第2話 シスター、女官長、軍隊長
テノス国。
民の国と言われる、住みやすいごく平凡な小国である。
この国では各地方の村に学校はあるが、12〜4才になると、望む者は城下町にある国が管理している学校で学ぶ事ができるのだ。
女の子は女官として、男の子は兵士として。
その場合、親戚などが城下町にいる場合はその家にお世話になったり、通える距離ならば自宅から通うこともできるが、そのどちらも不可能な者は城で寝食の場をあてがわれるようになっている。
リトゥア=アロワもそれで村を出てきたのだった。
まず教会で神官に名前を告げると本人確認の質問を2.3受けて許可証を発行してもらった。
その後、許可証と荷物を持ってシスターについていくように指示された。
「初めましてリトゥア。 私はマリーン。 女官長室へ案内しますから後をついてきて下さい」
シスターマリーンは穏やかな口調でそう告げると前を歩き始めた。
教会を出て右に曲がると正面に白煉瓦で作られた落ち着いた立派な城があり、緑の溢れる美しい庭園も見える。 出入り口の大きな門は開放されており、見張りの兵は端に一人しかおらず誰でも気軽に入れる雰囲気があった。
シスターは見張り兵に軽く会釈して門をくぐり、どんどん中に入っていく。 リトゥアも軽く会釈すると、兵はにこりと微笑みを返した。
庭園に入ってまっすぐ進むとそのまま城に入れるようだ。
庭園では幼い子供が木に登ったり走り回ったりする姿が見られた。
それは国王の城がある敷地、というより、裕福な親戚の家の敷地、という表現が合うような心地の良さがあった。
「こちらは東門です。 通用門ね。 正門は南側にあるわ」
「これ、正門じゃないんですか?」
思わず大きな声で尋ねてしまう。 シスターは立ち止まって振り向くと頷き、建物の説明を始めた。
「ええ。 そうです。 この中は大きく分けて3つの区域に分ける事ができます。 正面を見てご覧なさい。 2つの建物が見えますね」
「え?」
言われてみると正面の白煉瓦作りの城と思っていた建物の2階と5階の左側には通路になっている壁が伸びている。 その壁を目で追っていくと先に美しい大きな城があった。
「左側、つまり正門側の建物がテノス城。 そして正面の白煉瓦の建物が、白の館と呼ばれていて、あなたがこれから学びや寝泊まりをする場所でもあります」
本館から白の館へと視線を移すと、白の館の4階から後方に通路が伸びていた。 先を視線で追うと、後方にある門を突き抜けまた別の城へと繋がっている。
リトゥアの視線をなぞるようにシスターも体の向きを変えた。
「そして白の館の右側にあるのが、王族の居住区。 プライベートスペースです。 つまりこの中は大きく分けて先頭の本館区域と、白の館区域、王族居住区域の3つに分かれるということです」
わかりましたか、と問われてリトゥアはとりあえず頷いた。
シスターは再び歩き出すと続けた。
「知らないことばかりで不安に思われるかもしれませんがそう難しい事はないと思いますよ。 分からないことは女官長に尋ねれば丁寧に教えて下さるでしょう」
庭を横切り、中央の扉を開け中に進むと、すぐ側の部屋へとシスターは入っていった。
すぐ後を追いかけて入って良いのか躊躇していると、中から「お入りなさい」とシスターではない女性の声がした。 開け放たれたままの扉から覗くと、その小部屋の奥には優しそうな中年の女性が机の上の書類を整理しながら椅子に座っていた。 マリーンはその女性の横に立っている。
おずおずと中に入っていくと、中年の女性はコロコロと笑い声をあげ立ち上がった。
「緊張しないで? 今日からこの館はあなたの家となるのよ。 だから私の事も母親か親戚の伯母位の気持ちで接してちょうだい」
優しい口調に肩の力が抜ける。
「それでは私は教会にもどりますわ。 ごきげんよう。 女官長」
「ごきげんよう。 シスター・マリーン」
マリーンが会釈して部屋を出ようとしたその時。
ドガッドガッドガッ、
廊下を乱暴に踏みならして近づく大きな足音がものすごい勢いで近づき、大男が部屋をのぞき込んだ。
「女官長!」
鎧などの武器や防具を身にまとい、ゴリラのように体格の良い男が地響きを連想させるような低いガラガラ声で呼びかける。
「ミハクに今日助けてもらった奴は誰か分かるか??」
「軍隊長……そのように割れんばかりの大声を出さずとも聞こえます」
どうやらこのおじさんは軍隊長らしい。
「おお、シスター! あんたもいたのか、探していたんだ! でだな」
あまりの大声にリトゥアは両手で耳栓をしようかどうしようか本気で悩んで指先がもぞもぞと動いた。
これだけの大声ならわざわざこの部屋まで来て話さずに廊下の端からで十分なんじゃないかとすら思う。
眼鏡で表情が分からないシスターでさえ上半身が引けて嫌がっているのが分かった。
「ボルゾン、分かりましたからもう少しお静かになさって。 今日初めて城へいらしたこの少女が怯えますわ」
穏やかに応対する女官長の言葉を聞いてボルゾン軍隊長は初めてリトゥアが目に入ったようで、紳士らしく姿勢を正した。
「これは失礼した。 つい興奮してな。 初めまして。 お嬢さん」
「い、いえ……」
「それでボルゾン、お尋ねのミハクの件ですが私は存じておりませんわ。 マリーンは?」
「今日はミハクには会っておりませんから知りません」
「では残念ながら私たち二人とも分かりませんわ」
女官長が二人の意見をまとめた。
ボルゾン軍隊長は口をへの字に曲げた。
「そうですか……それは残念。 そろそろきゃつを重要手配犯に登録しようと思っていたのだが……お嬢さんは何か知ってるか?」
知ってるかも何も。
「来たばかりで、分かりません」
そう答えるしかなかった。
むむ、残念、残念、と繰り返すボルゾン軍隊長に女官長があの子は本当はよい子だと思いますよ、と口を挟んだ。
残念ながら全く何のことやら分からない。
では、とシスターは会釈をすると、ぶつぶつ悔しがっている軍隊長をつついて一緒に部屋を出て行き、部屋には女官長とリトゥアが残された。
「さてさて。 いきなりで訳が分からなかったでしょう。 今説明してももっと分からなくなりますからね。 一つずつ済ましていきましょうか」
女官長は一枚の紙と青い葉のブローチを持って席を立つと、青い葉のブローチをリトゥアの手に渡す。
「これはこの城に来て間もない者です、という”しるし”です。 これを服に付けていれば他の者も警戒しないし親切にもできるわ。 だいたい1ヶ月くらいかしらね。 皆と顔なじみになれば外して結構。 付けないで館や敷地をうろうろすると、特に夜間は不審者じゃないかと疑われるかもしれないから気をつけて」
リトゥアはとりあえずそのブローチを左肩につける。
「ではこれから陛下の所へご挨拶に行きましょう。 その後にあなたの部屋や館の中を説明するわね」
女官長はさりげなく言ったが、リトゥアは本当に城での生活が始まる緊張で手が少し震えていた。