色々と、初耳
たった道路一本奥に入っただけなのに、と不思議になるほど静かな空気の中で、私達はベランダへと続く大きな窓を背にソファへと腰を下ろした。
部屋の照明は控え目に落とされ、バランス良く配置された植物達をオレンジ掛かった光で染めている。カーテンで仕切られた幾つかの部屋を通り過ぎた先、飴色の扉の中にあるこの部屋は、古い映画から切り取られたようなソファとテーブル、「書き物机」とでも呼びたいようなどっしりとしたデスクと植物で整えられ、甘い花の香りの水(これは何ていうの?ハーブティーとも違う、冷た過ぎない水に甘い香りと味が付いてるの)の入ったグラスを私達の前に置いたバニーさん(いきなりいかがわしいあだ名を付けてしまった。すんません)は、モーヴピンクのレザーケースから改めて名刺を取り出した。
「自己紹介が遅くなってすみませんでした。八坂紅葉と申します。こちらの天水楼では主に、温灸や鍼灸を担当しています」
「は?鍼灸?」
アイドルばりの麗しい微笑を後目に、思ってもみなかった単語を聞かされて声を挙げる。八坂さんはえ?というように首を傾けた。
「あ、そういや私、何も言ってなかったっけ。どうせ来れば分かるし、説明するのも面倒だったし」
って、おい!しれっとした顔で言い放つ景子を、私はジロリと横目で見遣った。
「ちょっと景子、それならそうって言っといてよ。鍼灸って体に針さすんだよね?そんな痛そうな事、私やった事ないんだけど」
「ああ、大丈夫ですよ。ご本人の承諾もなくいきなり鍼を刺したりしませんし、お灸だけのメニューもあります。よろしければ今日は、高野さんが治療を受けている間、のんびりしていって下さいね」
「治療・・・って景子、あんた鍼灸なんかに通ってたの?」
これもまたえらくミスマッチな単語を聞いた気がして、私は景子を振り返った。いやだって、さっきも言ったように景子は「美」とか「恋愛」とかに対するセンサーが鋭く、社内でも高い女子力を誇っていたからだ。もしこれがエステやビューティーサロンだったら、別に違和感ないんだけど。実はどっか悪かったっけ?にしても、なんで鍼灸?普通の病院じゃだめだったの?
「うん、半年前から。いいよー、鍼」
あっさりうなづくと彼女は私が疑問に思う事は分かっていたのだろう、言葉を続けた。
「どこがってわけじゃないんだけど、気が付くといつからか、色んな事がおっくうになってたの。今のあんたと同じように」
「え・・・」
「毎日なーんかやる気が出なくてさ。最初はほっといたんだよ、そのうち元に戻るだろうと思って。でも全然変わんないし、逆に鬱っぽくなってきて。これはいかんと思って自分なりに色々考えて、雑誌に載ってた良さそうな事、幾つか試してみたんだけど変化なしで」
グラスをぎゅっと両手で抱えて、景子はホウっと溜息をついた。
「気が付かなかった・・・」
初めて聞く話に、唖然と呟く。知らなかった。なんだそれ。毎日一緒にいたのに、どんだけ節穴だ、私。
「そりゃ、バレないようにしてたからね。別に病気ってわけでもないし。されにさ~、それなりに自負もあったのよ。結構自分、頑張ってんじゃない?って。だから認めるの嫌だったし。つい最近まで美容がどうこう、服がどうこう言ってたくせに、毎日疲れた顔してお肌ガサガサで、もうどうでもいい、お化粧したくない、なんてさ」
要するに、いいカッコしいだったわけよ。ナル入ってたし。ちょっと笑って付け足すと、景子は目の前のダンティに目をやった。
「でもさ、やみくもに自己流で何とかしようったって無理なんだよね~。そんな時に、ここを教えてもらったの。私も最初は鍼刺すなんて絶対ムリって思ったんだけど、覗くだけ覗いてみようって。で、実際やってみたら意外と痛くなくて、お灸、温かくて気持ちいいし。ちょっとずつ、調子悪いのが治ってきたのよ。それにさ」
フッと意味ありげに言葉を切ると、景子は私の方にグイッと体を傾けた。
「フェロモンっていうのかな~。調子良くなって体が軽くなってきたら、なんか女子力上がってきて。恋した~い、みたな気分になってきちゃってさ」
「は?」
なんですと?今までのちょいシリアスなムードから一転、聞き捨てならない単語が耳に飛び込んできた。
「フェロモン?恋?」
って、鍼で?お灸で?何だそれ。そんな事ってあるの?
「そう。やっぱいつでもトキメイていたいじゃない、女子として」
「そ、それはそうだよ。で、その女子力アップってのは具体的にはどういう・・・」
「お。キョーミ出てきた?」
「あ・・・」
いつの間にか。私は景子に詰め寄る形になってたらしい。ついさっきまでのグダグダはどこへやら、前のめりに食いつく私に景子は口の端を上げてみせた。
「はい。鍼灸___に限らず、東洋医学では一人一人の不調や体質的なウィークポイントにスポットライトを当てて原因に対処する事で、その人にとって丁度良い状態に近付けていくんです」
今まで静かに私達のやり取りを聞いていた糺さんが、そっと口を開いた。
「その人に必要なケアを重点的にやって、体をベストな状態にもっていければ、どこかに余分なエネルギーを割く事もなく、気分も軽くなります。そうなると外に目がいくようになるし、異性に対しても自信を持って接する事が出来るようになる。人間だって動物ですからね、気力・体力が充実していれば好ましい異性との恋を成就させたいと思うようになる。東洋医学では、物事を陰と陽の二つに分類する考え方があるのですが、生田さんは聞いた事はおありですか?」
「あー、はい、なんとなく。暗い、とか冷たい物が陰で、明るいとか熱い物が陽?」
自信はなかったけどとりあえず言ってみると、ダンディは穏やかな笑みを浮かべた。
「はい、その通りです。世の中の物をこの二つに当てはめるのですが、その考え方に沿うと男性は陽、女性は陰に該当します。物事は全て陰陽という正反対の物同士が揃う事でバランスが保たれるのですが、男女も同じく、両者が揃うとより心身のバランスが取れてくるのです」
淡々と説明しながら、ダンディは片手をグー、片手をパーにして胸の前でガッシリ組んでみせた。
え・・・えーと、それってあれですよね、シレーっとした顔で仰ってますけど、要するに・・・。
オタオタと周囲に目をやると、八坂さんは肩をすくめて見せた。動じてない。そ、そーか、これがこの人のいつもの感じなんだ。ま、まあ別に、皆大人だし。いちいち過剰に反応するのはやめよう。えーと、何だっけ今の話。つまりは、
「自分に必要なケアすれば体のバランスも整うから、それに伴ってフェロモンもアップする、と」
「そうです!」