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陽炎隊  作者: zecczec
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第18話 古に生まれ神となりし樹

 手はとても痛いだろうに、文句も言わず黙々と作業をする老婆。

 何のためかはよく分からない。

 でもその表情は明るい。

 それが不思議だった。

 リトの手もだんだん毒が回り紫色に晴れ上がる。 手のひらの傷はじんじんとうずき、傷ひとつひとつが呼吸をしているようだ。

 ナイフというよりも針で突き刺されているような痛み。 手が何倍にもふくれたかのような感覚。 しびれと痛みが手のひらから手首、肘へとだんだん範囲を広めてくる。

 なのにリトはやめたい、とは思わなかった。 ただ、老婆はガラスで切れた手の後にこの毒を持つ茎を蒔くつもりだったのかと青くなった。

 まくものが残り少なくなってきた頃、老婆が昔話を語るように話し始めた。


「私は子供がなかなかできなくてね……せっかく息子を授かったのに、息子は赤ん坊の時、流行病になってね……7日間高熱が出た。 お医者様も魔法使いも、息子の病気を治すことはできなかった」


 蒔かれた破片がきらきらと輝く。


「私は祈ったよ。 誰でもいい、この子を助けてくれと。 そんなとき、一人の魔法使いが教えてくれたのさ。 神の樹のことを。 知っているかい? 神の樹の話を?」

「ううん知らない」


 リトは手を休めずに答えた。

 老婆は懐かしむようにゆっくりと破片を蒔く。


「古に生まれ神となりし樹。 その葉あらゆる万病に効き、実は命を延ばす。 その枝を燃やせばこの世とあの世をつなぎ、樹液は奇跡を起こす。 そう言われている樹さ。 ところがこの樹は育てるのに時間がかかってね。 ほんの一手間かけないだけですぐこの世を見切り枯れ朽ちてしまう。 そりゃそうじゃろうね、なんてったって神の樹だ。 よほど人間界に興味がなければ居残ってはくれないさ。 種は発芽するまでに100年かかるといわれているし、成長も遅い。 いつでもこの世を去れるようにしているのさね。 この樹も一枝を挿し木したものなんじゃけどね、ここまで大きくなるのに50年もかかったのじゃよ」

「五十年??? この樹が、その神の樹なの?」


 リトは驚いた。 まずどう見ても数年の若木にしか見えない。 


「これの――神の樹の肥料となるのは色々な感情。 何を蒔いても良いのじゃよ。 恋人からプレゼントされた花を蒔けばこの木は”喜び”を知るじゃろう。 夫婦喧嘩で割れた皿を蒔けばこの木は”怒り”を知るのじゃ」


 老婆はほほ、と笑った。


「しかしいつも楽しいことばかり人生にある訳がないのと同じように、痛みや、悲しみも、この木は欲するのじゃ。 そしてそれに耐える心も、な。 妖精に聞いた話じゃ、昔はそりゃあ沢山この樹は生えておっそうじゃよ。 週に一度多くの者が集まって色々な感情や経験をこの樹に託す。 この樹はある日、突然大きくなる。 成長してからでないと若木のままでは効果が未熟で――まるで経験のない人間のように――葉も毒になりほんの少し使っただけでも樹はすべてを諦め、枯れる……」


 リトは目の前の樹を見つめる。


「大きくなるのってだいたいどのくらいなんですか?」

「さぁのう。 私もこれしか育てた事がないから分からぬよ。 大勢の村人で育てて一人生かかると言っておった。 あと10年か20年か……」

「でも成樹にならないと薬の効果とかないんでしょ? 使えないんでしょ? そして、もしおばあさんが世話を止めたりしたら、この樹、枯れちゃうんでしょ?」


 なのに何故こんな痛い思いをして世話をするのか。

 そう思った。


「あの時の感動は忘れられないのじゃ」


 迷うことなく、老婆は答えた。


「あの時……神の樹はもう存在しないと言われておった。 でも禁断の北の森にたった一本だけあると、その魔女は言った。 私はそれを取りに行った。 深い森じゃった。 でも必死じゃった。 帰れなかった。 熱で苦しんでいる我が子をどうにかして助けたくて、必死じゃった。 そしていばらの茂みを抜けたとき――世の中から音が消えたような感じじゃった。 風は強いのに。 草が暴れているのに。 音のない静寂な空間。 そして見上げるとそびえ立つ、立派な、それはそれは大きくて立派な、神の樹――」


 老婆の瞳に涙がうっすら浮かんでいた。


「神の樹は巨木になっても世話をやかないと二週間で枯れてしまう樹。 ところがどうだい、その樹の葉は色つや美しく、幹は深みのある落ち着いた光を放っているじゃないか? 何年、何百年この樹は世話をされてきたのじゃろう。 そして世話をしている者はいったいどんな思いで世話をしたのじゃろう。 後に来る誰かのために、必要として訪れる誰かのために。 決して自分のためじゃなく、愛しい者を助けたいと思う見知らぬ誰かのために。 何年も、何百年も、誰かが愛情を樹に注いでくれておったのじゃ」


 老婆は袖口でそっと涙をぬぐうと続けた。


「私は樹にお願いして葉を一枚分けて貰った。 そして一枝、分けてくれるようにその場におった青年に頼んだ。 彼は快く枝を一本取り、くれた。 私は――その葉で息子の命が助かったとき、心の底から感謝した。 そして、恩返しとして、いつか誰かがこの樹を必要とした時のために神の樹を育てようと決心したのじゃよ」


 二人はさいごのひとつまみをつまんでぱらぱらと振りまいた。

 破片と茎は溶けて消える。 老婆がほっとしたようにため息をひとつついた。


「今日はこれで終わりじゃ。 さて、聖水で清めてから帰ろうかね。 次は一週間後、今度はもう使えなくなった古着を蒔くじゃけじゃから簡単じゃ。 おまえさんも一月に一度のこんな痛い時に手伝ってくれてありがとうね」


 老婆は深々と礼をした。


「それじゃあ、帰ろうか。 ……お嬢ちゃんは授業はよかったのかい?」


 太陽の高さからして授業はもうそろそろ終わる位の時間であると思われた。


「大丈夫。 平気、平気」


 リトは無理に強がって答えた。

 とはいえ今まで必死に蒔いていたから(痛みがつよくて他のことを考える余裕なんてなかったのだ)忘れていたが、あまりいい状況ではないだろうなとは思った。 働かない者の烙印に授業サボリまでやってしまえば。 汚名返上はどう考えても無理だった。 

 二人がヒリヒリする手の痛みをこらえながら森の出口へ歩いていくと正面から誰かがやってきた。

 すらっとした青年、栗色の髪。


「ハルザ! もう終わってしまったのですか?」


 聞き覚えのある声だった。


「おぉ、ラムール様、今日は手伝ってくれたお嬢ちゃんがいましてな、早く終わったですじゃ」


 老婆はハルザという名らしかった。


「ラムール様もよく手伝って下さるのじゃ」


 ハルザはリトに耳打ちする。


「手伝ってくれたお嬢ちゃん……って、リト?」


 ラムールは驚いたようにリトを見た。


「それはまた一体どういうなりゆきで……といいますか、リト、授業は?」


 あちゃ、さっそくだ。

 また反省文だろうか。

 リトの返事よりもラムールの次の言葉よりも早く、ハルザが話し出した。


「朝から働き場がなくてうろうろしておっかたから私が手伝えと言ったのさ。 授業があったのかい、そりゃあ知らなかった。 やるんなら最後までやれと私が言ったからね。 ありゃりゃあ、すまんかったね、お嬢ちゃん」


 そう言ってラムールの前に出る。


「おばさま……」


 ハルザはかばってくれたのだ。


「ハルザ」


 ところがラムールはちょっと眉をひそめるとたしなめるように言った。


「私を甘く見られては困ります」


 そして暖かい笑顔に戻るとハルザの傷だらけの手を取りそっとなでる。

 口元でブツブツと何かをつぶやいている。

 するとハルザの手の傷がみるみるうすいピンクの光を放ちながら消えていく。 あっという間に傷は一つも無くなってしまった。

 リトが目を丸くしているとラムールはハルザの手を離し、こちらを見た。


「次はリトです。 おやおや……これは頑張りましたね」


 ラムールは苦笑しながらリトの右手をそっと手に取りハルザのときと同じように何かブツブツと唱えながら軽くなでる。

 しびれは水に溶けて流れて消えていくようだった。 痛みは手のひらの上で小さな渦を巻いてたかと思うとスポン、と引き抜かれるかのように、ポポポポポポン、と次々に弾けて消えていった。 ぷちぷちした木の実が弾けるようなその触感はとても面白くもう一度してほしいと思う位だった。

 あっという間に腫れが引き、痛みもなくなった。


「はいおしまい」


 ラムールはポンポン、と手を鳴らした。

 リトはこんなに気軽な治癒魔法は初めてだった。 思わず自分の手を振ってみたり返したりしてしげしげと眺めてしまう。


「けっこう気持ちいいもんじゃろ?」


 ハルザの笑いにリトは頷く。

 満足そうにラムールが告げる。


「今日もご苦労でしたね、ハルザ。 後のことは心配なさらないでいいですよ。 また今度ジンジャークッキーでも御馳走して下さいね」


 その言葉でハルザは安心したようだった。


「お願いしますね」


 そう言って頭を下げるとハルザは一足先に森を出て行った。

 そして森の日だまり通路の中、リトとラムールが残った。

 ラムールはずっとハルザを見送っていた。

 リトの方は向いていない。

 リトは上目遣いにラムールの横顔を眺める。


……怒っているようにも、見えないけど


「リト」


 突然ラムールの口からリトの名が出たのでリトは驚いて「はい!」と気をつけをした。

 ラムール向き直り、まっすぐにリトを見る。

 長いまつげに縁取られた大地の力強さを感じさせる茶色の瞳。

 なんだか緊張してドキドキする。


「どうもあなたに対するフォローが十分ではなかったようですね」

「はい?」

「これは私のミスですね。 来たばかりなのに心労をかけたみたいで申し訳ない」


 よくは分からないが、今のリトの状況の事を言っているのだろうと思った。

 ラムールはズボンのポケットを探ってキャンディを一つ取り出した。 そしてその包み紙を開けると、「ほら」と言ってキャンディをリトの口にそっと入れた。


「お詫びです」


 そう言って笑うラムールは子供のようだった。

 思わずリトも笑顔になる。


「さてと」


 ラムールは表情を引き締めた。


「もうすぐ終わりますが、授業に行きますよ」


 やっぱりなぁ、とリトは思った。

 




 教室の扉をノックして開けると視線が嫌という程リトに突き刺さった。

 と、思ったのは実はリトだけだったかもしれない。

 実際はリトの前にいたラムールに視線が集中していたからだ。


「失礼します。 教授」


 ラムールが丁寧に挨拶をする。


「おぉ、ラムール殿。 いかがなされました?」


 授業を中断させられたことも全く気にせず、快く教授は返事をする。

 ラムールは教授の側まで行くと軽く頭を下げた。


「実は生徒を一人遅刻させてしまいまして。 そのお詫びを」


 そこで本当に皆の視線が少し後ろに立っていたリトに注がれた。

 それはもう、痛いくらいに。


「ほう?」


 教授も訳が分からないようである。


「実はリトにある仕事をさせようと思いまして、その適正を審査していたのですが、思いの外、時間がかかりまして、授業に遅れさせてしまいました。 私の責任です。 申し訳ありません」


 ラムールが今度は深々と頭を下げる。 教授が慌ててラムールに頭を上げさせる。


「いえいえ、まだリトは新人で手間取っても仕方ないでしょう。 それで、リトは何をすることになったのですか?」


 教授が尋ねた。 その答えは当然だがリトも知らなかった。


「明日から朝の活動の時間帯は、私の髪結いに来て貰います」


 ラムールがよく通る声で言った。


 髪結い?


 リトは訳が分からなかったが。

 どどど、ざわざわ。

 教室中で大きなざわめきがうねりのように起こり、教授も目を丸くして口をぱくぱくさせ、リトを震える指で指した。


「髪結い? ラムール殿の?」

「ええ」


 嬉しそうにラムールはにっこりと頷く。

 髪結い……ってラムール様、一つ結びにしているだけじゃん。 いらないでしょ。 髪結い係。 だからみんなびっくりしているんだよ……

 リトは一人でそんなことを考えていたが。

 それが勘違いであり、とんでもないことだと気づくのは、すぐである。

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