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魔力ゼロで聖女試験に落ちましたが、私の作るごはんは魔法より効くみたいです ~味のわからない皇子殿下の専属料理人になりました~  作者: 河合ゆうじ


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【15】ソフィアの疑惑

 ソフィア・フォン・クラインヘルツは、観察の人である。


 幼い頃から「見る」ことが得意だった。人の表情から嘘を見抜き、魔法の構造を一目で理解し、教科書の矛盾をすぐに指摘する。

 その観察力が、彼女を全教科首席に押し上げた。


 そして今、その観察力が——厄介なものを拾い始めていた。



 * * *



 最初に気づいたのは、自分の体の変化だった。


 リーゼの食事を食べ始めて二週間。

 ソフィアの体調は、目に見えて改善していた。


 当然だ。二週間以上まともに食べていなかったのだから、ちゃんと食事をすれば体調が良くなるのは当たり前だ。


 ——本当に、それだけだろうか。


 魔法の授業で、風の精霊を呼び出す実技があった。

 ソフィアは普段通りに詠唱し、普段通りに魔力を込めた。


 精霊が、三体出た。


 いつもは二体が限界なのに。


「ソフィア様、すごい! 三体同時なんて!」


 クラスメイトたちが称賛する中、ソフィアは内心で首を傾げていた。

 技術が急に向上したわけではない。魔力の総量が増えたのか? いや、それも考えにくい。魔力量は急激には変わらない。


 では、何が変わったのか。


 ——食事だ。


 変わったのは、食事だけだ。


 偶然かもしれない。体調が回復して、本来の実力が戻っただけかもしれない。


 ソフィアは、そう自分に言い聞かせた。



 * * *



 二つ目の異変に気づいたのは、その三日後だった。


 剣術の授業で、男子生徒が木剣の打ち合い中に手首を捻った。

 たいした怪我ではなかったが、教官が医務室に行くよう指示を出す前に——その生徒は、もう手首を動かしていた。


「あれ……? 痛くない。さっきまで痛かったのに」


 ソフィアは、その生徒が昼食でスープを三杯おかわりしていたことを覚えていた。

 リーゼが作った、あのスープだ。


 偶然。

 きっと偶然だ。


 自分にそう言い聞かせる回数が、増えていた。



 * * *



 三つ目。


 ソフィアは食堂の片隅で、リーゼの料理を食べている生徒たちを密かに観察した。

 この一週間、リーゼが学院全体の昼食のスープ担当を任されるようになってから、微妙な変化が起きている。


 午後の授業中、居眠りする生徒が減った。

 風邪で休む生徒が減った。

 授業後の自主訓練に残る生徒が増えた。


 どれも、説明のつくことではある。季節の変わり目が過ぎたから。試験が近いから。新しい教官が面白いから。


 でも、ソフィアの観察力は、それらの説明では埋まらない空白を感じ取っていた。


 変化の中心にいるのは、常にリーゼの料理だ。


 あの子の料理を食べた人間に、何かが起きている。


 ソフィアは自室に戻り、書棚から一冊の本を引き出した。

 クラインヘルツ家から持ってきた、家の蔵書の写本。表紙には『帝国魔術史概論——禁忌の章』と記されている。


 普通の生徒は読まない本だ。

 というより、普通の家には置いていない本だ。クラインヘルツ家だからこそ保管している、帝国が封印した歴史の記録。


 ページをめくる。


 『——百年前、魔術評議会は以下の術を禁忌と宣言した。

 一、死霊術ネクロマンシー

 二、精神操作術メンタリズム

 三、食材媒介魔術エッセンス

 食材媒介魔術とは、魔力を介さず、食材の内在的な力を引き出して魔法的効果を発現させる技術である。術者に魔力は不要であり、食材の本質への深い理解のみがその発動条件となる。

 当該術の危険性は、魔力を持たない者でも魔法を行使できる点にある。これは帝国の秩序を——』


 本を閉じた。


 食材の本質への深い理解。

 魔力は不要。

 魔法的効果の発現。


 ——リーゼの料理と、一致する。


 ソフィアの手が、微かに震えた。



 * * *



 翌日から、ソフィアは本格的な調査を始めた。


 と言っても、大げさなことはしない。ただ、リーゼの料理を注意深く「見る」だけだ。


 昼食の時間。

 厨房裏のいつもの場所で、リーゼが差し出す料理を受け取る。


 今日は鶏肉のクリーム煮と、温野菜のサラダ。

 見た目は普通の料理だ。


 ソフィアは、料理に意識を集中した。

 光の魔法で視力を強化する。クラインヘルツ家に伝わる鑑定の応用だ。


 ——見えた。


 クリーム煮の表面に、肉眼では見えないほど微かな、金色の粒子が浮かんでいた。


 ほんの一瞬。瞬きをしたら消えてしまうほどの、淡い光。

 でも、確かにあった。


 これは——魔力の光ではない。

 魔力の光は、術者の属性によって色が異なる。火は赤、水は青、風は緑、光は白。

 金色の光は、どの属性にも該当しない。


 帝国魔術史概論に記されていた、あの記述が頭をよぎる。


 『食材媒介魔術の発動時には、金色の粒子が確認される。これは食材の内在的エネルギーが魔法的に顕現したものであり、通常の魔力光とは異なる——』


 心臓が、速く打っている。


 エッセンス。

 百年前に禁じられた、異端の術。


 それが、今、わたくしの手の中の料理に宿っている。



 * * *



 数日間、ソフィアは考え続けた。


 リーゼの料理にエッセンスが宿っている。

 リーゼ自身がそれを自覚しているかは分からない。だが、魔力がゼロの少女が作る料理に魔法的効果がある以上、エッセンス以外の説明はつかない。


 問題は——ソフィアがこの事実をどう扱うか、だ。


 クラインヘルツ家の人間として。

 百年前、エッセンスを禁忌と断じた家系の末裔として。


 本来なら、報告すべきだ。

 魔術評議会に。あるいは、父に。

 エッセンスの使い手が帝都魔術学院にいる、と。


 報告すれば——リーゼはどうなる?


 百年前のエルヴィンと、同じ運命を辿る可能性がある。


 ソフィアは目を閉じた。


 脳裏に浮かぶのは、リーゼの顔だ。

 厨房裏で、嬉しそうに料理を差し出す顔。「美味しかったですか?」と少し不安げに訊く顔。ソフィアが「おかわり」と言った時の、心底嬉しそうな顔。


 あの子は——ただ、料理を作りたいだけだ。

 誰かに美味しいと言ってもらいたいだけだ。

 それだけの少女を、異端として突き出す?


 わたくしに、それができるか?


 ……できない。


 でも——できないからといって、見て見ぬ振りをすることもできない。

 エッセンスが他の誰かに気づかれたら。評議会に知れたら。

 その時、リーゼを守れる人間が必要だ。


 ならば、まず——確かめなければ。

 本人に。直接。



 * * *



 リーゼに声をかけたのは、木曜日の昼食後だった。


 いつもの厨房裏。

 わたしが空になった皿を返しに行くと、リーゼが鍋の片付けをしていた。


「ソフィアさま、お皿ありがとうございます。今日のクリーム煮、いかがでしたか?」


「美味しかったわ。いつも通りに」


「よかった!」


 あの屈託のない笑顔。

 こんな笑顔をする子が、禁忌の術を使っている——使っている自覚すらないのかもしれないけれど。


 わたしは、一つ、息を吸った。


「リーゼ」


「はい?」


「少し、訊いてもいいかしら」


「もちろんです。何でしょう」


 リーゼが手を拭いて、こちらを向いた。

 琥珀色の目が、無邪気にわたしを見ている。


 嫌だ、と思った。

 この目を曇らせるようなことを、言いたくない。


 でも——言わなければ。


「あなたの料理——」


 言葉を選ぶ。慎重に。


「あなたの料理を食べた人に、不思議なことが起きているの。疲れが取れる。体調が良くなる。魔力の調子が上がる。あなたの料理を食べた時だけ」


 リーゼの笑顔が、少し固まった。


「それは……栄養のバランスが良いからだと思います。ちゃんとした食事をすれば、体調が良くなるのは当然で——」


「それだけでは説明がつかないわ」


 ソフィアは、一歩、近づいた。


「わたくし、あなたの料理を観察したの。魔法で視力を強化して、じっくりと」


 リーゼの顔から、血の気が引いた。


「あなたの料理に、金色の光が宿っているのを見たわ。魔力ではない、別の何か。それが、食べた人に作用している」


「金色の——」


「リーゼ」


 ソフィアは、リーゼの琥珀色の目をまっすぐに見つめた。


「あなたの料理は——普通じゃないわよね?」


 リーゼの手から、布巾がぽとりと落ちた。


 静寂が、二人の間に降りた。


 厨房の奥から、鍋がことこと煮える音だけが聞こえている。


 リーゼは——凍りついたように動けなかった。

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