8.夜着と巨乳と噂と秘密
揃ってアルマ様の部屋に顔を出すと、そこではスルジア様が珍妙な格好で色々な格好をされていられた。露出たっぷりのさっきの夜会服も凄かったけど、いま来ているのはその比じゃない。下着と言うのが正しいような、そんな透けるほど薄い生地で作られていて、身体の線だけじゃなくて見えてはいけないところまで透けて見える。
「アルマ様、スルジア様は何を?」
「フィーテの店に頼んでいた新しい夜着が届いたと、自慢しにきたのよ」
この異様な光景にも呑まれなかったシェシィがなんでもないことのように尋ねると、アルマ様は黙っていても仕方がないと考えられたのか、ため息混じりにそう返された。
私たちの年頃にはまだ縁のないものだけど、殿方を誘惑するためにこういった……扇情的な夜着を着るのを知っている。スルジア様は大人の女性だからこういった夜着をお持ちでもおかしくないとは思うわ、ここでアルマ様に自慢する意味は理解できないけれど。
「……まぁ、夜着ですの。あたくしにはなんと言ってよいのか想像がつかない意匠ですわ」
「……うん、ボクも同感」
まだ圧倒されたままのカチュネとウェニは、照れのためか少し赤く染まった顔をしながら、それでも呆れたように言った。
確かに言葉に困る格好よね。
色々と気になることもあるのだけど、それより私が気になるのは、
「その意匠、スルジア様に似合ってませんね。それにその布使いも。
それよりもスルジア様、それは本当にフィーテの作ですか?」
高級衣料品店として名高いフィーテの作にしては、ひど過ぎること。
「私の記憶違いでなければ、フィーテは伝統的な意匠や作りを踏襲して、新しい意匠を生み出してきた店。とてもフィーテの作だとは思えないですわ。
フィーテの作だというなら、その意匠は誰が考え、縫製を誰がしたのか……聞いておられますよね」
そう、フィーテは上級の貴族からも富みを得た商人たちからも好まれる品を作り出している、きっちりした店。その意匠を考えた者はもちろん、だれが縫製したかも、買う人は重視する。だから、言っては悪いけど……こんな、花街のおねえ様方みたいなものは作らないと思うのよね。
表情を強張らせて言葉に詰まったスルジア様とは対照的に、アルマ様はその目に剣呑な光を宿した。
「スルジア、その夜着は確か、エーメルニィアから特別に都合してもらった品だと言いましたね」
「……えぇ、エーミィが自分はフィーテのお得意様でぇ、正規販売前に新作が手に入れられたからとぉ」
「では、貴女にはそれがフィーテの作であるという断言できるものは何もないということですね。エーメルニィアと聞いた時から嫌な予感があったのです」
アルマ様はそう言うと、悩まし気にため息をつかれた。色気は皆無で、疲労とか呆れに満ちているそれ。
「スルジア、そのはしたない夜着をさっさとお脱ぎなさい。そして普段着に着替えたら、エーメルニィアから貰った……いえ、すすめられた衣服をすべて、よりわけておきなさい。
これ以上はさすがに、放ってはおけません」
「……わかったわぁ。
アルーに用があって来たっていうのにぃ、こんなことに巻き込んでしまってごめんなさいねぇ」
スルジア様は目許に涙を浮かべながら、申し訳なさそうに言う。
……きゅんって、胸がときめいたわ!
「そんなに落ち込まないでください、スルジア様」
駆け寄って、華奢だけど豊かなその身体を抱きしめる。細い腰、丸みを帯びたお尻、そして立派過ぎると言ってもいいその胸! 身長差のおかげで薄い布に覆われただけのその胸が、顔のあたりに当たる。
慰めようというだけで、やましい気持ちなんてない! ……と断言出来ないのが悲しいわ。だって当たる感触が、本当に、素晴らしいんだもの!
「スルジア様が許してくださるなら、私がスルジア様に似合うものを見立てます。
その身が美しいだけでなくその心根も美しいスルジア様には、もっと清楚なものが似合いますわ。夜着であれば……白を基調に、その肌の白さを生かすよう瞳と同じ榛色で飾りを入れても悪くないですし。ああ、昼の服もスルジア様の魅力を引き出してはいましたけど、私ならもっと似合って貴族舎でもさし触りのないものを作ることが出来ますわ」
顔はそのままで、潤ませた瞳でスルジア様を見上げる。
姉様や母様以外で、久しぶりに創作意欲を刺激させられたの。だからここは何としても、スルジア様の衣服をこの手で作りたいの。だからそのためなら、涙のひとつやふたつ、浮かべてみせるわ。
「ア、アルー」
「……ミルミラ、スルジアにもっと清楚なものをというのはわたしも賛成します。ですが、それを貴女にさせる訳にはまいりません。
それに、そもそもどうやってスルジアに似合うものを手配するというのです?」
もっともな言い分だと思う。だけどスルジア様の乳と戯れるためなら、無理を可能にしてみせるわ。
滅多なことでは貴族舎の外に出ることもままならない生活。だけど物は豊富にある。それに私には技術も、知識もあるもの。
「必要な生地の手配さえ許してくださるなら、私が縫製をいたします。
アルマ様、お願いしていた縫製室の件、許可が出ているでしょうか?」
「許可は出ています、明日にでも貴女に話す予定でいました」
「でしたら問題はありませんわ」
自信に溢れて見える笑みを作り、アルマ様を見つめる。女には度胸が必要なのよ、って母様がよく言っていたのよね。
「ミルミラ、貴女本気で言っていて?
刺繍や意匠に手を加える程度ならともかく、衣服をつくるだなんて出来るはずがないでしょう」
襟首を掴まれ天国から引き戻されるなり、カチュネがどこか責めるような口調で言う。
これは私が立派な乳を作る約束を忘れたと思ってるだけで、私に縫製が無理だとは……本気で思ってない雰囲気。きっとカチュネの頭の中では、私が妾の子だという説が再浮上してるわね。きっと。
「やってみなくてはわからないでしょう?」
くるりと身体の向きを変えて、近くなったその分カチュネに顔を近づけて唇をちょんとつついて笑みを浮かべる。貴族の令嬢の例に漏れず、知識では知っていても経験のないカチュネは顔を真っ赤にして、私の襟首から手を話して勢いよく離れる。
ちょっと残念だわ。離してくれないようなら、もっと甘い雰囲気を作ってあげようと思ったのに。
綺麗になるためには恋をしなきゃね、それが一番簡単に胸を育てるの!
「布の手配をお願いしたいので、申請書をいただけませんか?」
今度はアルマ様に向き直って、淑女然とした雰囲気を作って小首を傾げて告げる。
するとアルマ様は盛大なため息をつかれて、それでも抽斗から紙を取り出して渡してくださった。
それにスルジア様の衣服に使う布を決めながら、縫製組合で使われる布の染色番号と共に書き込んでいく。
「貴女は聞き知っているとは思いますが、物が届くまで早くとも二日はかかります。そしてそれらの代金は、通常なら貴女の家に請求が回されます。
ですが――」
何千もある染色番号を表も見ずに書く私に、いぶかしがるようなアルマ様の視線が向けられるのがわかった。
まぁ、気持ちはよくわかるわ。さすがに何千もある番号を覚えてなんていられないもの。それが貴族の娘ともなればなおさら。もっとも私も全部を覚えているわけじゃなくて、つい先日、スルジア様に似合いそうな色を手配したから覚えていただけなのだけど。
「こちらで手配をお願いします。
あまり珍しいものを手配するつもりはありませんが、もし入手しづらいようでしたら、エーネ・ルーテに問い合わせていただければ手に入ると思います」
「エーネ・ルーテ?」
「はい」
いぶかしがる、なんて程度ではない視線が向けられるのがわかったけど、笑顔で受け流す。
説明するにはちょっと踏み入った説明が――私がどこの誰だって話す必要があるもの。それが理解出来たらしいアルマ様は難しい表情を浮かべたままだったけど、それでも問いただすことはしなかった。
「普段から贔屓にさせてもらっていますの。だからエーネ・ルーテなら私のいう品を手配できますわ」
エーネ・ルーテの双子の店主を思い出し、つい笑みが浮ぶ。
オーヴィクの娘では到底やりたいことが出来ないと思った私が、やりたいことをやるために身分を隠して縫製をしていた店。彼女たちもそれは立派な乳の持ち主なのよね。服を作るという名目で心行くまで揉み……もとい、触りつくしたわ。
この色の布はそこで、姉様に服でも作ろうかと思って手配したところだったから。使うあてのない布がそこにあるはず。
「そうだわ、スルジア様。
普段使いの服をエーネ・ルーテで手に入れてはいかがでしょう」
さっきのアルマ様との会話を思い出して、あの調子なら普段使いの服も不足しているだろうと思い至って提案する。
「エーネ・ルーテはフィーテのように名が売れてませんが、ここ最近力をつけてきた店ですの。落ち着いた普段使いに力を入れていて、それは高評価を受けていると聞きますわ。
スルジア様が貴族舎で普段使いとして着るに相応しいものも、きっと見つかると思います」
小首を傾げてアルマ様の様子を伺うと、アルマ様は少し逡巡した後頷いた。
「エーネ・ルーテの噂はわたしも聞いています。
実物を見たわけではないのでここでの返答はしかねますが、候補のひとつとしては考えておきましょう」
返ってきたのはアルマ様の印象そのままの言葉で、そう遠くないうちにエーネ・ルーテの服を着た素敵なスルジア様が見れると思うと、つい嬉しくなる。
「ところでぇ」
私とアルマ様の会話の途切れを待っていたのか、夜着から着替えられたスルジア様が口を挟む。私とアルマ様、揃ってスルジア様を見ると、スルジア様はいつもの調子で言葉を続けられた。
「ミルミラはぁ、アニーに何の用があってここに来たのかしらぁ?」
「そうですわ、ミルミラ! スルジア様の件は貴女にとって専門なのでしょうが、あたくしの乳の事を忘れるなど言語道断です!」
……忘れていたわけではないけど、スルジア様の立派な乳を優先しすぎたわ。
ごめんなさい、カチュネ。
「アルマ様、私用で幾つか欲しいものがあったので申請にきたのです。
申請書類をもう一枚、いただけますか?」
カチュネの勢いに内心でこっそりため息をつきつつ言うと、同じような表情を浮かべたアルマ様と目があった。
淑女の恥じらいとか、色々と言いたいことがあるのだと思う。だけど、それすら言う気力もない。きっとそんなところ。
申請書を受け取ったアルマ様は、隠そうともせず訝しる表情を浮かべた。
「ルイエの花茶、トトの実の香油、シェダ木の香。これらは追加での申請ですね、ミルミラ」
「ええ、カチュネも同じものを嗜みたいと言ったもので。
何かまずいことでも?」
「いえ、そうではありません。ただ急速にこれらの品を求めるものが増えていると聞いていたものですから。
これらでなければならない理由があるのですか?」
私には明確な理由があるけど、それはまだ私の持論で、それは誰にも話してない。だから質問の意図がわからなくて首を傾げたのだけど、
「それはぁ、ルティが好んでいたからよぉ。
ルティは独自の美容法だと言ってぇ、オーヴィク伯爵領の名産品のそれらをキニーやリミィ、ユジィ、コーニィたちに広めたでしょお? 持って産まれたものもあったのでしょうけどぉ、彼女たちが美しくなったのも事実だわぁ。
それでぇ、貴族舎だけでなく街でも流行りはじめているのよぉ」
答えはスルジア様から返ってきた。
ええっと、名前が愛称ばかりで判断つかないのだけれど、その〝ルティ〟という愛称はもしかしなくても姉様の事でしょうか?
「確かにルチアヤからこれらの品の申請を受けていましたし、本人からも独自の美容法だとも聞いていました」
……間違いなく姉様なのね。
「ですが、ここまで人気となるにはそれ以外にも理由があると思ったのです」
そして姉様が広めた方が、更に広めたということなのね。
伯爵領にとっては新たな名産が出来たってことだから喜ばしいことなのかも知れないけれど、これはちょっとまずいことになったかしら?
幸い、カチュネに話した時に伯爵領の話をしても、王都のお屋敷の話はしていない。だから黙って流すことは出来るけど……あまり白々しいのも変な疑いを産むわよね。
「最近話題にあがると思ったらそういうことだったのですね。
私はオーヴィク伯爵領に知り合いがいてそちらから融通してもらっていたので知りませんでしたわ」
でもここは適当に流しておくに限るわよね。
実際、その年の初物だとか上物だとかって伯爵領から送られてきたものを使ってたから、そういうところまで知らなかったのよ。市井でまで話題に上がってるのは知っていたけど。
アルマ様は私に視線を三度向けると、何かを思案するように目を伏せた。
「詮索するようなことを言って申し訳なかったわね。
布については可能な限り急がせます、スルジアの普段着の件も。それでなのだけれど、貴女がもし構わなければ、これから縫製室の使用に関する要項を話そうと思います。
明日からは貴族舎に慣れてもらうための行事に時間がさかれ、あまり時間がとれないのです」
「私は大丈夫ですが……」
今年中に姉様はカルッソ侯爵家に輿入れすることが決まっている。だから正直言うとあまり時間はない。姉様には丹精込めた手作りの品をあげたいから、少しでも時間が多く使えるのは嬉しいこと。
でも、ここには私ひとりで来たわけじゃない。カチュネ、シェシィ、それからウェニの許可を求めるように振り替える。
「あたくしのことを思ってくれたミルーのためにぃ、あたくしがひと肌脱ぎますわぁ。
ねぇ、みなさん、ミルーがアルーと話をしている間、あたくしに付き合っていただけませんことぉ?」
良くわからない愛称で呼んだかと思うと、難色を浮かべていたウェニの手を掴んでスルジア様は戸口に向かっていた。
「スルジア、程々になさいね。
……さてミルミラ、縫製室の件について話す前に話しておかなければならないことが出来たようです」
暴風のようにウェニを連れて行ったスルジア様に声をかけられた後、アルマ様は表情を引き締めて私に言う。
その真面目な雰囲気に、思わず生唾を飲み込む。
「スルジアが自分がつけた妙な愛称で呼ぶのは気に入った人だけ、つまり貴女がスルジアに気に入られた証拠です。
そこで貴女に忠告……というより、お願いですね。スルジアが余りにも常識外の行動をしたなら諌めてください。あれは淑女として外向きの行動をするのは完璧なのですが、それ以外のことについては少々、常識が足らないことが多いのです」
先ほどの、身体の細部まで露わな格好で踊るスルジア様を思い出して、私は重々しく頷いた。
だけど……、
「私が諌めることなど出来るのですか?」
そう。ほんの今さっき出会ったばかりの十二歳の小娘の言葉なんて、スルジア様が聞き入れてくれるとは思えない。
「気に入った者の言葉であれば素直に聞き入れるので問題ありません。その証拠にあのエーメルニィアを気に入って、非常識な行動を繰り返すのですから。
貴女同様に気に入られたリメアやユジェルト、コーニアもスルジアの行動には目を光らせていますのでそう深く考える必要はありません。今はまだ」
あの、アルマ様? 今はまだ、ってどういう意味なのでしょう?
不安に駆られた私に気付いたのか気付いてないのか、アルマ様は口を開きかけた私を無言で制すると、抽斗から細々と書き込まれた用紙を取り出した。
書面で説明したこの重複もありますが。アルマ様はそう前置きしてから、縫製室に関する注意事項を話始めた。
姉様、一日目からミルミラは不安を覚えています。姉様の乳で癒されくなりました。