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魔力ゼロで聖女試験に落ちましたが、私の作るごはんは魔法より効くみたいです ~味のわからない皇子殿下の専属料理人になりました~  作者: 河合ゆうじ


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【37】料理対決・前夜

 嵐は、突然やって来た。


 宮廷料理人になって一ヶ月が経った、ある日の午後。

 わたしがカイゼル殿下の夕食の仕込みをしていると、フィンさんが血相を変えて厨房に飛び込んできた。


「リーゼさん! エレナ殿下がお呼びです。至急、謁見の間へ」


「謁見の間? 何かありましたか?」


「それが……詳しくは殿下から直接」


 フィンさんの表情が尋常じゃない。何か、とんでもないことが起きている。


 急いで手を洗い、エプロンを外して謁見の間に向かうと——そこには、予想外の人物がいた。


 エレナ殿下。カイゼル殿下。グスタフ。

 そして——一段高い玉座に座る、白髪の老人。


 皇帝陛下、だ。


 わたしは反射的に膝をついた。


「ヴァイスフェルト。面を上げよ」


 エレナ殿下の声が、やけに明るい。嫌な予感がする。


「リーゼ。単刀直入に言うわ。あなたとグスタフの間で、公開料理対決を行います」


「——は?」


 思わず素の声が出た。


「グスタフ料理長との衝突が続いていることは把握しているわ。このまま放置すれば、厨房全体の士気に関わる。だから、公の場で決着をつけなさい」


「えっ、あの、ちょっと待って——」


「陛下にも御了承いただいている」


 玉座の皇帝陛下が、ゆっくりと頷いた。


「グスタフの料理は長年食しておる。新しい風が吹いているとエレナに聞いた。見てみたいものだ」


 皇帝陛下直々のお言葉だ。断れるはずがない。


 グスタフは——腕を組んで、無表情に立っていた。

 だが、その目の奥に、暗い炎が燃えているのが分かった。


「条件を説明するわね」


 エレナ殿下が続けた。


「三日後の午後、宮廷の大広間にて公開で行う。審査員は、皇帝陛下を筆頭に、宮廷の高位貴族十名。テーマは当日発表。制限時間は三時間。リーゼが勝てば、宮廷内に独立した厨房の使用権を与える。負ければ——」


 殿下が一瞬、言い淀んだ。


「負ければ、宮廷の厨房から永久追放よ」


 ……永久追放。


 つまり、カイゼル殿下の食事も作れなくなる。

 殿下の味覚に合う料理を作れるのは、わたしだけなのに。


「エレナ」


 カイゼル殿下が、低い声で姉を呼んだ。


「殿下の食事の問題は承知しているわ。でも、これは必要なことなの。リーゼの立場を正式に確立するためにも」


「……条件が不公平だ。リーゼが勝って得るものと、負けて失うものが釣り合わない」


「宮廷とはそういう場所よ、カイゼル。弱者に優しい場所ではないの」


 殿下は黙った。

 だが、その拳が白くなるほど握り締められていた。


 わたしは——深呼吸をした。


 怖い。

 正直に言って、めちゃくちゃ怖い。


 グスタフは帝国最高の料理人だ。二十年の経験と、完璧な魔法技術を持つ。

 わたしは十二歳。魔力ゼロ。料理歴は——前世を含めても、実戦経験では遠く及ばない。


 でも。


「お受けします」


 わたしの声は、思ったより落ち着いていた。


「リーゼ——」


「大丈夫です、殿下。わたし、負けません」


 根拠はない。でも、負ける気がしない。

 わたしの料理には、魔法とは違う武器がある。


 グスタフが初めて、わたしに直接視線を向けた。


「……小娘。後悔するなよ」


「しません。料理人は、料理で語りますから」


 グスタフの瞳が、一瞬だけ揺れた。

 怒りではない。もっと複雑な——何かが、その目の奥にあった。



 * * *



 謁見の間を出た後、わたしは宮廷の庭園で膝から崩れ落ちた。


「こ、怖かった……」


「今更震えるな。啖呵を切った後だろう」


 ネルが足元で呆れている。


「啖呵なんて切ってないよ! ただ受けただけで!」


「『料理人は料理で語る』。十分に啖呵だ」


 ……確かに、今思い返すとちょっと格好つけすぎた。


「リーゼ」


 ソフィアの声がした。振り向くと、彼女が息を切らせて走ってきた。

 フィンさんから連絡を受けたらしい。


「聞いたわ。料理対決ですって?」


「うん。三日後」


「相手はあのグスタフ。大丈夫なの?」


「大丈夫じゃないけど、やるしかないよ」


 ソフィアはわたしの隣に座り、肩を寄せてきた。


「何が必要? わたしにできることは?」


 ありがたい。ソフィアはいつも、わたしが困った時に「何ができるか」を聞いてくれる。

 泣き言に付き合うのではなく、実際に動いてくれる人だ。


「テーマが当日発表だから、何を作るかまだ決められないの。でも——食材の手配だけは先にしたい。宮廷の食材庫にないものが必要になるかもしれないから」


「分かったわ。食材のリストを出して。クラインヘルツ家の商会を通じて、最高品質のものを揃えるわ」


「ソフィア……ありがとう」


「お礼はいいから、勝ちなさい。わたし、あなたが負けるところなんて見たくないの」


 ソフィアの目が真剣だった。

 この人は、本気でわたしの味方だ。



 * * *



 その夜。寮の部屋で、わたしはネルと作戦会議を開いた。


「ネル。テーマが何であっても対応できるように、いくつかの方向性を考えておきたいの」


「ふむ。まず敵を知ることだ。グスタフの料理の特徴は何だ」


「魔法による完璧な制御。味の均一性、温度管理、見た目の華やかさ。技術的には文句のつけようがない」


「では、弱点は」


 わたしは考えた。


 グスタフの料理を何度か見てきた。厨房で仕込みの様子も観察した。

 技術は確かに完璧だ。でも——


「心がない」


「心?」


「グスタフの料理は、食べた人が『すごい』とは思う。でも『懐かしい』とか『温かい』とは思わない。感動はあっても、感情に触れない。頭では美味しいと分かるけれど、胸が温まらない」


「それがお前の勝ち筋だ」


 ネルが身を乗り出した。


「エッセンスは——人の心に触れる力だ。エルヴィンの料理が人々を惹きつけたのも、味だけではなかった。食べた者の記憶に、感情に、直接語りかける力があった」


「でも、エッセンスを全力で使ったら目立つ。金色の光が——」


「だから、考えろ。エッセンスを使わずに、エッセンスと同じ効果を出す方法を」


「……そんなことできるの?」


「できる。エッセンスは魔法ではない。食材の本質を引き出す力だ。つまり、食材の本質を極限まで引き出す調理をすれば、結果的にエッセンスと同じ効果が生まれる可能性がある」


 ネルの言葉に、前世の記憶が重なった。


 日本料理。

 素材の味を最大限に活かす、引き算の美学。

 華美な装飾や複雑な技巧ではなく、素材そのものの声を聞き、最小限の調理で最大限の味を引き出す。


 それは——エッセンスの本質と、限りなく近い。


「ネル。エルヴィンの手帳に、素材の本質を引き出す基本的なレシピはある?」


「ある。だが、それはお前が前世で知っている調理法と、驚くほど似ている」


「……やっぱり」


 食の本質は、世界を超えて同じだ。

 日本料理も、エルヴィンの料理も、行き着く先は同じ場所。


 素材を敬い、素材に寄り添い、素材の声を聞く。


 わたしは手帳を開いた。ソフィアが持ってきてくれたエルヴィンのレシピの写し。

 そして、ヴェルナー教授から借りたエルヴィンの研究手帳。


 二つの文書を照らし合わせながら、わたしは三日間の準備計画を練り上げた。


 テーマが何であっても、わたしの料理の軸は変わらない。


 素材の声を聞くこと。

 食べる人の心に触れること。

 そして——料理に、魂を込めること。



 * * *



 対決前夜。


 宮廷の厨房で、わたしは一人、仕込みをしていた。


 この二日間で、ソフィアが手配してくれた食材が届いている。

 特に大事なのは、二つ。


 一つは、わたしがこの一ヶ月かけて栽培してきた穀物——米に似た、小さな白い粒。

 学院の温室の片隅で、毎日水をやり、温度を管理し、ようやく収穫できた。

 この世界では誰も主食にしていない穀物。でも、わたしには分かる。この粒の中に、前世の記憶が眠っている。


 もう一つは、三ヶ月前から仕込んでおいた発酵食品。

 この世界の大豆に似た豆を麹菌で発酵させた、味噌もどき。

 まだ若いけれど、ぎりぎり使えるレベルまで熟成した。


 この二つがあれば——テーマが何であっても、わたしの最強の手札が切れる。


「リーゼ」


 殿下の声がした。

 振り向くと、カイゼル殿下が厨房の入口に立っていた。


「殿下。こんな時間に——」


「眠れなかった」


 殿下の声が、普段より少しだけ柔らかかった。


「お前は」


「わたしも眠れなくて。仕込みをしていました」


 殿下が厨房の中に入ってきた。

 わたしの作業台の横に立ち、並べられた食材を見下ろす。


「……この白い粒は何だ」


「殿下が美味しいと思うもの、になる予定です」


「曖昧だな」


「明日のお楽しみです」


 殿下は鼻を鳴らしたが、追及はしなかった。


 しばらく、二人とも黙っていた。

 厨房に、コンロの火がぱちぱちと爆ぜる音だけが響く。


「リーゼ」


「はい」


「負けるな」


 短い言葉。でも、その声に込められた感情の重さが分かった。


 殿下にとって、わたしが宮廷から追放されることは——食事の問題だけではない。

 味覚過敏で孤立してきた殿下が、初めて「美味しい」と感じる食事を作る人間を失うことだ。


 それは、もう一度孤独に戻ることを意味する。


「負けません」


 わたしは殿下の目を真っ直ぐ見て言った。


「殿下のご飯は、わたしが作ります。明日も、明後日も、ずっと」


 殿下は何も言わなかった。

 ただ、小さく頷いて、厨房を出て行った。


 その背中を見送りながら、わたしは拳を握った。


 負けない。

 絶対に、負けない。


 殿下のためにも。

 わたしの料理を待ってくれている、すべての人のためにも。


 明日——わたしは、帝国最高の料理人に挑む。

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