第五話 ~ リビングでの団欒 ~
「あらやっと起きたのね。おはよ、優」
一階に下りてリビングダイニングに入った優を迎えた一言は母親、佐々木泪のそんな一言だった。
姉の瞳が生まれたことを機に創めた子供服ブランドのデザインと販売、優が生まれてすぐに離婚してから女手一つで二人の子供を育て上げたやり手の女性ではあるが、その見た目はとても大学生ともうすぐ高校生の子供をもつ女性とはとても思えぬほど若々しい。
腰まで届く濡れ羽色の長い髪をゆるく三つ編みに編みこみ一つにまとめるいつもの髪型を、気分を変えるつもりなのか洗い物をするのに邪魔だったのかポニーテールにしていた。
「別に寝てたわけじゃないよ。姉さんに薦められたゲームだよ、ゲーム」
「ふぅん、何時間もゲームやってるんじゃないわよ? 勉強やりなさいとかあんまり言わないけど、心配は心配なんだからね」
ダイニングに並ぶ椅子に座りながら、優は対面式キッチンで洗い物をする泪に反論するがその答えは優にとって薮蛇をつついただけのものとなった。
少したれ気味の優しげな瞳を若干吊り上げるようにして優を睨む泪は、母親と言うより年の離れた姉がちょっと手のかかる弟を叱るようにしか見えない。
現に姉の瞳と買い物などで一緒に出かけるとよく仲のよい姉妹と間違えられるようだ。
「わかってるよ。それにちゃっと本命にだって合格したじゃないか」
「それでも親と言うのは心配してしまうものなの」
「へいへい」
「返事は“はい”一回」
ブツブツと文句を言う優の頭に、手ぬぐいで濡れた手を拭きながらダイニングへと入った泪は拳骨を軽く落として注意した。
「ふぅ……。もう母さんは食べちゃったけど、優はすぐ食べる?」
泪は優の対面の席へと腰掛け、テレビのリモコンを操作しながら問いかける。
「うん、食べよかな。今日はなに?」
泪の操作で次々と切り替わるテレビの画面を眺めながら優も答える。
「カレーライス。ちょっと今日は自信作よ」
お笑い芸人がダイエットにチャレンジする企画を流すバラエティ番組に泪の食指が動いたのか、そのチャンネルに戻しチャンネルを固定させる。優にテレビのチャンネル決定権はまったくないようだった。
海パン一つになって弛んだ体を曝す芸人に、周りの芸人仲間と司会者が“だらしない”とか“醜い”だとかはやしたてる声が、テレビのスピーカーから流れる。
「本当に痩せるのかしらねぇ。効果あるなら私もやってみようかしら」
そう言いながら十分くびれている腰の辺りの皮を軽く泪は引っ張る。
そして机の上に両肘をついて、組んだ両手の上に顎を乗せてテレビの観賞体勢を作った。
「うわっ、肉食ダイエットだって。あんなにお肉食べてほんとに痩せられるのかしら」
テレビのダイエットの方法に興味津々といった様子で、体をテレビに向かって乗り出し始める。
視線はテレビに向けたまま、机の上に放置してあったタブレットを泪は引き寄せ、メモ帳機能を呼び出すとタッチペンを使い、肉食ダイエットのことをタブレットのメモ帳に書き込んでいく。
「なるほどなるほど……。食べる順番って大事なのねぇ。炭水化物を最初に食べちゃいけないのね」
夢中でテレビから流れる肉食ダイエットなるものの情報を吟味し始める。
いくつになっても綺麗でありたいという願望をかなえるために、女性は常に貪欲なのだろう。一緒に机に座るお腹をすかせた自分の息子である優のことなどすでに頭にないようだ。
「あらぁ。あんなにお肉を食べてもいいのねぇ……」
「あの……ご飯……」
爛々と輝きを見せる泪の瞳に若干引くものを感じながら、遠慮がちに問いかけた優の言葉に対する答えは簡潔だった。
視線はテレビに釘付けのままビシッと台所をさした人差し指の指先は綺麗に伸ばされ、無言であるのにその態度は雄弁に優が取るべき行動を指し示していた。
「サラダは冷蔵庫ね。あとコロッケあるからオーブンで暖めてね」
座っていた椅子から立ち上がり、キッチンへと向かう優の背中に泪の声が届く。
きっとテレビにまだ視線は釘付けだろう。
「りょ~かい~」
コンロの上にあるカレーと味噌汁の入った鍋を弱火にかけ軽く暖めなおしつつ、優は冷蔵庫の中を物色する。
泪の言うとおり冷蔵庫にはサラダボウルの中に敷かれたサラダ菜の上にキャベツの千切りが盛られ、短冊切りにされた胡瓜、半分に切られたプチトマトが乗せられ貝割れ大根とクルトンがちりばめられたサラダと惣菜店から買って来たと思えるプラスチックの入れ物に入れられたコロッケが二つ入っていた。
「あったあった。コロッケカレーにするかな」
とりあえずコロッケを冷蔵庫から取り出し、アルミホイルを敷いたオーブントースターの中に二つとも入れて、トースターのコンセントを電源に差し込む。
強さと時間を設定して、カレーの入った鍋が焦げ付かないようにお玉でかき混ぜる。
ぐつぐつと温まってきたカレー鍋の火をさらに消えるギリギリまで弱めて、今度はサラダと優がお気に入りのシーザードレッシングを冷蔵庫から取り出すと、サラダにシーザードレッシングをかけてサラダフォークでこの場でかき混ぜておく。
白い平皿にご飯を盛り、その上にオーブントースターから暖め終わったコロッケを取り出し、その上にカレーをたっぷりとかけてお盆の上へサラダとともに乗せる。
味噌汁をお椀によそってこれもお盆の上に置き、水の入ったコップの中にスプーンをいれ箸を持って、お盆をダイニングへと運んだ。
「あ、コロッケカレーにしたのね。今日は自信作だからしっかり味わいなさい」
コマーシャルに入ったからか視線をテレビから外して泪は、優の持ってきたお盆の上を覗き込みよほど会心の作なのか自慢げに胸を張る。
「ふ~ん。また何か変わったレシピでも仕入れたの?」
「そ。経理の水谷さんから教わったんだけど、結構おいしかったわよ」
そう言って片目を瞑ってウィンクを送るが、コマーシャルが終わった瞬間にテレビへと視線は再び釘付けになった。
「また水谷さんに迷惑かけたの?」
優はコップに入ったスプーンを取り出し、人のよさそうな疲れた苦笑を浮かべる恰幅の良い女性を思い浮かべる。
泪の無茶な要求と計画を実行するために経理面でいつも苦労している女性で、泪の会社は彼女でもっているようなものと会社のスタッフ一同から慕われ尊敬を集めている。
そのような状況ではあるが二人の中は良好で、子供のいない水谷夫妻とは優もかなりお世話になるなど家族ぐるみの付き合いをしている。
「またとは何よ、またとは。母さんは水谷さんに迷惑なんてかけてません」
「それ、会社の人に言って信じてもらえる?」
「うっ……」
スプーンでカレーを掬う優の一言に文句を言うも、泪はさらなる優の駄目押しの一言に何も言えなくなり目に涙を零れ落ちんばかりに溜め、机に指先でのの字を描き始める。
「いいのよいいのよ、どうせ母さんはこうやっていじめられるのよ。我が子に信じてもらえないなんて、なんて寂しいのかしら」
泪はブツブツと愚痴を言い始め、チラチラと優のこと盗み見るが、その有形無形の圧力をものともせず、優は泪を無視して夕食を再開してカレーを口に運ぶ。
「チッ。慣れやがったこいつ……」
泪の黒い一言も聞かなかったこととスルーするほど慣れてしまった優は、気にせず食事を続けてサラダに味噌汁と手をつけていく。
「うん。言うだけあっておいしいじゃん、このカレー」
「そうでしょう。合わせ味噌とか一味唐辛子とか使ってるのよ、これ。水谷さんもネットとかから探し出したとか言ってたけど、カレーにも合うのねぇと思ったもの」
「へぇ……。入ってるって感じしないけどいいね、これ」
今日のカレーが気に入ったのかカレーのおかわりを取りにキッチンへと向かう以外、しばらく無言で優がカレーを食べる音とテレビの音だけがリビングに流れた。
泪も黙って時々おいしそうにカレーを食べる優をうれしそうに盗み見する以外は、テレビのダイエット企画の効果のほどを鑑みて、夏へ向けてのダイエット計画なるものを練るのに忙しそうだ。
「ご馳走様。母さん、おいしかった」
「はい、お粗末さまでした」
食事の終わりの挨拶をした後優は自分の食べた食器を運んできたお盆の上に乗せ、キッチンへと洗うために運んだ。
「あら、洗ってくれるの? ありがとね」
「ま、これくらいはね。といっても自洗につっこむだけだし」
「あ、それもそうね。じゃあ、お願いね」
優は皿にこびりついている頑固そうな汚れだけ軽く水洗いで流し、水気を切って使った皿を次々と食器洗い機に綺麗に並べていく。
白い平皿にサラダボウル、お椀にスプーンと箸を入れ終え、食器洗い機のスイッチを入れる。
食器洗い機の中で洗剤が吹き付けられ食器が洗い始まるのを確認してから、カレー鍋と味噌汁の入った鍋の二つを冷蔵庫へとしまった。
そして炊飯器の中のご飯を一杯分ごとにラップに包み、と言ってもそこまで残っていなかったが冷凍庫にいれると、次は空になった炊飯器の内釜その他を取り出し、流しの中に置く。
スポンジに食器用洗剤を少し含ませ、こびり付いて乾燥しパリパリになったお米の粘つきや、残ってしまった米粒などを洗い、水で流してから水切りカゴの中へとしまう。
「あら、炊飯器までやってくれたの? ありがとね、優」
泪の言葉を聴いて、内心優はしめしめとほくそ笑む。
ゲームについて何を言われるかわからないが、こうやって少しでも心証を良くする努力は無駄にならないと優は積極的に家庭内の手伝いをよくする。さらには勉強に関しても文句を言われないようにと授業は真剣に受け、学校でも教師の受けをよくする努力を欠かしていない。
そのおかげか泪の性格かどうかはわからないが、基本放任主義とこの佐々木家はなっていた。
「とりあえず水切りカゴの中に入れておいたから、水切れたらよろしく」
「はいはい、そこまでやってくれれば後はやるわ」
「あいさ。じゃあ俺は部屋いくね」
「ゲームはほどほどにしなさいよ」
まだテレビのダイエット企画に夢中な泪の声を背中に受けながら、優は二階の自分の部屋へと階段を上がっていった。