表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロで聖女試験に落ちましたが、私の作るごはんは魔法より効くみたいです ~味のわからない皇子殿下の専属料理人になりました~  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/41

【3】厨房配属、始めました

 厨房配属、初日。

 朝五時。


 わたしは目覚まし代わりに自分の頬を叩いて、暗い地下室のベッドから這い出た。


 隣のベッドでは、ミーナが幸せそうな顔で爆睡している。清掃担当の彼女は七時始業なので、まだ二時間も猶予がある。うらやましい。


 顔を洗って身支度を整え、薄暗い廊下を抜けて厨房に向かう。

 地下室と厨房が近いのは、こういう時には助かる。ヘルミーナ学院長に感謝しよう。

 ……いや、やっぱりしない。地下室のカビ臭さは許していない。


 厨房の扉を開けると、既に数人の料理人たちが働いていた。


「おう、来たか」


 マルクスがこちらを見た。

 昨日と同じ、山のような体格に革のエプロン。手には巨大な包丁を握っている。あの包丁、刃渡りだけでわたしの前腕くらいある。


「おはようございます。本日からお世話になります」


「声が小さい。この厨房では叫ばなきゃ聞こえん」


 わたしは腹に力を入れて、もう一度。


「おはようございます!」


「……まぁいい。こっちに来い」


 マルクスに連れられて、厨房のスタッフに紹介された。


 副料理長のハンナ。四十代のふくよかな女性で、わたしを見て「あらまぁ、ちっちゃい子ね」と苦笑した。

 焼き場担当のゲルト。仕込み担当のルッツ。

 そして雑用担当の先輩、トーマ。十四歳の実務奨学生の二年生。


「よろしくな、新入り。ここはキツいぞ」


 トーマは人の良い笑顔でそう言った。笑顔と内容が一致していないのが怖い。


「じゃあ、仕事だ」


 マルクスがわたしの前に、木箱を三つ並べた。

 中身は——ジャガイモ。大量のジャガイモ。三箱で、ざっと百個はある。


「昼食分の芋だ。全部皮を剥け。道具はそこのナイフ。終わるまで他の仕事はない」


 百個のジャガイモの皮剥き。

 新入りへの洗礼としては、定番中の定番だ。


 ゲルトとルッツが「どうせ泣き出すぞ」とでも言いたそうな目でこちらを見ている。

 十二歳の小娘に百個の芋の皮剥き。確かにキツい。普通の十二歳なら。


 わたしはナイフを手に取った。

 前世では食品科学の実験の一環で、調理技術も叩き込まれた。

 ジャガイモの皮剥きなんて、目を閉じてもできる。


 シュッ、シュッ、シュッ——。


 ナイフが芋の表面を滑るように走る。

 薄く均一な皮が、途切れることなくリボンのように剥がれていく。


 一個目、十五秒。

 二個目、十四秒。

 三個目、十三秒。手が温まってきた。


 無心で剥く。リズムに乗る。呼吸と手の動きを同期させる。


 気づけば、厨房が静かになっていた。

 ゲルトが口を開けてこちらを見ている。トーマは持っていた鍋を落としかけた。


「……おい」


 マルクスの声が静寂を破った。

 木箱の横には、綺麗に剥かれたジャガイモの山。三箱分、約百個。三十分弱。


 マルクスが剥かれた芋を一つ手に取り、表面をじっと見た。指で撫で、光に透かす。

 皮は限りなく薄く剥かれ、身の無駄がほとんどない。食材を無駄にしないのは、前世で叩き込まれた鉄則だ。


「……フン」


 マルクスは芋を箱に戻し、鼻を鳴らした。


 それだけだった。

 褒め言葉は、ない。


 でも、わたしは見逃さなかった。マルクスの口の端が、ほんの一瞬だけ動いたのを。

 あれは——笑みだ。たぶん。おそらく。きっと。


「次は鍋洗いだ。裏に溜まっている。全部やれ」


 はい、期待通りの展開です。


 新入りの仕事は下働きの繰り返し。芋を剥き、鍋を洗い、野菜を運び、床を拭く。

 前世の研究室でも、新人はビーカー洗いから始まった。どんな世界でも、下積みは同じだ。



 * * *



 異変に気づいたのは、三日目の昼だった。


 厨房の隅で鍋を磨きながら、わたしはずっと気になっていたことがあった。


 この学院の料理が、ひどい。


 正確に言えば、食材は一級品なのに、調理がめちゃくちゃなのだ。


 野菜は煮崩れるまで火を通す。肉は焼きすぎてパサパサになる。塩は目分量で、しかも入れすぎだ。

 そして何より問題なのは——魔法で味を「補正」していること。


 この世界では、調理の仕上げに「味覚調整魔法」をかけるのが一般的だ。

 魔法で塩味を均一にし、苦味を抑え、旨味を増幅する。便利だが、食材本来の味を殺しているのと同じだ。

 前世で言えば、化学調味料で素材の風味を強引に上書きするようなもの。すべてが同じ「魔法味」になる。


 ——もったいない。


 こんなに良い食材があるのに。

 こんなに新鮮な野菜があるのに。

 ただ塩と魔法で味付けするだけなんて、食材に対する冒瀆だ。


 でも、わたしは雑用係だ。口出しする立場にない。

 分かっている。分かっているのだが。


 その日の昼食用のスープが、かまどの上でぐつぐつと煮えていた。

 担当のルッツが席を外し、ハンナは焼き場の方でゲルトと言い合いをしている。

 マルクスは食材の受け取りで厨房を離れていた。


 鍋の側を通りかかった時、わたしの足が止まった。


 匂いで分かる。

 このスープは、もう限界だ。


 根菜ベースのスープだが、火にかけすぎて甘みが飛び、塩は多すぎ、ハーブは最初から入れたせいで香りが死んでいる。

 このまま完成させたら、塩辛いだけの茶色い液体だ。魔法で「美味しく」するのだろうが、それは「不味くない」だけだ。


 ……ダメだ。我慢できない。


 わたしは周囲を確認した。誰も見ていない。


 棚からローズマリーとタイムを手に取った。

 乾燥ハーブではなく、窓際に置いてあった鉢植えの生のもの。


 まず、鍋の火加減を少しだけ落とす。

 前世の知識によれば、ハーブの精油成分は高温で揮発しやすい。逆に、八十度前後のゆっくりとした加熱では、香気成分が穏やかにスープに溶け出す。


 ローズマリーの葉を三枚、手のひらで軽く叩いてからスープに加えた。細胞壁を壊すことで、精油が出やすくなる。

 タイムは茎ごと入れ、二分後に引き上げる。タイムのチモールは加熱しすぎると苦味に変わるからだ。


 そして、隅に置いてあった蜂蜜を、ほんの一滴だけ。

 塩味を中和するのではなく、舌が感じる塩味の「角」を蜂蜜の糖分で丸くする。味を変えるのではなく、味の感じ方を変えるのだ。

 前世の食品科学で「味の相互作用」と呼ばれる原理だった。


 全部で三分。

 わたしは何食わぬ顔で鍋から離れ、鍋磨きの作業に戻った。



 * * *



 昼食の時間、ちょっとした騒ぎがあった。


 三日ほど体調を崩して食事が取れなかった生徒がいた。食欲が戻らず、医務室でも匙を投げられかけていたらしい。

 その生徒が、今日のスープを一口飲んで——止まらなくなったのだ。


「……おかわり、いただけますか」


 食堂の配膳口に、空になった器を持った少年が現れた時、配膳係のトーマは目を丸くした。


「え、お前、三日間何も食べられなかったんじゃ……」


「分からない。でも、このスープ……なんだか、すごく身体に染みて……」


 少年は結局、三杯おかわりした。

 食堂のスタッフは首を傾げ、少年の友人たちは安堵の笑顔を浮かべた。


 わたしは食堂の隅からそれを見ていた。胸の奥が、じんわりと温かい。


 これだ。これが、料理の力だ。

 魔法じゃない。ただ食材の声を聞いて、正しい手順で調理しただけ。それだけで、人を笑顔にできる。


 お母さんがいつも言っていた。「おいしいごはんは、一番やさしい魔法よ」と。

 その言葉の意味が、今なら分かる。



 * * *



 その日の夕方。


「おい」


 鍋を洗っていたわたしの背後に、マルクスが立っていた。


「今日の昼のスープ、味が違った」


 心臓が跳ねた。


「ルッツに聞いたが、あいつはいつも通りに作ったと言っている」


 マルクスの目が、わたしを見据えている。

 巨体から放たれる圧が、すごい。


「お前、何か知っているか」


「い、いえ……わたしは鍋を洗っていただけで……」


「…………」


 長い沈黙。

 マルクスの目は、わたしの嘘を見抜いているようないないような、読めない光をたたえている。


「まぁいい。鍋洗いに戻れ」


 マルクスが去った後、わたしはこっそり息を吐いた。

 危なかった。勝手にスープの味を変えるなんて、ルール違反だ。もうやるまい。


 ——でも、あの少年の笑顔を思い出すと、「もうやらない」と言い切れない自分がいた。



 * * *



 夜。


 地下一号室の狭いベッドに潜り込んで、天井を見つめていた。

 隣のベッドでは、ミーナがすでに寝息を立てている。起きている時はあんなにうるさいのに、寝ると途端に静かだ。


 この学院でやっていけるだろうか。

 魔力は測定不能。厨房では一番下っ端。寮は地下室。客観的に見れば、厳しい。


 でも、不思議と絶望はしていなかった。

 厨房には最高の食材がある。ミーナは気のいい子だ。マルクスは怖いけど腕は確かだ。

 前世でも今世でも、わたしの武器は一つだけ。料理。それで十分だ。


 ——カリカリ。


 小さな音がした。


 窓の方だ。

 地面すれすれにある、あの小さな窓。


 身体を起こして窓を見る。


 窓枠の上に、灰色の影が座っていた。

 翡翠色の目が、暗闇の中でぼんやりと光っている。


 あの猫だ。

 聖女選定の日に、帝都の門の前で見かけた、灰色の老猫。


「あ……」


 わたしは小さく声を上げた。

 猫はふてぶてしい顔でこちらを見ている。


「……あなた、あの時の猫さん?」


 猫は答えない。ただ、尻尾をゆっくりと左右に揺らしている。


 厨房が近いから、食べ物の匂いに釣られて来たのだろうか。


 わたしは窓に近づいて、そっと手を伸ばした。


「……ネル」


 思わず、そう呼んだ。灰色の毛並みの「灰」で、ネル。

 我ながら安直なネーミングだけど、名前がないと呼びにくい。


 猫の翡翠色の目が、すっと細くなった。


「名前を勝手につけるな、小娘」


 ——しゃべった。


 猫がしゃべった。

 この猫、やっぱりしゃべった。

 あの日の空耳じゃなかった。


「きゃあああっ!!」


 わたしは悲鳴を上げた。

 十二歳の少女として正しい反応だと思う。前世の二十八歳としても、猫がしゃべったら叫ぶ。


 隣のベッドを見る。

 ミーナは——まったく起きていなかった。

 それどころか、寝返りを打って「んー……おかわり……」と寝言を言っている。

 この子の睡眠の深さは、ある意味才能だ。


「うるさい。近所迷惑だろうが」


 猫——ネルと呼んでしまったその灰色の老猫は、面倒くさそうにあくびをした。


「あ、あなた……しゃべって……」


「だから何だ。猫がしゃべって何が悪い」


 いや、悪いとかじゃなくて。

 この世界には魔法があるから、しゃべる猫がいてもおかしくはないのかもしれない。でも初めてだ。


「何者なの……?」


「ただの猫だ」


 絶対嘘だ。ただの猫はしゃべらない。


 ネルは窓枠の上で前足を組み——猫が前足を組む姿は初めて見た——わたしを見下ろした。


「まぁ、少しだけ見てやる」


「……見るって、何を?」


「お前の料理は……悪くない匂いがした」


 ネルの翡翠色の目が、ふっと和らいだ。

 ほんの一瞬。見逃しそうなほど短い間だった。


「昼のスープだ。厨房の窓から匂いが流れてきた。あの手の料理人どもが作る残飯とは、明らかに違う匂いだった」


 残飯。マルクスたちの料理を残飯呼ばわりとは、なかなかの暴言だ。

 でも、正直に言えば、わたしも同意見ではある。あの調理法では食材が可哀想だ。


「だから、もう少しだけ見届けてやる。お前の料理が、本物かどうかをな」


 ネルはそう言うと、ひらりと窓枠から飛び降りて闇に消えた。


 後に残されたのは、灰色の猫毛が数本と、窓枠についた小さな肉球の跡だけ。


 わたしはしばらく窓の前に座り込んでいた。


 しゃべる猫。

 わたしの料理を「悪くない」と言った、しゃべる猫。


 この学院生活、想像以上に波乱の予感がする。


「……ネル」


 小さく呟いてみた。

 名前を勝手につけるなと言われたけれど、もう呼んでしまったものは仕方がない。


 窓の外では、帝都の夜空に星が瞬いていた。

 地下室の小さな窓からでは、ほんの一欠片しか見えないけれど。


 明日もまた、朝五時に起きて、ジャガイモを剥いて、鍋を洗う日々が始まる。

 でも、それも悪くない。


 だって、あの厨房には、まだまだ試したい食材が山ほどあるのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ