キューピットの矢を放つ勇気
私が、更衣室で弓道衣に着替えて、弓道場に向かっていると、前から剣道着姿の石山君が歩いて来ていた。
私は、石山君に会釈をして無言ですれ違った。でも、私の目は、石山君から離れることができなかったみたいで、無意識のうちに、石山君の姿を追うように後ろを振り向いた。
――えっ、何?
同じように後ろを振り向いていた石山君と目が合った。私は慌てて前に向き直った。
でも、……石山君も私のことを見てくれているのかな?
……なんて、また、自分に都合の良いように考えてる。偶然だよ。決まってる。
石山君は、1年生の時から、感じの良い人だなって思っていたけど、2年生で同じクラスになると、石山君に対する想いがどんどんと大きくなっていった。
今ではもう、私の気持ちには結論が出ていた。私は石山君のことが好きだって。
でも、その想いは、石山君はもちろん、他の人にも言えずに、ずっと自分の胸の中に秘めてきた。告白する勇気がなかった。そして、告白して振られて、石山君から嫌われるのが怖かった。
そう思い始めると、変に意識してしまって、自分の方から石山君に話し掛けることができなくなってしまった。私のそんな雰囲気が分かるのか、石山君も私と話すときには少しぎこちなくなってきたような気がする。
だから、次第に二人で話をすることが少なくなってきた。本当は、石山君といっぱい話したいのに、それができなくて、私は苦しかった。
こんな苦しさから逃れたかった。でも、……できなかった。
「藤井! 最近、狙いが定まっていないみたいだぞ。弓というのは、微かな心の揺れも結果として出てしまうんだ。もし、何か悩み事があるのなら訊くぞ」
2回連続で的からはずした私に、弓道部の顧問の先生が声を掛けてくれた。
「いえ、大丈夫です。あの、もう一回、やって良いですか?」
「ああ、心を静穏にして、集中しろ!」
私は射場に立って、弓を構えた。
――そうだ!
この矢が正鵠を射れば、……それは、神様のお告げだと自分に言い聞かせて、今日、部活が終わってから、絶対に告白する!
そうでもして、自分で自分の背を押さないと、いつまでも悩んだままだ、きっと!
弦を思いっきり引いて、的を狙う。
告白してすっきりしたいという感情と、断られることへの恐怖心との葛藤で身が引き裂かれそうになる。一瞬、目を閉じて集中した私は、目を開けると、おもむろに矢を放った!
部活が終わって着替えに行く途中、柔道部と剣道部が合同で使用している道場を見てみると、剣道部は、まだ練習をしていた。
私は着替えて、校門を出ると、普段、自分が帰っている方向とは反対側の、石山君が帰る方向に歩いた。
5分ほど歩くと、大きな川に掛けられた鉄橋がある。車道の両脇に歩道も付けられている。その歩道の中間地点の、少し広くなっている場所で、欄干にもたれかかり、夕焼け色に染まった川面を眺めながら、石山君がやって来るのを待った。
次第に胸が苦しくなってきた。右手を胸に当ててみる。
――鼓動が速い。
でも、こんな思いも今日が最後。明日からは、バラ色か暗闇か、どちらかの人生が待っているはず。
来た! 石山君が一人で歩いて来ていた。
言う! 絶対に言う! 絶対に……。
石山君が私に気がついた。
「よっ、藤井。誰かと待ち合わせか?」
石山君が立ち止まると、私は石山君の正面に向いた。
「あ、あの、……い、石山君」
「うん?」
「あの、あのね、…………」
――駄目だ! 言葉が出ない! 石山君の顔も見られない!
私は、石山君の足元を見つめたまま、口を動かしたが、声を出すことができなかった。
「どうしたんだ、藤井?」
名前を呼ばれて顔を上げると、石山君のちょっと困ったような顔があった。
――嫌われた?
「……何でもない。ごめんなさい」
私は自己嫌悪に押し潰されながら、石山君に嫌われたくない気持ちが先走って、謝ってしまった。
「何で謝るんだよ?」
「だって、……」
「何か、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
「……」
「ちゃんと聞くよ。どんなこと?」
「そ、それは……」
――やっぱり駄目だ。言えない。
川面を吹いてきた風が二人の間に沈黙も運んで来た。私は、その沈黙の中にいることが耐えられなくなった。
「石山君、今日のことは忘れて! ごめんなさい」
私は、石山君の脇を抜けて立ち去ろうとした。
「藤井!」
石山君の大きな声に、私は思わず立ち止まって、ゆっくりと石山君の方に振り向いた。石山君は怒っているように見えた。
「石山君、……ごめんなさい」
もう、謝ることしかできなかった。
……涙が……出て来た。
「違う! 違うよ、藤井! 俺は俺に腹を立てているんだ!」
「えっ?」
「だって、藤井にこんな苦しい思いをさせているって分かったから。それに……」
「……」
「俺って、藤井と違って、何て意気地無しなんだろうって……」
「……石山君」
「ちゃんと、……俺の方から言うから」




