03 Light Morning
相変わらず、父親は家に帰ってこない。単身赴任のように週末に帰ってくるだけ。父親は母親には単身赴任と言っているみたいだし。母親も感付いている。それは浮気だと、不倫だと。
あたし、一度だけ父親の後を追ったことがある。郊外の安アパートで、二十代後半のさほど綺麗じゃない女が出迎えてた。出迎えてもらった父親の嬉しそうな顔は、家では見せたことのない顔だった。あたしは、父親のそんな顔を見たのは初めてだったから、凄くショックを受けたことを憶えている。
母親も良く我慢していると、あたしは思う。でも、あたしが居ることと母親自身が父親から独立できないので、母親は今の状態を甘んじて受け入れているだけなのだろう。だから、あたしに対する期待は相当だ。あたしを味方に引き入れようとすることと、母親自身の将来をあたしに託しているのだ。だから、あたしの言うことも聞き入れる代わりに、あたしに対して五月蝿いし、拘束や束縛はするし、ほとんど監視されている状態だ。
あたしは、そんな状況にうんざりしているし、もう疲れていたのだ。
そんな時に出逢ったのが『大村 俊朗』だった。
おじさんは四十八歳で、ITベンチャー企業の常務。会社創業のメンバーなんだそうで、今は病気で療養中なので仕事の量を減らしてもらってるそうだ。
今は独身の俊おじさんだけど、かつては家族が居たらしい。俊おじさんが言うには、会社の立ち上げで家庭を顧みなかったそうで、十年位前に離婚したらしい。子どもが居たそうだけど、奥さんに親権が渡ったんだって。
あたしよりも大きい娘さんが一人いるそう。
だから、今の俊おじさんは家族が居ないことが寂しいらしくて、時々娘さんと会うそうだけどそれじゃ物足りないっていつもこぼしてる。……ということは、あたしって娘さんの替わりなのかな?
あたしは、俊おじさんのことが好きなんだけど。
でも、あたしも俊おじさんのこと、父親みたいに思っているところは全く無いと言ったら、嘘になるかな。「こんなお父さんがほしいなぁ」って思う時もあるから否定できない。
一つだけ確かなことは、俊おじさんもあたしも「家族を求めてる」という意味では利害が共通しているのかもしれない。
とにかく。
俊おじさんは、あたしの「足長おじさん」になったのだ。
もっとも、これはあたしが勝手に思っているだけで、俊おじさんはどう思っているか、本当のところは分からない。でも、それでいいんだ。あたしは、俊おじさんのことが大好きなんだもん。
それで、あの雷雨の日から、あたしは俊おじさんとお付き合いを始めた。もちろん、援助交際なんかじゃないよ。俊おじさんからお金をもらおうなんて考えたことも無いよ。
毎日、メールしたし、電話もした。あたしのくだらないメールや電話の内容でも俊おじさんは、あたしのメールにもちゃんと応えてくれるし、電話をしてもちゃんと出てくれる。あたしは電話もメールもそんなにしない方だから、俊おじさんもちゃんと対応してくれているのかな。
デートは一週間に一回くらい。いつも日曜日かな。駅で待ち合わせて、俊おじさんの黒のワゴン車にあたしが乗り込む。そして、郊外のレストランでランチを食べて、お話をして、それでまた来週。そんな感じのデート。あたしは当然、デートのつもりだったけれど、俊おじさんはどう思っていたかはよく分からない。
来週から七月という頃、俊おじさんとデートした時、俊おじさんは意外なことを言ったんだ。
「遼子ちゃん、来週の日曜日は海に行かないかい? お友達を誘ってもいいし」
あたしはちょっとビックリして、訊き返した。
「遊びに連れて行ってくれるの?」
あたしの質問に、俊おじさんは大きく首を縦に振った。
「朝早く、そうだな、七時頃にいつもの駅に迎えに行くよ。ちゃんと水着を持ってきなよ」
俊おじさんは、ちょっと嬉しそうだった。あたしも嬉しくなった。
「うん、分かった。親友二人を連れてきてもいい?」
俊おじさんはうなずいた。
「いいよ。じゃ、来週ね。遅刻しないでよ」
「大丈夫よ」
あたしは、俊おじさんに精一杯の笑顔を向けた。
「ねぇ、ねぇ。来週の日曜日に海に行かない?」
次の日の月曜日、あたしは学校で親友の茉美と恵梨佳に声を掛けた。
「どういう風の吹き回し? 遼子が海に誘うなんて」
茉美は怪訝な顔をした。
「海ねぇ。どの水着を持っていこうかしら? それとも新しい水着を買っちゃおうかしら?」
恵梨佳は既に行く気満々だった。
「おぃ、恵梨佳! 返事をしないうちにもう段取りに入ってるのか?」
茉美は呆れていた。
「じゃ、二人ともOKね?」
あたしは、得意気な顔で二人に念を押した。
「もちろんよ」と恵梨佳。
「私も連れて行ってよー」と茉美。
「日曜日の朝七時に、駅で待ち合わせね。遅れたら置いて行くからね」
茉美は、不思議そうな顔をしてあたしに訊いた。
「駅で待ち合わせてどうするの?」
あたしは何事も無く答えた。
「俊おじさんが連れてってくれるわ。あたし、海に行かないかって誘われたの。友達も連れて来ていいって」
恵梨佳はにこやかに笑って言った。
「あらあら。お惚気、ご馳走様。私達もおこぼれに与れるって訳ね」
「何だよ、私達は付き添いか」
ちょっとガッカリした風味の茉美だった。
「いいじゃないの、遼子が誘ってくれた海ですもの、贅沢は言わないの」
恵梨佳が茉美をなだめた。
「はいはい、分かりました」
恵梨佳はすかさず、あたしにこう切り替えした。
「それじゃぁ、今日の学校帰りにみんなで水着を買いに行きましょう」
日曜日、あたしは寝坊した。昨夜はよく眠れなかったのだ。
だって、俊おじさんが誘ってくれた海だもの、興奮して眠れなかったのよ。
昨日のうちに荷物は用意しておいたからそれを引提げて、髪のセットや化粧、朝食もそこそこにうちを出て、何とか予定の電車には乗れた。電車の中で多少なりとも身なりを整えたのだった。
あたしが駅の改札口を出たのは、六時四十五分。全然余裕で間に合ったなぁと思っていたら、茉美と恵梨佳は既に居て、しかも俊おじさんまで居た。しかも、茉美と恵梨佳は完璧なスタイルでそこに立っていたのだ。
いつもは、男の目なんか気にしない、男性恐怖症の茉美だが、今日ばかりは巻きスカート風スウェットロングスカートに、白のゆったりTシャツに黒のタンクトップで、茉美のショートカットに似合うフェミニンなスタイルだった。
そして、ファッションと男の視線をいつも気にしている恵梨佳は、透け感のあるオーバーレース素材で出来た、短め丈で肩出しデザインのピンクブラウスに、ツイル素材で裾がフリンジになっているカーキ色のショートパンツで、キレイな脚線を晒していた。
あたしといえば、全面花柄プリントで長め丈のワンピースで、可愛い感じのファッションにしたのに、あの二人が妙に頑張るから目立たなくなっちゃったよ。
俊おじさんは、紺色のボーダーTシャツに、テンセル素材の紺のカーゴパンツ。ちょっと若作りしたなぁ、俊おじさん。無理しなくてもいいのに。
「遼子、遅いぞ。おじさんも恵梨佳ももう待てるんだぞ」
茉美は嬉しそうに大きく手を振ってあたしを導いていた。あたしは溜息をついた。これじゃ誰が誘ったのか、分からないよ。
「遼子ちゃんが普通なんだよ。君達二人が早過ぎるんだよ」
そう言って、俊おじさんはあたしをかばってくれた。
「あら、そうぉ? おじさまこそ、あたし達が来た六時には、ここにいらしたじゃない」
恵梨佳の言葉に、あたしは唖然とした。茉美と恵梨佳は一時間前で、俊おじさんはそれ以前って。あなた達は何を考えているのよ、まったく。
「おじさんは、間違えないようにって早めに来ただけだよ」
もういいわ、そんなことは。あたしは呆れて何も言えなくなっていた。
「それにしても茉美と恵梨佳は俊おじさんのこと、よく分かったわね?」
あたしの問いに、俊おじさんが答えた。
「遼子から友達は二人だって聞いてたし、明らかにそれらしい雰囲気だったからこっちから声を掛けたんだよ」
「あたし達もそうじゃないかなぁって。黒のワゴン車から出てきたら間違いないって」
あたしは、開いた口が塞がらなかった。あたしの存在って何?って思っちゃったわよ。
「さぁ、早く出発しましょう。渋滞で混んじゃうから」
「そうね、遼子さん、早く荷物を」
「さぁさ、乗った、乗った」
あたしは急かされるようにバックドアから荷物を入れた。それから、いつもは助手席に座るのだけれど、今日は茉美や恵梨佳と座ろうと後部座席のドアを開けようとしたら、茉美と恵梨佳に拒否された。
「お姫様は、王様の横に座らなきゃ。私達は侍女ですから」
そう言われて、あたしは助手席に座った。ちょっと嬉しかった。茉美や恵梨佳が気を使ってくれたことに。
「それじゃ、出発するよ」
そう言って俊おじさんは、シフトノブをドライブに入れて、バックミラーで後方を確認してからスルリと車を走らせたのだった。