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魔力ゼロで聖女試験に落ちましたが、私の作るごはんは魔法より効くみたいです ~味のわからない皇子殿下の専属料理人になりました~  作者: 河合ゆうじ


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【19】学院の食中毒事件(後編)

 学院長室は、本校舎の最上階にある。


 わたしは生まれて初めてその扉の前に立っていた。正確には、マルクスさんの後ろに隠れるようにして立っていた。


 扉が開き、中に通される。


 学院長、ディートリヒ・フォン・ガイスト。

 白い髭をたくわえた壮年の男性で、元帝国宮廷魔術師。鋭い眼光に、年齢を感じさせない背筋の良さ。


 その隣には、学院の管理運営を担当する事務長と、魔術調査を担当する教員が二名。


 そして——なぜかそこに、カイゼル殿下がいた。


 壁際の椅子に腕を組んで座る殿下の碧眼が、わたしを一瞬だけ見た。

 すぐに視線を外したけれど、あの目は「聞いている」と言っていた。


「厨房長マルクス。報告を」


 学院長の低い声に、マルクスさんが一歩前に出た。


「学院長。食中毒の原因は、豚肉の腐敗によるものと判明しました。保管庫の冷却魔法が停止していたため、肉が常温で十二時間以上放置された結果です」


「冷却魔法の停止? 定期点検は行われていたはずだが」


「はい。先週の点検では異常ありませんでした。しかし——停止の原因を調べたところ、術式石板に人為的な損傷が見つかりました」


 学院長の眉が動いた。


「人為的、とは」


「術式の導力線が、意図的に切断されています。自然故障ではありません。保管庫の冷却を故意に停止させた者がいます」


 室内の空気が変わった。


 学院長が事務長と目を合わせ、それから魔術調査の教員に視線を送った。


「テオドール。お前たちは保管庫を調べたか」


 調査担当の教員が咳払いした。


「はい、学院長。しかし、我々が確認した段階では、術式石板の損傷は——」


「見落としていた、ということか」


「……術式の停止自体は検知していましたが、原因については自然劣化と仮判断しておりました。導力線の切断痕に気づいたのは——」


 全員の視線が、マルクスさんの後ろにいるわたしに向いた。


「その少女か」


 学院長が、わたしを見た。


「名前は」


「リーゼ・ヴァイスフェルトです。実務奨学生の厨房配属です」


「厨房配属の実務奨学生が、魔術調査官が見落とした術式破壊に気づいた——と」


 学院長の声には、疑念が滲んでいた。

 当然だ。十二歳の厨房の小娘が、魔術の専門家よりも先に原因を特定するなど、普通は信じられない。


「リーゼは食材の管理に関して、特別な知識を持っております」マルクスさんが言った。「術式の状態ではなく、食材の腐敗状態と保管庫の温度から逆算して、冷却停止に気づいたのです」


「食材の状態から?」


「はい。肉の表面の変化、匂い、保管庫内の結露の有無——物理的な観察から、冷却が十二時間以上前に停止したと推定しました。術式の損傷に気づいたのは、その後です」


 学院長は黙ってわたしを見つめた。

 品定めをするような、重い視線だった。


「……信じがたい話だが」


 その時、壁際から声がした。


「俺が保証する」


 カイゼル殿下だった。


 全員が殿下を見た。

 殿下は腕を組んだまま、真っ直ぐに学院長を見ている。


「その者は俺の専属の料理人だ。食に関する知識と観察力は、この学院の誰よりも上だと、俺が証言する」


 ——え。


 殿下が、わたしを?

 公の場で、名指しで庇っている?


 学院長の表情がわずかに変わった。第二皇子の言葉は、単なる証言ではない。皇族の保証だ。


「殿下がそこまでおっしゃるなら」


 学院長が視線をマルクスさんに戻した。


「厨房長。この件は、破壊工作の疑いとして正式に調査する。テオドール、保管庫の術式石板を回収して、魔術痕跡の分析にかけろ。犯人の魔力の残留があるかもしれん」


「はっ」


「また、厨房スタッフへの処分は保留とする。原因が人為的破壊である以上、管理責任を問うのは適切ではない」


 マルクスさんの肩から、わずかに力が抜けたのが分かった。



 * * *



 学院長室を出た後。


 廊下でマルクスさんが振り返って、わたしの頭をぽんと叩いた。


「よくやった、リーゼ」


「いえ、わたしは当たり前のことを——」


「当たり前のことが、大人の魔術師にもできなかったんだ。それは誇っていい」


 マルクスさんの手は大きくて温かかった。

 お父さんに褒められたみたいで、ちょっと鼻の奥がツンとした。


「ただし」マルクスさんの声が低くなった。「この件、表には出すな。お前の名前は報告書には載せない。分かるな?」


「……はい」


「目立つな。お前は厨房の小娘だ。それ以上でも以下でもない。いいな」


「はい、マルクスさん」


 マルクスさんが去った後、廊下の角から殿下が出てきた。


「殿下」


「……」


 殿下は無言でわたしの前を通り過ぎようとした。


「あの、殿下」


「何だ」


「……ありがとうございました。庇っていただいて」


 殿下の足が止まった。


「庇ったつもりはない。事実を述べただけだ」


「でも——」


「お前の料理を食えなくなるのは困る。それだけだ」


 言い捨てて、殿下は歩き去った。


 その耳が、ほんの少し赤かったことに、わたしは気づかなかったことにした。



 * * *



 事件の調査は、三日で決着がついた。


 保管庫の術式石板から検出された魔力残留を辿った結果、犯人は学院の外部委託業者——食材の納入を請け負っていた商会の関係者だった。


 その商会は、帝都の有力貴族であるブレンター伯爵家と繋がりを持っていた。

 ブレンター伯爵家は、以前から学院の食堂運営を自家の関連企業に委託させようと画策していたらしい。学院直営の厨房に不祥事を起こさせ、「管理能力がない」という口実で外部委託に切り替えさせる——それが、今回の工作の目的だった。


 学院の食を——政治の道具にした。


 その事実に、わたしは静かに怒った。


 食べ物は、政治じゃない。

 食堂で安心してご飯を食べられること。それは、生徒たちの当たり前の日常だ。

 その当たり前を、金と権力のために壊した奴らがいる。


 許せない。


 でも、怒りを表に出す余裕はなかった。

 食堂が閉鎖されている今、三百人を超える学院生の食事を何とかしなければならないのだ。



 * * *



「マルクスさん。保管庫が使えない間は、新鮮な食材だけで回すしかありません。長期保存の必要がないメニューを中心に——」


「分かってる。だが、三百人分の温かい食事を、保管庫なしでどう用意する」


 マルクスさんが腕を組んで唸る。


 わたしは手帖を広げた。


「提案があります。今ある食材で、大量調理ができて、消化に良くて、温かいもの」


「何だ」


「お粥です」


 粥。

 シンプルだけれど、万能の料理。


「食中毒から回復途中の生徒にも食べやすいし、大鍋で一度に大量に作れます。具材は保管庫を使わなくても日持ちする根菜類と、乾物の海藻。薬草棟からリンデ草とゼルハ葉を分けてもらえれば、消化促進と解毒の効果も期待できます」


「薬草入りの粥か。医務室とも連携がいるな」


「はい。あと——回復した生徒向けには、少し味を変えたバリエーションも作ります。同じ粥でも、出汁の種類を変えれば飽きません」


 マルクスさんが、わたしの手帖を覗き込んだ。

 三日分のメニュー案が、びっしりと書き込まれている。


「……お前、いつの間にこれを」


「昨夜のうちに。眠れなかったので」


 マルクスさんが、かすかに笑った。

 この人が笑うのを見たのは、初めてかもしれない。


「やれ、リーゼ。厨房は任せる」



 * * *



 その日から、わたしは三日間、ほとんど寝ずに粥を炊き続けた。


 大鍋で作る基本の粥。

 鶏骨出汁の粥。海藻と薬草の粥。根菜の甘い粥。

 味のバリエーションを変えながら、三百人分を回し続ける。


 食中毒で寝込んでいた生徒たちには、特別に薄味の回復食を個別に届けた。

 リンデ草の消化促進効果と、ゼルハ葉の解毒作用を組み合わせた、薬膳粥だ。


 二日目の夜。

 医務室に回復食を届けに行った時、看護師のおばさんに呼び止められた。


「あなた、厨房の子ね。あのお粥を作っている子」


「はい」


「不思議なのよ。あのお粥を食べた子たちの回復が、やけに早いの。通常なら三日はかかる症状が、二日目にはほとんど治まっている」


 ……エッセンス。


 わたしの粥に、エッセンスが宿っている。

 回復食を作る時、わたしは前世の知識の全てを使って、食材の薬効成分を最大限に引き出した。

 その結果——粥に金色の力が宿ったのだろう。


「気のせいじゃないですか? ただのお粥ですよ」


「そうかしらね……」


 看護師さんは首を傾げていたけれど、それ以上は追求されなかった。


 でも、問題は別のところにあった。


 三日目。

 回復食を配膳していた時、器の中のお粥が——ほんのりと、金色に光っていることに、何人かの生徒が気づいた。


「ねぇ、このお粥、なんか光ってない……?」

「金色? 気のせいじゃない?」

「いや、確かに光ってる。何これ」


 光っている。

 マルクスさんに隠せと言われた、あの金色の光が。


 今回は、以前よりもずっとはっきりしている。

 回復を願って、食材の力を最大限に引き出そうとした結果、エッセンスが強くなりすぎたのだ。


 数日のうちに、噂が学院中に広がった。


「食堂に奇跡のお粥を作る子がいるらしいよ」

「食べたら一日で食中毒が治ったって」

「金色に光るお粥って……何それ、魔法?」


 「奇跡の料理人」。

 そんなあだ名が、いつの間にかわたしに付いていた。


 嬉しくない。全然嬉しくない。

 目立つなとマルクスさんに言われたばかりなのに。


「リーゼ」


 夜、窓辺のネルが低い声で言った。


「お前のエッセンス、どんどん強くなっている。もう——隠し通すのは難しいかもしれんぞ」


「……分かってる」


「噂は人を呼ぶ。良い人間だけではない」


 ネルの忠告は、いつも正しい。


 でも、あの時——食中毒で苦しむ生徒たちの顔を見て、手を抜くことなんてできなかった。


 料理人として、わたしにできる最善を尽くした。

 それだけだ。


 手帖に今日の記録を書きながら、わたしは思った。


 嵐が、近づいている。

 金色の光が、もう隠しきれなくなっている。


 でも——今は、目の前のお粥を作ることだけ考えよう。


 明日は四日目。保管庫の修理が終わる日だ。

 通常の食事に戻せる。


 あと一日。

 あと一日だけ、がんばろう。



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