裸の気持ち
「さ・あ・や!」
凉子が私の名前を、そう呼ぶ時は、気をつけた方が良い。
案の定、凉子は満面の愛想笑いを浮かべていた。
「何かな?」
「海、行こうよ! 海!」
「はい?」
「海水浴だよ」
そう言えば、高校に入学してから海に行ってない。
そもそも海に行く必然性が無い。
近くにある遊園地の波が出るプールで十分じゃない?
砂で体が汚れることもないし、何と言っても、私達の家から海に行くのに、電車で二時間は掛かってしまう。その労力や時間と喜びとを対比して考えると、どう考えても海は負けだ。
私が乗り気でない表情をしていることが分かると、凉子は次の手を出してきた。
「今度の土曜日の夜に花火大会があるんだって!」
――何だと!
それを早く言え!
「でも、二人で行くの?」
「美穂も一緒」
――おちゃらけキャラの美穂が一緒なら楽しくなりそう。
「それから、落合君と関川君と久米君も一緒」
――それが一番重要な情報だろ!
「男子も一緒なの?」
「海だよ、海! 女同士で行って盛り上がっても悲しいだけじゃない!」
「いや、だけど、どうして、その三人なの?」
「落合君を誘ったら、関川君と久米君も一緒に行くことになったのよ」
凉子は、落合君のことが大好きだと宣言して、猛烈にプッシュしていた。
まだ、落合君が落ちたなんて話は聞いてないから、凉子としては、ここで一気にスパートを掛けたいと思ったのだろうけど、二人だけで行くことまでは踏み切れなくて、三対三のグループを作って行こうと画策したようだ。
つまり、私と美穂、関川君と久米君は、凉子と落合君を主役とするイベントの盛り立て役ということだ。
「関川君と久米君は、あまり知らないし」
関川君と久米君は、落合君が所属している野球部の仲間で、別のクラスの男の子だから、私も顔を知っているくらいで、話をしたことは無かった。
「これを機会に仲良くなれば良いじゃない!」
――ちょっと! 私にも選ぶ権利があるんだからね!
思い浮かべる関川君と久米君の顔は、私の好みからはかけ離れていた。
それに、私が仲良くなりたいのは……。
「咲耶! 行こうよ~! ねっ! ねっ?」
気が進まなかったけど、親友の凉子にここまでお願いされると断り切れない。
そして土曜日。
私と凉子と美穂の女子三人組は、学校の最寄り駅の改札前で、男子三人組の到着を待っていた。
しかし、凉子、気合い入れすぎ!
海に行くというのに、睫毛がいつもの二倍になってる!
「待たせて、ごめん」
落合君が爽やかな笑顔で謝った。
関川君と久米君は、女子と海に行けることが嬉しくてたまらないようで、にやけた顔で落合君の後ろにいた。
「じゃあ、行こうか?」
落合君は、私の顔を見て、言ったような気がしたけど……?
――きっと、気のせいだよね。
眩しい夏の太陽が照りつける砂浜には、多くの海水浴客がいた。
海の家で借りたビーチパラソルを立てて、荷物をまとめて置くと、早速、海に入った。
行く前は、プールで良いじゃんって思っていたけど、やっぱり、この開放感は、海ならではだ。
布の面積が少ない勝負水着を着ている凉子は、何かと理由を作っては、落合君の近くに這い寄ろうとしていた。
「本当はさ、今日までに、もうちょっと体を絞ろうと思ったんだけどさ」
凉子が、思い切り盛り上げている胸を更に強調するようなポーズを取りながら言った。
「今からでも絞ったら良いじゃん」
「どうやって?」
「砂に埋まってたら、砂の圧力で絞られるみたいだよ」
どう考えても思いつきにしか思えない美穂の言葉を鵜呑みにした凉子が、仰向きに寝っ転がると、男の子達も面白がって、凉子の体の上に砂を積んでいき、あっという間に、凉子は砂の布団に包まれてしまった。
「杉本!」
「うん?」
落合君が私を呼んだ。
「ジュースでも買いに行こうぜ」
「ジュース?」
「喉渇いたし。ついでに、みんなの分もまとめて買おうと思ってるんだけど、俺一人じゃ持てないから」
砂に埋もれている凉子は仕方無いとして、他の男子や美穂じゃなくて、何故、私が呼ばれたんだろう?
「うん、分かった」
別に断る理由もなかったし、ちょうど喉も渇いていた私も、みんなの希望する飲み物を訊いた落合君と一緒に、海の家に向かって歩き出した。
「杉本」
「何?」
「咲耶って可愛い名前だな」
予想してなかった話題に少し驚いた。
「えっ? そ、そうかな」
「ああ、何かアイドルみたいだぜ」
「名前負けしてるとしか思えないけど」
「そんなことないって」
落合君は、私から視線を外して、前を向くと、息を整えているように肩を上下させた。
「あのさ」
落合君は、前を向いたまま言葉を続けた。
「杉本ってさ、彼氏いるの?」
「えっと、……い、いないけど」
「そうなのか?」
落合君が驚いた顔をして、また私の顔を見た。
「いると思ってた?」
「ああ。杉本って、男子とあまりしゃべらないから、誤解されると困るような彼氏がいるのかと思ってた」
――誤解されると困る男の子はいる。
ふと、落合君が立ち止まった。
何事かと、私も立ち止まり、落合君を見ると、真剣な顔をして私を見ている落合君の視線とぶつかった。
「俺、ずっと、杉本のことが気になっててさ」
「えっ?」
「でも、彼氏がいるんだろうなって思ってたから、声を掛けづらかったんだ」
「声って?」
「つき合いたいって」
――私の頭の中に、凉子の顔が浮かんだ。
「えっと、……落合君は凉子と仲が良いじゃない」
「それは、戸田が杉本の友達だからだよ!」
「……」
「今日も、杉本も一緒に行くって戸田に聞いたから、絶対、行きたいって思ったんだよ」
「……」
「改めて言うけど、俺とつき合ってくれないか?」
「えっと、……いきなりすぎるよ」
「ごめん。でも、杉本にこうやって告白することは、俺なりにすごい勇気を出してるんだぜ」
真剣な落合君の顔を見れば、それが本当だと分かった。
でも、親友を裏切ることなんてできない!
「凉子は、……凉子は、落合君ともっと仲良くなりたいって思ってるんだよ」
「えっ?」
「思わせぶりなことを凉子に言ったんじゃないの? それって酷いことだよ」
「……俺は、言った覚えはないよ」
「落合君にそのつもりがなくても、凉子に誤解されるようなことを、きっと、言ってるんだよ」
「……杉本と仲良くなりたいって思って、戸田によく話し掛けていたとは思うけど」
「……」
「でも、俺が本当の気持ちを隠して、戸田とつき合うことの方が酷いだろ?」
「それは、……そうだけど」
「俺、みんなの前で杉本に告白するから!」
「えっ!」
「お前が俺のこと、どう思ってくれているのか知らないけど、俺は杉本が好きなんだって、みんなに宣言するから!」
「……」
私は、自分の気持ちが整理できずに、俯いて、キラキラと光る砂を見つめた。
「杉本」
顔を上げると、落合君は、何か吹っ切れたような顔をしていた。
「一方的に言っちゃったけど、俺の言いたいことは全部言ったから」
「……」
「とりあえず、こんな暑い所でつっ立ってたら焼け死んじゃうな。早く、ジュースを買いに行こうぜ」
「落合君!」
海の家に向かって歩き出した落合君を思わず引き留めた。
「私も……落合君と、もっと仲良くなりたいって、ずっと思ってた」
振り向いた落合君に、初めて自分の気持ちを伝えた。
「ほ、本当か?」
「うん。でも、涼子から落合君のことが好きだって言われて、涼子の邪魔をしちゃいけないって思って……」
「俺と戸田は、つき合ってる訳じゃないんだから、そんなこと、気にする必要はないだろ?」
「でも、涼子とは友達のままでいたいから」
「だったら!」
少し怒ったように言った落合君が、優しい顔になった。
「俺が戸田に頭を下げる。俺のことを殴ってでも良いから、杉本と友達でいてやってくれって」
「……!」
落合君の姿がにじんで見えてきた。
恥ずかしくて少し俯いた視線の中に、落合君が差し伸べた手が入って来た。
「とりあえずジュースを買いに行こう」
私がその手を握ると、ゆっくりと海の家に向かって歩き出した。
ギラギラと照りつける夏の太陽が、私がまとっていた「偽善」という名の衣をはぎ取ってくれた気がした。




