01 Never Ending Summer
夏をテーマに思いっ切り、おじさんの妄想を爆発させてみました。章ごとのタイトルを杉山清貴の楽曲タイトルでオマージュしながら、爽やかだけど少しシュールな、女子とおじさんの恋愛を綴ってみました。
【第五回「夏祭り」競作小説企画・参加作品】
「君、起きなさい」
低い男の人の声がして、大きくて節くれだった手の平があたしの肩を揺り動かしたようだった。その刺激であたしは、机に突っ伏していた顔を上げた。
「ようやく起きましたね」
薹が立った女の人の声があたしの後ろから聞こえてきた。
「お手数をお掛けしました」
女の人に頭を下げながら、先ほどの低い男の声がそう発言していた。
「グッスリ寝ていたようだね。大丈夫かい?」
先程よりずい分優しくなったその男の声は、あたしにそう語り掛けた。あたしは無言のまま、まるで幼児のようにコクンと首を縦に振ったのだった。
全くひどい様子のあたしだった。あたしの目はまだ半分閉じていて、顔と腕にはあたしの髪の毛が挟まれていたらしく、髪の毛の跡が顔と腕にまるでハンコを押したように赤く写し取られていた。そして髪の毛はボサボサで、腕と机には、ヨダレの跡がくっきりと残っていた。あたしは、慌てて髪の毛を手櫛で整え、顔に手を当ててから唇のヨダレを拭った。
「もう図書館は閉館だ。荷物をまとめて外に出よう」
男の人の声は、かなり優しくあたしに話しかけてくれていた。
あたしは自分の荷物を片付けながら図書室の閲覧室を見回した。閲覧室には、あたしとその男の人しか居なかった。あとは図書館司書の女の人だけ。先ほどの女の声は司書の人の声だったんだと納得した。
閲覧室は皓々と照明が点いていて、窓は既に真っ黒に塗り潰されていた。あたしはゆっくりと左腕の時計を見ると、時刻はもうすぐ十九時になろうとしていた。
「もう、こんな時間なんだ」
あたしはそう呟くと、男の人はゆっくりうなずいた。
「ちょっと遅い時間になっちゃったけど、家の人は心配してないかい?」
あたしは"家族"という言葉に抵抗を感じた。
あたしの家族はバラバラだ。父親は外に女を作ってたまにしか帰らない。その癖、家ではやたらと威張り腐っている。その配偶者である母親も自分の夫に女が居ることを薄々感じているから、母親の向かう方向は常にあたしだ。何かと言うとあたしに引っ掛けてガミガミと言ってくる。そんな両親だから、家族というヤツには少々うんざりしているあたしだった。
だから、男の人にそう訊かれててもすぐに返答は出来なった。
「いいんだよ、答えたくないなら答えなくても」
男の人は優しくそう言った。その優しさがちょっと嬉しくて、あたしは男の人の顔を見た。
おじさんだった。
でも、お腹の出た、七三分けの、匂いが酷い、Yシャツの衿が黄ばんでいそうな、サラリーマン風のおじさんではなかった。
髪型は二ブロックの、ハチ下を刈り上げハチ上はショートレイヤースタイルで、顔は四角で、眉は濃くて、鼻は大きくて、唇は薄くて幅広かった。そして肌はあざ黒かった。
服装はジーンズに白Tシャツ、その上にブラックの綿のジャケットを羽織っていた。それでも、少々お腹が出気味だったかな。
「とりあえず、図書館に迷惑が掛かるから外に出ようか」
あたしは、そのおじさんに促されて、階段を降りて図書館の玄関までの何十メートルかを並んで歩いた。その間に、あたしはおじさんと少し会話をした。
「高校生なんだ。おじさん、大学生かと思ってたよ」
「家からここまで電車で二駅なんだ。ちょっと遠いじゃない?」
「おじさんにも娘がいたなぁ、確か」
「へー、一人っ子なんだ」
そんなくだらない話をしていると図書館の玄関のところにやってきて、自動ドアが開いて外へ一歩踏み出した。
「お腹、減ってるよね?」
おじさんは、あたしの顔を見ながらそう言った。
「おじさんも腹減ってるんだけど。ご飯、一緒に食べるかい?」
あたしはゆっくりとおじさんの方を見た。
「いや、変な意味じゃないし、変なことはしないよ。ただ……ご飯食べたくないかなぁと思って」
おじさんは、変な誤解をされないようにと必死で説明と言い訳と釈明をあたしにしていた。その姿を見て、あたしはプッと吹いてしまった。
「……あ、メッチャ格好悪かったなぁ」
そう言って、おじさんは急にシュンと肩を落とした。そして、おじさんは背を向けてトボトボと歩き出した。
「ごめんよ、余計なことを言って。ここでさよならだ。気を付けて帰るんだよ」
おじさんはあたしから去りながらボソボソと喋り続けていた。
あたしはふと思った。
このまま帰っても、面白くない家が待っているだけだ。父親は居ないし、母親はあたしが帰ってくるのを手薬煉引いて待っている。あたしをガミガミと叱り、あたしに媚びへつらい、そしてあたしのご機嫌を取る母親が待っているだけだ。
気がついたら、あたしはニッコリと笑って、おじさんの背中に向って声を掛けていた。
「いいわよー。ご飯、一緒に食べてもー」
すると、おじさんはすぐに振り向いた。
「ホントに?」
おじさんはちょっと嬉しそうにあたしに訊くので、あたしは大きくうなずいておじさんに駆け寄った。
「あたし、ラーメンが食べたいわ」
あたしはおじさんの腕にしがみ付いた。するとおじさんは、あたしの手を払いのけてから言った。
「ダメだよ、そんなことしちゃ。いいんだよ、気を使わなくても。おじさんは今日の晩ご飯を貴女と食べたいと思っただけなんだから」
おじさんは、あたしを伴いながら図書館の駐車場に向った。そこにはおじさんの黒のワゴン車が停めてあった。
おじさんはオートロックを解除してドアを開けた。
「助手席に乗って。どこのラーメンにする?」
おじさんは妙に明るかった。あたしもその明るさに笑顔が出てしまう。
「うーんとね。餃子が美味いラーメン屋さん、知ってるんだ」
あたしは、おじさんの娘の友達のようにはしゃいでいた。
「じゃあ、そこに行こう。案内してくれる? ……えーっと……」
あたしはおじさんが何が言いたいのか、察知出来た。
「遼子よ、咲田 遼子。遼子って呼んでよ」
おじさんはGJサインを左手で出してから言った。
「OK、遼子ちゃん。案内をよろしく」
あたしも右手でGJサインを出して、それに応えた。
「OK、あたしに任して!」
おじさんのワゴン車は、スルスルと図書館の駐車場から動き出したのだった。
その後、あたしの案内で行ったラーメン屋さんで、あたしは餃子二人前とチャーハンを、おじさんは餃子三人前と麻婆豆腐を食べた。ラーメンが食べたかったはずなのに、あたしもおじさんも結局、ラーメンを食べなかった。
食べている間、あたしは学校のことや友達のことを、おじさんは仕事のことや取引先の悪口を、それぞれに喋り、お互いにうなずいただけだった。
そして、おじさんが会計を済ませてから店を出て、おじさんはあたしの家に近くまで送ってくれて、数百メートル手前で車から降りたのだった。
「おじさん、今日はありがとう」
あたしはおじさんにニッコリと笑った。一応、社交辞令で。
「おじさんこそ、ありがとう。ラーメン、美味しかったよ」
おじさんはにこやかにあたしにそう言ったが、あたしは容赦なく突っ込みを入れた。
「おじさん、ラーメンなんか食べてないじゃない!」
おじさんは、カッカッカッと笑って言った。
「そういう元気な遼子ちゃんが一番可愛いよ」
あたしはちょっとふくれた。
「もう、知らない! それじゃ、さよならっ!」
あたしはドアをバタンと閉めて、走り去った。おじさんはウインドウを開けて大声で怒鳴った。
「今日はありがとうね。楽しかったよ」
あたしはその声で振り返ってから、手を大きく振った。おじさんはクラクションをブッと鳴らしてから発進して左折した。おじさんの黒のワゴン車は、町角に消えていった。