外れたチェーン
この世には、会いたくない奴に限って、また会ってしまうという法則でもあるのだろうか?
そう、あれは高校入学の日。
「げっ! 堀口! 何で、あんたがここにいるのよ?」
「それは、こっちのセリフだ!」
中学卒業とともに、父親の転勤で、隣の県に引っ越して、もう、中学の仲間とも会うことはないと思っていたら、入学した地元の私立高校で、堀口にばったり会ったのだ。
堀口は、中学の三年間、ずっと同じクラスで、ずっと口喧嘩をしてきた男の子だった。
何故だか分からないけど、堀口は、その存在自体が鬱陶しかった。
他の男子にはそんな気持ちにならなくて、堀口だけが私をそんな気持ちにさせた。
きっと、前世では不倶戴天の仇同士だったのだろう。
「あんた、ひょっとして、私をストーカーして来たの?」
「そんな訳あるかあ! ここの高校はサッカーが強くて有名なのを知らないのか?」
そうだった。
堀口は、中学時代もずっとサッカー部で活躍していて、自分でも「サッカー馬鹿」って言ってるくらい、サッカーが好きな奴だった。
そして、この高校は、全国の高校サッカーの大会ではいつも上位まで残る、サッカーの強豪校だった。
「そう言うお前こそ、俺にまとわりついて来たんじゃないだろうな?」
「私が引っ越して来た家に近くて、学力的にもぴったりだったからよ!」
「ふ~ん。まあ、信じておいてやるよ」
「何だよ、その上から目線は! ちょっと女の子に人気があるからって、いい気になってるじゃないわよ!」
「なってねえよ!」
悔しいことに、堀口は、サッカー部のレギュラーで、背も高くて、まあ、顔もそこそこイケてたから、中学の時から、けっこう女の子に人気があった。
今の高校でも噂になってるみたいだ。
もっとも、彼女ができたという噂は聞こえてこないけど……。
爽やかな春の朝。
私は、自転車をゆっくり漕ぎながら登校していた。
遠くまで広がる畑の中に一本通った農道で、車も滅多に通らない広い道をのんびりと行くのが気持ち良かった。
少し前から、後輪から変な音がしだしたけど、気にせずに漕いでいたら、突然、ブレーキが掛かったみたいにペダルが動かなくなった。
気がつくと、私は地面に放り出されていた。
すぐに起き上がろうとしたけど、右膝に痛みを感じた。
アスファルトの路面に座ったまま、右膝を見ると血が出ていた。
何とか立ち上がって周りを見渡してみたけど、誰もいなかった。
右足を引きずりながら、倒れている自転車に近づき、よく見てみると、チェーンが外れていた。
――どうしよう?
自転車のチェーンなんて直したことないし、直し方も分からない。
そして、今いる所は、学校と家のちょうど中間地点くらいで、どっちに行くにも、歩くと十五分くらい掛かってしまうはずだ。
私が途方に暮れていると、誰かが自転車に乗ってやって来ているのが見えた。制服からすると、同じ学校の男の子みたいだ。
でも、近づいて来たその男子の顔を見て、私は一気に憂鬱になった。
「何やってるんだ、南?」
堀口が片足を着いて自転車を停めた。
「見て分からないの! チェーンが外れちゃったのよ!」
「てかっ、お前、怪我してるじゃないかよ!」
堀口は、スタンドも立てずに、乗っていた自転車を放り投げるようにして、私に近づいて来た。
その勢いに少し唖然となった。
「ちょ、ちょっと、転んじゃって」
「けっこう血が出てるじゃないか!」
「ああ、でも、大丈夫」
「早く手当した方が良いよな。救急車呼ぶか?」
堀口はポケットから携帯電話を取り出した。
「そ、そんな大袈裟にしないで!」
「でも……」
――堀口の心配そうな顔、初めて見た。
「本当に大丈夫だから」
「じゃあ、俺の自転車に乗って行けよ」
「えっ?」
「こんな所にいても仕方無いだろ? 俺が乗せて行ってやるから! 学校に行くか? それとも家に帰るか?」
「えっと、……学校に行く」
実際、怪我も大したことなさそうだし、今から堀口に家まで送ってもらうと、堀口が遅刻しちゃう。
「よし! じゃあ、そうしよう!」
「でも、私の自転車はどうしよう?」
「今、チェーンを直しても、その怪我じゃ漕げないだろ? とりあえず今は、道路の端にでも置かせておいてもらおうぜ」
堀口は、私の自転車を持ち上げると、道路の端にある大きな木の根本に立て掛けるようにして置いた。
「捨ててるんじゃないって分かるようにしておこう」
堀口は鞄からノートを取り出し、白紙のページに「後で取りに来る」と書くと、そのページを破り、自転車の前の籠に入れた。
「これで良し」
堀口はそう言うと、倒れていた自分の自転車を起こして、私の側まで押して来た。
「さあ、行こうぜ」
「う、うん」
私は、足を引きずりながら、堀口の自転車の後部座席に横向きに座った。
「本当は痛いんだろ? やせ我慢しやがって」
「やせ我慢なんてしてない!」
「はいはい。分かったよ。じゃあ、行くぜ!」
堀口が自転車を漕ぎ出すと、後ろに落ちそうになった私は、思わず、堀口のジャケットを掴んだ。
「おい! ジャケット引っ張られると、胸が苦しいんだけど! 俺の体に掴まれよ!」
堀口は自転車を走らせながら大声で言った。
「そ、そんなことできるわけないでしょ!」
「何でだよ! ったく! じゃあ、南が飛ばされないようにゆっくり行くよ」
堀口は自転車をゆっくり漕ぎ出した。
「い、良いよ。今までのスピードで」
「南にまた怪我させるわけにいかないだろ」
「……それはそうと、堀口も自転車通学だったんだ」
「ああ、学生寮に入ってて、そこから通ってるんだ」
「そっか、一人で来てるんだったね」
「ああ、家から遠く離れた高校で独りぼっちかと思っていたけど、南がいてくれたからな」
「えっ?」
「喧嘩相手がいて退屈しなかったってことだよ」
「うるさいなあ」
「はははは」
でも、私も、堀口と同じ気持ちだったことは否定できない。
学校に着いた私は、保健室で応急治療を受けた。
幸いにも擦り傷くらいで、すぐに病院に行く必要もなかったことから、そのまま授業を受けることにした。
一時間目が終わると、私のクラスに堀口がやって来た。
クラスの女子達が堀口に注目していることが分かった。
「どうだった、怪我は?」
「うん、大したこと無いって。痛みも治まった」
「そうか。それで、帰りはどうするんだよ?」
「家に連絡して、お母さんにでも迎えに来てもらう」
「お母さんって、車を持ってるのか?」
「ううん。私の自転車を持って帰らなきゃいけないから、タクシーになると思うけど」
「もう連絡したのか?」
「ううん、まだ」
「……なあ、自転車、自分で漕げそうか?」
堀口が包帯を巻いている私の右膝を見ながら訊いた。
「……うん。たぶん」
「もしさ、俺の部活が終わるまで待てるんなら、俺がまた乗せて行くぜ」
「えっ?」
「俺がチェーンを直してみるよ。こう見えて、俺、チェーン直しの名人なんだぜ。中学の時から自転車通学で、何回、チェーンを直したか忘れたくらい直してるからさ」
「でも」
「嫌か?」
「い、嫌じゃないけど」
「じゃあ、そうしようぜ」
放課後。
私は、サッカー部の練習を校庭の隅で見ていた。
堀口は、私が待っていることなんて、頭のどこにも残っていないように、夢中でサッカーボールを追いかけていた。
そう言えば、こうやって堀口が一生懸命サッカーをやってるところをじっくりと見たのは初めてだ。
サッカー馬鹿って自分で言うだけのことはある。本当に楽しそうにサッカーしてる。
そんな堀口を見ていたら、待っている間、全然、退屈することが無かった。
サッカー部の練習が終わった後、私は、堀口の自転車に乗せてもらい、朝と同じ道を走っていた。
しばらく無言だった堀口が前を向いたまま呼び掛けてきた。
「南」
「うん?」
「明日から、朝、一緒に学校に行かないか?」
「えっ?」
「また、お前が一人で転んでも、俺が一緒だと安心だろ?」
「う、うん」
「おお、珍しく素直じゃないか?」
「うるさい! あんたは私専属の自転車修理屋さんなんだよ!」
「専属なのか? ちょっと嬉しいな」
「えっ?」
自転車のチェーンが外れて、堀口との何かが繋がった気がした。
私は、自分の頭をそっと堀口の背中に付けた。
背中から優しい光を照らしている夕日が、朝よりも距離が縮んだ私と堀口の影を路面に長く映しだしていた。




