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監獄博物館

作者: めいそ

 その日、雪深ゆきみイサクは早朝から車を走らせ、神奈川県内のとある監獄に向かっていた。

 とある監獄というのはその名も監獄博物館。――公立の、監獄に関する博物館だった。

 けれども平日の朝五時に起きて男一人、遠方の博物館に向かうのが趣味というわけではない。

 イサクの本業は探偵だった。収入の多寡から判断すればそれは趣味と呼んだ方が適切だったが、本人の意識としては間違いなく本業だった。

 しかし残念ながら、今はまだ軌道に乗っているとはいえないので、生計を立てるためにちょっとした副業を必要とした。

 駆け出しのころにありがちな種類の苦労を、本人は楽しんでさえいたが、いつまで経っても助走が終わる気配はなく、本人の周囲はむしろ気を揉んでいる。

 そのライターの仕事は、そうした周囲の一人である、雑誌社に勤める先輩が、いつまでもぶらぶらしている後輩へ回してくれているものだった。

 小さなWEB雑誌用の記事なので、収入は知れているし、いつまで先輩の温情が続くかわからなかったが、それでも幸運であることに違いはない。

 ――そしてやっと本題に戻るが、今回依頼された仕事の内容が、オープン一周年になる公立博物館の企画展示会の取材なのであった。

 ところで雑誌社には年中博物館からのプレスリリースが山ほど送られてくる。しかしそれらのほとんどは無視されてしまう。お知らせは無数にあるが、記事になるようなものは一握りだ。

 例えばどこどこの博物館が企画展を開きますよと言ったって、地元においてさえ多くの人は興味を示さない。その地域の読み物で取り上げてもらえればいいほうだ。

 なのにもかかわらず今回、地域の読み物でもない通俗WEB雑誌がその博物館へ出向かうことになったわけは、企画展示の内容にあった。

 企画展示のテーマは「世界のシリアルキラー展」。

 公立の博物館が「世界のシリアルキラー展」などという教育の観点から離れた催しを行おうというのだ。B級でちょっとしょうもない話題を追い続けることで生き延びているWEB雑誌にはおあつらえ向きだった。

 イサクの車が市街地から離れ、どちらかというと山の中に入り始めた頃、行く手に四角い大きな建物が現れた。

 監獄博物館公式HPに載っている写真よりかは多少よくなく見えたが、同じ建物だということはわかった。だだっ広い駐車場に愛車の軽を停める。とはいえ平日の、それも開館二時間以上前なので人気がないわけではないだろう。

 博物館に来るなんて小学校以来だな、と巨大なハコモノをまじまじと眺めて思った。全体像と駐車場を愛用のデジカメに収める。いつまで経っても写真は上達しない。もっとも傾いた世界を映し出さない分だけマシにはなった。

 この博物館、オープンしたのは去年だそうが、それにしては建物が古ぼけている。ネットに書かれていた情報では、閉館した以前の博物館の建物を引き継いで使っているらしい。

 どうやって入ろうかまごついた結果、博物館に電話をかけることにした。

 「はいっ、もしもし。世界の監獄博物館です」

 女性が電話に出た。どこか気後れしたようなたどたどしい声色で、イサクは安心した。

 「おはようございます。先日××社から取材のアポを入れさせてもらったライターの雪深なのですが」

 イサクは気まずそうに言った。

 「あのー、玄関から入ればいいですか?」

 「あ、はい! ごめんなさい、今伺いますね」

 「お願いします」

 電話は切れた。

 二、三分待つと、恰幅のよいオールバックの男性が息を弾ませて玄関の自動ドアから走ってきた。

 「すみません、お待たせしました」

 「いえいえ、お手数かけます」

 「ここの館長をやっております枝広です」

 いそいそと名刺を取り出した。文字の上にうっすらと鉄格子のイラストをあしらった遊び心のあるものだった。

 「フリーライターの雪深イサクです。面白い名刺ですね」

 イサクも名刺を渡す。ライターは本業ではないが、一応名刺は用意してある。ただし無地に肩書きと名前、連絡先だけというシンプルなものだ。

 「ああ、こいつはどうも」

 館長は名刺を両手で受け取ると、

 「ここの博物館の名刺はみんなこういう柄なんです。印象に残りますでしょう?」

 「なるほど、名前は編集で塗りつぶすので、記事に使わせていただいてよろしいですか」

 「ええ、もちろんですよ。まあ、立話もなんですし、中に入りましょうか」

 「はい。今日はよろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」


 内装はリフォームしたのだろう、ずいぶんと小綺麗だった。監獄博物館ということだが、特に陰鬱な雰囲気はない。

 「すみませんが、開館前はエスカレーターの電源を入れていないので、向こうのエレベーターで行きましょう」

 「いえいえ、階段でも結構ですが」

 「職員は展示物を運ぶとき以外エレベーターを使わないよう言われていますからね。しかしせっかくお客さんが来られたことですし」

 館長は笑った。なるほど、階段を走って降りたから息を切らしていたのか。

 「それじゃお言葉に甘えて」

 エレベーターは玄関から反対側の壁に設置されていた。それもずいぶん大きなドアだ。

 「結構大勢乗られるんですか?」

 「いえ、資材や展示物の中には大きなものもありますからエレベーターも大きく作ってあるんですよ。ここはお客さんも職員も共用で一台しかないですから」

  中に入ると、館長は三階のボタンを押す。

  「応接室や館長室もありませんので、散らかっておりますが事務室にご案内してよろしいですか」

  「どこでも結構ですよ」

 エレベーターから出てまたまっすぐ歩き、突き当たりから左に曲がると最初に「事務室」と札のついた部屋が現れた。

 部屋のドアは開けっ放されている。

 「急いで来られたんですね。すみません」

  イサクが謝ると、館長は首を振って、

 「いえ、ちょっと事情がありましてね。おーい、代田しろたさん」

 「はい」

  中からイサクと同い年くらいの女性がのろのろ出てくる。寝不足なのか目に隈ができている。返事の声からしてさっき電話を取った人だろう。

 「うちの学芸員の代田です。こちらは雪深さん」

  館長が間を取り持つ。

 「あ、さっきはどうも。本日はよろしくお願いします」

  イサクは会釈する。

 「はい、よろしくお願いします」

 事務室の中は確かに散らかっていた。乱雑にではなく、それぞれ場所はまとまってはいるのだが、とにかく物が多い。

 「すみません、散らかってて。企画展が近いと片付ける暇もなくて」

  代田が弁明する。

 「いやあ俺の部屋はもっとひどいですから」

  イサクはフォローする。しかもそれは本当だった。

 「さて、お忙しいでしょうし、企画展について訊かせていただいてもよろしいですか」

 「はい、えっと、館長が?」

 「ああ、私が答えるよ」

 イサクに向き直って、

 「代田さんは事務仕事をやってくれているので、気が散るかもわかりませんが」

 館長は湯気の立つコーヒのカップを三つ机に置く。いつ淹れたのだろう。手早い仕事だ。

 「コーヒーでよかったですか?」

 「ありがとうございます」

  コーヒーに口を付けてからイサクは尋ねる。

 「あの、学芸員さんは事務仕事もこなされるんですか?」

 「昨今は経済的な事情もありまして、常に人手不足なんですよ」

  館長は説明した。

 「なるほど。今回の企画展のテーマもその辺りに理由があるのでしょうか」

 「ははは」

 イサクの不躾な問いに館長は苦笑いした。

 「集客に走った安易なテーマだと思われるでしょう。教育普及の点からすれば、若い来館者には過激すぎるかもしれない。しかしながら、ここはせっかく監獄博物館なのですから、世の中に確かに現れる彼らの存在について触れないわけにはいかないと、そう思ったのです」

  館長は続ける。

 「シリアルキラーという存在については、種々の媒体において面白おかしくとりあげられておりますが、実態はそれほど知られていない。私どもは、知的好奇心を満たし、なおかつ、彼らの正確な情報をお伝えできるいい機会だと思っております」

 「はあ、なるほど」

 いきなりまくし立てられて、ボイスレコーダーのスイッチを入れるのを忘れたなどとは言えない。ポケットの中をまさぐり、密かにスイッチを入れて机の上に置いた。

 「具体的にはどういう展示を行うのでしょうか?」

 「基本的には有名なシリアルキラーの生い立ちをパネルにまとめたり、事件にまつわるモノを展示したりです」

 「モノというと?」

 「まあ、彼らは何か執着するモチーフを持っていたケース多いですから、そのモチーフにまつわるモノです。例えば焼き物などですね」

 「焼き物……ですか」

 「ええ。マーティン・ヴァーティゴをご存知ですか」

 「いえ」

 「犠牲者の血を練りこんだ焼き物を作り続けたスウェーデンのシリアルキラーです」

 「何故そんなことを?」

 「それはわかりません。彼は現場で射殺されましたから。その後彼の家から作品の数々が見つかったというわけです」

 「その作品が今ここに?」

 「ええ。見ていかれますか? ただし写真を撮るのはご遠慮願いたいですが」

 「わかりました。お願いします」

 イサクはまた館長に連れられて廊下に出た。数メートル進むと次の部屋が見えた。位置的には事務室の隣になるが、距離は歩いてきた分だけ隔てられている。その先は行き止まりになっていて、この廊下には事務室と今目の前にある部屋だけしかないようだ。

 「ここが、企画展示準備室です」

 「三階が企画展示のフロアだったんですね」

 「そうですよ」

 と言うと、観音開きのドアを開け放った。

 「失礼ですが、鍵は掛けられていないんですか」

 無用心に思い、イサクがそう尋ねると、

 「準備を始めて気が付いたのですが、鍵が壊れているようなんですよ。古い建物ですからね」

 「それは大変ですね。貴重品だらけでしょうに」

 「さっきの代田さんが今日の午後から鍵屋さんを呼んでくれています」

 「もしかしてさっき事務室のドアが開けっ放しだったのは」

 「ああやって事務をしながら同時に番もしてもらっているんです。この部屋に入るには事務室の前を通らなくてなりませんから。まあ滅多なことはないでしょうが」

 「警備員の方などは?」

 「まだ朝早いので警備員や他のアルバイトの方は来られていないんです」

 「ほう」

 よほど経費削減に熱心だと見える。

 館長は「どうぞ」とイサクを招き入れた。

 「うちはそれほど文化財などは置いてないのですが、この焼き物は少々値が張りました」

 館長はケースに入った黒い壷を指し示す。

 「これがさきほどお話した、俗に言うマーティンの血の壷です」

 イサクは目を見張る。成形の段階で手が滑ったような歪な格好をした赤黒い壷だ。言われればなんとなしに禍々しいものを感じないでもない。自分でも作れそうな感じも同じくらいするが。

 「あ、これですか! ホームページの広報にも載ってたやつですね」

 「そうです。案外普通の壷に見えるものでしょう? それどころかガラクタだと言われても頷けるかもしれない。ですがこの手のモノは市場だと結構な値段がするんです」

 「マニアがいるんでしょうか」

 「その通りです。博物館と好事家とは切っても切れない仲なんですよ」

 イサクは部屋の中をじっくり拝見する。館長は先ほど、事務室前の廊下からしかこの部屋には入れないと言っていたが、部屋の奥に大きな扉を見つけた。

 「この扉はどこに?」

 「ああ、そこから企画展示室に繋がっているんです。今は鍵を掛けていますが」

 「なるほど。鍵が掛かっているんですね」

 一周ぐるっと見て回ったが、写真やノートの類は多いが、壷のような直接の現物は少ないようだ。その考えを察知したのか館長は言った。

 「本館の本来の趣旨とも多少ずれておりますので収蔵物がややバラエティにかけますが、ここからちゃんとした展示になるんですよ。方々から借り受ける約束も取り付けておりますので」

 「わかりました。企画展示室の方も見せていただいてよろしいですか?」

 「もちろんです。といってもほとんど準備できていませんが」

 館長は懐から鍵の束を取り出して、今いる企画展示準備室の奥にあるドアの錠を開けた。入ってきた入り口と同じように観音開きとなっている。

 企画展示室は準備室の何倍もの広さのある部屋だった。パーティションで通路上に区切ってあり、そこを利用して資料を貼り付けてある。ただし展示用ケースはほとんどが空で貴重な物は準備室の方に控えてあるのだろう。

 「ありがとうございます」

 「せっかく来て頂いたのにまだロクに準備ができていなくて申し訳ない」

 「とんでもないですよ。こちらの都合で、プレス内見会よりずいぶん先に取材させて頂いてるんですから」

 と内情を交えた社交辞令を交わしつつ、元の準備室に戻る。館長は企画展示室へのドアの鍵をしっかり閉める。

 「一度事務室へ戻りましょうか」

 「そうですね」

 館長に先導されて準備室から出る。

 二人が事務室に戻ると、代田の他に一人見知らぬ顔がいた。

 「ああ、館長。またあいつが来てるんですが」

 その男は館長に詰め寄った。

 「子嶋こじまくん。お客さんの前だよ」

 館長は子嶋という男を嗜める。

 「ああ、すみません」

 「雪深さん、うちの学芸員の子嶋です。こちらライターさんの雪深さん」

 よろしくお願いしますと互いに頭を下げる。

 「ところで、俺は席を外した方が?」

 イサクは館長の顔色を窺う。

 「いえ、そんなに大したことじゃあないんです。最近抗議の電話をよこしたり、押しかけてくる方が一人いましてね」

 「もしかして、シリアルキラー展にですか?」

 「ええ、この館の掲示板には予告のポスターを貼ってありますし、ホープページで予告しておりますから」

 「税金を使って、そんなものを取り上げるのはけしからん! っていう内容です」

 子嶋は補足する。

 「もっとも、運営資金のほとんどはここの財団法人から出て、しかも色々な催しをして自己調達しているわけなんですけどね。あまりに公金に頼らざるを得ない状況になれば閉館ですよ、今時の博物館は」

 子嶋は怒りの丈を唾として空中にぶちまける。

 「まあまあ、しょうがないさ。ちょっと相手をしてくるよ」

 館長は宥めたが、子嶋は依然不満そうな顔をしている。

 「相手すると付け上がりますよ、あいつ。単に暇なんですって」

 「さてこれからどうしましょうか」

 手でそれを諌めて館長が言う。

 「そうですね。常設展示の方も見せて頂いてよろしいですか?」

 「わかりました。子嶋くん、雪深さんを案内してくれないか」

 と言って、

 「すぐ戻るから」

 「はい。それじゃあ、雪深さんこちらです」

 「お気をつけて」

 代田が眠そうに言う。

 館長と子嶋と連れ立って、事務室を跡にした。

 今度はエレベーターに乗らず、階段を使って降りる。二階全体が常設展示のフロアらしい。

 「私はここで」

 館長はそのまま一人一階へ向かう。

 「大変ですね」

 イサクは子嶋に言う。

 「いや、そうでもないですよ。まあ怒鳴りあいは始まるかもしれませんね」

 「怒鳴りあいですか?」

 「ええ、館長は外面はいいんですが、器が小さいんでしょう。身内やちょっと攻撃的な人間に対してはうるさいんです」

 「そうなんですか。わかんないものですね」

 と素直な感想を漏らす。

 「代田さんなんて過労でぶっ倒れそうな顔してたでしょ」

 子嶋は照明のスイッチを押す。

 「眠そうでしたよね」

 「家にまで仕事持って帰らすんですから。企画展示会前は本当に地獄ですよ」

 子嶋はベラベラと不満を打ち明けて、

 「あ、これオフレコでお願いしますね」

 とおちゃらける。

 「ははは」

 「あの壷見ました?」

 「はい」

 「大したものじゃなかったでしょ」

 「いや、そんなことは」

 「いいんですよ。俺もそう思いますから。あれも館長が買おうって言い出したんですよ。大して予算もないのに」

 「それほどまでに今回の企画展を?」

 「いや、陶芸が趣味だそうですから、蒐集が目的で、下手すりゃ企画展のテーマは後付けもしれない」

 子嶋は笑う。

 「まさか」

 「ははは、さすがに冗談ですよ。ワンマンな人だって言いたかったんです」

 「色々あるんですね」

 ざっくりした相槌を打った。

 「そうなんです。ま、無駄話してないで案内しましょうか」

 「はは、お願いします」

 照明こそ点けてくれているものの開館前なので当然だが、まるで人気はなかった。

 「うちは集客のためにちょっとした趣向も凝らしてあるんですよ」

 唐突に子嶋は言った。

 「へえ例えばどんなです?」

 「各コーナーで体験型学習を設置して、それをやっていけばスタンプが貰えて、一定数集めたらシールと交換なんていうのがあります」

 「子供が喜びますね」

 「それが大人も案外夢中になってやってくれますよ。中世や現代の牢屋を再現したコーナーなんて人気ですね」

 「一回入っておくと、後々何かあったときにパニくらなくていいかもしれない」

 「あ、近くにいい所があった。こっちです」

 子嶋は丁度目の前にあるブースにイサクを招いて、嬉しそうに言った。

 「これはパノプティコンコーナーです」

 「パノプティコンというと中心の監視塔からは周囲の牢屋は見渡せるけど、牢屋からは監視塔の中が見えないために、常に監視されているんじゃないかって思わせる牢屋ですよね」

 「それです。よくご存知で。じゃあこれを見てください」

 そこにはパノプティコンについての写真や説明が展示されている他に、ゲームセンターにあるような小型の機体が、中心点に向かって四つ並べてあった。それぞれ座席の周りをカーテンで区切って周りから中を窺い辛くなっている。

 「なんですか、これ」

 「体験型学習コーナーの一つです。パノプティコンのエッセンスだけ抽出したゲームです。ルールは俺が考えました」

 子嶋は誇らしげに言った。

 「ちなみにどんな?」

 「一人が看守、残りが囚人となります。看守は同時に二人までの囚人を監視できるんですが、残りの一人は監視できない。なので囚人からすれば脱獄できる可能性はあるのですが、あるかないかわからない監視の目が気になって脱獄できない。こんな感じのゲームを全員に看守の役が一巡するまで繰り返して、最後の時点で一番得点の高い人が勝ちになります」

 「なるほど、面白そうだ」

 「ただ四人揃わないとできないのが欠点ですね。ちなみにカーテンはただの雰囲気作りです」

 「ありがとうございます」

 

 その後も子嶋の案内を受けながら常設展示を回った。

 古代の洞窟をはじめ、離島や遠方の植民地など地形を利用した監獄。例えば悪魔島、シャトーディフ、アルカトラズ島など。

 著名な脱獄囚について。

 脱獄の手段。

 レストランで再現されている獄中の食事等々。 

 そんなこんなで三十分ほど経とうかという頃だった。

 「子嶋くーん!」

 大声で子嶋を呼ぶ声が館内を木霊した。

 見れば館長が血相を変えてこちらに走ってきている。

 「子嶋くん、大変なことが起こった!」

 「落ち着いて下さいよ、いったい何です」

 「壷が……」

 館長は唾を飲み込んで言った。

 「壷が割れているんだ!」

 「まさか」

 子嶋と、ついでにイサクも館長に呼ばれるまま、三階へと走った。事務室の扉は開いていたが、中には誰もいない。

 企画展示準備室へ入ると、代田が他の収蔵品や寄託品を点検して回っていた。

 床の上には粉々に砕け散った壷の破片が転がっている。卓上のケースは無事なところからして、誰かが故意にケースから取り出して割ったのだろう。

 「他は大丈夫の様です」

 「他が大丈夫だって気休めにもなるもんか。この壷が企画展の目玉だったのに!」

 「すみません」

 「すみませんではすまないよ」

 館長は代田に詰め寄る。

 「ちょっと待って下さいよ。代田さんが壊したんですか?」

 子嶋が割って入る。

 「そうではないが、代田くんがしっかり見張っていてくれれば――」

 「じゃあ誰が壊したんです?」

 横からイサクが口を出した。

 「それが、わからないんですよ」

 「わからない? それじゃ代田さんは犯人を見ていないんですか」

 「すみません」

 「物音は聞かなかったんですか?」

 「……はい」

 悄然とした様子で代田は答える。謝ることしかできないほど落ち込んでいるらしい。

 「でも企画展示準備室へ入るには、ここの前の廊下を通るしかないんですよね。企画展示室からのドアには鍵が掛かっていますし。まさか廊下の窓から入ってくるなんてこともないでしょう」

 「だから、私も代田くんを責めているんですよ。だって彼女寝ていたんですから」

 あっ、と声に出してしまうほどの気まずさが場を吹き抜けた。

 「そ、それにしたって代田さんが悪いわけじゃないでしょう。鍵が壊れていたせいでもあるし、何よりやった犯人が悪いに決まってる」

 子嶋が言う。それはそうだなとイサクは思った。

 「勤務中に寝るなんて普通思わないだろう」

 「寝てしまうほど過労気味なんですよ。だいたいそんな言うなら準備室に置いておかないでちゃんと収蔵室まで持って上がればよかったんだ」

 「信用していたんだよ、彼女を」

 二人の口論の間で代田がどんどん萎縮していくのがわかる。彼女ほどではないがイサクも若干居たたまれなかった。

 「あのう、企画展示室から通じてる方のドアの鍵は館長さん以外に誰か持っていないのですか?」

 目の前の二人によって次なる事件が起きる前に、話題を変えた。

 「いや私しか持っていないですよ。肌身離さず持っているから合鍵を作られる心配もない」

 「そうですか」

 続いてイサクは代田に訊いた。

 「代田さん、眠っていた時間はどのくらいですか? また何時から何時の間でしょう」

 「二〇分くらいでしょうか、多分……」

 「私が事務室に帰ってきたときがちょうど八時で、その時まだ代田くんは寝ていた。つまり七時四〇分に眠り始めたということになりますね。彼女の申告が本当ならね」

 「つまりその間に誰かがやったということですか。一応言っておきますが、俺は雪深さんと片時も離れず二階にいました」

 「さすがにそこまで疑っちゃいないよ。犯人はクレーマーの仲間だろう。というより他にいない。壷は広報やポスターに写真を載せていたから」

 館長は苦々しげに吐き出した。

 「おっと、内輪で話すより先に警察を呼ばなければ」

 クレーマーの仲間がやった……。むしろそうであればいいが、とイサクは思った。

 外部に犯人がいればそれにこしたことはないのだ。内部に犯人がいる方がよっぽどひどい。

 しかし内部に犯人がいた場合だが、動機がいまいち見えてこない。幸いと取るべきか根が深いと取るべきか。

 マニアの内では高値が付く壷を、盗むならともかく壊す意図はなんだろう。

 館長が言うように、目玉の品を潰して企画展を取りやめさせる目的。クレーマー以外にも子嶋は企画展に乗り気でなさそうだが、彼は一学芸員として企画を成功させようという意図は感じられた。それにずっとイサクといたのだから彼ではないだろう。

 「保険には入られてるんですか?」

 館長が警察に電話する横で、イサクは子嶋に聞いた。

 この人根掘り葉掘り聞いてくるなあ、というような怪訝な眼差しを向けながらも子嶋は答えた。

 「もちろん入ってますよ。でも保険金目当てでこんな小芝居を打つほど保険金は高くない。企画展の行き先を考えても金銭的には大きくマイナスでしょうね」

 質問の意図を見透かして先手を打たれてしまった形である。

 「ならよかった」

 笑ってごまかす。

 「あの……、雪深さん」

 電話を終えた館長が言った。

 「はい」

 「申し訳ないのですが、これから警察の方が来られるまでこの部屋でお待ち頂けますか? 先方がそうおっしゃるので」

 「構いませんよ。時間に余裕はあります」

 「ありがとうございます。何か飲まれますか?」

 「いえ、結構ですよ。今日聞いた話を整理していますからどうぞお構いなく」

 「企画展がどうなるかわからなくなってしまい、雪深さんには重ね重ね申し訳ないです」

 「いえ、最悪この事件を記事にしたら採用してくれるかもしれないですし」

 イサクが場違いな冗談を言うと、

 「それだけはよしてくれませんか。収蔵物の管理に対する悪評が立ってしまいますので」

 館長は真剣に取って答えた。

 「あ、はい。すみません」

 「館長俺たちはどうすればいいですか」

 「ああ、君らもここで待機しておいてくれ。仕事にならないだろう」

 「それじゃ俺はコーヒー飲もうかな。代田さんと館長は?」

 子嶋はコーヒーメーカーのスイッチを入れる。

 「……それじゃあお願いします」

 「私は結構だ」

 コーヒーの芳香が部屋中に満ちる。

 ん、コーヒー?

 イサクは思い出した。最初にこの事務室に入った時館長が三人分コーヒーを作っていてくれたことを。

 そして代田さんもそれを飲んだはずだ。

 コーヒーを飲めば必ずしも目が覚めるわけではないが、イサクはそこに引っかかりを感じた。話を聞いてみれば大して優しいわけでもなさそうな館長が何故代田さんの分までコーヒーを作ったのだろう。客人の前だから?

 いや、もしかすると館長はそのとき代田のコーヒーに睡眠薬か何かを入れたのではないだろうか。

 この事件は代田さんが眠っていなければ成立しなかったのだから――。

 しかし館長は何のために壷を割ったのだろう?

 館長はこの企画展を中止したかったのだろうか。だが彼自身が積極的に推し進めた企画なのだ。その象徴が壷。それを叩き割るなど……。

 「壷か……」

 イサクは声に出した。

 なんで壷なんだろう。シリアルキラーといえば他に著名な方々が大勢いる。その中で大枚はたいて、マーティンの血の壷を購入した理由。

 ふと、子嶋の言葉を思い出す。

 「いや、陶芸が趣味だそうですから、蒐集が目的で、下手すりゃ企画展のテーマは後付けもしれない」

 館長は企画展のために壷を買ったのではなく、壷を買うために企画展を提言した?

 陶芸が趣味という言葉は、陶芸品を集めることが趣味という風にも取れるが、自然に受け取れば、陶芸品を作るのが趣味ということでもあるのではないか。

 ならば館長には作れたのかもしれない。マーティンの血の壷、その贋作を!

 そして好きな時に本物とすり替え、本物面をした贋作を静かに叩き壊す。リスクは高くなるが先にすり替えておけば、壊す際に本物を隠す手間が省ける。イサクが見た壷はすでに偽者だったのかもしれない。だから写真撮影を嫌ったとも考えられる。

 盗まれたと思われなければ探されることもない。自分では手に入りそうにない陶芸品を密かに手に入れる良いチャンスだ。あるいは金が必要だったのか。形を変えた横領とも言える。

 入り口の鍵が壊れ、あるいは壊し、形としては警備をつけ、折りよく目先をそらしてくれるクレーマーも現れた。ついでに外部の証人役として馬鹿そうなライターも。

 こうして考えてみるとこれしかないような気がしてきた。何の証拠もないが、あとで警察に相談してもいいかもしれない。

 子嶋にも言ってみよう。

 「すみません、子嶋さん、ちょっといいですか?」

 「はい?」

 「ちょっと外へ」

 「どうしたんですか、ったく」

 コーヒーのカップを持ったまま、子嶋はイサクと連れ立って廊下に出る。

 「何ですか。部屋に二人きりで残すのは可愛そうだ」

 「犯人がわかったかもしれないんです」

 「へえ、探偵みたいなこと言うんですね」

 「俺は探偵ですよ。副業でライターもしてますが」

 「変わった人だな。だからさっきからあれこれ聞いてたんですね」

 「そうです」

 「それじゃあ聞かせてください。雪深さんの推理を」

 「わかりました――」

 イサクはしかつめ顔で出来立てホヤホヤの推理を語った。

 「なるほど、面白いですね」

 子嶋は頷いた。

 「やはり、館長が怪しいですか?」

 「そうであればいいと思いますよ、俺も。ただ雪深さん、あなたを信用して言うんですが、聞いてくれますか俺の考えを」

 「はい」

 「えらい安請け合いだな。他言無用ですよ。警察にもですよ」

 「えっ、自分がやったとか言うんじゃないでしょうね」

 「そうだったら言いませんよ。俺のもあくまで推測です。ですがある程度確信もあるんです。なぜこんなことを雪深さんに言うかといえば、それはこの事件をあまり掘り下げてほしくないからです」

 「どういうことですか」

 「約束できるなら話します」

 イサクは一瞬迷ったが、言った。

 「わかりました。俺は探偵が人を裁くのはおかしいと思う派ですから。それに人の推理はパクりません」

 「じゃあ言いますが、おそらく壷を割ったのは代田さんです。素直に取れば一番それが自然だ」

 「そんな! 確かに彼女が一番自由に動ける人間ではあるんですが、でも動機がわからない。誰かと結託していたのか……」

 「彼女過労で相当追い詰められてましたから、人員不足で企画展の間は当分休めないですし、限界が来ていたんじゃあないでしょうか。想像ですが」

 「え、それじゃあ企画展が中止になれば休めるから……」

 「頭の中に理屈があったかどうかは怪しいところですがね。そう思いますよ」

 子嶋は言った。

 「雪深さんの推理ですが、もし館長が睡眠薬を盛ったとして実際に寝てくれるかどうかはわからないんです。それに行きはよくても帰りは起きているかもしれない。物音で気づかれるかもしれない。パノプティコンがまさにそうですが、監視って、あるかもしれないと思わせるだけで一定の効果があるものです。そう考えるとクレーマーの仲間が勝手も中の警備状況もわからない館内に入ってくるとは思えない。館長はいつもクレーマーの相手をしていることからわかるように小心者だから、そんな風に考えたかもしれないけど」

 「確かに……」

 「ただし推測です。雪深さん人の推理はパクんないんですよね。探偵の倫理を信じますよ」

 「わ、わかりました」

 「彼女がしたかもしれない反抗の是非はともかく、裁くのは雪深さんが言った様に俺たちじゃないと思うんです。彼女、黙っていても疑われるでしょうが、わざわざその手伝いをすることもない。ま、限りなく怪しくても証拠がない以上最終的にはうやむやになるでしょうがね」

 「ふーむ」

 「そんじゃあ、ま部屋に戻って警察待ちますか」

 

 かくして小さな、だが当事者にとっては大きな事件はそろそろと幕を閉じる。

 子嶋との話し合いの後、警察に簡単な事情聴取を受けて、イサクは解放された。

 一通り捜査は行われたようだが、子嶋の言った様に詳しいことは五里霧中の彼方に消えたようだった。

 しかし企画展は中止にはならなかった。記事がボツにならずに済んだことはイサクにとって、収入的な面で大変喜ばしいことだった。

 代田は監獄博物館を希望退職したそうだ。それをメル友になった子嶋に聞いた。今では二人は恋人としてお付き合いしていて、代田は精神的にも健康を取り戻したという旨のメールがあった。

 それを受けて、俺も恋人探さなきゃな、と新年の抱負のように空疎な意気込みを抱いた。仕事も……と余計な考えが浮かびかけたのを揉み消し、イサクは今日も一人読書に励んだ。

穴が開いてることに気づいて、その穴を塞いでいると新しい穴が見つかって、補修を繰り返していると、無理な建築ができあがった。そんな気持ち。ミステリって難しい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 独特の世界感があって良かったです! 私もこちらでお話を書かせて頂いていますが、なかなか独自の世界観を演出出来なくて苦労しています… これからも執筆活動をぜひ頑張ってください!
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