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それでもミツコさんが言うようにファニが離れていても私のことを信じて、ダイエットを続けていると思ってくれているのならその期待に応えたいと思った。あの日、約束を守れず、更にその罪を隠そうとした償いにしようと決めた。
マキコさんから料理を習って自分で作れるようになるまでは美味しくない料理でも我慢しよう。ファニが胃袋を縮小して少食に戻してくれたのでそんなに多くは食べなくてもいい。食欲がなくて食べられない時は水とアーモンドがあれば数日は問題ないはずだ。貧血や栄養失調は避けたかったので調理の必要がないサラダとヨーグルトを中心に食生活を見直した。
体重を示すグラフは書き始めの頃ほどではないが、徐々に下がっている。それがほんの何百グラム単位の下降だったとしても横一直線よりはマシだと自分に言い聞かせる。誤差とも思える程度の下降だが、毎日下がり続ければ積み重なっていずれ大きな数字になる。
すっかり慣れてしまった腹筋と背筋は、やり始めの体が持ち上げられず首の運動になっていた頃より少しは様になっていた。上半身がスイスイ持ち上がり、力を籠める度に毎回息が詰まっていたのが意識しなくても楽に呼吸できるようになった。翌朝の筋肉痛もない。
回数と速さよりも、慣れなかった頃に味わった筋肉に負荷がかかって痙攣する感覚を意識して一回一回をゆっくり行い、雑誌を立ち読みして更に効果の高いやり方を学んだ。久しぶりの筋肉痛を味わった時は涙目になりながらも、思わずガッツポーズをしたくなった。効果を体で感じられるのが嬉しい。
運動をしっかり行う分、ストレッチも少し時間をかけて念入りにする。緊張して凝り固まった筋肉に血液が通って解れていくのを感じるのが気持ちよかった。両足をほぼ一直線になるほど開いても痛みがない。前屈してもう少しで額が床に着きそうなくらい曲げてやっと痛みを覚えるくらい柔らかくなった。ストレッチをすると血液の巡りが良くなるので、休日の朝、なかなか目が覚めない時にもやり始めた。
半身浴は腹筋と背筋をしている間に少し高めの温度のお湯を準備し、胸の下まで浸かりながら水分を十分にとって、タイマーが鳴るまで腹式呼吸を繰り返すと体の芯からじんわり温まってとても汗をかいた。上がる時に冷水のシャワーを全身に浴びて体を引き締めて出ると、気分まですっきりする。
それからお弁当を作るのは諦めた。早起きして大慌てでウォーキングに行くよりは少々高くてもコンビニで野菜サラダを買って朝は時間にゆとりを持つことにした。
でもドレッシングだけは手作りの物を使用している。一緒に売っている物では味が濃すぎてかける量を減らしても全部食べきれない。器の下に溜まったドレッシングの中に浸かった野菜は捨てるしかない。
ファニのおかげですっかり薄味に慣れてしまった舌は、市販のドレッシングに含まれている僅かな油分すらまとわりつくようで鬱陶しく感じてしまう。
果物の果汁やトマトのペーストに酢と醤油を混ぜた物を加えたり、タマネギをキツネ色になるまで炒めたものを入れたりして、更に塩などの調味料を加えて味を調える。油は使わず、風味付け程度に調味料を使っているのでしょっぱいジュースだと思えばドレッシングだけでも飲める。これはファニが作っていたレシピだ。作り置きして冷蔵庫の中に残っていた物を観察し、何度も味見して何が入っているのか想像した。私の舌はかろうじて味を分析するくらいは役に立ったし、キッチンに置いてある物でドレッシングに使える物は限られているので難しくなかった。
試行錯誤しているうちに満足とは言えないまでも、ドレッシングだけは何とか食べられる物を作れるようになった。
休みの日の前日、仕事が終わって帰ろうとしていたところ、マキコさんに声をかけられた。
「明日、お昼過ぎならいつでも来ていいから。待ってるね」
「はい。よろしくお願いします」
「何も持ってこなくていいからね。必要なのはエプロンとお持ち帰り用のタッパーくらい」
「え? 材料とかは?」
「用意してあるから大丈夫! 何も持ってこないでね! タッパーだけは忘れないように!」
そう言ってマキコさんは風のように去っていった。手土産にお菓子くらいは持って行こうかと思っていたのだが、二度も念を押されては持って行きにくい。
会社の帰りに寄るつもりだったお店をお菓子屋さんから百円均一ショップに変更した私はプラスチック製の容器を買って帰った。手作りのドレッシングの中で自信作を選んで容器に詰める。小さな容器なので二、三回分は使える。それを三種類詰めて袋に入れ、手土産にすることにした。ファニが作り置きしていた分も詰めようか悩んだが、早くなくなってしまうのが寂しくて自分で大切に使うことにした。
「人が作った物より、自分で作った物の方がいいよね」
と、ひとりごちて豆腐サラダを食べてウォーキングに行き、いつものトレーニングとストレッチをこなしていつもより少し早く眠った。
休日の朝も起きる時間は仕事がある日と変わらない。起きてすぐにストレッチをして、ウォーキングとその後のシャワーに余裕があるくらいだ。テレビを見ながら朝食を食べて時計を見たらもうすぐ昼になる時間だった。
携帯電話に入っている地図を確認した。会社から遠くない場所に住んでいるらしい。まだ行ったことのない地域だが、地図もあるし、いざとなれば電話で聞くか、わかるところまで迎えに来て貰えばいい。
ただ、土地勘のない場所をうろうろするので、時間に余裕を持って家を出ることにした。
包んで袋に入れたお土産を手に歩いて駅に向かい、仕事に行く時と同じように電車に乗った。いつもと違う時間なので乗っている人たちの顔触れが違う。混み具合も違う。いつもと同じ道がそれだけのことで新鮮に感じられた。
マキコさんの家は駅から歩くと会社を通り越した向こう側にあるようだ。私は大体の地名と場所を頭に入れて歩き出した。天気がよくてビルの間をすり抜ける風が優しく髪を揺らす。今日は私にとっては休日だけど、そうではない人もいて、オフィスビルが立ち並ぶ辺りではスーツ姿で働く人の姿が目に入る。慌しく行き交う人々が私を避けて通り過ぎていくのを横目に見ながら私は黙々と歩き続けた。
意外と遠かったので、バスを使えばよかったと途中で後悔した。だが、ファニと一緒に休日を過ごしていた時はこれ以上の距離を歩いていたのだ。話をしながら、周りの景色を楽しみながら歩くのが楽しくて、距離なんて考えたこともなかった。太陽が出ている間は一日中歩き回って、更に帰ってウォーキングにも行っていたのだから、これくらい大したことはない。ダイエットの一環だと思って頑張ることにした。
そろそろ足が疲れてきたところで、覚えていた地名が目に入った。携帯電話を取り出して地図を開く。コンビニや郵便局など目印になりそうな建物を探して地図と照らし合わせた。マキコさんが住んでいるマンションの名前を口の中で呟きながら上を向いて歩いていると、携帯電話が手の中で震えた。
『今、どこ?』
短いメールに目を通して返事を打つ。
『近くにいます。もうすぐ着くと思います』
『わかった。じゃあ、マンションの下で待ってるね』
メールを読んで画面を再び地図に戻し、マンションの近くで目印になりそうなものがないか探した。でもその必要はなかった。目的のマンションの名前が見つかったのだ。
アパートと一軒家の上にひょっこり頭を出したマンションに目的地の名前が書かれていた。道を探してその名前に近付いて行くと、
「おーい! マリちゃーん!」
大きく手を振って駆け寄ってくるマキコさんの姿があった。私も手を振り返して、役目を終えた携帯電話をカバンにしまった。
「迷わなかった?」
「大丈夫です。あ、これ。忘れないうちに渡しておきますね」
私はドレッシングの入った袋を渡した。マキコさんは中身を聞いて、驚いたように頷いた。
「へぇー。すごいね。自作のドレッシングって……実は料理出来るんじゃないの?」
「出来ませんよ。これは数々の実験を重ねてやっと完成した成功作なんです」
自慢気に胸を張ってそう言うと、マキコさんは笑った。
「そう? じゃあ、今日のご飯の一品はマリ印のドレッシングを使ったサラダにしようか。ありがとね」
本当はファニ印なんだけど、と心の中で訂正しながら私は頷いた。
マキコさんの部屋は角部屋で広かった。日当たりのいいリビングは綺麗に片付いていて、大きな本棚に漫画や小説、辞書などがぎっしり詰まっている。その横に立派なテレビが置かれており、台の下にゲーム機が整理されて収納してあった。絨毯の上に小さなソファとローテーブル。積み重なった雑誌はファッション誌に週刊誌と、私には縁のないものだ。
キッチンは広くて使いやすそうだった。掃除の行き届いたコンロにシンク。床には可愛らしいデザインのマットが敷いてあって、大き目の冷蔵庫と並んだ棚の上にオーブンレンジ、炊飯器が置かれている。所々に磁石で貼り付けられた小物はテレビでよく紹介されている便利グッズから、見た目では用途のわからない物まで色々揃っているのだが、デザインが可愛いのは共通している。
部屋の中をじろじろ観察している私を気にする様子もなく、マキコさんは本棚から料理の本を何冊か取り出し、テーブルの上に開いた。
「まずは簡単で誰でも出来る物から始めようか。どんなのがいい?」
「肉や魚は抜きで野菜を中心に、カロリーの低いものを作れるようになりたいです」
「わかった。野菜なら任せて。美味しいのがあるからね」
マキコさんはそう言って本のページを捲って見せてくれた。写真に写った料理がどれも美味しそうに見えるのは長く歩いてきたので少しお腹が空いているせいだろう。
まずは使う野菜を洗ったり、皮を剥いたりと下準備を始める。私は指示通りに手を動かした。ずっと料理を得意としている人と一緒に暮らしていたのに、誰かと料理をするなんて実家にいた頃、母の手伝いをしていた時以来だ。
ただ、私がジャガイモの皮を一個剥き終わる間に、マキコさんは二個終えているのが悔しい。
「早いですね!」
「慣れてるからね。余所見してると怪我するよ」
そう言われて、遅くても安全と丁寧を心がけた。包丁で指を切ったりして手伝えなくなったら習いに来た意味がなくなってしまう。ジャガイモの皮むきが終わると次はタマネギの皮むきとしらたきの下茹でを頼まれた。
「マリちゃんって今までずっと実家にいたの?」
「いえ、学生の頃から独り暮らしですよ」
「この前までお弁当だったよね? しかも手作りのすっごく美味しそうなやつ」
みんなよく見てるなぁ、と感心しながら私は頷いた。今まで昼休みに人が何を食べているかなんて注意して見たことがない。
「それは誰が作ってたの?」
「はい……この前まで同居人がいて、食事を作ってくれてたんですけど、色々あって相手が出て行っちゃったので、自分で作るようにしようと思って」
「出て行ったの? 別れたってこと?」
「うーん。正確には帰っちゃった、って感じですね」
そう言ってみて、私はファニが何処に行ったのか知らないことに気付いた。あのテントであちこち旅をして暮らしているんだろうか。それとも月の女神の住むところへ帰ってしまったのだろうか。
私はファニのことを何も知らない。出会ってから見せてくれた姿しか見たことがない。その前はどんなところにいて、どんな風に暮らしていて、どうして月の女神に仕えることになったのか。天使になった理由も尋ねてみたことがない。聞けば答えてくれたはずなのに、疑問にさえ思わなかった。
マキコさんは私が黙り込んだのを見て、触れられたくない話だったと思ったのか、それ以上何も聞いてこなかった。
私もあまりファニのことを突っ込んで聞かれると正直に言えない部分が多く、返答に困るので、話を変えることにした。
「マリちゃんって痩せたよね」
「あ、わかりますか?」
「そりゃあわかるよ。全然違うもん。何キロくらい減った?」
部屋には二人しかいないのに普通に言うのが恥ずかしくて、そっとマキコさんの耳元に口を寄せて小声で教えた。と言ってもダイエットを始めた頃は体重を測っていなかったので、知っている範囲は少ないが、その僅かな期間の数字だけでも二ヶ月以内でそんなに成果が出るのはすごいと褒めてくれた。
「肌もあんなにボロボロだったのに、今は薄化粧でも全然綺麗だし。どうやったの?」
頬のふっくらしたところをそっと突かれながら私は説明した。毎日のウォーキングと野菜中心、六時以降の食事はなしという食事制限。仕事で帰りが遅くなって六時より前に帰れなかった日は夕食抜きということもあった。そういう時はアーモンドと大量の水、ファニが用意してくれた甘酸っぱいハーブティーで何とかやり過ごしていた。夕食がなかった日は代わりに翌朝の朝食がほんの少し豪華だったりするので、辛かったのは空腹に何度も目が覚めていた頃だけ。そう説明するとマキコさんは感心したように言った。
「厳しいダイエットだね。よく我慢できるな……偉いねぇ……」
「ありがとうございます。自慢できることじゃありませんけど、一人じゃ絶対に無理でしたよ。手伝って支えてくれる人がいたから続いたんです」
「それでも辛かったでしょう。お腹空くのって本当に辛いもんね」
「その時のことは正直、よく覚えてないんです。こんなことさせられて、苦しんでる自分が可哀想って思ってばかりだったから……今考えると悲劇に酔ってたってことですね。恥ずかしい」
「いやいや、そう思わないとやっていられない時ってあるよ。私も長時間残業の時は思うもん」
マキコさんは惚れ惚れするほどいい手際でサラダに使うキャベツの千切りをしたり、タマネギを薄くスライスして水にさらしたり、キッチンペーパーで水気を切ったりしながら、頭の中で考えていることを教えてくれた。
「意地悪な継母や姉たちに苛められて、舞踏会にも行けないっていうアレのイメージなのよね。意地悪な上司や同僚たちに仕事を押し付けられて『せっせと仕事を片付けないと明日の朝にはきっと酷い目に遭わされるんだわ!』とか考えて『何て惨めな私!』って思ってるのがすごく楽しいの。誰にも言わないけどね。マリちゃんも内緒にしておいてね。恥ずかしいから」
「もちろん! 言いませんよ」
「仕事なんて終わらなければ明日やればいいし、私が残業の時は他の人も同じくらい残業してるから仕事を押し付けられてもいないんだけどさ。意地悪な上司も同僚もいないし、逆に無理しないで帰っていいよーって言ってくれる人もいるくらいだし。でも、現実って直面するには苦しいし、心の中でそうやって下らない夢みたいな話を考えてないと乗り越えられない部分はあるよね」
そう言いながら適当な大きさに切った野菜が入った鍋を火にかけ、火加減を調節し炒め始めた。そして空いている方のコンロにフライパンを乗せた。
「現実逃避ってさ、良くない言葉に思われがちだけど私は別にしてもいいと思うんだよ。いるべき場所、やるべきことを見失わなければね。私も下らないこと考えて現実逃避してるけど仕事は人並みにしてるじゃない?地に足つけて生活してる上で精神だけを逃亡させるのは自由。誰にも迷惑かけてないのに、そこまで現実に縛られなきゃいけないなんて、それこそ下らないよ」
頷きながらぼんやりとマキコさんの顔を見つめる私に、マキコさんは尋ねるように首を傾げた。
「どうかした?」
「いえ。いつもしっかりしてて、誰からも頼られるカッコイイ先輩っていうイメージだったので、そういうことを考えてたって聞いて意外だなぁって思って……」
「あぁ、あれはね。別のことを想像してるからそう見えるだけ。会社の社長になったイメージで、仕事が出来て、誰からも頼られるカッコイイ女になりきって仕事をするの。楽しいよ。あ、豆板醤好き?」
「え?はい」
突然聞かれたことに驚きつつ私が答えると、マキコさんは醤油と酢、砂糖を混ぜた物が軽く煮立っているフライパンの中に豆板醤を一匙入れた。それを解すように溶かすと、今度は水気を切ったキュウリを入れた。木へらを渡されて、もたもたしながらフライパンの中身を混ぜる。水分が爆ぜる心地いい音といい香りがした。汁と野菜が絡んだ頃、差し出された皿に中身を移してフライパンを洗った。
「味見して。はい」
箸の先にささった煮物を顔の前に出されて口を開ける。大きめに切られたジャガイモは醤油の色に染まっており、中まで火が通って甘味があってホクホクして美味しい。
「どう? ……って、味見でこれだけ幸せそうな顔されたら聞くまでもないけど」
「美味しいです! 何ですか、これ?」
「肉じゃがだよ。肉は入ってないけどね」
そう言われてみれば鍋の中に入っている材料が肉じゃがと同じだ。タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、しらたき。肉がないというだけでこんなにあっさりした味になるのか、と新たな発見をしつつ、食べるのが待ち遠しくなった。
先に皿に乗せたキュウリの炒め物に鰹節を一振りして、タマネギとキャベツのサラダと共にテーブルまで運び、取り皿と箸も二人分セッティングした。
マキコさんが煮物を入れた大皿を持って来た。本に載っている写真がそのままテーブルに出てきたような盛り付けを見て、自分がしたフライパンから皿に移しただけの盛り付けを反省した。
飲み物は二人ともお茶にして、マキコさんはご飯を食べると言って白飯を持って来た。私も勧められたが断り、両手を合わせて静かに食べ始めた。
サラダに私が持って来たドレッシングをかけようとしていたマキコさんに容器ごとに種類が違うことと、中身の説明をすると、指先につけて味見をして、三種類を全部試してみると言ってサラダを三つに分けて食べ始めた。かなり気に入って貰えたようで、一口食べる度に「美味しい、美味しい」と言ってくれるのを見て、やっぱり自分で作った物だけを選んでよかったと思った。
ファニが作った物を持ってきていたら他人の手柄を横取りしたような後ろめたさを感じてここまで素直に喜べなかったと思う。
ドレッシングを褒めて貰えてホッとした私は安心して食事を始めた。
「きゅうりって炒めても美味しいんですね。味付けもピリ辛で何個でも食べられそう」
「うん。ゴマをかけてもいいし、生姜やにんにくを入れても合うよ。きゅうりを別の野菜にしてもいいと思う。ピーマンとか、タケノコとか」
想像して思わず涎が垂れそうになった。肉抜きの肉じゃがも、糸こんにゃくをやめて普通のこんにゃくにすると歯ごたえがある食事になるとか、豆腐を入れても美味しいと言われ、食べてる途中なのにお腹が空いてきた。それでもがっつくのは我慢して一口五十回を意識し、腹八分目を心がけて少し物足りないくらいで箸を置いた。
「あれ? もういいの?」
「はい。ご馳走様でした。美味しかったです」
「まだ煮物残ってるから、持って帰りな。タッパー持って来た?」
私は頷いて、カバンの中から容器を取り出す。和樹がハーブを保存するためにプラスチックの密閉容器を大量に使っていたので、入れ物に困ったことはない。マキコさんはその容器に煮物を詰め込めるだけ詰めてくれた。鍋の中に殆ど残っていないのを見て、私は言った。
「マキコさんの分は?」
「私はいいの。まだ皿に残った分もあるし、いっぱいあっても食べきれないから」
そう言ってくれたのでありがたく受け取った。熱いので少し冷めるまで蓋を開けたまま放っておく。食後の休憩中に、ドレッシングの作り方を教えて欲しいと言われたのでわかる範囲で教えた。ほぼ目分量なのでメモが必要なほど難しくはない。
私も今日作った料理で見落としていた細かい手順やマキコさんが持ってる本に載っている料理のことを教えて貰った。一応、自炊の経験があるし、舌にもそれなりに自信があるので何を何グラム、ということは必要ない。教えて貰ったのは、どうすればカロリーを落として料理が出来るか、似たような味付けでも飽きが来ないように工夫できるか、ということだった。
「使う材料を変えるのが一番簡単だけど、それが出来ない時は切り方だね」
「切り方ですか。例えば?」
「同じ物でも厚さが違えば味の滲みこみ方が変わるし、切り口が変われば食感も変わるでしょう?くし切りと乱切りでは見た目も全然違うし……」
「すみません。何ですか、それ?」
私がわからないことを正直に申し出るとマキコさんは笑った。実はさっき本を見ながら切り方について書かれている文章を見て、心の中で首を傾げていたのだ。
「そっか。じゃあ、次はそういうことを教えてあげるよ。習いに行くにしても、本で勉強するにも基本的なことはわかってた方がいいもんね」
馬鹿にされて当然の私に呆れることなく快い返事をくれたマキコさんに心から感謝した。料理教室は今回だけではなく、最初は基本的な料理から始めて、簡単な物を一通り作れるようになったら少しずつ難易度を上げていくらしい。
「煮崩れない煮物のやり方とか、水を使わない煮物の方法とか、くっつかない魚の焼き方とか知ってる?」
「知りません……そんなこと出来るんですか?」
「出来るよ。私が知ってることは全部教えてあげる。全部習得したらちょっとした特技になるよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
「うむ。頑張ってついてくるように!」
ちょっと胸を張っておどけたように言う。二人で顔を見合わせて笑った。休憩が終わり、私は食器と使い終わった鍋を洗って、お礼を言ってお暇した。
帰り際に初心者用のお弁当に使える料理のレシピが載った本を貸して貰ったので、次のお弁当は自分で作ってみた。それなりに満足できる出来になった。
マキコさんの家に行って料理を習って、家に帰ってからも繰り返し復習して常識的なことは覚えた。普段作る料理の種類も増えたし、味もまともになった。




