第17話 老婆との出会い
女官のほとんどは敷地外の近所の貴族の家に手伝いに行っているようだった。
当然だが門扉があるのでいきなり行って手伝いをさせてくれと頼んでも門を開けてはくれないだろう。
リトはとにかく何か仕事はないかと宮殿の方に行こうとしたが、衛兵に宮殿への立ち入りは許可が無い事にはできないと止められた。 王宮の方なんてもってのほかである。
教会への手伝いは行けなかった。
教会へ手伝いに行く、それは昨日のリトのように誰かの代役だったり人手がいないときなら構わないが、自ら毎日手伝いに行くということは神へ使える意志がある、シスターを希望する、ということであった。 リトにはそこまで腰をすえてシスターを目指す気はなかった。
どうしよう、と庭園内をトボトボ歩いている時だった。
教会の方の入り口から老婆が一人、大きな布袋を両わきに2つも抱えてよたよたと歩いてきた。 門番に止められなかったので入ってもいい人物なのだろう。
老婆の持った袋は4.5才の幼児くらいの大きさで、茶色くすすけ、とても重そうに見えた。
よた、よた、と歩いては一息をつく。 今にもよろめいて倒れそうだ。
「お手伝いしますよ」
リトは思わず近づくと老婆の持っている袋に手をやった。
「あらあら、これは重いよ?」
「一人で持ったらもっと思いでしょ?」
リトは微笑んで袋を一つ取る。 ズシ、っと重みが腕にかかる。
「わっ、重っ」
思わず声がでる。
「でしょう」
老婆はホホホ、と笑う。
「でも平気。 ……バランス取りづらいからもう一つの袋も持っていいですか?」
「あらあら。 私と同じ事を考えるね。そうさね。 一つ持つより二つ持つ方が楽なのさ。 それじゃあお願いしようかね」
リトは袋を二つ持ち、老婆と共に歩き出す。
「で――おばさまはどちらに?」
「ほっほっほっ、おばさまかい、いい響きだねぇ。 隠居してからというもの、婆さん婆さんと呼ぶ者が多くてカリカリしとったところじゃよ」
あからさまにお婆さんと呼ぶのも何だったので、たまたまそう呼んだだけだったのだが、意外と良い効果があったようだ。
老婆は白の館の脇を抜け、敷地内の小さな森へと入っていった。 森といってもきちんと手入れが行き届いている。
リトは老婆の後ろをついて少し歩くと老婆はある若木の前で止まった。
背丈がリトと同じくらいあるだろうか、幹も枝も焦げ茶色とクリーム色が煙のように混ざり合ってねじれたような不思議な色をして、葉は小指の爪ほどの小さいサイズの柊の葉のような感じだった。
老婆が近づくと若木がさわさわと揺れ、まるで老婆が来るのを待ちこがれていたかのようだった。
老婆はリトに持たせた袋に目をやった。
「それはこの子の食事さ。 さあ、ここにそれを置いとくれ」
リトは言われたとおり若木の側に二つの袋を置いた。
「ここからは私の仕事じゃよ」
老婆はそう言うと袋の口を開けて中に手を突っ込む。
取り出したのは砕け散った大小のガラスの破片。
ガラスを握りしめた手には血がにじむ。
「な、何してるんですか?」
リトは驚いて尋ねた。
だが老婆は何も聞こえないかのように、それを若木の周りに振りまく。 ガラスの破片は地面に落ちるとまるで氷のようにしゅうしゅうと溶けていく。
じゃりじゃりというガラスの擦れる音が老婆の手から聞こえ、手から出た血がガラスを赤色に染める。
「ちょっと待って」
リトは見ていられずに老婆の腕を握った。
老婆は優しい眼差しでリトを見つめると言った。
「心配しないでもよいよ。 週に一度のことじゃて。 慣れておるからの。 お嬢ちゃんはやることは無いから帰ってよいぞ」
「だって……」
老婆の手はみるからに痛そうである。
「道具を使っちゃいけないの? スコップとか。 私、借りてくるから」
老婆は嬉しそうに首を振った。
「これは一種の約束とでもいうかね、素手でやることになってるのじゃよ。 この樹は気むずかしくてね。 ありがとうよ。 お嬢ちゃん。 じゃからおまえさんもさっさとお帰り? 今の時間にうろうろしてるなんて、おまえさん、まだ朝の女官の仕事を見つけていないのじゃろう? 残念じゃがこれは午前中いっぱいかかるから、おまえさんには手伝えんよ。 週に一度程度でよいしね」
リトはそれを聞いて少しも残念でなかったかといえば嘘になった。
「じゃがの……袋を運んでくれたお礼じゃ。 ここの敷地を出て、教会の前の通りを右に進んで5ブロック先に青い薔薇が沢山庭に咲いている館がある。 オクナル家というがね、私の息子の家じゃよ。 ”デュッシーからの紹介”と言えばいい。 自慢する訳ではないがね、ここいらで一番の商人の家さ。 十分なお手伝い先じゃよ。 今から行って今日は契約だけすればいい」
そう言って老婆は軽く会釈をして、リトの手をふりほどくと、再びガラスの破片を巻き始めた。
ありがたい申し出だった。
すぐさま駆けていきたかった。
ジャラッ、
ガラスの破片の音が耳に響いた。
ひとつかみづつ、ひとつかみづつ、丁寧に丁寧に。
本当に可愛い子供に食べ物を与えるかのように。
「あの……それって……」
リトは口を開いた。 「ん?」と老婆が動きを止める。
「他の人がしちゃ、ダメって事はないよね?」
「そんな事はないが……まさかお嬢ちゃん」
リトはもう一つの袋を開けた。 そこには細かく砕かれた薔薇の茎があった。
「これもするんでしょ? 順番とか決まってるの?」
「いや、順番は決まってはおらんよ。 心を込めてひとつかみづつ蒔けばね。 って、お嬢ちゃん、その薔薇の棘には毒があるから触れたら手が赤黒く腫れるよ、触るのはおやめなさい」
「……う」
リトの声が聞き取れず老婆は「え?」と聞き返した。
「手伝うね。 おばさま」
リトはそう言うとにこやかに笑い、袋に手を入れ茎を掴んで樹の下に蒔いた。
棘の沢山ある茎が地面に落ちると小さな青い光のしずくになってふわっと宙に舞い上がり、それを葉が吸うように取り込んだ。
「おお」
思わずリトは感心した。
同時に手のひらに刺すような痛みが走った。 見ると棘でひっかけた手のひらの傷から毒が入り、ゴマ粒大に小さな晴れ物ができていた。
「ほれ、言わんこっちゃ無い。 その位なら教会の清水で30分ほど清めたら治るから、もう止めて行きなさい」
老婆が困ったように言う。
「大丈夫」
リトは笑顔で答えるともうひとつかみ掴んで蒔いた。
「おやまぁ」
老婆は呆れたように呟いた。
リトは笑って答える。
「二人でやったら早く終わるし、痛みも半分で済むでしょう?」
そしてまた一巻き。
「めずらしい子じゃね。 午前中の授業はどうするんだい」
老婆が言う。
「もう相当色々やっちゃってるから、今更、授業を半日さぼっても平気」
本当は平気と気楽に言えるほど心境は穏やかではなかったが。
ただリトはこの仕事をしている老婆を置いて去れなかったのだ。