第21話 どゆことどゆこと??
白の館の4階に上がっても、この胸の嫌な感じは無くならなかった。
ほんの少し前までならばこの4階に来るたびに女官達と顔を会わせるのかと思うと気分が晴れなかったのだが今はそんな事なんかどうでもいい位に、この変な感覚にとらわれていた。
考えてやった訳ではないが、本能的に私は……私は……卑しい行動をしていたのではないだろうか?
自分が清廉と思ったことはない。
でもこんなに自分勝手だなんて?
気づかずに自分勝手だなんて?
悶々と自答する。
「……あれ?」
そうこうするうちに自分の部屋へ続く廊下まで来たが、どうも様子がおかしい。
人が一列にずらっと並んでいるのである。 しかも列の先頭はリトの部屋のすぐ前だ。 リトの姿を見るとその者達が姿勢を正し、列は後方にずっと伸びている。 廊下をそのまま進んで女官室側の通路へ。 いや、そこだけではない、気づかなかったが5階の階段へと列はつながり、下の階からもどんどんと人が上がってくる。 並んでいる人も、ここは女性だけしか入れないのではなかったか、兵士もいれば貴族もいる。 商人も。 一体全体これは何なのだと思いながら、きっと何かのイベントがあるのだろうけど、私には連絡が来なかっただけよね、と否定的に考えて(自慢ではないがここに来てからというものリトはえらく後ろ向きな考えしかできないようになっていた)そっと目を伏せたまま軽く列に会釈して部屋に入った。
椅子に座り、はぁ、とため息をつく。
とてもブルーな感じである。
その時トントンと扉がノックされた。
「誰?」
リトはぶっきらぼうに答えた。
「ミシェアと申します」
この声には聞き覚えがあった。
覚えているリトもいやらしいと自嘲したが、この声は最初の授業のときにリトを呼んで幼児席に座らせた人物である。
はいはい今度は何ですか、でも今は別口であまりにもブルーすぎてどんな嫌な事をされても言われても気にならないわとリトは思った。
「どうぞ」
リトはつまらなさそうに返事をした。 ドアが開く。 そこにはミシェアと名乗る少女と両脇に見たことはあるが名前は知らない少女が二人。
あれ? この人って列の最初に並んでいた人?
リトはおぼろげに思い出した。
さて、何の意地悪かしら?
リトが腹をくくって相手の出方を待っていると、
「ごめんなさいっっっ!」
いきなり三人の娘が駆け寄ってきて深々と頭を下げた。
「え?」
リトは面食らう。
「許して? 私たちあなたにとても失礼なことをしてしまったわ」
「お怒りよね? 本当にごめんなさい」
「私も……私も……反省してます。 本当にごめんなさい」
三人は涙をぽろぽろ流しながら謝る。
「え? え? え?」
訳が分からないのはリトである。
と、とりあえずよくは分からないが席を騙して座らせた悪戯の事を言っているのだろう。
腹はたった事件だが、こんなにまで謝ってもらうほどの大事でもない気がする。
「あっ、いいよいいよ、もう気にしていないから」
リトはそう答えた。
正直なところ許すというより面食らって、ああもうどうでもいいかぁ、という感じだったのだが。
「本当??????」
少女達3人はまるで奇跡を見た宗教の信者のように目を輝かせリトを見た。
「う、うん、本当」
「ではこれから仲良くしていただけますか?」
「え、あっ、はい。 よろこんで」
リトが答えると3人はキャーッと叫んで抱き合って喜んでいた。
「ありがとう。 リト」
「わたしたちきっといいお友達になれるわ」
「分からないことがあったら何でも聞いてね??」
リトは、う、うんうん、と頷く。
訳が分かっていないので間抜けな顔だったと思う。
少女達3人はごきげんよう、と挨拶をすると部屋を後にした。
――どゆこと?
と、リトが考える間もなく
「失礼してよろしいですか?」
と開いた扉の所にまた別の女官が立っていた。
「わたくしも非礼をお詫びしたいのです」
女官の口からそう発せられた。
どゆことどゆこと??????
――もしかして列全部が同じ用事じゃないわよね????
リトは頭の中がパニックになった。
しかしそれは当たって欲しくない正解だったのだ。
「ふうう」
リトはトイレで思わず声が出た。
あれから入れ替わり立ち替わり、次々に部屋に人が訪れリトに謝罪の言葉を述べていった。
ロッティはとてもおどおどとしていたが、マーヴェはさすが、謝罪も堂々としていて立派だった。
”王子様とのトラブルの件でおとがめが無かった事実を私が知らなかったとはいえ、勝手にこの館にはそぐわない人間だと判断し、リトゥアさまに対して失礼かつ無礼な言動の数々をお詫び致します。 見識浅く未熟な私ではありますが、もし許して頂けるのでしたら再び最初に出会えました時のように共にお茶をし語り合い、お名前を気軽に呼ばせていただけましたら幸いです”
と、床に跪き頭を垂れて謝罪をした。 卑屈に見えないのが立派だと逆にリトは感動したくらいだ。
しかも許して下さるまでは頭をあげるつもりはございません、と脅しつき(笑)ときた。
もうその頃は何人に許しを出したか分からなかったのではいはい、と軽くながすつもりだったが。
マーヴェはお詫びの品というのを持ってきたがリトは受け取らなかった。 理由は趣味が合わない……という単純な理由だったが「お受けできません」と言うと意外とあっさりと引いた。 しかしこれを断ったことは正しい選択だった。 何しろ次から次にみんなお詫びの口上と品物を持ってくるのである。 みんなのを受け取っていたらあっという間に部屋はパンクしてしまう。 物を受け取らなかったら怒るかなと思いきや、いやなかなか近頃では見かけない潔癖な方だと褒められる。
今なら何をしてもきっと褒められるような気がした。
「なんで?」
リトは手を洗いながら鏡に向かって尋ねる。
もちろん返事はない。
思いつくといえば……やはりラムールの髪結いだろうか。
「リート」
「うわっ」
いきなり背後からルティが現れた。
「ああ、ルティ、びっくりした」
「ゴメンゴメン。 大変だねぇ。 あの人数」
ルティはあはは、と笑う。
「笑い事じゃないよぉ。 ね、ルティ? どーゆうこと? よく分からないんだけど」
ルティはひょいと軽やかに洗面台に腰掛けた。
「やーっぱり分かってない。 説明しよっか?」
楽しそうに言う。
「お願いお願い」
リトは頼んだ。
正直まったくどうしてこうなったのかが分からないのだ。
「えっと、どこから話そうかな」
「まずー、なんでみんな態度がころって変わっちゃうの? やっぱりラムール様のせい?」
「当然だよ? 私も知らなかったよ。 リトが王子やラムール様に気に入られていたなんてさ。 洗面器事件があったろ? もうあれで絶対あなたは王子には嫌われラムール様には敵というか要注意人物と見られたと思っていたよ。 今日午後の説明会でそれを知るまでは」
「午後の説明会?」
「ああ知らないの? あなたが髪結いを任命されたのでどういう理由かと大騒ぎになって、急遽開かれたんだよ。 まず国王陛下や重臣に説明があってそしてそれから長が家臣に伝えて。 商人や貴族、とにかく興味のある人はみんな来たよ。 ああ、掲示板にも書かれているよ。 説明会の内容が。 だから午後の授業も中止になったし、みんな働きにもいかなかったはずよ?」
午後の授業が中止になったのと工場に誰も来なかった理由がそれだったとは。
「で、説明会では、な、何て?」
リトはドキドキしながら尋ねた。
「ラムール様の不手際により新人であるリトの評価を著しく下げてしまった。 リトと話を交わし行動を見た限りリトが国家に不要な存在ではなく心正しく素直なごく普通の少女であると。 一度失墜した信用を取り戻す事は生やさしい事ではなく、よって彼女が悪しき対象ではなく仲間であることを証明せんがためラムール専属の髪結いを命じた……ああもう分かっていないね、つまりラムールさまがお墨つき出したんだよ、リトはいい子よ仲良くしてあげてね、って。 だからみんな勝手な誤解であなたに酷いことしたと大慌てよ」
「は、はぁ……」
「まっ、確かにあなたも運が悪かったよね。 普通ならもめ事が起こった後ってラムールさまがその人と一緒に各機関に説明に行ったりして、みんな納得していたんだけど、今回はラムールさまが休暇中の出来事だったからねぇ。 何の音沙汰もないでしょ? あなたはあのラムールさまから見放された人間だとみんな思っちゃった訳。 そうそう、知らなかったよ。リト、朝の活動の場がなかったんだって? ごめんね。 教えてなかったね、私。 ラムールさま、それを大変ご心配されてて。 ”怠け者”の称号なんていらないもんね?」
話は分かった。 でも。
「で、でもさ、だからってみんなこんなに謝りに来るものなの?」
あまりに大げさすぎではないだろうか。
ところがルティは体中の息を吐き尽くす位の勢いでははぁぁぁぁぁ、とため息をつき、頭を抱えて大げさにお手上げのポーズをした。
「ラムールさまの髪結いのせいだよ」
「髪結いって、そんなにすごい仕事?」
そうとは思えない。
「ああーもぉ分かってない。 あのね、すごくないの。 すごーくないのよ仕事は。 一番簡単な仕事と見ていいよ。 ただね、希望してもなれないの。 そしてその相手がとんでもないの。 ラムール様だよ? ラムール様」
「ル、ルティも興奮するんだね……」
リトはハイテンションのルティの迫力に押されていた。
「そっか知らないのか。 あのね、ラムール様は王子付教育係だけど国内国外問わず功績あげている方でしょ? 王族にもっとも近い者という称号も与えられているのよ? 国の子、つまり養子となって王位を継承しても全く不思議はない人物なんだよ? あらゆる名誉や権力を握れるお方なんだよ? ……ところが、というか、それが魅力なんだけどラムール様は名誉や権力に興味は無いんだ。 派閥も持たず野望も持たず、国のために、王子を立派な王におなりあそばすようにすべてを捧げて尽くしていらっしゃる。 勿論私だってファンだよ? ……でもラムール様は尊く清い方。 老若男女、みんなにお優しく、そんなあの方を慕う者は星の数ほどいるのに決して誘惑に惑わされることなく、特に女性に関しては紳士そのもの。 浮いた噂ひとつなく、公では優しくして下さってもプライベートには全く触れさせて下さらない孤高のお方……」
なんかもうルティは目があらぬところを見ている。
話すしぐさまで自分に酔いしれている女優のように、手を何も無い空間に差し出している。
そしてスイッチを入れ替えたようにリトを見る。
「そのラムールさまが髪結いを決めたんだよ? 当然初めてだよ? 身支度などで誰かに手を借りたことなどないんだよ? あなたは初、初の髪結いなんだよ」
「……そんなにみんなあこがれる仕事?」
まだいまいちピンとこなくてリトは尋ねた。 ルティは鼻から息をふん、と吹き出して続けた。
「髪結いなんて小間使いと一緒だよ。 髪を結うだけじゃなくて頼まれれば部屋の掃除とか何でもするさ。 そんなことがすごい事のメインじゃないの。 髪結いはね、女官がいつでも、そう、いつでもだよ? その方の部屋に入れるただ一つの役なんだよ? その方の部屋に自由に出入りできる権利を持ってるんだよ? 朝昼夜問わず! そして一緒に朝食を取る事も出来ればお着替えだってお手伝いできるし、仕事が終わってもお部屋に入ってお掃除や一緒にお茶や……そして見初められて恋人同士になることだってあるのよ? ああっ、どうしよう!」
「だ、大丈夫、きっと大丈夫だから」
リトは、ひいいっ、と興奮するルティを落ち着かせた。
ぜいぜいと肩で息をしながらルティは気持ちを落ち着かせ、
「まっ、まぁ、恋人っていうのは無いにしても、一番身近にいれる人物っていうのには変わりないよ。 だから部屋にいれば部屋を訪れた方々とお近づきになれたり、ラムールさまと親しくなりたいと思う人はまずはあなたに近づくだろうし、まっ、あなたはそんな事しないだろうけど、あなたが嫌いな人の事をラムール様に嘘八百吹き込む事だってできるというわけ。 みんなが必死になって謝りに来るのは分かるでしょ?」
……それなら理解できた。
「あとね、髪結いは自分の仲の良い友達を一緒に連れてお茶しに行ってもいいのよ♪ ついでに髪結いが具合が悪かったりして仕事ができないときはね、友達が直接頼まれたら代わりに行くこともできるのよ♪♪♪」
なーんか、よく分かった。
「私は素直にお願いするよ? リト? いい? 機会があったら一回だけ、一回だけでいいからお茶、私も誘って。 神に仕えようって心に決めてる私だけど一度でいいからラムールさまのプライベートが知りたい。 髪結い以外は事務室までしか行けないんだもの」
ルティはリトの手をぎゅーーーーっと握りしめる。 こうはっきりと目的を行ってくれた方
がリトとしても安心できる。 自分の欲望を隠して親切心顔で接されるよりも。 機会があるのかどうかは分からないが、あったら弓とルティを連れて行こうと思った。
「さて長話しちゃったね。 そろそろ部屋に帰る? リト」
「んー、まだ列残ってるんだよなぁ」
「ああ、金品は受け取っていないでしょうね?」
「うん、受け取ってない」
たまたまだったが。
ルティはシスター志望らしい満足げな顔で頷いた。
「さすがだね。 リト。 受け取ったら、ラムール様は怒るよ」
それは簡単に想像がついた。 ただ最初に品物を出したのがマーヴェで良かったとこっそり思った。
「ねぇ、みんな話さなきゃいけないのかなぁ? もういいでーすって切っちゃだめ?」
「多分無理だね。 一部の謝罪を受けちゃったから。 謝罪できなかった人は謝罪できるまで粘るね。 諦めなさい」
ルティは引導を渡すように言い切った。
そしてそれは本当だった。
ここいらでやめようと「もう後は…」というと直前まで来ていた人は泣くし、その後ろの人がその人に「おまえが何か失礼なことをしたからお怒りになったんじゃないか」と責め出すし。
そんなこんなで
最後の一人が終わる時はもう夜もとっぷり更けていた。
ラストひとり。
ルティだった。
「お疲れぇ♪ 差し入れ」
ルティは夕食の置かれたお盆を差し出した。
リトはありがたくそれを食べるとあっという間に眠りについた……