第10話 非難そして孤立
そして夕方、食事の時間になってリトはやっとラムールの部屋を出た。
あの後、話が弾み、夕食も一緒にどうかとデイから誘われたのだが、ラムールが今度になさいと言うのでそれに従ったのだ。
リトは軽い足取りで階段を下り、1階まで下る。
食事は1階の食堂でバイキング形式になっていた。
壁沿いに焼いた肉や魚、煮物、スープ、デザート……沢山の食物が並んでいる。 食堂は男女分かれていないので、ある一角では兵士達が大盛りの肉を頬張りビールで喉をうるおし宴会状態となり、ある一角では中年のご婦人方が世間話に花をさかせおっほほほ、おっほほほ、と寄せては返す波のようにボリュームを上げたり下げたりして笑っている。 そして今まで見なかった女官や侍女たち。
300人ほど入れるというその食堂は多くの人でごったがえしていた。
ところが、リトが中に入ると今までざわついていた室内が微妙に変わった。
一瞬にして<あの子か?>とそれぞれが口にする。
今日の騒動でリトは相当有名になってしまったらしい。
まとわりつくような視線とくぐもったような会話。 さっきまでラムールの部屋で歯に衣きせぬ会話の中にいたリトにとって、その周囲の反応は数倍にも気持ち悪く感じた。
「リト。 お疲れ様」
そのとき背後からルティがやってきた。
「まだ私も食べてないんだ。 一緒にどう?」
ルティの態度は最初会ったときと変わらない。 それは監督役だからだろうか。
しかしこれ以上失態をして周囲の注意を集めたくないリトとしてはルティの存在はありがたかった。
リトはサラダとオムレツ、パンと山鳥のシチューを取った。 席は空いているところならどこでも構わないらしいので適当に空いている席に座る。
ルティはさっきの事件の事にも、その後から今までのことにも何にも尋ねない。 二人の会話に他の人の神経が集中するのが分かっていたからかもしれない。 どんな料理が好きだとか、このパンはルティも手伝って作ったとか、他愛のない話ばかりだった。
食事が終わって1階の掲示板で明日の授業の確認をする。
明日は午前中は第一教場で学問の基礎を学ぶ。
午後からは魔法の授業がある。
テノス国は半科学半魔法社会である。 どちらに偏ることなくほどほどに両方が栄えている国なので魔法の授業も学問の授業も必須科目である。
とはいえリトは魔法を使ったことはなかった。
リトの住んでいた村では魔法使いも住んでおらず、農業も手作業で十分足りたからだ。
魔法は皆、習ったことはあるのだが、これも学問と同じで練習したり使わなければ忘れてしまう。 いや、学問と違って魔法能力は体操選手の筋肉と同じで使わなければ衰えてしまう。 衰えてしまったらもとに戻すのはそう簡単にはいかないのである。
よって魔法使いは体操選手が筋肉トレーニングをするのと同じように毎日魔法を使い、その能力を維持している。 すると必然的に魔法を使うことが盛んな村や町に魔法使いは移住することが多くなり、国全体でみれば半魔法半科学社会なのだが村別でみると殆ど魔法を使わない村などもでてくるのだ。
「明日は午前も午後も忙しいね。 やっていけるかな」
リトが掲示板を見てそう漏らす。 ルティは優しく微笑んで言う。「すぐ慣れるよ」
その時、何の前触れもなく周囲が騒がしくなって怒号が聞こえてきた。
「何ぃ? また黒い野犬の群れが旅人を襲った?」
聞こえてくる野太いガラガラ声は軍隊長である。
「また南の森か……いまいましい山賊め!」
ガシャガシャと鎧の音を響かせながら軍隊長が数名の兵士を連れて廊下を歩いてくる。
頭から湯気を出さんばかりにいきり立ってリト達の前を通り過ぎ館を出て行く。
「最近はあの森、山賊が多いんだ」
階段を上りながらルティが言うには、ここ数ヶ月、南の森で盛んに悪さを働く山賊がいるらしい。 森を通っていると黒い中型犬の集団が道をふさいで襲いかかり、金目のものをすべて奪われてしまうらしい。
犬に襲われ大怪我をした者はいるが、幸い、死者は出ていない。 食料だけが盗られるのなら野犬かもしれないが金銀財宝も一緒に奪っていくし、何より
「野犬のリーダーは大きな熊みたいな犬で、それに乗った男が命令を下してるみたい。 ――残念なことに襲われた人は気を失ったり夜だったりで、はっきりとその男を見た人はいないんだけど」
「命令って、襲え、とか?」
「じゃないの? ……あ? リトって今日あっちの森通って来たんじゃない? 平気だった? って、昼間だから平気だね。 平気じゃなかったらここにいないか」
ルティがあはは、と笑う。 リトは笑うどころではなかったが。
南の森に出る黒犬の集団
熊みたいに大きな犬とそれに乗った男。
少し、いや、とても心当たりがあった。
白の館の外で、蹄の音が響いた。 5.6人の兵士が馬に乗って出て行ったようだった。
「南の森に行ったんだよ」
階段後方の大窓を振り返りながらルティが言う。
「まだ時間あるから2階のティーフロアでお茶しよっか」
リトは断る理由も無かったのでご一緒することにした。
2階のティーフロアーは階段を上りきってすぐ正面の広間の事だ。
4人用テーブルや長椅子などがゆったりと30程置かれ、左側の壁沿いのカウンターにはセルフでお茶等を入れて飲めるようになっていた。
壁には美しい風景画が飾られ、カウンターには小さな花瓶にかわいらしい花が生けてあった。 窓際の小さいステージでは音楽家がピアノを奏で、食事を終えた者がそれぞれのテーブルで談笑していた。
ここは各テーブルの会話に夢中らしく、リトが入っていっても食堂とは違って誰も気づくことなく騒がしいままだった。
二人はカウンターでそれぞれハーブティーを入れ、空いていた席につく。 とてもおいしいお茶でさすがとリトは感心した。
「ルティー」
その時、そう言って二人の少女がやってきた。 二人ともおかっぱで一目見ただけだと姉妹のように見えた。
「ルティ。 今日もきつかったね」
「ルティ。 今日の朝は手伝ってくれてありがとう」
二人はにこにことルティに話しかける。
「気にしないでいいよ。 たいしたことじゃないから。 リト、紹介するよ。 同じ泊まり組のセルとミル。 姉妹じゃないよ。 似てるけど」
セルとミルはお互いに顔を見合わせると少しとまどいながら、「セル=バートンです」 「ミル=ノートンです」と名乗った。
「私は……」とリトが自己紹介しようとしたが、「あ、知ってます」と軽く遮られ、セルとミルはルティに何やらひそひそと話しかける。
――監督係だからって無理しないでも
――無理してないよ
――また面倒なことになったらどうするの?
――こんな子に関わってたらあなたまで変な目で見られるわよ
――はいはい――
残念ながらリトは耳が良かった。
どうも雰囲気から察するに、リトは関わっていけない人物になってしまっているらしい。
ルティの存在はとてもありがたかったが、だからといって彼女まで色眼鏡で見られるのは嬉しくない。
「私、先に部屋に帰るね」
リトは立ち上がった。
「別にいいよ。 リト」
ルティはそう言ったが、セルミルコンビは「そぉ?」と言ってさっさと椅子に座って話し始めた。
まるでさっさと行けといわんばかりである。
「今日は疲れたから部屋で休んでおくね。 ありがとう。 ルティ」
リトはそう言ってその場を後にする。
背後からあははははは、と笑う声がする。
すべての笑い声が自分に向けられているような気がした。
なのに、落ち込むような出来事はそれだけではなかった。
階段を上っていって、もうすぐ4階というときである。
4階のホールからリトゥアが……という声が聞こえてきたのだ。
どうやらそれは階段を上って右手の広間、ラウンジからだった。
盗み聞きをするつもりはないが、自分の名前を呼ばれた気がすれば、やはりその話に注意が向くのは仕方ないことだろう。
「もうホント、馬っ鹿じゃない?って思っちゃったわよ」
「私もよ。 田舎育ちのする事は訳分かんないわよね」
「なんだか田舎のにおいが臭くて。 ダサさがにじみ出てるわ」
「もうね、話したくもない。 っていうより早く出て行って欲しいわ。 あんな馬鹿女のせいで女官全部が品が無くて愚かで情けないなんて思われたらどういたします?」
「何も城下町に来ないで村で乳搾りでもしてれば良かったのよ。」
「本当! ラムール様が命だけは助けて下さったのだから、さっさと荷物をまとめて村に帰ればいいのに、面の皮がどこまで厚いのやら」
「私なら恥ずかしくて一秒もこの場所にいられません」
「ああ、嫌だわ。 わたくし、困ったことに気づきました。 授業や活動の時にあの女とペアを組まされたらどうしましょう……どうも鈍い女みたいですからなれなれしくしてくるかもしれませんわ……」
「本当ね、あんな女と仲良しだなんて思われたら低く評価されてしまうわ! ああ嫌だ!」
何人いるのかは定かではなかったが、かなりの数の女官達がリトの話でエキサイトしているようだった。
リトは気づかれないように階段を上りきり、自分の部屋へと向かう。
「同じ部屋じゃなくて良かったわー。」
誰かの声が聞こえてくる。
「同室は、弓だっけ? あはははは。 良かったー!」
「ほーんと。 弓もいい加減出て行けばいいのに」
リトの足が止まる。
「でもさぁ、女官長も諦めなかったよねー。 新人は必ず弓の部屋に同室にしてたじゃない? これで何人だっけ?」
「8人8人。 馬鹿女は9人目」
「8人もの人にさぁ? この人とは同室は嫌です、って言われてもまだ弓はここに居るってのが信じられないよね。 ここではいらない人間だってことにまだ気づかないのかな?」
「馬鹿女と同じで鈍いんじゃない?」
「違うわよ。 可哀想な私!を印象づけて王子様にアピールしたいんじゃない?」
「そしてゆくゆくは王子の……なにー? 育ちも悪いし家柄も無いから愛人にもなれないわよねー」
「あ、私が側室になったら靴磨きくらいに使ってあげようかなー?」
「きゃははははは、靴磨きも嫌ー! 毒味役とか排泄物検査官が精一杯でしょー」
「あー、それいい! きょうの排泄物の臭いや色はこんなこんなですから体調はいいみたいです、ってー?」
リトはいい加減、吐き気がして部屋に入った。
部屋に入ってもエキサイトした女官達の笑い声が部屋の中までときどき洩れてくる。
私は……ここでは楽しい生活は送れそうにもない。
いっそのこと荷物をまとめて村へ帰ろうか。 そっちが正しいのではないか。 ルティも監督係だからこそ世話をやいてくれたが、本当は嫌だったのではないか。
いいや、考えすぎだ。お風呂にでも入って気分を変えればどうにかなるかも、と思ったリトは部屋を出ようと扉に手をかけたが、大浴場に行くにはさっきの悪口で盛り上がっているホールを通らねばならず、迷っていると、だめ押しにドアのむこうから声が聞こえてきた。
「ねね、馬鹿女、お風呂まだでしょ?」
「ええ。 ……ねぇ、みんなであの子の裸でも見ちゃわない? 絶対あの子、スタイル悪いから!」
「あっ、それいいっ! みんなで裸を見てさ、兵士のみーんなに教えてあげよーよ」
「なら着替えとタオルを隠せばいいんじゃない? 着替えをここから一つづつ道しるべみたいに置いて2階まで行かせるとか。 裸で取りに行かせればいいじゃない」
「あららぁ。 兵士は大喜びじゃない?」
「いゃあだ! いっじわるぅ!」
あっはははは、と彼女達の馬鹿笑いが4階じゅうに響く。
リトは立ちつくすしかなかった。