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10.嗚呼、愛しの姉様……の乳よ。

 無事にアビヤ作りで及第点をもらえて、その後の授業は特出したこともなく終わった。むしろアビヤ作りが大変だっただけで、それ以外が普通に済んだというべきかしら。

 私室に戻った私たちを、心配されたサルビナ様が見にきてくださった。それで一緒にお茶をして、作ったアビヤを披露しながら話すカチュネの話が私に移りそうになって……それをさり気なく違う方向へと変えて、泣く泣くサルビナ様との甘い時間を諦めて逃げることに決めた。

 話の持っていきようによっては、あの素敵な乳に触れられたかも知れないのに。とぉっても、残念だわ。


 それで私はいま、ひとり縫製室にいる。

 縫製室は人が四人も入ったらいっぱいになるような小さな部屋で、私が家から持ってきた大きな木製の荷箱があるために余計狭く感じる。

 この荷箱は布類を保管するのに適したもので、本来の用途は衣装箱なのだけど私はこれを荷箱として縫製室に持ち込んだ。だって、防虫効果のある木材で作られているわ、更に過度な湿気や乾燥を避けるための工夫や、ちょっとやそっとじゃ壊れやしないつくりなんだもの。

 たとえ王都で一般的な人が一年普通に暮らせるだけの金額がかかる品だとしても、姉様のための布を保管できるなら安いもの。

 とはいえ、さすがにちょっともめたみたいだけど。

 この手の荷箱は衣装箱にするのが普通で、衣装箱の場合にはそれなりの装飾を施して家紋を印すもの。だから荷箱に隠して持ち込み禁止の品を持ち込むつもりじゃないかとか、家紋が印されているだろうものを持ち込むつもりじゃないかって。

 でもどうしても欲しかった私は、母様と父様に相談したの。

 そうしたら普段相談やお願いなんてしない私が相談したことが嬉しかったみたいで、父様は私にお願いされたと兄様たちに自慢しながら嬉々と手を尽くしてくれたのよね。他に欲しいものやしたいことは無いかと聞いてくる兄様たちが少々、ううん、かなりかも知れない、そのくらい煩かった記憶があるわ。

 あの時の光景を思い出したせいか、頭が痛い気がするわ。オーヴィク家だけじゃなく、国の将来が憂えてならないような光景だったんだもの。

 仕事の時は違うのでしょうけど、国の要職についている父様と、将来つくだろう兄様たち。そんな人たちが私のお願いを誰がかなえるか、それぞれが自身の最高のつてを使って競ったのよ? これを憂わないでいるってほうが無理だと思うのよ。

「……気のせいじゃない気がするわ」

 こめかみに手をあて、揉み解す。

 そして頭痛の原因でもあるそれらを見下ろす。

 姉様のための布と一緒に仕舞われていた、色鮮やかな布の数々。見ただけで最高級の品だとわかるそれらは、姉様のためのものじゃない。父様がこっそり追加で捻じ込んでくれたもの。

 父様曰く、裁縫が得意な娘が姉の結婚の祝いの品と家族に小物を作るために……、と。いつ私が家族に小物を作りたいって願ったのよと思ったものの、駄目かと寂しそうに母様を抱き締める様に絆されたというか諦めたというか。

 わがままを聞いてもらったからと了承に頷いたのが、なぜか兄様たちの耳にも入ってしまったらしく……気がついた時には兄様たちの分も作ることになっていた。こういう無駄に知恵が働くところはさすが、オーヴィク家の男子ってところだけど。

 でも、こういう時は迷惑以外のなにものでもないわね。


 荷箱の中から、純白の布を取り出して広げる。

 白の布に白糸でされた刺繍の品。私が作るのは飾り布と呼ばれる壁掛けなのだけど、結婚する女性に生家から送られる一般的な品でもある。とはいえ、ここまで大きなものは珍しいかも知れないわ。

 生家から白い飾り布が送られるのは、娘を〝大切に育てました〟という証。この場合の〝大切〟は処女ですよという意味が暗に込められているのは言うまでもなく、結婚式の一週間ほど前に生家に飾られ、花嫁と共に輿入れする。その飾り布は三日夜みかよが過ぎると、嫁ぎ先の手によってその家の色に染められてその家に飾られる。これも説明するまでもないけど、初夜を過ごしましたよという証。その始まりは、初夜の褥に敷いた敷布で純潔を失った証の血がついたものを飾ったという古事から。さすがに今は形式だけになってるけど、それでも白い布製品を家族が持たせる形は残っている。

 今では生家から送られる布のほかに、単純に結婚を祝うためにも知人から送るようになっている。私のこれはそれ。オーヴィクとして姉様に送る白い飾り布には、家にいる間に刺繍は済ませてあるから気にせずに集中できるというもの。

 オーヴィク家とカルッソ家の家紋を元に考えた意匠の刺繍の下絵に、ひと針ひと針、丁寧に針を刺していく。例え私から姉様の乳を奪った人だとしても、姉様の幸せを願う妹である私は邪念を込めたりしないのです。

 可愛らしい姪っ子が欲しいわとか、きっと姉様に似た愛らしい巨乳っ子に育つのでしょうなんて…………こほん。

 気を取り直して、すぅと息を吸う。


「春に草木が萌えるよう、その命が芽ぐまれますよう。

 夏に太陽が燃えるよう、その顔が笑みとなりますよう。

 秋に豊かに実るよう、その身が飢えることがなきよう。

 冬に全てが白くなるよう、その心が汚れなきものでありますよう。

 願いましょう、あの人のため。

 乞いましょう、あの人のため。

 オフェニアよ、あの人に幸せを。

 九つの子よ、あの人に希望を。

 乙女たちよ、あの人に恵みを。」


 決して上手という訳ではない唄を歌いながら、手を動かす。この歌は結婚祝いの品を作るときに歌われる乞い唄のひとつで、世界全てに幸せを願ってしまうという豪胆な唄。

 手で作るものには思いが篭ると昔から言われていて、こうして刺繍をする時でも木工細工をする時でも農作業をする時でも、唄は歌われる。その地域、工房ごとに唄の歌詞が少しずつ変わっていたりするけど、この唄は共通といっていいほど有名で歌われている。

 結婚祝いの品を作る時に歌われるという理由もあるけど、それ以上にこの世界を創造したオフェニアに乞う唄だからというのが最大の理由でないかと思うのよね。

「私」の世界と同じように四季のあるこの世界のこの国は、単一神のオフェニアを頂点として崇めているけども、万物にも何かしらの力が――オフェニアの子が宿っていると考えられていて尊敬の対象にもなっているのよね。その筆頭がこの国の建国に深く係わっているとされる九つの子と四季を司る娘の乙女だちで、名もなき子らは数多になる。

 その全部に幸せを乞おうっていうんだから、改めて考えるまでもなく凄い唄よね。

「私」的に表現するなら、安産祈願で有名な神様に成績がよくなるようにお願いするってところかしら?




 手も口も、休むことなく動かしていたら――遠くで鐘楼の鐘が撞かれる音がして、我に返った。窓から外を見れば日はかなり傾いていて、今の鐘の音が夕食を告げる音だったと気付く。

「またやっちゃった?」

 唄を歌いながら手を動かすと、つい没頭しすぎちゃうのよね。

 だから色々あってエーネ・ルーテで縫製作業することを許してもらえた後も、その前も。護衛兼お目付け役のトーニィに、しょっちゅう、お嬢様時間を把握して動いてくださいってお小言をもらっていたし。家では侍女をしてくれていたニーメが容赦がなかったから、時間がくると取り上げられちゃったけど、それで時間を忘れるってこともなかったし。

 針を外して、荷箱とは別の小箱――裁縫箱の中の紙に数を確認しながらしまう。

 私の私物である裁縫箱だけど、危険物でもある針の類は荷箱とは一緒にしないで指導官の方預かりになる。持ってくるときはアルマ様ではなく、ウルティア様という担当官の方が手続きをしてくださった。

 ウルティア様は歴史とオフェニア神史を教えてくださる方で、隣の神殿で暮らされている〝乙女の妹(シスター)〟。だから本当は「様」ではなくて、シスター・ウルティアと呼ばなくてはならない。

 だけどどうも「シスター」と呼ぶには抵抗があって、心の中ではこっそりウルティア様と呼ばせてもらっているのよね。どうして「私」を思い出してしまって。発音は微妙に違うのだけど、でも「私」の世界の修道女もシスターだったから。

 なぜかたまに、こんな風に発音も意味も似通ったものもあるのよね。トルーヤ兄様の二つ名にもなってる〝薔薇〟もそう。実物も「私」の知る〝薔薇〟と似た雰囲気の常緑木と、ほんと、不思議。


 荷箱の鍵を確認して、それから裁縫箱を抱えて縫製室を出る。

 本当は申し込み制で交代で使う部屋なのだけど、暫くずっとこうして作業をすると伝えて縫製室を貸切にしてもらってる状態。だから荷箱はおいたまま。縫製質の鍵もしっかり確認して。

「シスター・キャンナ、終了しました」

 個室になった縫製室を出たところは、広い部屋になっている。個室でする作業以外のことはこの部屋でみんなで作業することになっているのよね。

「おつかれさま。

 作業ははかどったかしら」

 キャンナ様は自分の作業を止め、そう微笑みながら言ってくださった。その笑顔がとても柔らかくて、シスターの中で人気のあるほうだというのがとても納得がいく。

「はい。つい集中しすぎて、時間を忘れてしまうほどに」

「仕方ないわ、乞い唄を歌うとどうしても時間を忘れてしまうものだもの。

 さてミルミラ、裁縫箱を貸してちょうだい。確認しなくてはいけないわ。これは規則だから、忘れてしまう前にやってしまわなくてはね」

 キャンナ様は茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せると、私から裁縫箱を受け取ると広げた油紙の上にひとつずつ並べていく。

 針の本数を数えて、鋏の有無の確認。それから細かい道具の確認もして……今度はそれを裁縫箱に片付けた。

「確かに、間違いないわ」

 キャンナ様は立ち上がって鍵のかかる戸棚にそれをしまうと、私に柔らかく微笑まれた。その笑顔に胸がきゅんってときめいてしまったのは、仕方が無いことだと私思うの。

「急いで戻ったほうがいいわね、きっと同室のかたを待たせてしまっているわ」

 思わず見惚れてキャンナ様にはどのような衣服が似合うか思案しかけていたのだけど、キャンナ様のそのひと言で我に返った。

 少々小振りだけど形の良いキャンナ様の胸をより素敵に見せるにはどんな意匠がいいか、思わず考え込んでしまうところだったわ。

 鐘が鳴ってから、けっこう時間が過ぎているし。

「それでは失礼させていただきます。

 今度はゆっくりお話させてくださいな、シスター・キャンナ」

 是非ともその際は、その乳を堪能させてくださいな。

 心の中でだけそう告げて、淑女の礼をすると早足で部屋を辞した。

 カチュネはきっとなかなか戻って来ない私に焦れているわね。怒ったカチュネはきっとそれはそれで愛らしいけど、宥めるのはきっと大変だわ。

 腰に手をあてぷりぷりと怒る様を想像して思わず笑みを浮かべながら、それでも私は部屋にと急いだ。

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