笑顔でさよならを言える日
今年も桜が咲いた。
通学路でもある川沿いの道に延びる桜並木。
私は、ふと足を止めて、その中でもひときわ大きな桜の木を見上げた。
同じように咲き誇っていた、この桜を見ながら、一緒に登校した政志は、もういない。
二年前の今頃。
あんなに元気だったのに、ちょっと検査しに入院するって言って、一週間もしないうちに天国に行っちゃった。
「花梨!」
名前を呼ばれて振り向く。
少し呆れ顔をした綾乃がいた。
「また、あの桜を見とれて」
「う、うん。この季節になると、どうしてもね」
「まあ、気持ちは分かるけど、そろそろ、前を向こうよ」
「……そうだね」
綾乃は、あの日、泣きじゃくっていた私の側にずっと付いていてくれた。そんな綾乃が言ってくれることだから、私もそうしなきゃって思う。
でも、まだ、忘れられない私がいる。
「花梨は可愛いんだから、花梨とつきあいたいって男子は山ほどいるんだよ」
「そんなことないでしょ?」
「そんなことあるんだよ」
実際に、街で声を掛けられたこともある。
でも、まだ、男の子と遊びに行く気持ちになんてなれない。
「もうちょっと、時間が欲しいかな」
「忘れるのに、まだ、時間が足りない?」
「忘れることなんてできないよ」
「それはそうだろうけどさ。せめて思い出にしなよ」
「……うん」
私は、桜から視線を落とし、綾乃と一緒に学校に向かった。
今日から私達も高校三年生。
高校生活もいよいよ最後の年だ。
クラス替えがあったけど、綾乃とは、また同じクラスになれた。神様に感謝!
しかも、新しい担任は、一年の時にも担任だった清水先生だ。新任の教師として赴任してきた若い女性の先生で、政志のお葬式にも来て、私と一緒に泣いてくれた。
ホームルームが終わると、教室を出て行こうとした清水先生が、何かを思い出したかのように、踵を返して、私の机に向かって来た。
「花梨さん」
「はい」
「ちょっと良いかな」
清水先生の跡について教室を出ると、中庭を見下ろす廊下の窓にもたれ掛かるようにして並んで立った。
「去年は別のクラスの担任になって、なかなか、花梨さんとこうやって話す時間もなかったけど、思っていたより元気そうで良かった」
あの時、食事も喉を通らず、精神的にも追い詰められていて、自傷行為もたびたび起こした。そのたびに清水先生は自宅に駆け付けてくれて、私を慰めてくれた。
「はい。あの時は、本当に迷惑を掛けてしまって、すみませんでした」
「その言葉なら、もう、何度も言ってくれたわよ。でも、今は、本当に落ちついているようで安心したわ」
「でも、まだ、吹っ切れてはなくて……。今朝も綾乃に叱られました」
「綾乃さんも花梨さんのことが心配だからだよ」
「私ならもう大丈夫です。少なくとも、政志の所に行こうだなんては考えることはなくなりました。綾乃や先生に、これ以上、迷惑を掛けることはしたくないので」
「うん。でも、これからも悩んでいることがあれば、何でも相談してね」
「はい。ありがとうございます」
清水先生は、優しい笑顔を見せて、職員室の方に去って行った。
放課後。
「花梨。今年の新入生達を偵察して帰ろうよ」
「偵察って……」
私の呆れ顔を意に介することなく、階段を降りる綾乃の跡について一階まで降りる。
政志と四日間だけ一緒に過ごした、一年三組の教室の前を通る。
懐かしさが胸にこみ上げてくる。
一階の廊下には、新入生達がたむろしていた。
中学を卒業したばかりで、私と同じくらいの身長の男の子達が廊下でふざけていて、その中の一人が急に後ろ向きに下がって来て、私とぶつかった。
そんなに強くではなかったので、私もよろめくことはなかったけど、その男の子は驚いて振り向き、私の顔を見た。
「こらっ! 廊下でふざけちゃ駄目でしょ!」
私が何か言う前に、隣にいた綾乃が注意をすると、男の子達は、焦って教室の中に逃げ帰った。
「綾乃、新入生を怖がらせてどうするのよ?」
「いやいや、最初からバシッと言っておかないと。それに、上級生にぶつかってきて、謝らないのはどうなのよ」
「後ろには目はないんだから仕方ないじゃない」
「花梨はほんと、優しすぎだよ。でも、今、花梨にぶつかった男の子、けっこう、可愛くなかった?」
「何? 綾乃は年下好きだっけ?」
「三歳下までなら許容範囲だね」
「そうなんだ」
「花梨は、優しいお姉さんってイメージがあるから、下級生からもモテそうだね」
「どうだろ」
興味なさげに言った私の耳に懐かしい声が聞こえた。
「花梨!」
「えっ?」
政志の声だ!
辺りを見渡すが、もちろん、政志はいない。
「どうしたの?」
綾乃が心配そうな顔で私を見つめていた。
「う、ううん。何でもない」
私は、再び、一年三組の教室を見た。
「二年二組の青木っていう先輩が可愛いのなんのって!」
前の席から、政志がにやけた顔で言った。
「知ってるよ。黒髪ロングで、政志、好きそうだもんね」
「彼氏もいないことは調査済みさ! 今度の休み時間に告白してくるから!」
「どうぞ、ご勝手に」
「花梨もイケメンの彼氏を見つければ良いじゃないか」
「イケメンが私なんかに見向いてくれるはずがないじゃない」
「そんなことないって! 少なくとも、俺は見向いてしまったぜ」
「政志が?」
「おう! 高校の制服を着ている花梨を見て、『あれっ、こいつ、こんなに可愛かったかなあ』って思ったぜ」
「じゃあ、なぜ、私に告白しないの?」
「幼稚園からずっと一緒の幼馴染みだからなあ。今さら、告白なんていらないだろ?」
「でも、一度は聞きたいかな」
「面と向かって言いづらいぜ。でも、……ありがとうな」
照れる政志の顔が薄らいでいく。
政志に笑顔で「さよなら」を言える日が来るのかな?
「先輩!」
男の子の声で我に返ると、さっき、私にぶつかった男の子がいた。
「さっきは、すみませんでした」と頭を下げた、
その少し怯えたような顔は、確かに可愛いかも。
あの頃の政志に似ている気がした。




