。
「クララクリーニング代表、弓さん!」
途端にわぁあっ、と歓声が上がる。 スカビッチ陣営は抱き合って喜ぶ。 弓は一礼した。
「そして1位。 総合得点99点、スカビッチクリーニング代表、スカビッチさん!」
司会者に言われてスカビッチは前に出る。 司会者から一位の賞状と盾、賞金の入った袋が手渡された。 スカビッチは両手を高々と上げる。 会場中から拍手がわき起こる。 弓もスカビッチの後ろで拍手をして彼女を称えていた。 続いて弓にも賞状や盾、賞金が手渡される。 会場からは暖かい拍手が起こった。 リトは精一杯拍手をした。 弓はやはり恥ずかしそうにそそくさと後方に消える。 3位キャンディーにも商品が渡され、司会者はマイクをスカビッチに向け、感想を尋ねた。
「ありがとうございます。 6連覇、嬉しいです。 今までで一番大変な勝負でしたけど楽しかったです。 これからも精進を重ねて来年も1位になれるよう頑張りたいと思います。 ……お嬢ちゃん」
スカビッチのコメントが弓に向けられ、弓は驚いて彼女を見る。
「来年はトラブル無くすべて平等に戦いたいわ。 ありがとう。 これからが楽しみよ」
弓は真っ赤になって深々と一礼する。
会場から大きな拍手がわき上がる。
「それでは例年になく大きな盛り上がりを見せてくれたコンテストの貢献者であるお二人に盛大な拍手を!」
司会者が告げて、会場はもっと大きな拍手で埋め尽くされた。
リトはいつまでもいつまでも、拍手をしていた。