第19話 変ね……
――リトに私の髪結いを命じました
その後にまっさきに起こった変化といえば。
まず、午後の授業が中止になったのである。
弓も珍しいと言った。
何しろ午前中の授業が終わる前に午後は中止の連絡が入ったのだから。
授業が中止になったことで、午後のリト達は完全にフリーになった。 それで二人はちょっと早いが洗濯工場の方に手伝いに行き、そこで昼食を済ませて仕事も早く終わらせちゃおうかということになった。
洗濯工場に着くと、不思議な事にクララ婦人がいなかった。 洗濯機は動きっぱなしだし、乾いた洗濯物も半分しか取り込んでない。
「何かあったのかしら?」
弓も不思議に思いながら洗濯機を止め、二人で乾いたものはすべて取り込んで、洗われた洋服を干した。
今日のお昼もまた弓のお手製弁当を御馳走になる。
義軍には小さい弁当箱をきちんと渡してきた。
今日のお弁当は山菜の付き混みご飯や焼き魚などが入っていた。
「ごめんね。 弓。 今日も御馳走になっちゃって」
リトは言う。
「炊き込みご飯って作り過ぎちゃうから、食べて貰って私も助かるから気にしないで」
弓は嬉しそうだ。
「あっ、んむむ、そういえばさ。 ん」
「リト〜。 ほらお茶」
弓がお茶を入れてリトに渡す。
リトはお茶で喉に詰まったものを流してふう、と一息つくと気になっていた事を尋ねた。
「今度の休日、城下町でお祭りがあるの?」
「え? うん。 あるよ。 結構大きなお祭り。 色んなゲームがあってね、楽しいと思う。 リトも行くの?」
「弓は?」
「私はその日お祭りを手伝うことになってるから、行くけど見て回れないの。 リトはみんなと色んな所楽しんでね」
弓の口調にはどこも含んだ感じは無い。
――みんなと色んな所楽しんでね
みんな、か。
これではっきりした。
弓はリトが白の館でうまくいっていないことは知らない。
まぁ、それはそれで今となってはあまりたいした事ではなかった。
というより、みんなが仲良くしてくれないのでしょう、と同情される方が嫌だったかもしれない。
知らないなら知らないでいい。 なにも自分から親しく話してくれる人がいないなんて事、言わなくてもいい。
「弓とお祭り見たかったなぁ」
リトは素直にそれだけ告げた。
今度の休日は一人か。 考えると今の状態では鬱である。
「リトはお祭り好きなの?」
弓が尋ねる。
「うん。 楽しいのって好き」
リトの答えに弓はしばらく考えていたが……
「あのね、今週は城下町のお祭りがあるけど、さ来週、私のいる村で定期的に行われている村祭りがあるの。 リトの知り合いっていったら巳白位しかいないけど……土曜日の夜だけど、来る?」
「行っていいの?」
リトは身を乗り出した。
「うん。 いいよ。 お祭り……っていうより村人総出で宴会って感じだけどね。 あ、今回は特に大きな声では言えないけどオススメかも。 滅多に食べられないおいしい料理が出るから」
「あー、弓、私のこと食いしん坊だって思ってるでしょ?」
「違ったの?」
二人は顔を見合わせあはは、と笑う。
「へぇー。 いいなぁ。 ねっ、どんな料理?」
「ほぉらやっぱり食べ物の事しか考えてないじゃない。 ふふふ。 秘密秘密。 でも絶対食べて損は無いと思うなぁ〜」
「もったいぶってー。 でも、夜ってことは、お開きはどうなるの?」
「半分宴会だからみんな会場で寝ちゃうけど……特に男の人は。 リトは……どうする? 帰ってもいいし、ウチに泊まってもいいよ?」
リトは迷わず答えた。
「泊まる泊まる。 いいの?」
「リトがいいなら」
「じゃあお言葉に甘えて泊まる」
そうリトが答えたとき、弓はすごく嬉しそうだった。
「それじゃ私も手料理に精を出そうっと。 日曜日には小さいけど村を案内してあげるわね?」
「ありがとうー。 私も今度帰省したら弓を家に呼ぶからね」
「ホント?ありがとう。」
弓はとても嬉しそうに微笑んだ。
そしてリトも嬉しかった。
弓の住む村や家やご両親。 一体どんなところなのだろう。
「あ、そうだ。 これを伝えておかなきゃ。 この村祭りは参加できる人数を3日前にははっきりさせておかなきゃいけないの。 ちょっとまだ間があるから締め切りが近くなったらもう一度確認させて?」
「いいけど、3日前?」
「えっと水曜日までね。 木曜日に祭司様がお祭りに参加する人の人形を作るでしょう? そして金曜日の午前零時からその人形を清めてまじないをかけるの。 そこで人形が無い人は会場の扉が見つけきれないようになってるの。 だから」
「ああ、秘密の会場でのお祭りね?」
「そうそう」
秘密の会場でのお祭り。
それはあらかじめ参加者が決められており、その者だけが参加できるお祭り。 会場は魔法の扉で閉ざされており、認められた参加者以外はその空間に立ち入ることも、扉を見つけることもできないというものだ。 お祭り自体をする事はみんな知っていても、司祭が名簿に書いて、名前の書かれた人形を作られた者しか入れないので参加者同士何気兼ねなく話ができるお祭りなのである。 祭りとはいうがプライベートな宴会に似たものでそこで行われた事は参加した者しか知らず、よって同じ職業の者などが集まってよくやっている。 ただ村全体のお祭りを秘密の会場で行うというのは正直リトは初耳だったし珍しいと思った。
「じゃあ、3日前にはきちんと参加できるって伝えるね」
「うん」
二人は約束を交わした。
その後二人は食事も済ませ、仕事をした。
ところが不思議なことにいつまで経ってもクララ婦人も他の女官も誰一人として工場にやってこない。
「変ね……。 何かあったのかしら?」
弓が再びそう呟く。
――もしかして……私がここにいるから……みんなわざと仕事をしないでさぼって、私この工場から追い出そうとしているんじゃ……
リトの胸に嫌な想像が渦巻く。
今まで考えないようにしていたが、昨日、他の手伝いの女官が工場に来てリトがいると知った時の表情が何とも不愉快そうだったのを見たからである。
快く思われていない者ナンバー1の自分がいることで婦人や弓に迷惑をかけているのではないか……
「私さ、一緒にここに手伝いに来て良かったのかな?」
不安に耐えきれず、リトは口に出した。
弓の反応は正直だった。
一瞬、何の話か分からないように、きょとんとして、
「あ……ごめんね。 他に行きたいところがあった?」
と、まるで弓が無理矢理に誘ってリトが断れなかったのに気づいたような、そんな感じの言い方だった。
「気にしないで他の所に行ってもいいよ?」
「ち、違う違う」
リトは慌てて訂正した。
「私、来ても良かったのかなー、って何となく思っただけ」
「なぁんだ。 私は嬉しかったよ」
にっこりと微笑む弓を見てリトの胸は熱くなった。
「リト? でもどうしてそんな事考えたの?」
弓の質問に少し動揺する。
「……っと、まだ白の館で……あんまり友達できてないし……みんなにあんまり好かれてないのかなー、なんて……」
リトは歯切れ悪い返事をする。
いくら何でもリトが皆から好まれていない事は気づいているだろう。 とはいえそれをはっきりと口に出す勇気は無かった。
弓はちょっと考えて言った。
「……部屋、変えてもらう?」
それはどこか切なげで、でもリトの事を思っての言葉らしかった。
どうしてそんな回答が出てくるのかリトには全く理解できなかったが、部屋は変わりたくなかった。 いや、今部屋を変わって何が起こるというのだろう。
リトは首を横に振って「そういう問題じゃないから」と答えた。
話すべきだろうか。 王子に洗面器をぶつけて処分を受けた事を。 女官達から総スカンを受けている事を。
ポン、と弓が背中を叩いた。
「大丈夫よ。 リトはまだ来て間もないから慣れていないだけよ。 みんないい人ばかりだからすぐ友達もできるわ。 その時は部屋とか、気にしないで変えていいからね?」
「んもぅ、弓と部屋を変わる気はないって」
リトは言う。
弓は嬉しそうに頷く。
「ありがとう」
理由を知らなかったが、弓も8人も同室者が出て行けば何か思うところがあったのだろうか。
でもリトは全く弓を嫌いになるところが見つからなかった。
「あ、こんなところに至急の札」
その時、後は配達をするだけになった棚の中から弓が一つの服を取りだした。
そこには手の平くらいの大きさの板のタグが付き、そこには「至急」の文字が赤々と書かれていた。
「それは?」
リトは近づいてのぞき込む。
「うん、出来上がったらすぐお返しするように依頼されているものよ。 オクナル商人のお宅に配達しなきゃいけないのに、もぅ、クララさんったら。 どこに行ったのかしら」
「オクナル?」
それはまだ記憶に新しい、今日、老婆が紹介してくれた家だった。
「知ってる?」
「うん。 場所も分かる。 私が配達してこようか?」
もしこの至急の品が届かなかったらクララさんが困るかもしれない。 いや、この場にいて何もしなかったリト達が責められるかもしれない。 少しでも役に立っておきたいとリトは思った。
「じゃあお願い。 まず札を取って半分に折って?」
弓から渡された服から木のタグを取り、それを半分にぱきりと折る。 それは薄くて簡単に折れた。
「そして集配の管理壁の至急の釘のところに半分をかけて」
言われたとおり集配と書かれた壁に打たれた釘にかける。札には至急の文字が中央から半分だけ残っている。
「そして配達して品物を渡すときに、板を相手に触ってもらってね? そうしたらこっちの札が配達済みの文字に変わるから」
確かに同じように壁に掛けられた札が何枚かあったが、それはすべて配達済みの文字がくっきりと青色で浮かんでいた。
「じゃあ、行ってくる。 弓はもう帰るの?」
今日の仕事はすべて終わっていた。
「そうね。 もうやる事ないし。 義軍ちゃん迎えに行って帰るわね」
「じゃあまた明日」
「バイバイ」
弓に手を振られて見送られながらリトは工場を後にした。 オクナル商人の家はすぐに分かった。 とても大きなお屋敷で、門から中の庭園に青い薔薇が沢山咲き乱れているので間違えようがなかった。
門前でインターフォンを押すと使用人が一人出てきて服を受け取った。 そして至急の札を触ってもらうと板がすっと溶けて消えた。
リトが驚いてきょろきょろしているとその使用人はくすくすと笑い、初めてなの?集配の札はこうやって配達が済むと消えるの。 ずっと持っておくとかさばるでしょう?と、もっもとな事を教えてくれた。
使用人が去ろうとしたとき、思わずリトは尋ねた。
「ハルザ……さまもこちらにお住まいなのですか?」
「いいえ。 大婦人様はこちらではございません。」
「そうですか」
ハルザについて何を期待していたのかはリトにも分からなかった。
この大きなお屋敷とみすぼらしい老婆とのイメージが繋がらなかったからかもしれない。