第十八話 準備(前半)
12月ってどうして毎年忙しいのでしょうか…。
遅くなり申し訳ありません。
皆様、良いお年を!
四国の一角を占める西土佐。
簡単な石高を言えば、この半国だけで六万石もある。
これは一重に西土佐の領主であり、土佐一条家現当主である一条兼定のお陰…という訳ではなかった。
確かに母体となる基礎の切っ掛けを作ったのは兼定…現在の万千代ではあるが、やはり彼は素人だったのでそこが限界だった。しかしその田畑改革を拡大させた人物が居た。その名は河田長親…現在の岩鶴丸である。
この六年間、彼は氏家監物の教育の元、その才を開花させていた。
元々の西土佐の国力は四万石行くかどうかだったのだが、彼は独自の方法で改革を推し進めて行く。
その甲斐あって、今や六万石の国となったのだ。因みに東土佐の石高は五万石いくかどうかだ。
元々そう言う作業が得意だったのだろう。監物が行っていた内政の内、既に半分の内政書類には彼の名前が書かれている。かと言って学芸一辺倒でも無かった。
監物曰く「岩鶴丸はとても良い武将になる」と言わしめる程の武芸も持ち合わせていた。
『文武両道』…その言葉がぴったり当てはまる人物だと言ってもいい。
元服して名前も改め、大恩ある兼定に忠を尽くす為に日々精進している。
そして六年という歳月を経て、彼は以前よりも美しくなった。少なくとも兼定の妾と勘違いされる程には。
織田秀孝。彼もまた大きく成長した人物と言える。
彼を教育したのは先代から仕える土佐一条家の名将である土居宗珊。
織田家の血を引いているだけあり、家中からも一目置かれる程の美形である。
しかしその臆病さは何処へ行ってしまったのか。今の彼は大胆不敵な行動タイプに変貌している。
これは宗珊の教育が大きく関係している。
宗珊曰く「某は既に古い武士。これからの戦国乱世を生き抜く為には、時に大胆な行動に出る事も必要でござる」と答え、その教育は意外にも自分とは正反対の事ばかりであった。
言うほど古くない筈なのだが、一条家に新たな風を吹き込む為にした行為なのだろう。
その結果、秀孝は新しい物をどんどん受け入れられるようになり、家中では革新派の筆頭となったが、
土佐一条家に仕えていた保守派の家臣達との間に対立構造が生まれてしまった。
だがそれ以外の事は概ね何も問題はないので家臣達の間では「ああいう人物が居てくれた方が助かる事もある」という見解だ。
鰺坂長実。元の名では清介と呼ばれていた人物は既に猛将の片鱗を見せている。
彼に合う言葉があるとすればそれは『猪突猛進』だろう。
何故なら彼を教育したのは他でもない長尾正直である。
彼の教えはただ一つ、ひたすら敵を殲滅させる方法だけを教えた。というより、正直自身それしか教えられないのだから仕方ないと言えば仕方ない。故に彼は武芸一辺倒である。
土佐一条家では未だ実戦が無いのでその実力は未知数ではあるが、もし戦になればその武を遺憾なく発揮することだろう。但し正直とは違い只の馬鹿ではないと付け加えておきたい。
模擬演習ではちゃんと指揮官の意見を聞き、気になる所があれが具申し、指揮官の作戦を理解して行動するのだ。ただ一度熱を上げれば周りが見えなくなるだけなのだ。正直とは違うのだよ正直とは!
一条基親は亡き父の遺品である『孫子』を見て常日頃勉学に励んでいる。
実際彼には当主足る器が備わっていたのでその智勇は土佐一条家に置いて群を抜いている。
何より亡き父である房基が手塩をかけて育てただけあり、今や彼は土佐一条家には無くてはならない存在になっている。なんせ古参の家臣ですら「彼はこの家に無くてはならない武士」と言うほどである。
婿入りしているという事実が影響しているのもあるが、彼は地道に事を成している。それが家中の信頼を集める大きな要因であろう。因みに彼は独自に考えた制度である『一領具足』という案を兼定に伝え、その案は了承された。
簡単にいえば国民皆兵制度である。戦になれば農業に生を出している農民達を一瞬で兵士にさせる制度。
常日頃畑の隣に防具となる具足を用意しておけば、いつ何時でも素早く兵を招集できるのだから素晴らしい制度なのだ。常備兵ではないので土佐一条家の軍事費はとても抑えられている。
最も、ある程度の経済力がつけばこの制度を止め、常備軍制度に切り替えると本人は言っている。
一領具足制度の利点は、直ぐに自軍を編成後、足軽の大量運用が可能という点なのだが、逆にいえば結局は寄せ集めの軍で、結束力に欠けてしまう所なのだ。今はまだ同じ四国という地元の兵士なので結束力云々は気にしなくても良いのだが、これが四国の外になってくると話は変わってくる。
どんな物事にも必ず利点と欠点が存在する。利点だけある物事はこの世に存在しない。
一領具足制度とは、四国の中でしか通用しない諸刃の剣である事を、基親は見抜いていた。
そんな彼は現在ある事を懸念して現在考えている事があった。嘗ての実家である長宗我部家の動向である。
この六年で東土佐全域が長宗我部家の傘下になってしまったのだ。
安芸家には本来千姫が嫁ぐ予定だったのだが、千姫は基親に嫁いでしまいその話は無くなってしまった。
結果安芸家は長宗我部国親の元へ付いてしまう。そして本山家には長宗我部家の娘が嫁ぎ、取り込まれてしまった。その他の豪族達もその流れに乗って長宗我部家に引っ付いたのだ。
現在土佐一条家と長宗我部家の国境は緊迫状態が続いている。一時の油断も許されないほどに。
しかもこの状態を北の三好家が虎視眈々と様子を伺っていた。
実は1549年に細川家当主の細川晴元と三好長慶が対立し、その結果当主の晴元は近江へ逃亡、細川家はそのまま三好家に変わってしまったのだ。
三好長慶は持ち前の智謀を生かし、その勢力は山城・和泉・阿波・淡路・讃岐ともはや三好家は留まる所を知らない程に拡大している。領土・経済力・軍事力全てにおいて三好家は日本一と言っていい。
唯一太刀打ちできる国と言えば関東の北条家のみと言われる程までに大きくなっていた。
そしてその眼は常に獲物を探している。
今国境で戦が始まれば、間違いなく三好家は土佐に雪崩れ込んでくるのは自明の理であった。
それを長宗我部家も分かっているのか。向こうも表立って大きな行動はしていない。
だがいつかは衝突してしまう。ならばそれまでに何ができるのか。
彼は一人ずっと思案しているのだ。
そんな基親の考えを余所に、土佐一条家当主・一条兼定は叔父である一条房通と口論をしていた。
「別にいいでしょう!?自分が誰と付き合おうが叔父上には関係ない事だと言っているじゃないですか!」
「大いに関係あるわこの馬鹿者がぁッ!もう少し節度を保てといつも言っているでおじゃるぅッ!!」
この口論。前者が兼定で後者が房通である。彼らもまた六年と言う歳月で変わっていた。
この六年、万千代もとい兼定は房通の厳しい教育のお陰で、公の場では口調が丁寧になっていたり、国の方針を決める評定ではちゃんとまともになったが、根っからの性格は変わっていない。だがこの男に大いに振り回された挙句、口調も少し変わり怒りやすくなってしまった人物が一条房通その人であった。
確かに兼定は房通の教えの元、様々な作法や礼儀を学び、当主に恥ずかしくないそれを学ばせたのだが、兼定も六年たてば12歳という成長期に入る。只でさえ戦国時代の12歳は現代よりも大人びているので色々思う所が出てくる。それは仕方の無い事ではあるのだが、転生前の年齢を足せば兼定も立派な中年。精神は間違いなく中年であった。そしてそれは煩悩と言う形で出てきてしまう。
史実の自分を知っているお陰でお酒は節酒しているのだが、本能までは抑えられなかった。
まだ女性と性交渉をしていないのは数少ない理性のお陰である。
但し兼定は暇さえあれば城を抜け出し、城下へ遊びに行っていた。城下に住む人々が「また殿様がきよった」という程頻繁に訪れていた。しかしそのお蔭か、人々は兼定というこの国の主に対して好意を抱いていた。遊びと言ってしまえばそれまでだが、兼定が城下へ来る度に人々は色々な不満や出来事を彼に話す。
「畑で盗人が出た」「もっと他の場所を開墾したい」「あの道が通れる様になれば商人も来やすくなる」
等々、兼定自身が国を見て回るので、評定において長親にその事を伝えて諸問題を解決していったからだ。
結果として家臣達は領地の事に関しては嘘が付けなかった。嘘をつけば一瞬で看破されるのだから。
閑話休題
兼定はそんな日々を過ごしてはいたが、やはり彼にも隣国の長宗我部の動向が気になって仕方なかった。
『情報を制する者、戦を制す』
それを体現するかのように、兼定は忍びを各地へ散らばせていた。その情報を元に、今日も兼定は叔父の房通と話し合っていた。
「叔父上。叔父上から見て今の四国の状況を見て何と思います?」
「そうよのぉ…。我が土佐一条家の力は確かに増えたが、やはり阿波の三好家が問題じゃの。あやつらのせいで四国が大人しいのはわかっておる事ではあるのじゃが、逆に言い換えればあやつらが本気を出せばこの土佐は終わりじゃろうて。」
「やはり国を大きくせねば話になりませんか…伊予の河野家を潰しますか。」
「甥よ。話は分かるが唐突すぎるぞよ。」
この頃の伊予を収めているのは河野家という大名であり、嘗ては西園寺家と宇都宮家も河野家と争いあっていた。だが結末は河野氏が両家を吸収して伊予を平定してしまうに至った。
既に歴史の歯車が狂ってきている事は、兼定自身も薄々感じ取っていた。
このままだと土佐云々以前に誰かに従わなくてはいけない状態になってしまう。それだけは何としても避けなくてはいけないし、何より兼定は公家政権再興を家中に宣言している。降伏は認められないのだ。
なので近頃兼定は伊予国の様子をずっと見ていた。忍びによれば、河野家当主の河野通直には実子が居らず、現在家督継承問題で家がゴタゴタしているというのだ。
この機を逃す手は無いと思っていたので、その事を叔父の房通に伝えたかったのだ。
尤も、話が唐突すぎたので房通は少し驚いてしまったが。
だが房通にとっても、敵が団結できていない今が攻めの好機と理解はしているのだが、行動に移せない理由を兼定に伝えた。
「伊予国に攻め入れば、間違いなく国親はこの西土佐を攻め入るであろうな。国を空ける程の兵は出せん。しかしそれでは伊予を落とせぬ事を、お主自身分かっているであろう?」
「ふーむ。どうしたもんでしょうかねぇ…。」
こんな感じで一条家は、常に隣国の長宗我部家に配慮して行動を移さなければならなかった。又それは長宗我部家も同じで、阿波の三好家に攻め込みたくても、一条家の存在が大きく動けなかった。
「せめて三好が味方であったなら、こうも悩まなくて済んだであろうになぁ…。」
何気なく房通が呟いたその言葉に兼定は活路を見出した。
何も伊予を攻めなくともいい。使える手が二つあるだけで、別に伊予だけを見なくていいのだ。
兼定は奇策を思いついた。
「叔父上、三好家と一時的にでも不可侵を結ぶことは可能でしょうか?」
「ん?そうじゃなぁ…一時的にであればそれは可能かもしれぬの。まぁ交渉内容しだいかの。」
兼定が思いついた奇策。それは四国最大勢力である三好家と休戦協定を結ぶ事。
後方の憂いである三好家さえ動かなければ、一条家のみで長宗我部を討つことが出来ると兼定は考えた。
伊予の河野家に関しては、家督云々で攻めて来ないと兼定は踏んだ。
寧ろ河野家は家が大変なので、現状で一条家に攻めて来ないと分かるだけで万々歳であった。
であれば、三好家の憂いが無ければなんの問題も無く長宗我部に戦を仕掛ける事ができる。
長宗我部家に勝てるかどうかは別として、それだけでも現状を打破できるキッカケにはなるだろう。
「そうですか。では我々は長宗我部を討つとしましょう。三好家には叔父上直々に交渉に行って頂きたい。」
「唐突じゃのう。伊予を攻めると言うたり長宗我部を討つと言うたり…もう少し公家の優雅を---」
「では私は今後の事を話し合うために家臣を集めて評定を開くので…叔父上!後はお任せしました!」
そう言うと兼定は脱兎の如く素早くその場から離れて行った。その姿は某アメフト漫画の如く素早かった。
そんな兼定を見て房通自身「まだ三好家と不可侵を結んだ訳でもないのじゃがのぅ」と一人呟く。
(まぁ…別に交渉に関しては別段文句はないのじゃが…気にしては負けかも知れんの。ああいう性格の方が今の世にはあっているやもしれぬ。その為にはまず優雅よりも威厳じゃな。)
房通は近くにいた小姓に支度の準備を言いつけて自身も自室へ戻って行った。
同時に兼定の教育方針の転換も決定した。当の兼定本人は知る由も無いままに。
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◆~三好家 阿波国の勝瑞城にて~
その日、三好義賢が治める勝瑞城に意外な人物が来た。
三好義賢。又の名を三好実休。
三好家にその人ありと言わしめる程の人物で、猛将としては勿論、茶道にも通じており妙国寺を創建するなど、後世にも影響を及ぼした文化人としても素晴らしい人物であった。
三好長慶が『日本の副王』と呼ばれる程にまで三好家を拡大させた裏には、次男の義賢を始めとした彼の弟達による功績と言ってもいい。
『南海治乱記』という資料には、「三好長慶は智謀勇才を兼て天下を制すべき器なり、豊前入道実休は国家を謀るべき謀将なり、十河左衛門督一存は大敵を挫くべき勇将なり、安宅摂津守冬康は国家を懐くべき仁将なり」と書かれている。長慶の怒涛の快進撃を支えて来たのは有能な弟達の存在があったからだ。
三好家崩壊の裏には松永久秀(通称・爆弾正)や小少将という人物の存在があると言われているが、もしも彼らが居なければ、歴史には徳川幕府ではなく三好幕府が生まれていたかもしれない。
そんな兄を持つ義賢の目の前には、一条房通が綺麗な姿勢で座っていた。
元とはいえ関白だった人物が来たのだ。突然の訪問にいつもは冷静な義賢も面食らっていた。
部下に「この場へ通せ」といった後、義賢は一人考えていた。
(元関白殿が、私に何か用でもあるのか?)
考え込んでもキリが無いと悟った義賢は、とりあえず居間に来た房通に挨拶がてらに何の用か尋ねた。
「房通殿。よくおいでになられました。失礼ではありますが、此度は何の御用でしょうか?」
「義賢殿、単刀直入で申し訳ござらんが、一時的に一条家と不可侵を結んでほしいのじゃ。」
「それは…急なお話でございますな。何か理由を聞いても?」
「うむ。我ら土佐一条家は土佐を統一したいのだ。」
そこで義賢は合点がいった。要は三好家は東土佐に攻め込まないでほしいと言う事なのだ。
しかしこれだけなら三好家が長宗我部家に付く可能性もある。三好家には何の利益もない。
現在の三好家は第三者から見れば強大な軍事力と経済力を持つ大大名ではあるが、実の所、三好家内部では家臣達による壮絶な権力争いが勃発していた。まだ兄弟たちが奮闘しているから良いものの、彼らが居なくなれば三好家は音を立てて崩壊するだろう。
そして家臣の一人である松永久秀は三好家にとって最も危険な存在であることを義賢は見抜いていた。
事実四国における政治及び軍事は、当主である三好長慶ではなく義賢に一任されている。
無論婚約や同盟に関しては長慶に判断を任せなくてはいけないが。
しかし今回のような『同盟』ではなく『一時的な不可侵』は、義賢の判断で問題は無い。無いのだが…。
「その言い方では、まるで"土佐を統一後我らの領地に攻め入る"と言っている様なものではありませぬか?」
「む?その様に聞こえたのであれば謝ろう。だが我らの目的は土佐の統一。阿波や讃岐には絶対に攻め込まぬ事を付け加えさせて頂く。」
「一時的な不可侵を結んだ後、その一時的な約定が切れてしまえば、我ら三好家にとっては敵が強くなっただけとしか見えませんが?」
「……ではどうすれば不可侵を結んで頂けるかお聞かせ願いたい。」
その言葉を待っていたと言わんばかりに義賢は話を続けた。
現状の三好家には、最たる敵がいない。
しかしそれが公家や官位の事となると、話は変わってくる。
下剋上でその名を上げた三好長慶の肩には、名声ではなく悪声が乗っているのだ。
もっと大きく言えば、三好家臣らもその悪声の加護を受けている。
つまりいくら領土を増やし力を付けたとしても、幕府を傀儡として扱っても、地位が低いままなのだ。
地位が低ければ、明らかに自分達よりも弱い家ですら、反抗してくる。
この時代、幕府の統制が無くなったとしても、天皇の力は衰えてはいない。寧ろ大義名分を得る為にはそれこそ天皇家の、引いては公家の力が必要不可欠なのである。
「要は我らに介入してほしく無いのでしょう?」
「まぁそう言う事になる。無理ならば致し方なし。此度の件は無かった事に――」
房通がそう言ってその場から立ち上がり去ろうとした瞬間、義賢はニヤリと笑みを浮かべて言った。
「断る…とは言っておりませぬ。先程にも言いましたが、我らに何の利益も無ければの話です。もし房通殿が、禁裏に口添えをして頂けるのであれば、我らも吝かではございませぬ。その結果次第では、伊予に関しても我関せずと貫き通しましょう。元とは言え関白であった御身分です。禁裏も無理とは言えますまい。」
「その言葉はとても嬉しい限りではあるが、もはや儂にその様な力は無い。口添えに関してはやってみるが確約は出来ぬ。それでも構わぬか?」
「えぇ。構いませぬ。我らには敵が多すぎるので、箔が付くのであれば何でも致しましょう。」
「……努力しよう。」
こうして勝瑞城にて、一条家と三好家の密約が結ばれる事となった。
房通は京へ舞い戻り、その巧みな言葉で三好家有利な口添えを禁裏で行った。
京では未だに房通の名前が強く残っていたお蔭か、禁裏も嫌とは言えず、近日中に三好長慶に対して『従四位下』から『従四位上』に叙される事となった。
事の顛末を聞いた長慶も、この唐突な官位授与にはとても喜び、敵の数を減らす意味も込めて、一条家に不可侵だけではなく、長宗我部家及び河野家に関して「我らは知らぬ存ぜぬを通す」と返答。
かくして房通が行った密談は功を奏す事となった。
「どうじゃ?儂、頑張ったじゃろ?じゃろ?」
中村御所で交渉結果の報告を行っている房通は家臣達がいる居間で鼻息を荒くしてドヤァと胸を張りながら言った。それを聞いていた家臣達は「おぉ!」と同じく心躍らせていた。
実家はえらい事になりそうだなぁと思いながら、基親は少し苦笑いをしている。
「叔父上。本当に有難う御座います。まさか本当にやるとは思ってもいませんでしたが…。」
「………後で御所の裏に来るでおじゃる。久方ぶりに切れてしまったぞよ……。」
そんな房通の言葉を無視して兼定は居間にいる家臣らに顔を向けて話を切り替えた。
「そういう訳で、我らは堂々と東土佐へ攻め入る事が可能になった。二日後、我ら一条軍は長宗我部領に攻め入る事にした。今度の戦では、半分の者が初陣となるはずだ。俺を含めてな。各自、気を引き締めて戦の準備にかかれ。」
「「「「ははッ!!!」」」」
一条兼定と改名して初めての初陣が、始まろうとしていた。
次回も遅くなってしまいます。
ご容赦くださいませm(__)m